街中で見かけて「グッときた人」の思い出

28歳、女性です。現在無職です。

来年度の小学校英語教師募集があり、応募してみようと思っています。
でも、英語に関して誇れるような資格は持っていませんし(英検準2級昨年取得)、自信を持って「英会話ができる」と言えません。日々の努力は続けていますが・・・。

しかし、私は国際交流に関して人一倍の熱意を持っているつもりです。
近所の英会話サークルに顔を出してはALTと親しくなったり、現在日本語教師のボランティアもしています。外国人のホームステイの受け入れの経験もし、日本が確実に国際化していることを実感しました。

子供は好きだけど、ほとんど熱意だけで責任のある仕事をするのは(どんな仕事でも責任ある仕事だと思っていますが)・・・まずはこんな私で務まるのか不安です。

この仕事を今年度で退職する知人にいろいろな現実を聞きました。彼女は「あなたならできるよ」と言ってくれましたが、どうしても「英語の先生→英語がペラペラ」というイメージが払拭できず、不安です。

具体的に要求されている英語レベルは募集要項にはありませんでしたし、今の時点では応募するつもりでいます。
ちなみに大学時代に高校の教員免許(情報)は取得しています。パソコンは問題なく使えます。

現在、このようなお仕事をされている方、児童英語教育に関わっておられる方、こんな私が未来ある子供達の教育に携わっても(採用されればですが)大丈夫だと思いますか?

回答よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

もういろいろなご意見も出て、どうされるかお決めになっている頃かも知れませんね。


#5さんのご意見に深く頷いてしまった者です。

うちの子供が以前通っていた小学校は、国際交流教育指定校というのになっていて、ALTの先生が回ってくる頻度が高かったり、放課後1年生からでも入れる英語クラブをやっていたり、また、そのために臨時教員も、英語のできる中学免許をもっている人を入れていたりしました。

ALTとふれあう機会が多いというのは恵まれていたと思うのですが、他の、あまり英語力があるとは言えない英語クラブの先生や臨時の先生に関しては、「なぜ大事な導入時期に、」と不満だったというのが本音です。実は私自身英語教員ですが、せっかく、いわゆる日本の「学校英語」「受験英語」に毒されない小学校の段階から英語に親しませようというのだったら、なぜなるべくネイティブに近いきれいな発音、正しい英語をなるべく多く聞かせるというところから始めないのか、という意味でです。もちろん、世界中いろいろな国の人が英語を使って生活しており、国、人それぞれに癖や訛りがある英語を話してもそれは当然のことだという前提に立った上でのことですが。

その時期、その学校の子供達は、まったくJapaneseな発音に慣れてしまっていました。音楽発表会では「英語の歌」を歌った気にみんななっているのですが、実際は英語の音を無視した「カタカナ」。これは、残念ですが教えてくださる先生の勉強不足、研鑽不足と言うしかないです。せっかくやるのに「もったいない」というのが感想でした。子供の能力は素晴らしくて、与えられたものは吸収します。まず与えられたものに「限り」があれば、それ以上のものは知らずに終わってしまいます。

子供の学校の先生は熱意がなかったわけではなく、どちらかと言うととても熱心だったと言い切って差し支えないとは思います。でもいくら熱心でも、そこで与え得るものが貧弱では、小学校での英語も、とてもきつい言い方だとは思いますが、「単にゆとりの教育の延長の時間潰しか」となってしまいます。

・・・と、私も辛口に書きましたが、そもそも、まず熱意というものがなければできない仕事だとは思います。お住まいの地域での英語教員募集の基準がどうなっているかによって、もしyo_chieさんがトライしたとして、その基準に達していて他の応募者をおさえて採用されるに至るのでしたら、その中で今後、そこらの免許保持者など凌ぐ勢いでご自分の英語にも磨きをかけつつやって行って欲しい、というのが私の個人的意見です。
失礼しましたm(_ _)m
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

教育というものは、その分野に関して、自分自身、深く理解していないと出来ないと思っています。
また、教育に対する熱意がないと、また無理なことだとも思います。

そういう意味では、今の私には無理なのかもしれません。

深い理解と教育に対する熱意、両方備わっていないと難しい仕事だと実感しました。

応募までにはもう少しだけ時間があるので、いろいろ考えてから決めたいと思います。

お礼日時:2004/02/18 20:07

みなさんが応援のほうはしてくださっているみたいなので、


私はちょっと辛口の意見をさせていただきたいと思います。

小学校のではありませんが、児童英語の先生をしております。
人事も担当しています。

私はyo_chieさんと同じくらい熱意を持ってレッスンをしているつもりです。
英会話にも自信があります。

何をいいたいかというと、yo_chieさんと同じくらい熱意を持っていて、英語力があるひともきっとたくさん応募されるだろうということです。

ただ、英語力があっても熱意が無ければ絶対続かないしごとですし(結構きついと思います)、
熱意というのは努力で手に入れられるものではない(ほとんど性格だ)と思っていますので、
yo_chieさんのように熱意を持っていらっしゃる方が英語教員になってくれればきっとすばらしい先生になれるだろうと思います。

日々の努力はされていらっしゃるようなので、あまり申し上げませんが、
もし、あなたが私のいる教室に応募をされたなら、私は人事として、
あなたの熱意を惜しいと思いながら、あなたを英語力がないことで不採用にするでしょう。
そして、また英語を勉強して再チャレンジしてほしいと心から思うことでしょう。

学校の英語教員と、一介の英会話教室では採用基準が違うと思いますが、
私はできれば学校の先生も英語力を軽視することなく、英会話がきちんとできる方を採用して欲しいと思っています。

・・・ほとんど私の主観なので参考にはならないですね
・・・すみません
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

LCBさんの言うとおり、熱意だけで務まるかというと、そうではないだろうということも理解しているつもりです。

英語教師として採用されたとすれば、「英語話せるんでしょ?」とあたりまえのように思われることも分かっています。そんな時、自分の英語力に自信が持てないこともまた事実です。

保護者だって、「そんな素人に毛が生えたような人が教師??」と思うかも知れません。

理想や熱意だけでは無理なこともあるのを実感しました。

もう少し考えてみます。

お礼日時:2004/02/17 12:58

私、昨年英語教師の補助要員に応募して落ちました。


その業務内容は面接時の説明によると、英語のクラスを一人で持って教えるのではなく、担任の先生が英語というか国際理解の授業をする際にお手伝いをする、というものでした。英語を多少は使うが日本語中心、カリキュラムも担任の先生が1年分作るということでした。

面接の際重要視されたのは、子供の扱いに慣れているか、ということでした。つまり、40分ぐらいの授業で子供が飽きたりした場合、いかに授業に集中させられるか、子供あしらいに自信があるか、と言うことでした。

私の住んでいる自治体では上記のような状況で、英語力より他の能力が重要でした。

子供が好きであれば、ぜひチャレンジしみてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今回の募集も「補助要員」ということでしたが、どうやら英語が苦手な担任の先生は、丸々授業を任されてしまうこともあるとのことでした。

子供あしらいですか・・・子供は好きですが・・・なかなか今まで子供とたくさんの時間触れ合ったことがないので分かりませんが、苦手ではないと思います。

もう少し考えてみます。

お礼日時:2004/02/17 12:17

児童英語教育にかかわっている、というカテゴリーにははいっていないのですが。

。。
もう北米にすんで10年以上になります。そんなこんなで思うのは、英語というものを考えるときに『発音』というのはあまり重要じゃないな、ということです。日本語には『標準語』がありますが、英語にはありません。アイルランド、イギリス、オーストラリア、アメリカ北部南部西海岸東海岸でも発音はちがいますし、カナダ(のいろんな地域での発音のちがいがわかるほどいろんな地方にはいってませんが)でもいろいろです。日本語は標準語があるといっても、東北訛り、関西なまり、、、いろいろあっても、通じますね。文法についても同じことがいえます。英語をつかう国で、多少文法がちがっていたり、多少まちがってつかっている人もいます。(日本でもまちがった日本語の文法でしゃべっている人いますね。)要は『使える』かどうかなのです。

今、育児中ですが、2歳半の娘が英語で話しかけられれば『Yeah』と返事し、日本語で話しかけられると『うん』と答えます。言葉を英語のグループと日本語のグループにわけて頭にはいっているようです。上の子とは基本的に日本語で会話をしていますが、ふと日本語で知らない単語に出会ったとき、文章がすべて英語になってでてきます。私がそれに英語で答えると、次も英語で話しますが、途中で私が日本語で彼女のいいたかったことをすべて日本語で言い換えてあげると、つぎからは全部日本語で話してきます。どうも英語モードと日本語モードがあって、スイッチで変われるようになっているようです。日本語で話すときは日本語で考えて、英語で話すときは英語で考える。。。これは言葉を使える基本でしょう。

と、前置きが長くなりましたが、もし、『りんごは英語でいうとappleです。さあ、みんなでappleといってみましょう。』と教えると、りんごを見たときに『(りんごは英語でappleだから)apple』ととてつもない時間がかかるわけです。それはつかえる英語にはなりません。
具体的にどうすればいいのか、というところではアドバイスできませんが、英語のグループをいれるための入れ物を小学生の柔軟な脳の中につくってあげられるような授業ができるといいですね。それよりもなによりも新しい言葉っておもしろい、楽しい、といった、違う言葉を習得する楽しさ、使える楽しさが得られる授業を与えてあげられればいいですね。

そうなると英語の能力よりも、熱意がなによりも必要だと思うのですが?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

外国語、外国人をごく自然に受け入れられる感覚を養うことが、子供にとっては大事なことだと思います。

そういう意味では、英語の先生が英語がペラペラである必要はないですね。もっと重要なことがあると感じました。

もちろん、英語力があるに越したことはないですが・・・。

お礼日時:2004/02/17 12:12

大丈夫です、と簡単にはいえないのですが、中学校、高校の英語の先生だって大して英語できるわけじゃないし、深く考える必要はないと思いますが。


逆にyo chieさんの国際交流への熱意を反映させて外国、外国人と交流することに興味を持たせることができればよいな、と感じます。例えばクラスに一人海外のメル友を作ってクラスの中でその子供のメールを紹介する、クラスからのメッセージを送付する、など。
後は楽しく会話中心の授業ができればよいなぁ。今時海外に行っても子供連れの家族もたくさんいる。おたおたするお父さんを尻目にホテルで”We want to check in."なんて言っちゃうガキがたくさん育てばよいな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

小学校の英語教育は、英語に興味を持たせ、中学校の英語への足掛けとなるようなことをやるそうですね。
文章を書かせて覚えさせるようなことはさせないと言われました。このことは正直、驚きました。

だからこそ、「英語って面白い」と感じてもらえるような授業が必要なんだな、と思いました。

私が日々英語に接して、いろいろな驚きや感動を得ていることを伝えることも、児童英語教育に必要なものかも知れないですね。

お礼日時:2004/02/17 11:24

知人が同じような仕事をしています。


英語のレベルで言えばyo_chieさんより知人の方が上かと思いますが、小学校の場合英語は必修ではないので、ペラペラでなくても大丈夫なようですよ。
それよりも知人の小学校の場合は、性格、子供との意思の疎通の能力、やる気を重視されたようです。

実際に教壇に立ってみると、保護者が熱心なのか、幼稚園でも英語を授業に入れているところが殆どのせいか、幼稚園ぐらいから英語教室へ通っている子が結構多いそうです。
そういう子がたまーに難しい質問をするそうですが、「先生も何となくしか分からないから、今度までに調べておくね。」と言うそうです。
いくら先生でも全てを分かっているわけじゃない、分からない事は調べてみることを教えるのも先生の仕事だからだそうです。

yo_chieさんのように真剣に子供たちの未来を考え、教育に携わってくれる先生に出会えたならば、子供たちにとっては大きな財産になると思います。
採用試験がんばってくださいね!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今や幼稚園でも英語教育が当たり前のように取り入れられているのですね。私の頃とは随分と違う・・・。

英語教師と言っても、英語だけでなく、一人の教師、人間として教えることはたくさんあるのですね。

応募までに少し時間があるので、いろいろなことを考えて見たいと思います。

お礼日時:2004/02/17 11:19

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