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いつもお世話になっています。
A.Waleyの『TALE OF GENJI』(帚木 The Broom-Tree)から
わからないところと訳の間違っているところを教えていただければと思います。

1)

『Some again are adored by over-fond parents. These have been since childhood guarded behind lattice windows and no knowledge of them is allowed to reach the outer-world, save that of their excellence in some accomplishment or art; and this may indeed sometimes arouse our interest .』

●一方で溺愛する親たちによって崇拝される人もいます。これらは格子造りの窓の裏側で子供時代から守られていました。そして何かの教養、もしくは芸術について彼らの優越の知識を除いて、彼らについての無知は外の世界に届くことを許されます。そしてこれは実に時々私たちの興味を誘発する可能性があります・・・・・・?

Some again are・・・・・againはここでは「再び」と訳すと意味がよく通じなかったため「一方で」という言葉を選びました。

no knowledge of them~ここからの訳の意味を取るのが難しいです。

no knowledge of them is allowed to reach the outer-world=「彼らについての知識は外の世界に届くことを許されません」の意味でしょうか?
だとしたら、なぜ
knowledge of them is not allowed to reach the outer-worldという表現にしないのでしょうか?

allow・・・・許す?

save that of their excellence・・・・・ここのthatは knowledge ですか?

2)

『 She is pretty and graceful and has not yet mixed at all with the world. Such a girl by closely copying some model and applying herself with great industry will often succeed in really mastering one of the minor and ephemeral arts. 』

●彼女はかわいらしく、そして優雅でまだ全く世間に混ざっていないでいます。そんな少女は密接に何かの手本を真似ることと彼女自身を大変な努力に集中させることによって、重要でない、はかない芸術の一つを身につけることにしばしば本当に成功するでしょう。・・・・・・?

少女が大変な努力をしたらもう少しよい成果をあげられそうな感じもするのですが、ここでは「mastering one of the minor and ephemeral arts.」と言っているのが少し疑問です。何にも成果があげられないよりはいいとは思うのですが。

3)

『Her friends are careful to say nothing of her defects and to exaggerate her accomplishments, and while we cannot altogether trust their praise we cannot believe that their judgment is entirely astray. But when we take steps to test their statements we are invariably disappointed.”』

●彼女の友達たちは、彼女の欠点について何も言わないことと、彼女の教養を大袈裟に言うことに心がけます。そして同時に、私たちは私たちが彼らの判断が全く正しい道からそれているということを信じることができない彼らの称賛を全く信用することができません。しかし私たちが彼らの陳述を試すための方策を講ずるとき、私たちは変わることなく失望します。・・・・・?

and while we・・・・whileは「同時に」ですか?

1)は「accomplishment」が単数形なのに3)は「accomplishments」と複数形になっているのはなぜですか?

we cannot altogether trust their praise we cannot believe that their judgment is entirely astray・・・・ここの意味が難しいです。cannot trustとcannot believeが出てきて訳がごちゃごちゃになってしまいました。

親も友達も「少女」の評判を上げるためにあの手この手を使っている感じでしょうか?

よろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

今晩は。

いつも丁寧なお礼をありがとうございます。今日はいい天気で、気持ちのいい冬の日でした。久しぶりに梅の木を見ると、葉は1枚もなく、そのかわり芽がいっぱい出ていました。

1)>一方で溺愛する親たちによって崇拝される人もいます。これらは格子造りの窓の裏側で子供時代から守られていました。そして何かの教養、もしくは芸術について彼らの優越の知識を除いて、彼らについての無知は外の世界に届くことを許されます。そしてこれは実に時々私たちの興味を誘発する可能性があります・・・・・・?

●no knowledge of … のところを除いて、素晴らしいです。

>Some again are・・・・・againはここでは「再び」と訳すと意味がよく通じなかったため「一方で」という言葉を選びました。

●その通りです。座布団2枚に相当する正解です。(めったに出てこない用法です。)

>no knowledge of them~ここからの訳の意味を取るのが難しいです。

● 下に正しく考えられているように、文頭の no は文章自体の否定になっています。「彼女たちについての情報は、何らかの教養や技芸に秀でているという情報を除いては、外の世界に出るのを差し止められている」ということです。

>no knowledge of them is allowed to reach the outer-world=「彼らについての知識は外の世界に届くことを許されません」の意味でしょうか? だとしたら、なぜ knowledge of them is not allowed to reach the outer-worldという表現にしないのでしょうか?

●「彼らについての知識は外の世界に届くことを許されません」で正解です。no = not … any ですので、Any knowledge of them is not allowed となりますが、そうするのが憚られるのは、最初に否定語(not や never)が出て来て、その後に any が出てくるのが当たり前なのに、any … not の語順にすると、最初を見ると肯定文なのかと誤解を与えるため、嫌われるのです。I think he is not honest. より、 I don’t think he is honest. が好まれるのと似ています。否定の旗はなるべく早めに示すのが英語の流儀なのです。

>allow・・・・許す?

● allow = let みたいな感じで、「そのままに放任する」ということです。 not … allowだと、そういう放任はしないということになります。
 あの女性は笑うときワニのように口を開けるんだそうだ、などという話は放っておくとまたたくまに広まりますが、深窓の令嬢にしてしまえば、隠しおおせるわけですね。

>save that of their excellence・・・・・ここのthatは knowledge ですか?

●その通りですsave も非常によく間違えられるものですが、見事な正解です。

2)
>彼女はかわいらしく、そして優雅でまだ全く世間に混ざっていないでいます。そんな少女は密接に何かの手本を真似ることと彼女自身を大変な努力に集中させることによって、重要でない、はかない芸術の一つを身につけることにしばしば本当に成功するでしょう。・・・・・・?

●完璧です。

>少女が大変な努力をしたらもう少しよい成果をあげられそうな感じもするのですが、ここでは「mastering one of the minor and ephemeral arts.」と言っているのが少し疑問です。何にも成果があげられないよりはいいとは思うのですが。

●結構努力するにも拘らず、生来の才能に恵まれていないため、素人の域をいつまでも抜け出せないということでしょう。書にしても、一見それらしいが、よく見てみると下卑たものであったりとか...。 公達たちは何しろ目が肥えていますので、彼らから言わせれば、グルメにとっての田舎料理になるのでしょう。

3)
>彼女の友達たちは、彼女の欠点について何も言わないことと、彼女の教養を大袈裟に言うことに心がけます。そして同時に、私たちは私たちが彼らの判断が全く正しい道からそれているということを信じることができない彼らの称賛を全く信用することができません。しかし私たちが彼らの陳述を試すための方策を講ずるとき、私たちは変わることなく失望します。・・・・・?

● while のところ以外、完璧です。

>and while we・・・・whileは「同時に」ですか?

●while は、1)「同時」、2)「対比・譲歩」の2大用法を持ちます。ここは、2)の用法です。訳は、「われわれは、その称賛を必ずしも真に受けることはできないが、彼らの判断がまったく間違っていると信じることもできない」となります。not… altogether とか、not … entirely は部分否定といって「かならずしも~とは限らない」の意味になります。

>1)は「accomplishment」が単数形なのに3)は「accomplishments」と複数形になっているのはなぜですか?

●教養は、大体、「琴棋書画」のように複数ですので、accomplishments と複数がふつうです。1)で「accomplishment」と単数形になっているのは、その中の「書」なら「書」だけを取り出して考えているからです。some + 可算名詞の単数形=「何かの~」です。

>we cannot altogether trust their praise we cannot believe that their judgment is entirely astray・・・・ここの意味が難しいです。cannot trustとcannot believeが出てきて訳がごちゃごちゃになってしまいました。

●上に申し上げましたように、部分否定をきっちり押さえていないためだと思います。なお原文は、「ただうはべばかりの情けに、手走り書き、をりふしの答へ心得て、うちしなどばかりは、随分によろしきも多かりと見たまふれど、そもまことにその方を取り出でむ選びにかならず漏るまじきは、いと難しや」で、we cannot altogether trust t… astrayは、「随分によろしきも多かりと見たまふれど」の意訳になっているのでしょう。「(ある女性がいいという噂は)本当かな、でも、まったく根拠がないわけでもあるまいに」と、ついつい、いいほうを夢想してしまう男の心理を反映している言葉になっています。

>親も友達も「少女」の評判を上げるためにあの手この手を使っている感じでしょうか?

● 悲しいことにこの時代、女性の幸せは、どれだけいい玉の輿に乗るかで計られたわけです。そうなるといきおい、周囲の者たちは、女性の欠点は隠し、美質は喧伝し、ということになりますね。位が低いと、どうしてもぺこぺこしなければなりませんから、本人もいい玉の輿に乗りたかったことでしょう。桐壷更衣にしても、帝の寵愛は受けても、身分が低くて苦労しましたしね...

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《余談》地震の脱線を1つ外しまして、普通の脱線に戻ります。獅子文六というのは落語家みたいな名前ですが、4×4=16 という駄洒落(彼は駄洒落の名人で、『自由学校』というのも「自由ごっこ」と掛けていると思います)なのですが、文六には、文四(=文士)、文五(=文豪)よりも見識が高いという自負も籠められていると言われています。実際、そのように思います。

 獅子は横浜の出身で、前に萩原朔太郎について述べたときに「日本のシルクロード」ということを申し上げましたが、朔太郎が上州のからっ風と桑畑の中で西洋のハイカラを幻想として生きたのに対し、獅子は本物の都会っ子で、おそらく彼の子供時代の横浜は、東京よりも都会的(西洋的)だっただろうと思います。(このあたりは自伝『父の乳』(これも駄洒落ですね)に詳しいです。)

 そうした中で鍛えられた感覚の鋭敏さは、日本人の中でも抜きんでたものがあります。私は彼の味覚の鋭敏さからは多くを学びましたし、その達者な口語日本語からもいろいろ学びました。

 大衆小説作家としては、獅子文六というペンネームを使いましたが、それ以外のジャンルでは、岩田豊雄という本名で通しました。そのためか、彼の演劇における業績は、小説以上に忘れられてしまっているようです。(ちなみに豊雄の「豊」は父親の出身地である豊前から取られています。そして郷土の英傑である福沢諭吉の縁で、獅子は慶応に進むわけです。慶応もハイカラ趣味の大学ですね。)(つづく)
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この回答へのお礼

今晩は。いい天気でしたね。梅の木はもう芽が出ているんですね。芽を見ると自然と嬉しくなりますね。

いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。

1)の「again」は文頭の「Some」が「~という人もいる」と訳すと思ったので「一方で」と訳すと合うと思いました。

「no knowledge of them is allowed to reach the outer-world」のところはよくわからず悩みましたが「knowledge」を「情報」と教えていただいて意味がよくわかりました。
ここはまた、なぜ否定語から始まっているのか疑問でしたが(日本語の感覚だと「Any knowledge of them is not allowed」の方が訳しやすいのですが)、『英語の流儀で否定の旗はなるべく早めに示す』というので理解できました。

「allow」を「許す」と訳すと意味がすっきりしませんでしたが、「そのままに放任する」( not … allowで、「放任はしない」)だと通りがいい訳になりますね。辞書を見ると「let」に「・・・・を(するままに)しておく」という意味がありますが、これのことですね。(ワニのように口を開けて笑うという情報は広まって欲しくないですね)

「save」は以前「nothing should sever this union save the fading of the purple band.」のところで出てきたのが頭に残っていました。

2)は「succeed in really~」となっているので肯定的な雰囲気の文のような気がしたのですが、努力したにも拘わらず素人の域を抜け出せないと、少し皮肉めいた内容になっているのですね。

3)「while」を「対比・譲歩」の「・・・なのに対して」「・・・に反して」と訳し、「while we cannot altogether trust their praise we cannot believe that their judgment is entirely astray.」の文が「while we cannot altogether trust their praise」と「we cannot believe that their judgment is entirely astray.」で分かれることがわかりました。
(ここはずっと一文でつながっていると思っていたので訳がおかしくなってしまいましたが、部分否定の単語も入っていて「かならずしも~とは限らない」と訳すことを押さえてないとだめなのですね)
原文も紹介して説明してくださってありがとうございました。

「accomplishment」の単数形と複数形は ちょっと不思議に思ったところでしたが一つの教養分野を取り出しているのがわかりました。

玉の輿に乗った後、真実が暴露されてしまうのも怖い感じもしますが、身分が低いといろいろ苦労しなければならないのですね。

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「獅子文六」という名前は私も落語家の名前のように思いました。
駄洒落の名人ということで納得です。
横浜出身の方なのですね。(東京よりも西洋的だったというのはなんとなくわかるような感じがします)
「岩田豊雄」というと別人のようですね。
「豊前」というと福岡県東部と大分県北部にあたる場所のようですが、父親は九州の人だったのですね。
同じ郷土の福沢諭吉の縁で勇ましく(?)慶応大学に進んだのですね。

前々回紹介していただいた獅子文六の『娘と私』『自由学校』『大番』は図書館で借りることができたので読みました。

『娘と私』は自伝的小説ですね。娘の麻理が時には枷になりながら結婚するまで育てあげた父親の姿が印象的です。父親の心情がよくわかりました。また後妻の千鶴子さんのことも書きたかった気持ちが伝わりました。

『自由学校』は「自由ごっこ」と掛けているということですが、「平さん」が出てきました。(平さんとはハッピーエンドにはなりませんでしたが)夫婦の機微が上手く書かれていたと思います。タイトルがおもしろいですね。

『大番』は実際に存在した相場師「佐藤和三郎」をモデルにした小説ですね。何人も愛人がいましたが心の中にいつも高嶺の花だった「可奈子」の存在があったのが印象的でした。(ついには結ばれませんでしたが)

とても文が生き生きと書かれていて引き込まれますね。
『娘と私』に詳しく書かれていましたが、本当に作家として認められるまで苦労されたのだと思いました。

いずれも傑作の3作品紹介してくださってありがとうございました。

(また明日投稿します)

お礼日時:2012/12/13 22:02

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