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皆さん、いつもお世話様です。一生懸命英語を勉強しているものです。

勉強方法を模索しているのですが、相反する2つの説があってどっちが正しいのか
悩んでいます。

1.多読する方法
  多聴多読マガジンというのがあって、買ったことがあるのですが、
  これによると、様々な英文をひたすら多読し、わからない単語があっても決して辞書を
  見るな、気にせず飛ばして読め、とくかくたくさん読むことに専念しろと強調しています。

2.1冊の本を繰り返し繰り返し何度も勉強する方法
  イングリッシュモンスターの菊地さんや、浜崎さんは、とにかく1冊の本を繰り返し何度も
  徹底的にやるべし。わからない単語は辞書で必ず調べろ、と述べています。

1と2は相反することなので、どちらが正しいのか悩んでいます。そのせいで、最近、
抜け毛が多くなったような…。一体、どちらが正しのでしょうか。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

1か2かということではなく、向き不向きの問題ではないかと私は思いますねえ。

でも私に向いているのは折衷案です。

例えば、私は、たいして好きでもない本を「何度も読みなさい」と言われて読まされ、面白くなってきたところで辞書を調べさせられたりすると、英語であろうと日本語であろうとイヤになってしまいます。

でも、同じ文章を暗記するほど何度も読んだり聞いたりすると、確かに劇的に語学力や文章力や表現力が上達しますし、辞書を調べればそれだけ語彙が蓄積されます。とはいえ、素材が面白くなければ、何度読んでも暗記はできませんし、何も身につきません。

こうしたことは、母語でも同様ではないかと思います。例えば、好きな漫画をいくら読んでも何も身につかないのが、絵をトレースしたら絵が上達したとか、辞書を引き引き、友達に面白さを手紙で伝えたら漢字を覚えた経験はおありにならないでしょうか。

というわけで、私自身には、以下のような方法が向いています。できるだけ楽しんで読める本、面白く鑑賞できる映像や音声を選んで、そういうものにたくさん触れる。その際には、少しでも楽しめるよう、引きたくもない辞書を引いたりはせずに、作品としてのリズムを尊重して、流れに乗って鑑賞する。一方で、特に気に入った作品があれば、何度でも読み込み、何度でも鑑賞する。何度も鑑賞したくなるくらい好きなのだから、辞書も引きたくなるので、そうする。という方法です。

しかし、本当に私に向いているのは双方向のやり方です。例えば、英語なら英語のQ&Aサイトで、興味の持てる質問を探し、質問者の意図を正確に把握すべく、辞書などを確認しながら読み込み、回答をすべく調べ物をし、回答が正しく伝わるよう、やはり辞書で確認しながら回答を書く。これがいちばん、上達につながっていますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/11/09 21:20

こんにちは。



面白い題材ですね。
ただ、その二者択一ではないと思いますよ。

私は、(1)の方法オンリーには多少疑問に感じています。そういう趣旨の"How-to"ものを読んだことがありますが、厳密な部分で、肝心な上達のメソッドが欠落していると思ったのです。分からないものは、いずれの機会にそれを解決していかないと、先には進めないのではないかと思うのです。
そうしないと、本を読んで、理解して、考える、というプロセスが崩れていきます。

文学などの本が好きな人は、それで良いとは思われるかもしれませんが、それは娯楽であっても、語学上達からすれば、大幅に逸脱しているはずです。そして、例えば、映画ひとつ見ても、楽しんでそれで良かったという人もあれば、そこから芸術論を構築する人もいます。それと同じで、本を読んで知識や知能が増していくようにすれば、それは語学学習としての価値があるのですが、単なる娯楽で、自分が英語を勉強していると勘違いしているなら、何もならないのではないでしょうか。

私は、文系出身ですが、仕事していた時も、それ以降も、理系のほうが多かったせいで、本の読み方が全然違います。物事を徹底的に理解して考えるということをせずに、読むだけでは、結果を生まないのです。江戸時代の村田蔵六(後の大村益次郎)という人は、ライフル(rifle-螺旋の溝を彫る)の原理を文章だけで解読したと言います。杉田玄白たちの『解体新書』で、日がな一つの単語の意味を考える、ということも、悪いとは言えないと思うのです。私は、仕事の時は、100%理解するまでは、次の行動は出来ませんでした。

書籍を読むのは、その内容に興味を持ち続けることであって、小説の類を乱読して、何も残らなければ意味がないと思うのです。

これは、日本語に対してでも言えます。多くの本を読んでいるだけでは意味はなく、何を読むか、それでどう考えるかが大事だと思います。ここら辺で、見解の相違が生じるかもしれません。それは、それぞれの立場の違いと考慮してください。

(2)の方は、私は何度か、ここのカテゴリで、その菊池という人について書いていますが、彼はオールラウンドの英語ではなく、TOEICの英語試験に特化しているわけで、いくぶんは正しい話をしていることは認めますが、TOEICから得られるものは、そう多くないと思います。TOEICは、限定された試験なので、一極集中型の勉強法が合っているのでしょうけれども、それは、偏っていると思います。

とかく、語学屋は語学屋に終わる事が多いのではないでしょうか。ある人が、文化人類学者の中根千枝氏が、英語を間違えたことをあげつらっても、では、その人は、中根千枝氏の功績に匹敵するものを出せるのか、問いたいものです。その上、昨今、英語の専門家と思しき人たちに、ある分野の基礎的な知識があやふやで、なお、まとまった内容を構築させようとしていることに出会いますが、どんな高度なことを言おとしても、それがいったい何になっているのだろうと思ってしまいます。例えばで例を出してよいかは分かりませんが、苫米地英人氏がいます。彼が書いているチョムスキーの理論は、母語の習得に関してのみで、特別に外国語の習得に応用できるとは言っていないはずです。その後、それを発展させたクラシェンのインプット仮説というものは知っている人はいるでしょうけれども、彼は、クラシェンには言及はしていませんし、なおかつ、クリシェンの理論が手放しで成功したとは思えません。

参考:
http://konan-umegumi.com/umegumi/background22.html

さて、一般論で言えば、どちらも大事ですが、

(2)の1冊の本を繰り返し繰り返し何度も勉強するのは、ある程度は有効だとは言うものの、その教材そのものの吟味が必要です。國弘正雄氏の只管朗読も、疑問点としては、彼の学習の時代と、現代では大きく違う点があります。無意味に繰り返すことで得られるものは、さほど大きくないように思います。つまり、國弘氏の推奨する方法のように、何百回も繰り返ししなければ、語学が上達しないということではない、ということです。現在は、教材としては豊富にあり、理解したら、次の関心ごとに移ることは悪いことではないはずです。

(1)の多読主義も、95%の理解で通用するというものもありますが、その5%が理解していないために、全体がボケるということもありえます。当然、調べて理解して、読み進まなければならないことも多かろうと思います。

あまり長くなると読まれなくなってしまいますので、ここらで、ひとまずの終わりにさせていただきます。語学学習の正統な方法論は、こうした民間の説とは別にありますので、興味があれば調べて読んでみると良いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/11/09 21:18

英語、そのものの実力を、しっかり築き上げたいならば(1)を!!




世の中に存在している言語としての英語で無く、
「TOEICテスト対策の英語」ならば、(2)でしょう!!。


大きな本屋さんに行けば、「受験英語のための棚」もあれば、「TOEIC英語のための棚」があります。
目的に応じて、勉強法を切り替えられては、いかがでしょうか。



下記は、「TOEIC対策英語ばかりへの批判」を行う動画です。

英語は「インド式」で学べ! 3



ごくわずかでも、お役に立てば幸いです。

http://www.youtube.com/watch?v=0UG3NCXBtfo
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/11/09 21:19

まず、方向性ですが、早く英語訓練のための読書というところから脱却することをめざしましょう。

1も2も、英語訓練のように考えていたら、それはレベルが低いし面白くありません。そうではなく、読書を楽しむというレベルへ向かうべきです。
たとえば、Penguin Readersなど、1000語レベルでも多少は楽しいものの、やはり、2000語、そして3000語レベルへいくと、読書の醍醐味を味わえるようになります。もちろん、Penguin Readersで3000語レベルを読める人はペーパーバックの易しい本も読めます。
そして、どんどん自分の興味のある本を読んでいくべきです。中には、この本何度も読む価値があるというものに出会えたら、それを何度も何度も読むのもいいでしょう。
人によっては聖書を毎日読む人もいますし、私も英訳「星の王子様」は何度も読みました。そういう本でなければ、何度も読むというのも、つまらないものです。要は、何度も読むに値する本と出会うことです。サリンジャーのCatch in the Ryeを200回読んだという人も知っています。そういう本に出会うことです。

つまり、読書を楽しむという領域に足を踏み入れてことこそ、英語で読書をする意味があるというものです。そして、いろいろな種類の本を読むこと、それもまた、とても大事です。よい本に出会うことを求めて多読するというのもありでしょうし、いろいろな本で自分を高めるというのもいいことです。多読か精読かという、つまらない世界から抜け出してほしいと思います。生涯読める本の量はそんなに多いとも思えません。今だから読める本もあるはずです。

がんばって下さい。

以上、ご参考になればと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/11/09 21:19

速読、多読、どちらか一方ではダメです。

両方必要です。

勿論、読むだけでなく聴くことも大切です。

あと「音読」、「筆写」ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/11/09 21:21

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