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戦前はその場所は何だったんでしょうか?
公平な視点で教えてください。

A 回答 (6件)

戦前は、今の普天間基地のど真ん中を南北に貫く通る感じで沖縄を南北につなぐ主要な街道が走っていて(現在でいう国道330号線の前身)、その周辺(今の普天間基地のど真ん中に当たる場所)に集落(農村)がいくつか並ぶといったイメージだったんでしょう。


基本は農村なわけで、そんなに大きな街とはとても言えないですが、とはいっても、戦前の沖縄中南部地方では最大の集落がそこにあったわけで、今、普天間基地がある場所は、戦前の沖縄中南部地方の中心地であったことは確かでしょう。
おそらく、今の普天間基地の範囲内に、5~6千人程度が住んでいた、ということになると思われます。

で、沖縄戦では、北から街道に沿って攻めてくる米軍を、日本軍が今の普天間基地のすぐ南にあたる場所で迎え撃って沖縄戦最大の激戦が行われました(嘉数の戦い)。
米軍はこの戦いでかなりの損害を受けて、一時停滞を余儀なくされたために、その場所(つまり普天間基地の場所)に補給用に飛行場を作ることにした、というのが発端です。
戦争中(それも敵国内かつ最前線における飛行場建設)ですから、人が住んでいるとか荒野とかそんなことは関係なく、純粋に、その時点で一番ほしい場所に作ることにした、ということだと思います。
で、紆余曲折ありますが、そのまま今の普天間基地まで続いています。

沖縄以外の本土の米軍基地は、もともと日本軍の基地があった場所ですが、沖縄の米軍基地はその多くが沖縄戦での戦闘の進展具合によって、ある意味、たまたま、米軍の陣地になった場所を発端としている所が多いため、基地の場所選定が、地域の住民の利便性を無視した場所になっている感が強いのは否めないとは思います。
日本軍にせよ米軍にせよ、もし当時沖縄の中南部にきちんと計画して基地を作ろうとしたなら、今の普天間の場所ではなくて、もう少し東側(中城など)にしたのでは、と思います。それこそ、誰も住んでない荒野だったのでは、と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/12/17 13:35

普天間には多くの農漁民が住んでいました。


終戦後、普天間の住民は「銃剣とブルドーザー」で追い出され、家屋も墓地も綺麗さっぱり取り壊され、農地も奪われて空軍基地とされました。
基地周辺に元の住民が集住し、基地の需要に応える産業が生まれ、労働者が移住してくるのも必然の流れです。
人口が増えれば村から町へ、町から村への発展も必然の流れです。村が町になったことで需要が増え、市に昇格して更に人口が増える。基地機能の強化とも相俟って居ます。
基地へのインフラ整備は、日本の財政負担で賄われ、維持・供給されています。
普天間基地の土地所有権者は元の農民です。日本国は、米軍が強制的に借り上げた土地の地代を負担しています。
米国が軍用地として買い上げた土地を基地化したことで、人口が増えた訳ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/12/17 13:35

戦前ですよね?戦中ならもちろん焼け野原です。


戦前となると普天間は集落があった場所で多くが農地、
それ以外の基地はほとんどが荒れ地だったでしょうね。
ただし荒れ地と言っても完全な荒地ではなく隔年でさとうきびを植えていた農地であったり牧草地に利用していたような場所が混在していたでしょうから、そういう意味でまったくの未利用地というわけでもなかったでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/12/17 13:36

岩国を忘れてるだろ>no.2



基地ができたら色々と人も集まる、当たり前の話。ネトウヨ、バカウヨの理論でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/12/17 13:35

沖縄の米軍基地に限らず、日本国内の米軍基地周辺の状況は皆同じです。


厚木や横田周辺だって、米軍が進駐してきたころは周りに民家なんてほとんどない、原っぱや畑、雑木林ばかりのド田舎でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/12/17 13:35

作物は何も作っていない荒野が98%。

当然、人口もほとんどなしです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/12/17 13:35

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