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大学2年の女(文系)です。
私は高校生の時から大学で学びたいことがあり、それが学べる学科に入りました。
2年生になり専門科目が増えたのですが、
授業を受けるたびにどんどん興味が広がるのと同時に、自分の無知加減に幻滅し
まだまだ学ぶべきことが膨大にあるという事実に絶望します。残り3年ではとても学びきれないと思うと途端に気力がなくなってしまいます。
私はすごく頭が堅く中途半端というのがとても嫌で、どうせ全てを学びきれないなら
いっそ無知のままでいる方が楽だと思ってしまうんです。
しかし大学にいる以上、授業を受け単位を取得し卒業しなければならない…
浪人してしまったので、就職のことを考えると院に進む予定はありません。
この自分があまりにも無知すぎてまだまだ学ぶべきことが膨大にあるという絶望感を、勉強する意欲へと上手く昇華するべきなのですが、それができません。
無気力になってしまいます。
これは単なる怠慢なんでしょうか。
甘えたこと言うなと思われるかもしれませんがこの状況もなかなか苦しいです。
勉強すればするほど自分の無知に愕然とし、目の前にある膨大な課題に恐れすら感じる、、、どうしたらいいのでしょうか??
訳のわからない質問でしたらすみません。

質問者からの補足コメント

  • ???
    普通に文脈的に考えて、大学に入る前に浪人したということくらい分かりません?そしてこの質問文から、そもそも大学に入ったのか?という疑問がなぜ出てくるのが理解できません。質問を読解できないなら無理に答えてもらわなくて結構です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/04/26 07:58
  • たくさんのご回答ありがとうございます。
    少しずつ順番にお礼していきます、すみません。

      補足日時:2019/04/28 18:33

A 回答 (11件中1~10件)

あなたが感じたことは、ごく普通のことです。

そこで絶望してしまうのは少数派ですが。

こりゃ大変だ、というのは大学入ったばかりの頃に私も思いました。もっとも当時、大学新聞だったかの記事にも似たようなことが書かれていて、やっぱりそんなものなのか納得した記憶があります。

高校までの勉強には、ここまでは学ばなければならない、その先は原則やらないという枠がかっちりはめられています。本来はこちらのほうが異常なのですが、おそらく大学受験における公平を期すという意識があるのでしょう。

本来、学問の世界にそんな枠はありません。一言で○○学と呼んでいても、幅は他の分野との境界領域まで、深さはもうそれこそ無限です。小さなプールしか知らなかったのが知の大海に放り込まれるのです。そこに大きなギャップおぼえないのは、高校で素晴らしい教育を受けてきた人と、大学で最高学府に値しない教育しか受けなかった人だけです。


それから、院進学については浪人のことなど気にせずゼロベースで考えるべきです。現役浪人にかかわりなく、文系の院卒はあまり就職先がありません。しかしゼロでもありません。文系の院卒を必要とする就職先は、その人が現役か一浪かなんてほとんど気にしていません。
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お悩みのことは素晴しいことです。

今の大学では、あなたのように感じる人が少なくなったようです。

役に立つ(と知識・経験のない自分だけで判断。大学の教養科目はその例。)と思う分野だけ勉強するとか、も多いです。

さて、昔の人は答えを出していました。たとえば、論語です。「之を知るを之を知ると爲し、知らざるを知らずと爲す。是れ知るなり。」

自分にとって知らないことが多い、と判断することはだれにでもできることではありません。無知に絶望する必要はなく、出発点に立っていることを自覚できたのです。これは素晴しいことです。
しかし、人類が築き上げてきた知識体系をすべて学び、消化しようとする必要はないのです。若い人ほど焦りもありますが。

既存の知識を学んでいると、よくあるのですが、その中で、これは本当なのかなとか、何か気付きがあるものです。その結果、新しい学問分野での新発見などはいまだに数多く現れて来ています。
学ぶことだけには満足できなくなり、新しい知識を自分自身で見つけたいという気持ちが出てきます。

それまでは、無知を自覚しながら勉強を続けましょう。ただし、常に疑問を持ちながら、です。
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残り3年ではとても学びきれないと思うと途端に


気力がなくなってしまいます。
 ↑
一生かけて勉強すれば良いでしょう。
数年で学問を修めようなんて、傲慢です。

そういう道に進むのも良し、
趣味で続けるのも良しです。



この自分があまりにも無知すぎてまだまだ学ぶべきことが膨大にあるという
絶望感を、勉強する意欲へと上手く昇華するべきなのですが、それができません。
無気力になってしまいます。
これは単なる怠慢なんでしょうか。
 ↑
疲れているだけじゃないですか。



どうしたらいいのでしょうか??
 ↑
明日死ぬつもりで、今日を生きなさい。
永遠に生きるつもりで勉強しなさい。
(ガンジー)
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ただただ驚きで,敬服いたします。

僕にはとうていできないです。
 大学合格して最初の数学!全くわかりません。物理!何をしているかもわからない。でも勉強しようにも,授業についていくのでやっと。ご質問者のように,それ以上に果敢に挑む能力は無いと自覚したので,わかる範囲で勉強しました。えっと,お断りしておきますが,かなりの難関大学に現役で入学したアンポンタンの大昔の経験です。現在は年金生活者。3年生になって「基礎工学」という科目がようやく現れましたから,「おぉー,ようやく基礎から教えてもらえるぞ」と最初の講義は「地盤工学,つまり我々が知っている土木構造物の『基礎』のこと」でしたね。笑っちゃいますが,これがまた難しい。当たり前です。専門の先生たちが数年かかって研究して得た結果を,ちょっとだけ優しくして教えてくれてるんです。授業中に理解することなんて無理なのは当たり前です。
 そうなってくると,あとは楽です。わかる範囲で理解できるものを「自分のものにする」という姿勢です。わからんことはわからんのですよ。橋の設計の講義で非線形方程式のことを言われたってわらるわけがない。地震や耐震の講義で周波数領域のスペクトル?ん?虹のこと?くらいしかわからない。そんなものは,卒論をやる4年生になって,自分あるいは同級生がやっている研修を見たり聞いたり手を動かしたりしてようやく,その半分くらいが理解でき(たと誤解す)るだけです。でもそれでも勉強すれば,ある狭い範囲の知識は深められます。博士号くらいはもらえますよ。ご質問者は,関与するすべての分野で深い知識を得たいのでしょうか。そういうことは秀才でも不可能です。僕がよく知っていることを東大卒の秀才大学教員に説明しても,彼はすぐには理解できないことがありますよ。
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ある書店のブックカバーに記されていた言葉


「人生は短い。あの本を読めばこの本は読めないのである。」

みんなその中で
「では自分は何を極めていこうか」
と悩みそして道を見出していきます。

悩むのは結構。
悩まないやつに成長などあるわけがありません。
しかし決断は自分でしないと、その悩みを成長に結びつけることはできません。

くりかえすと「真に何かをなそうとした人間なら、みんな同じような絶望感を感じたことがある」ということです。
違うのはそのあとです。
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わたくし自身の性格傾向とはいささかかけ離れていますが、お書きの内容はよく分かる気がいたします。



>まだまだ学ぶべきことが膨大にあるという事実に絶望します。
>残り3年ではとても学びきれないと思うと途端に気力がなくなってしまいます。
> どうせ全てを学びきれないなら いっそ無知のままでいる方が楽だと思ってしまうんです。

以下、きつい言葉に聞こえたら本当にごめんなさい。でも、このお言葉を読む限り、あたなの向学心は大切だと思う反面、やや、考え方に現実に即さない偏ったものも感じてしまいます。おそらく潔癖症で、生真面目で、日ごろから一本筋を通したい性格なのでしょう。

あなたがおっしゃる通り、あなたのような目指すものがある方から見れば、この世界には、知りたいと思うものはおそらく無限に存在していると思います。ですから、目の前に広がる知識の泉は果てしなく広く深いものに見えることと思います。

ですが、現実を振り返れば、大学で普通に学ぶのはわずかに4年、このわずかな期間で学び会得できる知識や技術にはいずれにしても限界があります。いいえ、限界どころか、得られるものはほんの僅かしかないと言い切れるほどしかないと思います。

ですが、人生は在学期間よりもはるかに長いのです。そしてもし、あなたが自らが目指した分野に自身を投じたなら、日々、あなたが望んでいた知識や技術などは、なにもあえて学ぼうとしなくてさえ、もうイヤというほど、周りの環境の側からあなたに押し寄せてくるはずです。

聖書の言葉を借りるまでもなく、求める者には、もう、周りからいつしか幾らでも与えられるのです。そのことに目覚めてほしいなとわたくしは思うのです。頭を柔らかく…とは言いません。ただ、あなたの"考え違い"だけを指摘したいのです。知識を得たい人にとりましては、大学は、つまりはその予告編程度のもの、ただのスタート程度のものだと割り切ってほしいのです。

わたくしは、某大学の医学部を受験し面接の場で高額の寄付金を求められました。高額の寄付金など町医者の親には無理だとその場で入学を辞退。その後さる航空会社の客室乗務員として数年働きました。ですが、身体を壊して退職。そして転職した先はさる大手企業の広報室でした。広報については何ひとつ知識とて持ち合わがありませんでした。手も足も出せない日々が過ぎました。ですが、経験というものは恐ろしいものです。いつしか広報のエキスパートとして認められ、退職して家庭に入った今でえ、関係のお仕事が次々と舞い込んでくるほどになりました。つまり、ゼロポイントからスタートしてさえもいつしか人並み以上の実力は得られるのです。あなたが知識のために励んでいらっしゃるかぎりは、あとは無限に存在する真実のほうからあなたに与えられるはずなのです。

ですが、ゲーテのファウスト博士のように、ただ知識だけを追いもとめてみても、知識は生きてきません。知識や技術を求めて日々研鑽を続けることも大変大切なことには違いありませんが、もっと大切なことは、まず人間形成こそが一番大切なことなのだということを思い出してください。幅の広い人柄でなければ知識も得られないのですし、得た知識も生かすことができません。今はとにかく、すこし肩の荷を下ろしましょう。むしろ、もっと遊んだり、楽しく過ごしたり、映画や文学、芸術など、もっと幅の広い世界にも視野を広げてほしい。そうした一見、時間の無駄に見えるようなことが、人生にとって、そして、本筋の希望にとっても、実はとても大切なことなのだと、先輩のわたくしからアドバイスしたいと思います。
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>私はすごく頭が堅く中途半端というのがとても嫌で、どうせ全てを学びきれないなら


>いっそ無知のままでいる方が楽だと思ってしまうんです。

へ?
まず、言葉の意味を調べて日本語の勉強をしましょうね

>浪人してしまったので

え?
勉強しなかっただけですね

そもそもが、大学に入ったのですか?

浪人って、大学に入れない人のことですよ

大学生は、言いませんから
よく似た言葉は、留年です

>しかし大学にいる以上、授業を受け単位を取得し卒業しなければならない…

はい

>無気力になってしまいます。

じゃあ、小学生から、やりなおしてください
浪人の意味が分かる学齢まで、戻りましょう

>勉強すればするほど自分の無知に愕然とし、目の前にある膨大な課題に恐れすら感じる、、、どうしたらいいのでしょうか??

もっと、勉強すればいいだけですよ
この回答への補足あり
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まだまだ学ぶべきことが膨大にあるという事実が認識できたのなら、


あなたはやっと勉強のスタートラインについたということです。
それが認識できないうちは、勉強ごっこに過ぎないのですから。
よろこぶべきことなんだけど、なんで絶望するのかな?
>どうせ全てを学びきれないならいっそ無知のままでいる方が楽だ
が、もし本当に本心であれば、
あなたは本来大学に進学すべき人ではなかったということでしょう。
>大学にいる以上、授業を受け単位を取得し卒業しなければならない…
心配ありません。卒業に必要な単位を取得する程度の勉強なら
膨大というほどのものではありません。誰でもやってることですから。
最低単位をさっさと取得して、就職活動に専念するとよいでしょう。
せっかく学ぶことが何事だか解ったのに、もったいない気はしますが。
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それが「普通」、そこに達しないと偏頗な世界に落ち込むかアホよわばりされる

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>これは単なる怠慢なんでしょうか。


はい、或いはそれよりも悪質。

勉強したくない、しない事の言い訳にしか過ぎませんね。
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