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質問は、西郷隆盛が自ら朝鮮に出向こうとしたのは、武力で朝鮮開国を強要するためだったのでしょうか?

以下、補足です。
西郷隆盛は朝鮮開国のために、朝鮮に直談判に行こうとしたが、西郷が殺されることにでもなれば戦争になり、今は富国強兵の国内政策を優先すべきで時期尚早、と岩倉・大久保が反対して阻止した・・・というのが長いこと歴史の常識でした。

そして、西郷隆盛の征韓論の根拠になったのが西郷隆盛から板垣退助への書簡でした。
その中には「武力による開国には大義名分が必要で、自ら素手で朝鮮に乗り込んで自分が犠牲になれば大義名分になりうる」というような内容の記述があったためです。
また、明治6年に断行された廃藩置県により士族の多くは居場所を失っており、これを哀れんだ西郷が彼らの働き場所を見つけようとしていた、とも解釈されているようです。

反論の一部です。
今から数年前、ウィキペディアで西郷の征韓論に関して、この書簡に触れた中で「異常な自殺願望」という非難の記述がありましたが、バカじゃないのと思いました。
親友への手紙なのだから、不退転の決意を示しただけだろ、と思ったものです。不平等条約の予備交渉を早々に断念して、物見遊山の旅に切り替えた岩倉・大久保とは覚悟が違う、とも思いました。
なお、この書簡が征韓論の根拠だということを否定する一般的な見解は、「板垣は強硬な征韓論者だったため、板垣の同意を得るためだった。」ということのようです。

それでは質問です。
西郷隆盛が自ら朝鮮に出向こうとしたのは、武力で朝鮮開国を強要するためだったのでしょうか?

A 回答 (2件)

高杉晋作等が、上海に出かけ、そこで


奴隷化している中国人を目にして
危機感を抱き
明治維新になった訳です。

つまり、明治維新というのは、列強の
侵略に対抗する為だったのです。

日本の安全保障という見地からは
朝鮮半島は、要なのです。

元寇は、半島経由で日本を侵略
しています。

半島が列強などに支配され、軍隊が駐留
するようになったら
非常にヤバい訳です。

日清日露戦争は、半島を巡る争い
つまり、日本の安全保障の問題だったのです。

半島を押さえられる前に、開国させて
防衛しようという戦略です。
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この回答へのお礼

質問に対して回答はしたくないが、当時、沸き起こった征韓論について説明したい、という認識でよろしいでしょうか?

お礼日時:2023/10/03 08:48

当時の朝鮮は清王朝の属国でしたので開国を迫るのでなく、領有する


為でしょう。
テロリストが倒幕したのが明治維新です、テロリストのエネルギー
の矛先が朝鮮に向けられたのと、サムライでなくなった元武家の
不満の捌け口、そして度重なる増税で農民達も不満を持っており、
暴動が起きるのは時間の問題の状況でした。
征韓論が認められなかったので西南戦争と言う名の内ゲバになったのです。

テロリストが作った大日本帝国は、その後も戦争を続け、1945年に
320万人の国民の犠牲者を出して滅亡しました。
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この回答へのお礼

そもそも開国を迫るためではなく、領有するためだったとの新説の回答ありがとうございます。

これで、質問が記録として残ります。感謝感謝です。

お礼日時:2023/10/02 14:50

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