あなたの「必」の書き順を教えてください

下の三つの文を、私は自然と感じます。
「雨に降られた。」
「親に死なれた。」
「車にはねられた。」
しかし、私は上の文と比較し次の文に不自然さを感じます。
「電話に起こされた。」

質問1.電話の文に、皆様は不自然さをお感じになられますか?
質問2.もし不自然さをお感じになるとしたら、どういうわけなのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

電話に起こされたは不自然ではあるものの伝わりやすいと思います。

電話で起こされたが一般的ですが、まあ意味はわかります。

それに比べて雨に降られたですが、これは不自然です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
雨が不自然であれば、電話は不自然になるでしょうね。

お礼日時:2025/01/10 18:02

【訂正とお詫び】



「自発の受身」は誤りでした。「自動詞の受身」に訂正します。
学生時代、私は古文の助動詞でも「自発」を間違えた。まーた間違えちゃったよ。すみません。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2025/01/12 12:23

「雨に降られた。


「親に死なれた。」
この2つはいわゆる「自発の受身」(または「迷惑受身」)です。「降る」「死ぬ」は自動詞であって、受け身を受動態と考えれば他動詞のはずなのに、そうじゃないんです。日本語以外ではあまりない用法だという。
ただし、むやみに自動詞が受け身になるのではなく、「迷惑」「被害」の感情を伴う場合が多い。降雨は迷惑であり親の死は重い痛手である。

「車にはねられた。」
これは「持主受身」です。車には持ち主または運転者がいて、そっちが主体だがこの文には現れない。

「電話に起こされた。」
これは一見「持主受身」です。しかし、2台の電話機が関係している(送信をA機、受信をB機とする)。
眠りから起こしたのはB機であるが、その持ち主は起こされた人です。起こすという動作の主体は、A機の持ち主である。
このように入り組んでるので、不自然さを感じる向きもあるだろう。

私としては、その若干の不自然さをむしろ好む。何しろ、横光利一の次のような表現が大好きなのだ。受身というか擬人法の極致ですね。

「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。」
   横光利一『頭ならびに腹』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2158 …
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<「持主受身」>ですね。


私にとって、「電話で」なら自然に感じますが、「電話に」であると不自然となります。
「いる」/「ある」と同様な差と考えています。


紹介してくださった横光利一の文章に、私には長めの俳句のような気持ちのよさを味わいました。ただし彼の小説全体にこのような調子で書いてあるとすると、閉口しますが。

お礼日時:2025/01/12 17:36

電話があなたを起こしに来るはずがありません。

まあ、10年後のAI電話なら、あるかも知れませんが。
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この回答へのお礼

ごもっとも

お礼日時:2025/01/12 10:17

>質問1.電話の文に、皆様は不自然さをお感じになられますか?



回答1.感じません。

>質問2.もし不自然さをお感じになるとしたら、どういうわけなのでしょうか?

回答2.もし不自然さを感じる人がいるとしたら、その人は換喩(かんゆ)の理解に混乱している、あるいは様々な比喩の理解が何らかの理由で困難な人だろうと思います。

換喩とは、ある事物を表す際に、その事柄と密接な関係にある別の事柄で置き換える比喩表現です。英語では「metonymy」と呼ばれます。解釈によって分類が揺れるのですが、類似の比喩に提喩があります。

私の解釈では、あなたの挙げた「電話」の例では、電話という単語が換喩的に使用されていると読解しました。

私の理解の場合、「電話」のコアな機能や性質、実際の使用経験に基づいて、ここでは「電話の着信音」によって、誰かが眠りを妨げられて起こされた、という用例であろう、という風に理解(類推)しています。

また、他の回答者様のなかには「電話という無機物が、あたかも生き物のように音声を発すること」「それ自体は意志を持たない機械である電話自身に【人を叩き起こす】という強い意志があるかのような動詞を連結させていること」に特に注意を払い、電話の擬人法として理解している方もいますね。その場合は「活喩」という理解になると思います。

電話を「提喩」という風に理解する人も一部に存在している可能性があります。話が長くなるので省略しますが、換喩と提喩の違いはネット記事など検索すれば色々読めるので、知りたい場合は自習してください。

このあたりの分類は、読者自身が特に言葉のどのような性質に注目するかとか、文章の全体の文意の中で、その単語やその文がどのような機能を特に果たしているか等により、やや揺れます。

><「電話」は「かけてきた人」の暗喩>でしょうが、私には、たとえば雨と比較して、電話は暗喩が薄い、と感じています。

電話の例で「かけてきた人の存在」を「電話」で覆い隠している、電話は、電話をかけてきた人を内包する概念である、と考える場合は、修辞学的に正しく言うなら「暗喩」ではなく「換喩」ですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
私にとって、「電話で」なら自然に感じますが、「電話に」であると不自然となります。
「いる」/「ある」と同様な差と考えています。

お礼日時:2025/01/12 10:09

全く感じません。



実感が籠った擬人表現です。

「電話の呼び出し音に起こされた」は冗長な不味い表現です。■
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうござます。
<擬人表現>ですね。

お礼日時:2025/01/11 17:42

「電話の呼び出し音に起こされた」と省略せずに言わないと、誤解を招きます。



列車に乗っていると「列車が曲がります、ご注意ください」なんて車内放送があったりします。でも列車(のボディ)が曲がるはずがないんです。列車の進行方向が曲がります、と言わないとね。

食器を洗っていた私の家内は「あ、コップが割れた!!」って声を上げることがあります。でもコップは自分で勝手に割れたりしないんです。私は「コップを割ってしまった」と言え、と家内に注意しているんですが、まったく直りません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうござます。
<呼び出し音>が必要ですか。

お礼日時:2025/01/11 17:43

「電話に起こされた。

」には、不自然さは感じません。
その時 電話のベルが鳴ったことに 不快感を感じた様子が分かります。
特に 電話を掛けてきた人に 不満がある訳ではないでしょう。

「雨に降られた。」は「雨」を擬人化している表現で、
これも 不満の気持ちを表していると思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<不快感>ですね。
ただし、電話は雨より擬人化の程度が低い、ように私は感じます。

お礼日時:2025/01/11 10:15

不自然を感じません。

それは比喩的表現です。

れる・られるは、受け身を表す助動詞。
それを使って、命のない物体があたかも意志を持つように、比喩的表現を行うと、感情の説明・強調になる。
「電話の音で起きた」よりも、「電話に起こされた」の方が、
本当は起きたくなかったこと、起きた時の不快感まで感じられますよね。
短い文章でよりよく伝わる、高度な表現で、よく見るものです。

類似の例:
ベッドが私を手招きしている。
本は私を別世界に連れて行く。
街の灯りが私を見守ってくれる。
長い冬の末、ようやく太陽が微笑みかけた。
そよ風が優しく頬をなでる。
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この回答へのお礼

早速のご回答りがとうございます。
<命のない物体があたかも>
<不快感まで>ですね。


<類似の例>はすべて受身ではありませんよね。

お礼日時:2025/01/11 10:11

不自然には感じませんよ。

事実としてよくあるし、そういう表現は普通に使います。この場合、「電話」は「かけてきた人」の暗喩ですがそれが誰であるかよりも電話自体に罪をかぶせて凌ぎます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<「電話」は「かけてきた人」の暗喩>でしょうが、私には、たとえば雨と比較して、電話は暗喩が薄い、と感じています。

お礼日時:2025/01/11 08:33

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