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大学で国際政治について学んでいます。

戦間期、アメリカでは国際政治学が大きく発展し、ウィルソンが国際連盟設立を提唱したように、20年代は国際政治における理想主義の側面が強く表れていた時期だったと聞きました。

そこで教授が、アメリカにおけるモンロー主義を話の中に出してきました。
モンロー主義が、アメリカとヨーロッパ間で相互の不干渉や非植民地主義を掲げたものであるゆえに、20年代に勃興した理想主義と合致する点として話に出したのかな、と思いましたが、そもそもモンロードクトリンは1823年のもので、ここでの戦間期のアメリカにおける国際政治学とは時代的にかけ離れています。


何か関係があるのでしょうか?

A 回答 (3件)

パリ講和会議において、アメリカとフランスなど連合国との思惑が激しく対立する中、ウィルソン大統領の努力でなんとか国際連盟は成立しましたが(ヨーロッパ諸国は懐疑的だった)、アメリカの孤立主義者が経済的な負担など、アメリカ国民の第一次世界大戦に対する幻滅を利用して争点化し、アメリカ上院はモンロー主義の名においてベルサイユ条約を批准せず、結局連盟に参加できませんでした。


相互不干渉、孤立主義という政治的伝統が、アメリカのベルサイユ条約批准を阻んだわけです。
それぞれの権益を死守しようというアメリカ、ヨーロッパの思惑が国際連盟という「理想」の弱体化、無形化を招きました
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この本によく書いてあります。



古矢 旬著「アメリカ 過去と現在の間」
(岩波新書 新赤版912)

参考URL:http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0 …
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質問の意図が、よく分かりませんから、ズレた回答になっているかもしれませんが、ご了承ください。



これらは、アメリカにおける理想主義(グローバル主義)と、現実主義(地域主義)の対立と考えてください。

モンロー主義は、「アメリカの勢力圏である中南米には、他国は一切手を出すな」という事が基本です。
そのためには、「アメリカは、他国の植民地があるアジア・アフリカには、極力手を出さない」とも言っています。

これは、経済のプロック化において、アメリカは、「中南米は、アメリカの植民地と同等である」と言っている事と同じ事です。

一方、ウイルソンの国際主義では、民族自決などを謳った理想主義を掲げています。

結局アメリカは、国際連盟に加盟せず、現実主義をとります。

これは、当時のアメリカが、他の西欧諸国に比べ、絶対的な力が足りなかったため、現在のように、その時々により、両者の立場を切り替えて使えなかったためです。

現在のように、アメリカ一国だけが強国の場合、自国勢力圏の中南米には、植民地主義を、アジア・アフリカ諸国には、民族自決の理想主義を押し付けていたでしょう。
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