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高校生の時の友達が、父親と仲が悪くてここ1年ほど顔を合わせても一言も会話をしていないらしいのです。 なぜ父親としゃべらないのかというと、友達にとっては父親が抑圧的な態度を取っているように思うらしく、昔はがまんして話していたけれど、そのときには自我が崩壊しそうになったからだそうです。
よく分からないのは「自我が崩壊する」という言葉です。 辞典で調べてみたところ、自分の存在を否定されたりして「自我」が傷つけられそうになると、「防衛」が作動し心の安定を保つ仕組みになっているというようなことが書いてありました。
自我が崩壊するということは、守るべき自我そのものがなくなってしまうということですよね? これはどういう状態なのでしょうか。
また、一度自我が崩壊してしまったら、どうやって自我を再構築したらいいんでしょうか。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

専門家ではないので誤認もあるという前提で思うことですが、「自分」というものは3つあります。



・自分で思う自分→『自己』
・他人が思っている自分→『自我』
・相手にこう思われていると自分が思う自分→『自己の客観』

「自我が崩壊する」とは客観が自我の全てにしてしまう、つまり自分の自己暗示が正しい自分の評価だと思いこんでしまうのです。

「言霊」というのがあります。言葉は発することによって自分にも相手にも大きな影響を与えます。

でも受容能力に長けてない小さな子供だと、言葉よりも親や大人の行動で自我を発達させますが、ある程度言葉の意味を理解するようになると言葉が自我の判断基準に大きく左右されてしまいます。

言葉よりも相手の行動を見直して、子供の時には偉く思えていた大人が、本当に親や大人は賢いか、利己的な人ではと気付いたりしてくるものがあります。それが今まで信じていた大人に対する自我の崩壊ではないですかね?

大人も不器用で色んな苦労をしているものなんだと気付いたり失望しても、恩をあだで返すように子供がそれを言ってはいけないと暗黙の了解がありますから。

自己と自我はコインの裏表で、統合することはないので最初から気にすることはないと思います。

自我を再構築するには価値観の違う、思考タイプも違う大人と関わってみるといいと思いますよ。色んな角度で立場で見れば自我も自己も随分かわれます。

普遍とか変わらずに居れるほど人生は最初から平和ではないものですし。だから面白いものでもあります。

自己の確立には「自分がこれが好き、こういう時が一番楽しい」というものの中にあると思います。嫌いなものの中は探ろうとしない方がいいですよ。
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 自分の意志でなく、お父さんの意志で生きることを強いられるので、自分がなくなってしまうという意味ではないでしょうか。

お父さんの感情や意向をかぎ取って、畏れから、ついそれに応えようとしてしまうので、お父さんとはしゃべらないと決めたのではないでしょうか。

 こういうことの専門家に加藤諦三先生という方がいらっしゃいますよ。

 これは個人的な考えですが、このまま決心を固くしてしばらくお父さんから離れ、自立心を自分で育て、もう少し大人になったらお父さんと対等になれると思います。本人の問題だと思います。
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この回答へのお礼

彼は現在大学2年生で、親とは離れたところで一人暮らしをしています。
高校時代には自分は文系に行きたかったのに父親に理系にいけと強要され、理系の学部に行く予定だったそうなんですが、受験直前の土壇場になって文系に転向し、そのまま文系の学部に行ってしまったということです。
彼の父親は医者で自分の医院を持っているので、父親は息子に跡を継いで欲しい思いから、医学部に行って欲しかったようです。

みなさんの意見を彼に聞かせたいと思います。 ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/23 12:51

個人的な見解です。


「自我」とは単純に言うと『「自分は確かに我である」という確信』ということだと思います。
「自我が崩壊する」とは、この確信が崩れるわけですが、崩れただけで消滅したわけではありません。
「自分が自分の意志で生きているという実感を得ることが難しくなる」ということだと解釈しています。

ところで人は「自分は自分である」などと意識しながら生活しているわけではありません。
それを意識せざるを得ない状況というものがあるのだと思います。
自分が自分でなくなるような状況。
これは「圧倒的な強制力」によってもたらされるのではないでしょうか。
「圧倒的な」とは単に「強力な」という意味ではありません。
「理不尽な強さを持った強制力」ということです。

一個の人間として育ててくれる筈の親が、自らの感情のままに子供を操ろうとすることなどは、この場合に当てはまりそうです。
「>抑圧的な態度」の詳細が不明なので一概には言えませんが、親の精神性を全否定して「自我を守る」必要性を感じる時期は誰にでもあるでしょう。
親は、子供を私物化するのは当然といった誤り(あるいは錯覚)を犯し易いものだからです。

自我は早い時期(幼児期)に芽生えますが、その確立は難題です。
その友達が自我の確立を果たすのは、父親を庇護者としてではなく一人の人間として認識できた時でしょう。
無闇に親の言いなりになって「歪められた自我」を確立してしまうよりは、よほどマシではないかと私は考えます。

>一度自我が崩壊してしまったら、どうやって自我を再構築したらいいんでしょうか。
:程度問題でしょうが、個人でできることは「自分の意志で何かできることを確認する」ということでしょう。
「どうやって」と考えなくても、無意識の内にそういった行動は採られるはずです。
ただ、その方法の是非は人様々であり不明です。
崩壊する前に、崩壊させようとするものと対決する姿勢こそが重要でしょう。
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この回答へのお礼

なんだか難しい話です。 自分でもう少し考えてみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/23 12:53

専門的にはないかきちんとした定義があるのだろうと思いますが、素人の私的理解ということで述べます。

普通人は自分お体だけは自分のものとhして制御しているつもりでいます。体が言うことを聞かないことはあっても一応制御できていると思っています。この、思っている本体というのが自我なのだろうと思います。自我の崩壊というのは、自分の体が他の人(の自我)によって占領されてしまうような感じではないでしょうか。素人のいい加減な想像です。
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この回答へのお礼

心が誰か(この場合は父親)の奴隷になってしまうという感じなのかな・・・。
あまり気持ちのいいものではないでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/23 13:03

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