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江戸時代に実在した庶民(商人、農民など)の名前を教えてください。特に女性の名前をおねがいします。

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A 回答 (4件)

明和(18世紀)の三美人に笠森おせん・蔦屋およし・柳屋お藤なんてのがいたそうですよ。

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江戸時代の女の名が残るのは事件簿、裁判記録が多いのです。


例えば ちくま学芸文庫「藤岡屋ばなし」 には
 藤代村 かよ、よの、とや、
 盛岡一戸村 さん、せき、ふじ、はな、さま、
 紀州海屋瀬村 きよ、さく、
 阿波永井村 ふゆ、さ多、た美、た津、
 上州小川新田 とみ、ゆき、たつ  など他の本にも多数あります。現在も普通にある名前も多いです。  
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以前、教育社から『日本の女性名』(角田文衛著)が出ています。

上中下の3巻で上代から現代までの女性の名前の研究です。
江戸時代前期の庶民の女性の名前は中巻の209ページから227ページまでに載っています。
江戸時代後期の庶民の女性の名前は下巻の117ページから236ページまでに載っています。
やはり最も重要な史料は#1さんがいうように「宗門改人別帳」のようです。秋田、青森、鹿児島県以外では全国的に相当数残っているようです。活字本で刊行されたものでは『大阪菊屋町宗旨人別帳』全7巻(阪本平一郎・宮本又次編纂)、『越前国宗門人別御改帳』全6巻(佐久高士編纂)などが有名です。
他に阿戸氏文書、茶道家元の千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の家伝史料、金物卸商の湯浅家の家伝史料、豪商三井家の家伝史料なども重要だそうです。
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 江戸時代の庶民、とくに女性の名前というのは歴史に残りにくいものです。


 しかし、当時宗門改帳という住民台帳のようなものがあって、現在それを復元している研究者さんがいます。↓
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_14/no14_e01. …
 やゑ、きぬ、うの、きく、はる、つる、・・・と読めます。
 もっと沢山知りたいということであれば、この先生に教えを乞うか、ご自分で宗門改帳を調べる、または図書館で適当な本を探すということになるでしょう。
 現在の長寿者名(明治生まれの人)を見てみても、江戸時代の匂いのする名前は結構あります。↓
http://www.kenkou.gifu-net.jp/ikigai/ogenki/29-3 …
 
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Q昔の名前のつけ方

山田風太郎の小説を読んでいて、江戸時代の男性の登場人物で、采女という名前(苗字ではない)が出てきました

wikipediaで采女を調べてみると、朝廷に使える女官の事だとわかったのですが
それならば何故男の名前として采女という名前が出てくるのでしょうか

また、その他にも江戸時代の名前と言えば、熊五郎だとか、八兵衛、お縫、修理ノ助など、
子供の将来への期待をこめて名前をつける現代の私から見ると何を考えているのかわからない名前がよくありますが
その当時の人々はどういう理由で名前をつけていたのでしょうか

解答お願いします

Aベストアンサー

>大名や地位の高い剣豪などの名前と比べ、安直な名前に思えていましたが

幼名は竹千代、などやはり縁起や長寿を願ったような名前が付いていますよ?
家康はいみなであり、普段使う名前ではありません。
幼名以降の名前も変化しています
高い地位の人はいみな、字、姓や氏などかなり複雑な名前で
時期によっても変化しますので調べてみるとおもしろいですよ

ここで述べると長ったらしい話になるので割愛しますが…。

いずれにしても親が長寿や立身出世、安定した願いをこめてつけたというのは
今の時代と変わらないのではないでしょうか。
今は生きること、食べることへの危機感がないので
愛されるような名前とか、風光明媚だったり人との関係とか自然を入れる人も多いですね。
心、愛、優、空、海…が近年好まれてると思います。
これも人とのつながりが生きていくのに重要な時代だからというのもあると思いますけど
いずれにしても子供の幸せ、健康、安泰を願っていることとは変わりませんね。
昔はそれを病魔や悪鬼を避けるために縁起を担いだというだけで。

秀吉の子供などは、捨て子はよく育つという縁起をかついで捨丸としたところ早死にしたので
次の子には縁起物を拾ったという拾丸、という名前が付いています。
縁起だけじゃなくて実際にわざと捨てて拾う真似までして。
これも今の感覚で漢字だけ見ると捨てたの拾ったのってなんだ?と思うかもしれませんが
やはり子の長生きを願った縁起が担がれています。

庶民でも厄年の子や病弱な子などを一度捨てて拾う形式を取る場合もあるというので
そのあたりも庶民も同じじゃないでしょうか。
はたから見ると奇妙でも、現代でも画数が悪いといって奇妙な字を名前に使ってみたり
改名したり、普段使いに別の字を使ったりする人もいますから。

>大名や地位の高い剣豪などの名前と比べ、安直な名前に思えていましたが

幼名は竹千代、などやはり縁起や長寿を願ったような名前が付いていますよ?
家康はいみなであり、普段使う名前ではありません。
幼名以降の名前も変化しています
高い地位の人はいみな、字、姓や氏などかなり複雑な名前で
時期によっても変化しますので調べてみるとおもしろいですよ

ここで述べると長ったらしい話になるので割愛しますが…。

いずれにしても親が長寿や立身出世、安定した願いをこめてつけたというのは
今の時代と変わらな...続きを読む

Q戦国時代の人々の名前について

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は御屋形、ある人は信玄公、ある人は信玄様とさまざまな呼び名で統一されなかったのには意味があったのでしょうか。

ある身分の人ならば織田様と呼び、ある身分の人は、弾正忠様と呼び、ある身分の人は信長様と呼んで良いなんていう規則もあったのでしょうか?

また農民とかならば、個人を特定するような名前自体存在しなかったのでしょうか。
小説で読んだ中では志乃とかお清とか名前はみかけたので、名前がないということはあるでしょうが、人々の命名規則等は存在したのでしょうか。
(苗字は名乗ってはいけないとか、こういう名前を使ってはいけないとか言う規則はあると考えています)
(また、将軍の姓を使った織田とかは名乗れなかったと思います)

苗字を名乗れるのは、どういう身分の人たちなのでしょうか。
小説の中で山崎屋とか商人の人々には名前があったと思うのですが、村里の人々での苗字はみかけませんでしたし。

質問がわかりづらいかも知れませんが、
1.身分によって相手を呼ぶときの名前に対し厳しい制約は存在していたのか。
2.庶民(農民、商人等)の人々の名前についてどういう命名規則があったのか。
(農民は名前のみ、商人は苗字(店の名前)のみ、武士は苗字+名前を名乗ることができたなど。)
3.また、命名規則があればどのような名前が多かったのでしょうか。
(農家の男なら五平、六平。女なら志乃、清など)
の3つ教えてください。
よろしくお願いします。

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は...続きを読む

Aベストアンサー

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分の人たち、名主クラスです。

次に中大夫・平大夫・五郎大夫など大夫が付く人が10名・・・中介・江介・三郎介など介の付く人が6名、「大夫」や「介」は古代の令制の官位の呼び方ですが、すでにこの時代には農民が、一定の年齢に達した時、幼名から改名する際に使用していたようです。

新検校・惣別当・安寿など名の付く人が3名・・・「検校」や「別当」「安寿」などは、ご存知のように本来、寺院や荘園・官庁の役職名ですが、やはりこの時代ではすでに農民のレベルでも名乗っています。

次に、かい丸・牛丸と「丸」の付く人が2名・・・「丸」は本来、幼名に使用する文字ですが、牛飼いなどの運搬業に携わる人は、成人しても使用していたそうです。

平細工・孫太郎細工と「細工」と付く人が2名・・・彼らは手工業の職人だったと思われます。

残り24名は、この時代の農民の一般的な名前と言える物・・・藤内・源内・中江・孫太郎・孫二郎・彦二郎・平二郎・藤二郎・弥二郎・中三郎・惣四郎・孫五郎など、この中の「彦」や「孫」や「弥」は全国的に使用されている最も一般的な文字です。
「平」「源」「藤」「中」は貴族の姓を名前に取り入れています。
その後につく二郎や三郎というのは、お察しの通り、大抵は出生順の「○郎」と付けたようです。
彼らは、小百姓層の人たちです。

以上、先にも書かせていただいたように、これらの名前はすべて、中世の惣村の農民の名前・・・一揆の起請文の署名です。
女性の名がないのは、一揆の場合の署名は、一家の家長が代表して行う事が多かったためだと思われます。

長々と書いてしまいましたが、少しは参考になりますでしょうか?

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分...続きを読む

Q江戸時代の女性の名前

江戸時代の女性の名前について質問させていただきます。
よく名前の前に「お」をつけた名前が女性の場合多いのですが、それは愛称だと聞きましたが、それ以外に「お」をつける理由はあるのでしょうか?

また、江戸時代に女の子に名前をつける場合、どういう付け方をしていたのでしょうか?現代ですと名前をつける時、本で姓名判断をしたり流行の名前をつけたり等の選択肢がありますが、江戸時代の人たちはどういった経緯で名前を考えて命名していたのでしょうか?

どなたかご存知の方がおられましたら、御回答の程よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 おっしゃる通り、江戸時代に「お○○」という女性の名前はよく見かけます。
 しかし、本当の名前に全部が全部「お」がついていたのかどうか、疑わしいところがあります。
 他人が呼ぶ場合に、丁寧、尊敬の接頭辞の「お」、あるいは質問者さんがおっしゃる愛称的な「お」がついている場合が多く、書き残された史料で見る「お○○」さんの本当の名前は、単に「○○」の場合と「お○○」の場合の両方があると見た方がよろしいでしょう。
 下のURLには明治生まれの女性名前が出ています。江戸時代風の名前も多くあります。この方達には「お」はついていませんが、お互いに呼び合うときには「おとくさん」のように「お」をつけて呼んでいたことが多いと思われます。また明治生まれの人で、実際に戸籍上「お○○」の人もいました。
http://www.vill.miho.lg.jp/pr/back/2001/10/000.htm
 江戸時代に姓名判断が流行ったということについては存じません。
 また名前に流行があったかどうかも不明です(明治の末頃から「○○子」という名前が流行りはじめましたが)。
 親は子供の長寿や幸福を願って「ツル」、「カメ」、「ふく」、「まつ」、「たけ」、「うめ」など縁起のいい名前や、生まれ年の干支「トラ」、「タツ」、「トリ」など、その他誰かにあやかるとか、いろいろあったと思います。
 まあ、現代人のように、名付けに凝るということは、あまりなかったような感じがしますね。
 

 おっしゃる通り、江戸時代に「お○○」という女性の名前はよく見かけます。
 しかし、本当の名前に全部が全部「お」がついていたのかどうか、疑わしいところがあります。
 他人が呼ぶ場合に、丁寧、尊敬の接頭辞の「お」、あるいは質問者さんがおっしゃる愛称的な「お」がついている場合が多く、書き残された史料で見る「お○○」さんの本当の名前は、単に「○○」の場合と「お○○」の場合の両方があると見た方がよろしいでしょう。
 下のURLには明治生まれの女性名前が出ています。江戸時代風の名前も多くあ...続きを読む

Q江戸時代における身分による名前の特徴

江戸時代の人名などを見ていると、大名などは今でもそこそこ使えそうな名前をしているのに対し、
町人などの名前は今では見ることのできないような変わった名前をしている気がします

別の質問で、町人のような変わった名前のつけ方の理由はわかったのですが、そこで新たな疑問が湧いてきました

落語では名前でその人物のキャラ付けがわかったりしますし、インドでは名前を名乗ればカーストがわかるなどと言いますが
日本でも、武士や農民や商人や工人 更にその中でも八百屋や魚屋や大工など職業ごとの名前の特徴などはあるのでしょうか

回答お願いします

Aベストアンサー

明治以前では、本来農民や商人は苗字を許されていません。
だから当時は、土地の名前が苗字の変わりに使われいたことがほとんどです。
これは日本に限らず、例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチは、
ヴィンチ村のレオナルド、という意味です。

そのため有名な商人は、紀伊国屋、蔦屋など、屋号がそのまま苗字のように使われています。
ほとんどが地名をそのまま苗字のように使いました。
ただ、当時は、土地によって職業が固まっていたりしたので、〇〇村といえば、刀鍛冶だとか、陶芸だとか決まっていたので、地名=職業のようなイメージが常識としてあったようです。

Q平安時代の庶民の名前

 執筆中の小説に平安時代のキャラを出そうと思っているのですが、当時の庶民(貴族以外)がどんな名前だったのが全然わかりません。

 部曲の廃止とかで名字は勝手に名乗っていたらしい、とか、庶民の女性は「~女」が流行っていた、男性は「~右衛門、~左衛門、~兵衛」がほとんどだった、までは調べられたのですが、そこで行き詰まってしまいました。

 直接教えていただけなくても、参考となるサイトのURLを貼っていただくだけでも構いませんので、ご助力の程、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
ある程度の規模の公立図書館もしくは大学図書館に蔵書されているかと思いますので、確認してみてください。ちょっと前に復刊されたのですが、それは大変高価で豪華な装丁がされています。20年ほど前に刊行されたものは上下(上巻ですよ)に分かれていて手頃で読みやすいので、こちらをお薦めします。(ネット検索できる図書館はたくさんありますよ)
男性名に関してはこれといってご紹介できる専門書は知らないのですが、「~右衛門、~左衛門、~兵衛」は少しばかり年代が下るのではないでしょうか?(室町時代以降位かな・・・と。専門家ではないので余り適当な回答を差し上げてはいけませんが)貴族といっても天皇周辺の大貴族から六位以下の下人や位官を賜っていない者まで様々です。また庶民にも平安京に住む下層の貧民もいれば、京より遙か遠くの地方在住でも実際は大規模な土地保有者で非常な富豪である者(負名・田堵といいます)もいます。
角田文衛氏の『平安人物志 下』の<大春日兼平>という章に、長徳二年(996年)に京で強盗を働き逮捕された者の名簿の一覧がありました。そこには<藤井国成><田辺延正><伯耆?吉><津守秋方><能登観童丸>などといった名前があげられております。仰るところの<庶民>かどうかは確認できませんが、位官については明記がないので官人では無いと思われます。
余り詳しい資料をご紹介できなくてすみません。

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
ある程度の規模の公立図書館もしくは大学図書館に蔵書されているかと思いますので、確認してみてください。ちょっと前に復刊されたのですが、それは大変高価で豪華な装丁がされています。20年ほど前に刊行されたものは上下(...続きを読む

Q江戸時代、苗字を持っていなかった人の割合は

江戸時代、公に苗字を名乗れるのは武士や特別に許可された農民だけでした。
しかし、ほとんどの人が苗字を持っていたと思います。
寺社に奉納した石碑などに、農民の名前が刻まれているのを目たことがありますし、
寺の過去帖で、村全員の苗字が載っているのを見たことがあります。
そもそも、名前だけだと、どこの家のものか区別がつきにくいですよね。
明治になって初めて苗字をつけた人がいるらしいですが、
そういう人たちの割合はどれくらいだったのでしょうか?
あるいはそれは俗説にすぎないのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

全国的には、ほとんどの人が苗字を持っていたという事実はありません。ただし、村を個別に見れば元々苗字を持っていた武士が帰農して村民になっていた村もあります。例えば武蔵野台地の多摩地区は、地形が水利に恵まれず、江戸時代以前は全く開発されていなくて原野状態でした。そこに徳川秀忠が鷹狩りに来て、代官に新田開発を奨励させるといったことがありました。多摩地区には滅ぼされた後北条氏の元家臣が大勢残っていて、そうした新田開発の募集に応じた人がいます。逆に代々農民だった人は新田開発に応募しない。農民とは保守的・守旧的な性質があり、冒険的な事業に乗り出そうという気概がある人が少ないのです。そういう村ならば、石碑や寺の過去帖に苗字が載っていても不思議ではない。しかし、そうした特殊な例を持って全国にあてはめるのは間違いです。江戸時代の村の規模は極めて小さく、人口は数百人から多くても千人を越えるぐらいです。保守的・守旧的な農民の性質から、農村は過去のしがらみ、立村の経緯を引きずって、どうしても細かく分かれたままで統合しようという機運が起きないのです。小さな村の合併が進んで町や市に昇格していったのは明治時代以降のこと。

17世紀末たまたまカムチャッカ半島に漂着した伝兵衛という人がいます。大阪の質屋の息子だったが、東京へ向かう途中に嵐があって、なんとカムチャッカ半島まで漂流したというのです。アイヌの村に拾われたところ、たまたまカムチャッカ半島を侵略していたロシア人に見つかってサンクトペテルブルクに強制連行されて日本人学校の校長として一生を終えたと伝えられています。そうした事はかなり後になってロシア側の記録から分かったことです。ところが、伝兵衛の苗字は伝えられていません。ただ伝兵衛というだけ。もし苗字があったなら、ロシア人に対して遠慮なく伝えたはずです。ロシア人に対してなにを遠慮する必要があろうか。

カムチャッカ半島には伝兵衛の後にゴンザとソウザの2名も漂着した事例があったことが分かっていますが、やはり苗字は伝えられていません。どちらもロシア側の記録によります。アイヌは文字を持ちませんから、カムチャッカ半島がロシア領になる以前のことは全く分からない。

また幕末には一介の漁民から旗本にのし上がったジョン万次郎という人がいます。この人も漁に出てたまたま無人島に漂着したところをアメリカ人に見つけられてアメリカで学業を受けさせてもらってアメリカ通になったところを日本へ帰国後に評価されて旗本に取り立てられて苗字を許されました。中濱村出身だから、中濱万次郎となのりました。もし元々苗字を持っていたというなら、その苗字を名乗ればよい。しかしそうしなかった。他に思いつく苗字がない。だから出身地の中濱村から苗字を貰ったわけです。

石碑も過去帖もいいのですが、あったあった、それ見たことかと大はしゃぎにそればかりが一人歩きしている現状はいかがなものか。

全国的には、ほとんどの人が苗字を持っていたという事実はありません。ただし、村を個別に見れば元々苗字を持っていた武士が帰農して村民になっていた村もあります。例えば武蔵野台地の多摩地区は、地形が水利に恵まれず、江戸時代以前は全く開発されていなくて原野状態でした。そこに徳川秀忠が鷹狩りに来て、代官に新田開発を奨励させるといったことがありました。多摩地区には滅ぼされた後北条氏の元家臣が大勢残っていて、そうした新田開発の募集に応じた人がいます。逆に代々農民だった人は新田開発に応募し...続きを読む

Q侍や忍者でかっこいい和名を教えてください

私は今小説を書いているのですが、キャラクタの名前が中々思い浮かびません。
そこで侍や忍者でかっこいい和名を教えてください。

Aベストアンサー

忍者縛りで。十郎太。大蛇丸(おろちまる)。OO斎。夜叉。鬼眼。岩丸。鵺(ぬえ)。          くのいちなら、楓。桔梗。紅葉。椛(もみじ)。椿。牡丹。鶴。燕(つばめ)。咲。伽具夜。市。りく。沙耶。かるら。                     なんだか見た事のあるものばかりですが、参考にでもしてください。 

Q明治の女性名はなぜ二文字のカタカナなのですか

明治の女性名はなぜ二文字のカタカナなのですか
明治の女性の名前を見ると、セツとかトセとかコノとかチカとか、カタカタ二文字の名前が多いですが、
何か意味があってカタカナ二文字なのでしょうか。
明治時代に漢字の名前だった女性もいると思いますが、例えばどんな名前でしょうか。

Aベストアンサー

江戸時代から続いた男尊女卑の影響と漢字の読み書きが出来なかった事情があったと思います。
江戸時代の武家は、篤子や雪子のように女の子に漢字を使ってましたが、民百姓(一般人)に苗字はなく、漢字の読み書きすら教育されてませんので、カタカナぐらいしか読み書き出来なかったのです。
男の子には〇左衛門や〇之助のような漢字を苦心して名付けたようですが、女の子の名に漢字は恐れ多いと思う一般人が多かったのだと考えられます。
キンさんギンさんのような名前は、おキンさんやおギンさんのような呼ばれ方をしてました。
しかし、江戸時代に武家に育った親は漢字の読み書きが出来たので、節子や竹子のような名前を付けてました。
医師でもあり文豪でも有名な森鴎外は、長女に茉莉(まり)次女は杏奴(あんぬ)と名付けてます。

Q江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?

江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか?

一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか?

ご教授願えませんか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「誰でも苗字は持っていたけれど公的には使えなかった」というのが私の見解です。(全く持ってなかった人もいたとは思いますが)
その証拠のひとつに江戸時代の墓を見てください。俗名は苗字付きで書いてあるはずです。その他、手紙など私的な文書には使用は可能だったでしょうが、売買証文など公的なものはだめでした。
藩に多額の献金をするなどの功績があると苗字が御免になることがあります。庄屋や大商人にも許されていますが、庄屋とか大商人という理由だけで許されたわけではないようです。古文書を見ると苗字なしで署名している庄屋もいます。
その許され方も「一代限り」とか「永代」といった区別がありました。
商人は一般に「屋号」を使いますが、苗字が使えないのでその代わりに屋号で呼びあったという研究者もいます。
教科書に書いてあるような江戸時代の「常識」はいい加減なものですね。私もあきれています。

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む


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