ショボ短歌会

東南アジア各国はタイを除いて基本的に欧米列強の植民地でしたよね。第二次世界大戦までスペイン・オランダ・イギリス・アメリカ・フランスなどの強国に挟まれながら、なぜタイは独立国の地位を保てたのでしょうか? 緩衝地帯としての役割を持っていた…という説明は耳にしましたが、それだけなのでしょうか?
すみません、世界史は不得手なので、わかりやすく説明していただけると助かります。どうかよろしくお願いします(_ _)

A 回答 (2件)

利権、手間とコスト、当時の情勢などを考えて、タイから得るものがあったからだと思います。

それは交易によるものではないでしょうか。

植民地経営は、トータルで見ると絶対的においしいものではないと言われることもありますが、しかし支配者側は国全体として(国を挙げて)乗り込んでくるわけではありません。
利権を求めた民間人や一部の任を負った人や組織などが、生きるため、儲けようとするために、いろいろやるわけですので、うまく行くか行かないかは、どこに目をつけ、何時その国との関係や支配を始めるかによると思います。

現地では、西欧の的になった国や政府の外交担当者がいて、必死でその国を守ろうとしますが、その国の外交交渉とそこから出てくるものが釣り合えば、その国を潰したり、支配下に置くより、旨みがあり、また西欧も無駄なロスをしなくてすみます。地域によっては、土地そのものを押さえてしまいたいという場合は、この限りではないですが。


日本も同じだと思います。
日本が植民地にならなかったのは、東の果てだったからとか、島国だったというのは一面でしかないと思います。距離的にすぐとなりの上海は列強におさえられ事実上外国のようになっていましたし、島であればインドネシアはどうなのか、と思います。

日本は食材、陶器などの輸出のほか、西洋の珍しいものや武器などを大量に輸入し、金銀銅などでの支払いを行い、よい貿易相手だったと思います。レートは日本に不利なレートだったと言われます。
また大量の日本女性を、鉄砲の火薬代金の支払いとともに、輸出したという話もあります。
このため土地支配よりも貿易の旨みが目立つ日本には、ペリー来航以前から、英蘭露などの船が頻繁に日本に貿易しに来ていたのだと思います。
日本に初期の開国のアドバイスをしたのは、ヴィレム2世です。ペリーより9年ほど早いです。

そのよき貿易相手国である(かもネギともいえる)日本は、江戸末期に内政で揺れました。
薩英戦争後薩摩はイギリスと結び、資金援助を受けました。
これに対抗した(というか遅れてはいけないと思った)フランスが、幕府を支援していたと言われます。
つまり日本は潰してしまうにはおいしい国だったわけです。
また各国は、他国の干渉やクレームにも、気をつかっていたかもしれません。

ですので日本が植民地にならなかったのは、偶然ではないと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、日本とタイもそういう観点から見れば同様ですね。実利を重視する姿勢ですか…つまりタイ側の外交姿勢が列強の利益を損なうものではなかったから…という視点には納得です。
わかりやすく説明していただいて、ありがとうございます(_ _)

お礼日時:2009/01/01 15:01

直接統治するか間接統治するかという、支配国側のコスト効率です。


タイの場合、それなりにタイ王家が実質的に統治していたので、イギリスは間接統治の方が直接統治するより効率的に利益を上げられると考えたので、隠れた植民地とか言われています。
参考例
エジプト王国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8% …
これは保護国ですが、エジプトの南、スーダンはエジプトとイギリスの共同統治下に置かれました。保護国のくせに(?)植民地持ってます。

第二次世界大戦前の中国も各省ごとに、南部はフランスの勢力圏、揚子江地域はイギリスの勢力圏とか歴史の教科書に書いてあります。あれは、なんだろうかな?と思ったら、各省ごとに「非割譲条約」ってなものを結んでおりまして、広州がフランスの勢力圏というのは、中国が「フランスの了解を得ることなく、広州を他国に割譲することはしない」という条約を結んでいたからです。これなんかは、植民地じゃないけど、排他的に利益を上げられるから、コスト効率的にこれでいいやってことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、費用対効果の概念ですか…参考になる例まで出していただいて、私も納得できました。ありがとうございます(_ _)

お礼日時:2009/01/01 14:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!