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江戸時代から、明治時代にかけて、日本は武家社会から西洋文化へと変換していきますが、江戸時代よりの上流武家社会での髪型、いわいる“ちょんまげ”はどの様に変化したのでしょうか?

そして、上流武家はどの様に一般社会に溶け込んだのでしょうか?

いきなり毛が生える事もないと思いますが。

A 回答 (5件)

散髪脱刀令という命令が明治4年に太政官布告で出ています。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A3%E9%AB%AA% …

かなりの反発があり、一揆まで起きています。

当時の女性からも反発があったようで、ちょんまげを切った旦那を離縁した奥さんもいたらしいです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

やはり、すごい事が起きていたのですね。
明日から男性がスカートをはくようなものですよね。

実は、ちょんまげの結いを切って、上流階級武士はしばらくの間“どざえもん的”頭をしていたのかと思うと、可笑しくって、、、。
実際に見てみたいと思いました。

お礼日時:2012/10/11 17:50

    明治の初めに



    「ちょんまげ頭をたたいてみれば、因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする

    ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」

    という歌がはやったと聞いています。「いきなり毛が生える」のではなく、まず、ちょんまげを切り、次にザンギリが伸びるのを待ったのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

ザビエルがいっぱいいたのでしょうか。

お礼日時:2012/10/11 17:52

ハゲている人でなければ、ほうっておけばてっぺんの部分の髪の毛が伸びてきます。

よほどお金持ちで身の回りに気を使う人でなければ毎日月代を剃っていなかったと思います。映画「たそがれ清兵衛」でも主人公は月代が中途半端に伸びていて「貧乏である」ことを示していましたね。

おそらくしばらく月代を伸ばして、頃合を見てちょんまげを切ったのではないでしょうかね。ハゲている人はそのまま波平さんになるだけだったから大きな問題はなかったと思います。

>上流武家はどの様に一般社会に溶け込んだのでしょうか?

溶け込むもなにも、昭和初期までは武家かそうじゃないかではしっかりとした区別がありましたよ。明治生まれの祖母の学校の卒業証書と看護婦の免状にはちゃんと「武士 凸凹花子」と書いてあり、同世代の祖父の教員免許には「平民 凸凹太郎」と書いてあったそうで、祖父はそれが結構コンプレックスだったらしいです。少なくとも大正時代になっても「武家の娘」という概念は生きていたということです。
今でもすごい保守的な田舎にいくと「あすこの家は(先祖が)お武家さんだから」なんて言葉があったりしますからね。ちなみに相馬の野馬追祭りでは江戸時代の家柄の序列が今も生きているそうです。つまり普通の武士の家の末裔の老人と、家老の家の末裔の若者では老人が頭を下げる形になるのです。座る順番などが厳格に決められているそうで、それを決めるのはお家柄なんだそうです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

>ハゲている人でなければ、ほうっておけばてっぺんの部分の髪の毛が伸びてきます。

その、伸びるまでの間の期間です。
あっ、笑ってしまった。

お礼日時:2012/10/12 15:32

ちょんまげですが、幕末に総髪が流行しているので、月代がある人は少なかったのではないかと思います。



西洋風の髪型、いわゆるザンギリ頭が流行するのは明治帝が髪を切り西洋風の髪型にしたためです。

明治四年に断髪令をだしてたのですが、なかなかちょんまげの風習が根強く西洋風の髪型にする人が少なかったのです。そこで政府が目をつけたのが明治天皇。若くて、かっこよくて、国民に大人気のアイドルというわけではないでしょうが、この作戦があたり、明治六年(1873年)に明治天皇が散髪してからは、庶民にも一気に広がり始め、明治二十年には、もう98%の国民がザンギリ頭になっていたそうです。

ちなみに、明治四年の断髪令。
これ幸いとばかりに女性が断髪、といっても坊主ではなく髪を短くする程度。の人が続出したため、断髪の禁止を明治5年に出さざるを得なくなったとか
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

徐々に移行して行ったのですかね。

お礼日時:2012/10/12 15:35

「散切頭(ざんぎりあたま)を叩いてみれば、文明開化の


音がする」と謳われました。
散切頭の画像は検索すれば見られます。

武士から庶民に至るまで、ちょん髷の髷を切り落として
ざんばら髪にしました。
月代(さかやき)が伸びるに従い今のような洋風髪型に
しました。
ちょん髷をしていては時代に乗り遅れると、若者から
中年まで流行しました。
年寄(上流武士から庶民まで)はそうはいかず、髪の伸び
も遅く郷愁もあり、なかなかちょん髷を切れませんでした。
しかし時代の波には勝てず、次第に洋風化しました。
農民、職人などひとりで行う職業の人も、なかなかなじめ
ませんでした。
昭和の初期までちょん髷の人もいました。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

さぞカルチャーショックな出来事だと思います。

今、逆にちょんまげにしろと言われたら、日本人には出来ますかね!?

即、デモだろうな。

お礼日時:2012/10/12 15:37

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