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生きていく上で 感情は必要ないと思うのです。何か特別 嫌なことがあった訳ではないのですが、不必要だと思いました。不要なものは無くしたいです。どうすれば感情は消えますか?

質問者からの補足コメント

  • 方法だけお答えしていただければ結構です

      補足日時:2015/11/11 22:15

A 回答 (17件中1~10件)

無くす事は不可能ですが、減らす事は出来ます。

周りに振り回されず、確固たる意志を持つこと。コッチのほうが難しいんですよ。
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ロボトミーがいいと?脳の感情部分を切り取ればいいんじゃない。

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すべてを空だと観察することです。

そして諸行無常で全てのものは変わりゆく。そのなかでできる限りの努力して納得する人生を送ろうと皆が四苦八苦しています。人は皆そうしていますし一瞬の喜びのために何かを目指すのでしょうよ。 感情を無くしても人としての相手をいたわる感情は無くさないでほしいのですが…サイコパスは感情を持っていませんが、そうはなりたくないでしょ?
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逃げたらダメですよ。



喜怒哀楽すべてが必要なものです。

感情を無くすと言う事は、殺人を見ても何とも思わない。
やっても何とも思わないと言う事です。

嬉しい事も無いので、人に嫌な事も平気でする、反対にされても相手に怒らないって言う事は、相手が間違っても指摘する機会も持たないと言う事です。

その全てのやり取りの上で社会生活は成り立っています。

欲しいとか、嫌だとか、そんな全てが無くなるのですよ。

痛みに耐えて、苦しみに耐えて初めて喜びが生まれます。

逃げないで頑張って下さいね、辛い思いをしながら、それでも前に進み続けてる人もたくさん居ますよ。

頑張って。
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生きてゆく上で感情は必要です。

人は感情の生き物です。臨機応変に生きませんか?義理人情はいいものです。
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全ての生き物を道具と思えばいい。


生き物は細胞で出来てるのだから、細胞に感情を持たないと思えばいい。
やがて、自分もこの世から居なくなるのだから、この世をゲームと思うといい。
ただし。
感情を捨てるには凄い感情を酷使しなければ出来ない。
自分で感情をコントロールできないくらいの、経験。
精神崩壊。一切の感情を捨てるなら精神崩壊しかない。
それは犯罪的欲求になるし、非現実社会。
人が感情を捨てる事は獣になるしか出来ない。
無人島で暮らすか、人と接しないで生きれる場所を作るか。
家に居て、自分でコントロールして感情を消すのは無理。
要らない感情を消せるなら、誰でも嫌な過去を消せるはず。
結論として、完全に消す事は無理です。
ただ、人をどう見るかによって、多少感情は薄らぎます。
答えは人と接しない事。
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感情を持ちたくないなら、持たなければいいだけ。


本当に欲が無いなら、簡単な事なはず。
感情が消せないなら、あなたに欲がある証拠。
自分の欲望や願望に正直になってみてはいかがですか。
もちろん傷ついたり苦しい事もあるかもしれませんが、得るものも多いはず。
傷つきたくなくて、逃げたいだけじゃないんですか?
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>日々 淡々と言われたことだけを確実に行う生活が私にとって一番楽で、居心地がいいからです


これ、思いっきり感情の発露じゃないですか。
という事は感情をなくしたら居心地とか、楽と感じることもなくなりますよ。
やはり感情は必要ですね。

植物なんかはシステムに沿うだけの見本のような生物ですね。
結論は、植物になる。
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この回答へのお礼

そうですね、考えを改められるよう努めます

お礼日時:2015/11/11 22:17

No.7です。


「私はこの人生で何か得ようとか 楽しく生きようと 考えたことがないです。日々 淡々と言われたことだけを確実に行う生活が私にとって一番楽で、居心地がいいからです」
→なるほど、楽しく生きようと 考えたことがないのですか。
それは驚きです。
あなたには感情は必要ないのですね。
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何故、感情が不必要なんですか?


生きているから、何かに感情が起こる訳です。
無いのは、死んでるのと同然です。
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この回答へのお礼

それは違うでしょう、感じる 思うことが 生きる意味なんでしょうかね。

お礼日時:2015/11/11 21:41

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Q感情はなんのためにあるのですか

よろこびやかなしみ
ひとの心は不安定でくるくると感情がかわります
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マイナスの感情が存在するのはなぜですか?
どういう効能があるのでしょうか
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どなたか教えてください。
学問的なご意見あとありがたいです。

Aベストアンサー

こんにちは。
我々動物にとって感情とは、学習結果を用いて生後環境に適応した行動を選択するためにあります。例えば、ほぼ全ての動物で苦痛とは不利益であるという判定基準が遺伝的に定められています。ですが、これでは実際に苦痛が与えられなければ逃げることはできません。では、一度痛い思いをするならばそれが危険であると学習されます。このようにして、我々動物は生後体験の結果から何が利益で何が不利益であるかを一つひとつ学習してゆきます。そして、それが危険であると学習されるならばそこに恐怖という感情が発生し、それ以降は苦痛を与えられる前に回避行動を選択することができるようになります。

正の感情と負の感情があるのは、ここでは利益と不利益の判定が行なわれるからです。そしてその結果、利益には接近行動、不利益には回避行動という選択の原則が定められており、我々はこれに逆らうことはできません。このため、不利益と判定されたものには負の感情が発生し、自らはそれに近付くことができなくなるようになっています。
このように、負の感情というのは不利益を回避するためのものですから、なければやはりたいへん困ります。では、正の感情といえども原則的には逆らうことができないのですから、利益と判定されたものに欲望が抑えられなくなってしまうなんてことだって幾らでもあるわけです。
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では、ならばもし感情がなかったとしますならばいったいどうなるでしょう。我々の感情とは与えられた状況に応じた適切な行動を選択するためにあります。これがどういうことかと言いますと、即ち感情がなければ一切の行動を選択することができないということです。
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友人が心配して訪ねると、自分が何をしたらいいのか分からないと答えます。ですが、感情がありませんので、恐らく辛いと感じることもないでしょう。気の毒なことに、結局ひとに騙されて財産を失ってしまったそうです。

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Q無感情になりました。助けてください。

数年前からのうつ病から、感情がなくなりました。

小さい頃から負けず嫌いだったのに、今では悔しさを
バネにして頑張るとかそういう気持ちが全く
ありません。

給料前やボーナス前でも嬉しいと思いませんし、
仕事に対してもやりがいを全く感じません。
感動も喜び、悲しみも全く感じません。

魂ここにあらずみたいな状態です。
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どうしたら、悔しさ、怒り、喜び、悲しみを
心の底から感じれるようになるのでしょうか?

信念や目標もありません。というより夢があっても
そこまで強く思えないのです。

Aベストアンサー

僕の場合は過度の薬物乱用による物理的後遺症であったので治る見込みがありませんでした。そういった脳内物質を出す器官が疲弊して出なくなってしまったとの事でした。いわゆる廃人ですね。意欲と呼べるものは性欲さえなくなってしまいましたが私も人間ですのでそのような状態は大変つらい。後悔すると同時になんとかしたいと思うわけです。しかしどうにもならない。死のうと思いはじめました。何度か軽い未遂をした後かかっている精神科でその問題もとりあげられるようになり薬も増えました。(僕は急性精神分裂症とパニック障害も同時に併発していました)そんな中で少し落ち着いた後僕が考えたのは今はとにかく逃げようという事でした。TVを眺めていて偶然NHKの特集で見た「平沢進」さんという音楽家の曲がその時期唯一「聴く」という欲求が起こるものであったので、なにか病気の事を考え始めたらそのCDを聴き音楽に身を委ね頭を止めるようにしました。治る治らない、抜け出せる抜け出せない、「どうせ僕はもう治らない。ならばいま少しでも楽ならいいじゃないか。いま何かを考えるのはやめよう」と思うようになりました。また大変苦痛ではありましたがスポーツジムに入会し毎日自転車こぎ30キロを始めました。2年が経ちました。友人から復職の誘いが来たので状態はあまり変わっていませんがどうせ地獄なら何か起これと思いその話を受けました。生活も実家療養から一人暮らしにもどりました。プログラムのように仕事に行き帰っては「平沢進」を聴きながら寝るだけの日々これが約2年続きました。1日13時間は寝ていたと思います。CD屋、映画、友人との食事などになんとなく行きたいと思うほどではないですが行くようになりました。平沢のコンサートは唯一行きたいと思って行きました。そんな状態ですがそんなころ僕の昔のキャリアを知っていて引き抜きたいという会社が出てきました。これは掛けでした。仕事内容が管理職でハードだったからです。しかしここでも僕は廃人ならばなんとでもなれと誘いを受けました。最初は矢張り地獄でした。症状はやや悪化し死にたいという気持ちももどったり。でも少し実績が上がり始めたころ昔の感覚が戻りすこし楽しいという気持ちが出て来ました。僕はこれは機会だと思い自力で処方薬の減薬を始めました。まずは抗てんかん薬をその日にやめ、抗不安剤を何週間かしてやめました。その後精神安定剤を少しづつ減らしていき3~4ヶ月で断薬。次に睡眠薬の断薬を始めこれは2ヶ月ぐらいでなんとかなりました。最後に抗鬱剤。いまは最後の抗鬱剤パキシルを2日に一回1/4錠になっています。こうして薬をやめていく中で薬漬けの精神状態と体調から薬なしの状態との差に気持ち良さや意欲的なものが感じられるようになってきました。そうしたところに病気のため離婚した家内と子供から復縁の話が出て来ました。僕にはこれはうれしく仕事をする理由も出来ました。今は来年の同居を目指し貯金などに奮闘しています。ホームページ、ブログも始めました。参考にはならないかもしれませんが僕の経験から言うと状態が悪いなら治るよりもその気分をごまかす(言い方は悪いですが)事が出来るあなたに最良なものを見つけて(それがたとえば処方薬でもいいと思います)ひたすらただ生きて、偶然を待つ事ではないでしょうか。そしてサイコロを振れる時がもし来たら絶対に振る気はしないでしょうが自分を無にほうりなげるつもりで振ってしまったらいかがですか?変わりたいという願望は少なくとも唯一あるわけですから、それは遠くの願望に置きつつ、決して煮詰まらず、時間をかけ、しかし可能性が入り込む余地はあたえると。偉そうにすいません。

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Qなぜ人間には心があるのでしょう?

動物にもあるかもしれないので、「人間には」というと語弊があるかもしれませんが・・。
人間のあらゆる感情がなぜ必要なのか、ふと疑問に思いました。

今まで「生物は生きるために生活している」と思っていましたが、生きるために生活するなら、感情があるのは諸刃の剣なのではないかと思ったのです。生きる「喜び」を感じることもあれば、「絶望」して死に向かうこともあるからです。
どんな動物もそんなに生きるのに効率よく出来てはいないのでしょうが、人間が脳を発達させて心とか想像力とかを豊かにしてきたのはなぜなのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
我々動物にとって「心」とは、「与えられた状況に対応した適切な行動を選択するため」にあります。
それは生後学習の結果を基に環境からの情報に対して価値判断を行い、「自分にとって利益となる行動」を選択します。これにより、我々動物は生後環境に発生する様々な変化に対応し、「本能行動では解決することのできない問題」に対処します。

さて、「なぜ心があるのか?」ということですが、このご質問を整理しますと、それは心ではなく、「なぜ人間には高い知能があるのか」ということになるのではないかと思います。これはたいへん難しい問題でありますが、そのためにはまず、「心と思考の違い」というものをはっきりとさせる必要があります。これにより、質問者さんがご指摘をなさる問題の構造を明らかにすることができます。

我々動物の行動といいますのは以下の二種類に分類されます。

「報酬刺激に対する接近行動」
「嫌悪刺激に対する回避行動」

中枢系は感覚器官からの入力を基に「利益・不利益の価値判断」を行い、その結果を運動系や自律系に出力します。これにより、我々動物は身体内外に発生する様々な環境の変化に対応し、与えられた状況に応じた適切な行動や反応を選択しています。
そして、我々高等動物の行動選択には、その脳の構造上、以下の三系統があります。

「命の選択:本能行動(本能行動・無意識行動):生命中枢」
「心の選択:情動行動(学習行動・無意識行動):大脳辺縁系」
「知の選択:理性行動(学習行動・意識行動):大脳皮質」

このように、「思考」と「情動」といいますのは、その構造も性質も異なる全くの別物です。
「本能行動」といいますのは我々動物にとって最低限必要なものでありますから、その「反応規準」は生涯に渡って変更することができないようになっています。このため、本能行動では生後環境に発生する様々な変化に上手く対応することができないわけですが、学習行動といいますのはこれを補助するためにあります。
「情動行動の判定規準」といいますのは個体の生後体験によって後天的に獲得されるものです。大脳辺縁系ではこの学習結果に基づいて利益・不利益の判定を下し「情動反応」を発生させるわけですが、これが即ち我々の脳内に発生する「心の動き」であります。
この「心の動き」といいますのは環境からの入力に対して発生します。そしてその役割とは、「食べたい」ものに接近行動を選択させ、「怖い」という判定に従って回避行動を選択させることです。従いまして、環境からの入力に対してこのような判定が下されないとしますならば、我々は食べることも自分の身を守ることもできないということになります。
このような基本的な判定でしたら本能行動だけでも十分に可能です。ですが、本能行動では状況に応じた柔軟な選択というものができません。では、我々動物にとって「心の役割」とは、それは「行動選択に学習結果を反映させる」ということです。これにより、我々高等動物は自らの存続の道を巧みに切り開いてきました。

「情動行動」と「理性行動」は行動選択に生後体験を用いた共に学習行動でありますが、このふたつの違いといいますのは、それが意識行動であるか無意識行動であるかということです。
「本能行動」と「情動行動」はその場の判定に基づいて直ちに選択されるものであるため、この結果は常に「無意識行動」です。これに対しまして、「理性行動」といいますのはその場の状況だけで選択されるものではなく、過去の学習体験を基に「未来の結果を予測する」という計画行動であり、こちらは原因と結果の自覚された「意識行動」ということになります。
では、この未来の結果を予測するために必要なのが「想像力」であります。我々の想像力、即ち「人間の高い知性」とは、本能行動や情動行動では予測することのできない「未来報酬」を想定し、より価値の高い行動の選択を行なうためにあります。
但し、この「知性」を以って可能となるのは未来を予測するというところまでありまして、この結果に対して利益・不利益の判定を下す機能は大脳皮質にはありません。このため、最終的な意思決定といいますのは大脳辺縁系の情動反応によって下されなければなりません。つまり、大脳皮質がどんなに素晴らしいアイディアを提案したとしましても、大脳辺縁系の情動反応、即ち脳内に何らかの「心の動き」が発生しない限りそれが実行に移されることはないということです。そして、これは我々の脳内では「思考を行う機関」と「情動を発生させる機関」がそれぞれに異なり、その機能が分離されているからです。

このように、心には心の大事な役割というものがあり、思考と情動ではその機能が違います。
情報反応の判定規準といいますのはそのひとの個人体験を基に獲得されるものですから、そこには必ずや「個人差」というものがあり、これが我々の性格や個性を作ります。そして、生まれてからこれまでに獲得された無数の判定規準が即ち我々の「価値観」であります。
「個人的価値観:食べ物の好き嫌い、異性の好みetc.」
「文化的価値観:一般常識、社会道徳、お国柄、時代の考え方」
このようなものがそのひとの体験を通して大脳辺縁系に積み重ねられてゆきます。
もちろん、同様の記憶情報といいますのは大脳皮質ではもっと詳細に整理されていますし、学校で習ったり親から言われたことは思考によって幾らでも理解することができます。ですが、ただ口で言われただけではなく、親や先生に叱られた、などいったことは、恐らく九分九厘こちらの大脳辺縁系にしっかりと記録されます。ですから、我々がそこに豊かな価値観を育てるためには単に知識を身に付けるだけではなく、豊かな実体験を積み重ねるということがたいへん重要ということになります。

さて、我々高等動物の脳内では行動選択の機能は三系統に分離しているわけですが、実は、これらは「並列回路」として構成されています。これがどういうことかと申しますと、ひとつの入力に対して複数の異なる判定が下されてしまうことがあるということです。果たして、我々の全ての苦悩とはここに発生します。
「苦悩」とは欲求が自覚されることによって発生するものです。
本能行動と情動行動は共に「現在の利益」に従う無意識行動でありますから、ここでは判定の対立は起こりませんし、欲求が自覚される必要もありません。判定の対立が起こるのは、大脳皮質が未来の結果という別の利益を予測するからです。
理性行動では「現在の利益」と「未来の利益」を比較する必要があります。ですから、ここでは必然的に複数の欲求が自覚されるわけですが、果たしてこの場合は、そのどちらかは必ずや阻止されなければなりません。
「苦悩」といいますのはこのようにして発生します。そして、我々人間の欲求に限りがないのは、大脳皮質にはより価値の高い結果を予測することができるからです。このため、我々の人生は様々な選択と苦悩の連続ということになります。これが、大脳皮質を発達させてしまった人類の「苦悩の構造」です。

では、どんなに辛く苦しいからといいましても、第一線を越えてしまうような選択といいますのは通常、そう簡単に起こるものではありません。何故ならば、他に如何なる選択肢もない状況に至ったとしましても、「いざっ!」というときになりますならば、まず必ずや「生物学的利益」に従った行動が優先されるからです。当たり前のことを申し上げているようですが、これがどういうことかといいますと、我々の行動選択機能といいますのは並列回路としてそれぞれに独立して働いてはいるわけですが、とはいいましても、やはりそこには「最低限の秩序」というものが保たれているということです。
一定の秩序が保てなくなるほどの大きな変化を「カタストロフィー」といいます。「窮鼠返って猫を噛む」というのはこのカタストロフィーであり、通常では考えられない行動が選択されてしまいます。では、もしこのカタストロフィーが発生するならば脳が第一線を越えてしまうということはあり得るわけです。ですが、飽くまでもこれは通常の状態ではありません。
確かに人間の思考は複雑であり、現代のような社会が心の健康に良いわけではありませんから、そのような不幸な出来事もしばしば耳にします。ですが、大脳皮質にはその選択を想定することもできますが、この時点ではまだ秩序が失われてしまったというわけではありませんし、果たして最終決定といいますのは大脳皮質ではなく心の動きによって下されるわけです。そして、学習行動には本能行動と異なる結果を選択することも可能ではありますが、ここに苦痛や恐怖を報酬として学習してしまう、つまり全く正反対の判定規準を獲得してしまうというのは、普通の動物にはまず不可能です。
ですから、通常の状態でありますならば、我々の脳内に「生物学的な秩序」といいますのは現時点でも他の動物と同様に十分保たれており、少なくとも質問者さんがご心配をなさいますような、人類がその知能や情動の発達によって自らを絶滅に追い込んでしまうというような事態には幸いまだ至ってはいないと思います。

本能行動といいますのは命の選択でありますから、これを止めるということはできません。ですが、心の選択といいますのは我々が育て上げた価値観であり、知の選択とは未来の選択であります。
質問者さんが仰いますように、そこには様々な矛盾が発生します。ですが、人類が何故そのような道を歩んでしまったのかはまだ科学では解明されていません。では、我々がそれに振り回されて誤った選択を行なわないようにするためには、より豊かな体験によって心の秩序を保ち、より多くの知識を身に付け、それを自分の未来に役立てるというのが大切なのではないかと思います。そして、それが果たして、我々人間に与えられた脳の構造に適したやり方、ということになるのではないでしょうか。

こんにちは。
我々動物にとって「心」とは、「与えられた状況に対応した適切な行動を選択するため」にあります。
それは生後学習の結果を基に環境からの情報に対して価値判断を行い、「自分にとって利益となる行動」を選択します。これにより、我々動物は生後環境に発生する様々な変化に対応し、「本能行動では解決することのできない問題」に対処します。

さて、「なぜ心があるのか?」ということですが、このご質問を整理しますと、それは心ではなく、「なぜ人間には高い知能があるのか」ということになる...続きを読む

Q死にたいな誰かに殺してほしいなって考えが頭から離れない時どうしますか? 死にたいけど勇気ないから死ね

死にたいな誰かに殺してほしいなって考えが頭から離れない時どうしますか?
死にたいけど勇気ないから死ねない
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Q通りすがりに悪口を言う人を、取り巻く人間関係とは?

私は、通りすがりの人(主に女性)に悪口を聞こえるように言われたことが、何度かあります。
友人、知人、親、いとこなどに聞きましても、やはり通りすがりの人に嫌がらせを受けたことがあるようです。
悪口の内容は、(キレイじゃない、服装がダサイ、アクセサリーの悪口、バカ、ブス、死ね、チビ、)など容姿に関わる、ありとあらゆる悪口が主です。
すれ違い際に、悪口を言われて、えっ?と思った瞬間はその人は、歩き去ってもういません。

行動についても、講座で一番前に座った人のことを、「ふつう、一番前には座らないよね?」とか電車に駆け込んで乗った人のことを「必死だね?ふつう、あきらめるよね?」とか平気で大きな声で言っているのを何度か見聞きしたことがあります。

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それとも、そういう自分に関わる人間関係では、あからさまには悪口を出さないようにしているのかも知りたいです。陰口だけにとどめて言わないとか。

通りすがりの関係ない人でさえ、数秒で悪口を言わずにはいられない性格なら、その人を取り巻く人間関係って、どうなのだろうと思います。

何か御存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。
よろしくお願いいたします。

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つまり、
「通りかかった知らない人に言葉の暴言をはく」人は身近な人に対してどうしてるか?っということでしょ?

簡単ですよ。それは当然、嫌な人が自分の周りに一人でも居れば「暴言をはく」のは当然で 決まって敵が多い自分の中で問題を抱えてる人という事でしょう。

しかし、通りすがった人のうち言われて黙ってる人ばかりじゃ ありませんから、もちろん言い返されれば自分自身も傷ついてるはずですよ。

‥。。。 だったら知らない人に失礼な事を言うべきじゃないでしょう!となりますから。

言えば「自分も傷つく」のだと覚悟の上でしょうね。

このような人は乏しい心の病気を抱えてるんでしょう。


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