好きな和訳タイトルを教えてください

当か否か。 どうでしょう?

A 回答 (158件中141~150件)

失礼、



AIの 強制ディープラーニング強要には、
付き合えない。
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この回答へのお礼

はい。

お礼日時:2020/10/22 23:19

質問者さんがいくら主張しようともそれは私には全く関係ありません

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この回答へのお礼

わざわざ主張しているのではありません。


人間にとってのふつうの自然な意思疎通です。


しづかに世界をみてみてください。

お礼日時:2020/10/22 23:19

続きです


質問者にとって質問者さんが受け答えしている私はあくまで質問者さんの主観の現れであり
私にとって私が受け答えしている質問者さんはあくまで私の主観の現れです
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この回答へのお礼

間違いです。

なぜなら 言葉にして表現した自己ないしその主観を 互いに伝え合い認識し合うという行為過程を経ているからです。

言語表現を介しているのです。

そうでなければ 回答者さんがそのように述べている内容すら 相手に伝わらないでしょう。


ようく虚心坦懐になってみてください。そのようにお伝えするしかできません。

あなたは 自然科学の成果を人びとにつたえようとしているぢゃないですか。
それと同じです。

お礼日時:2020/10/22 23:18

質問者さんが仰っているその考えが質問者さんにとって「確か」だと言えるのは「質問者さんが見ている世界」であり「質問者にとって質問者さんが存在している世界」だけなのです


何故なら「質問者さんが見ている世界」・「質問者さんにとって質問者さんが存在している世界」は質問者さんの主観の現れにほかならないからです
質問者さんの「内」に存在するのは質問者さんの主観のみなのです
質問者さん以外の人物の主観は質問者さんの「内」には無いのです
故質問者さんが知り得るのは質問者さんの自身の主観の現れである「質問者さん画見ている世界」・「質問者さんにとって質問者さんが存在している世界」だけなのです。
質問者さんの内に存在していないの質問者さんにとって他人の主観の現れである「他人が見ている世界」・「他人にとって他人が存在している世界」を知り得ないのです
知り得ない以上質問者さんのその考えが「他人が見ている世界」・「他人が存在している世界」で正しいかどうかを質問者さんは確かめることは出来ないのです
質問者さんのお考えが共有できると言えるとしてもその相手はそれはあくまで質問者さんが見ている世界での他人でしかありません
上記は「哲学ゾンビ」にまつわる話です
しかしながら質問者さんが「主観」で物事を捉えてる限り上記を論理的に否定することは質問者さんには決してできませんし今の質問者さんでは理解することすら出来ないのでしょう
理解すら出来ない質問者さんと上記について論じ合うのは無意味で無駄でしかないのです
まぁ質問者さんがどのように考えようともそれが質問者さんの主観に基づく限り質問者さんのご自由ですがそれはあくまで質問者さんの主観の問題であって私の主観の問題ではありません
質問者さんがいくら「普遍神」が存在すると主張しようとも私には全く関係ありません
同様に「私の見ている世界」・「私にとって私が存在している世界」に如何なる神も存在しないことは質問者さんには全く関係ないことです
互いとっては全く関係の無い話(神)を論ずる意味も理由もそして必然性もありません
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 質問者さんが仰っているその考えが質問者さんにとって「確か」だと言えるのは「質問者さんが見ている世界」であり「質問者にとって質問者さんが存在している世界」だけなのです
☆ 神は 《人が見ている世界あるいは存在すると意識している世界》を超えているナゾの何ものかです。

この点をよううく考えてみてください。


★ 何故なら「質問者さんが見ている世界」・「質問者さんにとって質問者さんが存在している世界」は
☆ まづ単純に乱暴に言って 回答者さんが見ている世界であり存在している世界と同じものです。


★ 質問者さんの主観の現れにほかならないからです
☆ ということは 回答者さんの主観でもあります。互いの主観を表現し伝え合って 出来るものなら その認識内容について共通性あるいはさらに広げて普遍性があるかないかを考えるのです。

そういう科学行為をおこなうのも 単なる主観でしかない人間の認識についてのチカラです。



どうか 科学の放棄には到らないように。

お礼日時:2020/10/22 23:06

否、



現に 私が、
此処に 居る。
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この回答へのお礼

ということは:
★ 現に 私が、
此処に 居る。
☆ ことに根拠があるはずだから 神にも根拠がある・・・といった意味でしょうか?

よくわかりません。どうして 人間の存在が 根拠にもとづくものだと言えるのですか?



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2020/10/22 22:27

続きです


質問者さんが見ている世界
質問者さんが存在している世界
を根源的に知ることは私には出来ないように
私が見ている世界
私が存在している世界
を根源的に知ることは質問者さんには出来ない
よって互い相手の見えている世界・存在している世界に神が存在しているかどうかなんて互いに知る由もない無いのです
よって神(普遍神)に対する質問者さんのお考えを私に押し付けられても私には全く意味を成さないように
私の神に対する考えを質問者さん押し付けられても質問者さんには全く意味をなさないのです
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この回答へのお礼

★ 質問者さんが見ている世界
質問者さんが存在している世界
を根源的に知ることは私には出来ないように
私が見ている世界
私が存在している世界
を根源的に知ることは質問者さんには出来ない
☆ ということは 証明し得ていません。

《出来る》という規定も 確定し得ないでしょう。

ただし 《感性の原野や思考の緑野といった経験世界については その知覚や認識を おのおのが自己表現し その内容を互いに検証しつつ 共有しうるところは共有すること(つまりは 科学による認識のそれとしての普遍性)》が 成り立ちます。



★ よって互い相手の見えている世界・存在している世界に神が存在しているかどうかなんて互いに知る由もない無いのです
☆ 《感性や思考の対象たる経験世界に》どうして 神が存在する・しないを 《はじめに》論じるのですか?

神は 経験世界を超えているというのは 人びと共通の理解です。


★ よって神(普遍神)に対する質問者さんのお考えを私に押し付けられても
☆ 科学(人知)を超えているところのナゾを 科学で――想定(アブダクション)なる方法で――規定しているのです。

科学としての主観真実ですから その真実内容を共同化しうるかどうかを検証すればよいのです。


★ 私には全く意味を成さないように
私の神に対する考えを質問者さん押し付けられても質問者さんには全く意味をなさないのです
☆ 意味をなします。あなたの考えは 科学ではない という意味をなします。

お礼日時:2020/10/22 22:25

「無根拠」の根拠が


「存在理由」・「不存在理由」としての「根拠」を指すのであるならば「存在」・「不存在」どちらでってもその理由は不要であることから「無根拠」でいいとなるでしょう
質問者さんが見ている世界
質問者さんが存在している世界
においては普遍神が存在しているとしてもその存在理由は不要です
私が見ている世界
私が存在している世界において
如何なる神も存在していないその理由も不要です
なおこの件については私と質問者さんでは絶対的に噛み合わないことは既に判明しているのでこれついて質問者さんが何らかの考えを示されても私はそれを受けはしません
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 「無根拠」の根拠が
「存在理由」・「不存在理由」としての「根拠」を指すのであるならば「存在」・「不存在」どちらでってもその理由は不要であることから「無根拠」でいいとなるでしょう
☆ 《理由が不要》という点が 分かりづらいです。

存在するにしろ存在しないにしろ そのことを証明することは出来ない――つまり 不可能――という意味にならば 取れますが。


★ 質問者さんが見ている世界
質問者さんが存在している世界
においては普遍神が存在しているとしてもその存在理由は不要です
☆ 要る・要らないという問題なんですか?


★ 私が見ている世界
私が存在している世界において
如何なる神も存在していないその理由も不要です
☆ それは 《特殊絶対性》として 或る人の主観内面において〔のみ〕成り立つ事柄です。という見解に立ちます。

主観真実としてあり得ますが その主観が共有されることはありません。
なぜなら 絶対性についての主観は その内容が 特定し得ないからです。

《神は有る(または 神は無い)》という主観真実は その内容が その文字通りの意味として神が規定され得たということにはならない。成るか成らないかが 人間には分からない。

言いかえるなら われとなれとは有神論として主観を共有しているとか あるいは われとかれとは無神論として主観共同化が成っているとか言っても それは 経験事象としての《有神か無神か》なのであって 《神が有るとか無いとかが 神のこととして 分かったわけではない》からです。

神が有るも無いも 証明し得ないという初めの命題のことに戻っています。


★ なおこの件については私と質問者さんでは絶対的に噛み合わないことは既に判明しているのでこれついて質問者さんが何らかの考えを示されても私はそれを受けはしません
☆ 科学ないし哲学としての思考を放棄していると見ます。

お礼日時:2020/10/22 22:14

神が存在するという証拠を提示なされれば、小生、納得がゆきます。



闇雲に神仏ありき、では、それは、強制思想改正命令と変わりません。
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この回答へのお礼

★ 神が存在するという証拠
☆ は 存在しないという証拠と同じく ありません。

そのうえで 《無根拠》だと言えますよね。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2020/10/22 22:01

神が建前ですが、政治利用されなくなったのは、日本国憲法施行から。



米国では相変わらず、聖書を手にして、大統領就任のための儀式があります。

政教分離があるわけだからですが、公明党は、グレーンゾーンですけれど。与党ですが。
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この回答へのお礼

神という言葉が 政治の場に出てくる・あるいは利用されるということは 個人の信仰とは 関係ありませんね。

お礼日時:2020/10/22 21:59

否。

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この回答へのお礼

ということは 《根拠がある》ということですね。


それは 《その根拠が何であるかが分かる》ということですかね?



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2020/10/22 21:58

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