好きなおでんの具材ドラフト会議しましょう

少し前に、重言に関係する質問がありました。
【布陣を敷くという言葉がありますが、陣を布くは「布く」です。「布陣を布く」とは言わないのでしょうか?】2021/10/07
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12612858.html

【文章表現について質問です。 「違和感を感じる」や「抵抗感を感じる」など、〇〇感を感じるというのは正し】2021/09/29
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12599764.html

 過去にも重言に関する質問は各所でウンザリするほど繰り返されています。
 非常に不思議なのは、重言を「間違い」「誤用」と断定するコメントがあることです。
 なぜそのようなことがいえるのでしょうか。
 個人的には、重言にはいろいろなレベルがあって一概にはいえないと思います。
「馬から落馬する」や「馬から落ちて落馬する」と、「歌を歌う」や「旅行に行く」は同じ扱いはできないはずです。
「頭痛が痛い」と「違和感を感じる」は同じ扱いはできないはずです。

 あからさまな重言の場合も、「無神経な表現」「稚拙な表現」ぐらいに考えるのが妥当だと思います。
 重言に関するご意見や、↑のやり取りに関する感想などを教えてください。

質問者からの補足コメント

A 回答 (19件中1~10件)

.


どうでもいいことですけど、
不思議な感覚を感じた

不思議な感覚を覚えた
もダメな人はダメなんでしょうね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

「感覚を感じた/感覚を覚えた」ですか。
 どうでもよくありません(泣)。
 盲点だったかもしれません。
「違和感を感じた/違和感を覚えた」に近い印象です。
 補足をご参照ください。
「誤用」という人はいそうですね。

 これが「実感を感じた/実感を覚えた」だと「実感した」の形があるにで重言にはなりにくいような。

お礼日時:2021/10/17 15:10

伊佐いいさんおはようございます。


 重言の程度と容認の程度は相関がないです。

       すこし重言←重言の程度→すごく重言   
 いい感じ  歌を歌う    |  死を死ぬ
  ↑            |
容認の程度ーーーーーーーーーー┼ーーーーーーーー
  ⇩            |
 やな感じ  御御御付け   |  頭痛が痛い

中岡 樹里 千々岩 宏晃『重複表現の生起要因に関する考察 : なぜ「印鑑を押印してください」と言うのか』https://ci.nii.ac.jp/naid/120006716842/と兪 暁明『重言とコロケーション--その関連性と認め方』https://ci.nii.ac.jp/naid/40017091457が良かったです。

こぶさんおはようございます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 うーん。
 容認の程度(いい感じ⇔やな感じ)の基準がわかりません。
 なぜ「御御御付け」はやな感じで、
「死を死ぬ」はいい感じなのでしょうか。

 ご紹介の論文はザッと目を通しましたが、どこがポイントでしょうか。
 機会があれば読み直してみたいのですが、どうして学者の書くものってあんなにわかりにくんですかね。読むのが苦痛です。

お礼日時:2021/10/20 22:03

#16です。



>1.
 すでに書いたとおりです。
「あからさまな重言の場合も、「無神経な表現」「稚拙な表現」ぐらいに考えるのが妥当だと思います」
 それを〈「重言」というものはどれもすべて「間違い」「誤用」ではない〉とまでネジ曲げられても……。

ネジ曲げられても???

「あからさまな重言」とは、「明らかな重言」という意味。
質問者は、

「明らかな重言」であっても「無神経な表現」「稚拙な表現」ぐらいに考えるのが妥当だ。

と言っているのだから、〈「重言」というものはどれもすべて「間違い」「誤用」ではない〉と言っているのと同じことですよね?

それを否定するなら、
「間違い」「誤用」となる「重言」もある、という意味になるわけだが、そういうことなのかな?

2.
tobi⇒なんでもかんでも「重言」を「誤用」という気はありません。(#6)
hako⇒とのことですが、ということは、「誤用」という「重言」も存在する、とおっしゃっているのですか?
tobi⇒さあ。

自分で《なんでもかんでも「重言」を「誤用」という気はありません。》とは言ったが、それを《「誤用」という「重言」も存在する》という意味で言ったのかどうか、自分でもよくわからない。

という意味ですね?

3.
>〈(すべての)重言を「間違い」「誤用」と断定するコメントがある。〉
 そんなことがどこに書いてあるのでしょう。

ですよね、ということは、

《非常に不思議なのは、重言を「間違い」「誤用」と断定するコメントがあることです。》

というのは、

《非常に不思議なのは、【ある種の】重言を「間違い」「誤用」と断定するコメントがあることです。》

という意味でおっしゃったわけですね。

>重言を「誤用」扱いしている発言はあるのでは。

それはありますね。
しかし、それは、ご自身が《そんなことがどこに書いてあるのでしょう》とおっしゃるとおり、
《(すべての)重言を「間違い」「誤用」と断定するコメント》ではないわけで、《【ある種の】重言を「間違い」「誤用」と断定》しているにすぎないわけです。
ですよね?

それに対して、

《非常に不思議なのは、【ある種の】重言を「間違い」「誤用」と断定するコメントがあることです。》

という批判をすることにどんな意味があるのですかね。
というか批判になっていないと思うのですが?
違いますか?

4.
> ああ書いてわからないのなら、どう書いてもわからないでしょう。

「ああ書いて」とはどの部分を指しているのか不明ですが、いずれにせよ、1~3で述べたような矛盾した論理では、誰が読んでもわからないと思いますね。
こういうことを言うのは、まず、その矛盾を解決してからにしましょう。
    • good
    • 4

#10です。



> もう少しコメントをまとめていただかないと、返信のしようがありません。

了解しました。
要点を絞って伺いましょう。

1.
質問者さんは、
「馬から落馬する」のような《あからさまな重言》も《「無神経な表現」「稚拙な表現」》ではあるが《「間違い」「誤用」》ではない、と言っていますが、ということは、

「重言」というものはどれもすべて「間違い」「誤用」ではない。

と主張しているのですか?

2.
>なんでもかんでも「重言」を「誤用」という気はありません。(#6)

とのことですが、ということは、「誤用」という「重言」も存在する、とおっしゃっているのですか?

3.
> 非常に不思議なのは、重言を「間違い」「誤用」と断定するコメントがあることです。

あまり見たことはありませんが、

(すべての)重言を「間違い」「誤用」と断定するコメントがある。

という意味ですか?

4.
> この質問サイトでもしばしば目にする「前後の文脈」も厳密には「重言」でしょう。
《聞き手に不快感を与える表現》でしょうか。

興味深いご指摘で。
どういった点が重複していますか?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

1.
 すでに書いたとおりです。
「あからさまな重言の場合も、「無神経な表現」「稚拙な表現」ぐらいに考えるのが妥当だと思います」
 それを〈「重言」というものはどれもすべて「間違い」「誤用」ではない〉とまでネジ曲げられても……。

2.
 さあ。

3.
〈(すべての)重言を「間違い」「誤用」と断定するコメントがある。〉
 そんなことがどこに書いてあるのでしょう。
 重言を「誤用」扱いしている発言はあるのでは。

4.
 ああ書いてわからないのなら、どう書いてもわからないでしょう。

お礼日時:2021/10/15 19:50

>で、単なる形式的な現象であり、価値判断と混同するのは誤りです。


 意味がわかりません。
 もう少しわかりやすい日本語でお願いします。

「同意の語を重ねた言い方」、つまり、「ひとびと」「かさねがさね」「いろいろ」「しらずしらず」から「豌豆豆(えんどうまめ)」「電車に乗車する」「歌を歌う」「落ち葉が落ちる」「涙を落涙する」など種々の現象を指す語で、良い、悪い、正しい、誤りなどという価値判断とな別次元の概念だということです。■
    • good
    • 2
この回答へのお礼

まったくわかりやすくなっていません。
 まず、〈「ひとびと」「かさねがさね」「いろいろ」「しらずしらず」〉は別の話では。
 あとは、当方やほかの回答者の考えていることと相当ズレています。
「豌豆豆(えんどうまめ)」「電車に乗車する」「歌を歌う」「落ち葉が落ちる」「涙を落涙する」……etc.
 を同様に扱うことはできないだろうというやり取りをしいています。
〈良い、悪い、正しい、誤りなどという価値判断とな別次元の概念〉などという話は誰もしていません。ヨソでお願いします。

 で、宿題の質問には返答なしですか。
 よほど論理的に書くのが苦手なのですね。残念です。
 もし返答があるなら別の場所でお願いします。

お礼日時:2021/10/13 20:21

URの信頼性そっちのけで、文句を言いたいなら。


政治家を目指して文部大臣あたりになる必要があるのかも。
でも蓮舫や辻本あたりの揚げ足取りまがいをやっているようでは期待できないのかも?。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

〈URの信頼性そっちのけ〉
 ですから、そのURとは何を指しているのでしょうか。

お礼日時:2021/10/13 20:13

じゅう‐げん【重言】ヂユウ‥


①(ジュウゴンとも)同意の語を重ねた言い方。「豌豆豆えんどうまめ」「電車に乗車する」の類。
②同字を重ねた熟語。「悠悠」「滔滔」の類。畳語。
【広辞苑】

で、単なる形式的な現象であり、価値判断と混同するのは誤りです。■
    • good
    • 0
この回答へのお礼

辞書の引用ありがとうございます。

>で、単なる形式的な現象であり、価値判断と混同するのは誤りです。
 意味がわかりません。
 もう少しわかりやすい日本語でお願いします。


 で、下記の質問にはお答えいただけないのですね。日本語でのやり取りはむずかしいですかね。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12528365.html

 何を「ごまかそうとして必死になっている」のですか。
 ここでは本題からズレるので、この話の返信はmixiに当方が立てているトピにでもお願いします。

お礼日時:2021/10/12 18:45

>意味はなくても「間違い」とは言わない、ということでよろしいでしょうか。


あなたの勝手です、世間一般、では無意味なことを実行するのは、少なくとも適切(正しい)とは言わないはずです、逆は必ずしも真ならず、と言われます、下らん揚げ足取りの類ににすぎません。
>「賞を受賞する」は重複表現です。でも「ノーベル賞を受賞する」は重複表現(重言)ではありません。なぜなら、「受賞する」は「賞を受ける」という意味合いだから「賞を『賞を受ける』」では無駄に重なるから不自然なんです。でも「受賞する」に「ノーベル賞を受ける」という意味は内包していません。つまり構文上「『ノーベル賞』を受賞する」という構造で、ヲ格の対象が「賞の中のひとつ」に当たるから「受ける」より「受賞する」の方が動作としてより適切な表現になる、という仕組みなんで
※十分理解しているじゃないですか。
下らんURの書き込みなんか相手にする必要ないように思いますが。
以前ありましたよ、日本語を習う中国人向けに中国人が著した、日本語文法の解説という本からの引用?、日本生まれで日本育ちなら小学生でも間違わない内容が平然と解説として使われていました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>下らん揚げ足取りの類ににすぎません
 なんの話でしょうか。当方は確認しただけです。

>下らんURの書き込みなんか相手にする必要ない
 なんの話でしょうか。「下らんUR」とはなんのことですか。わかりやすく指し示してください。

>以前ありましたよ、日本語を習う……
 いったいなんの話でしょうか。

お礼日時:2021/10/12 18:48

重言の前に熟語の成り立ちがあります。


馬から落馬→馬から落ちる、これを熟語にして名詞にしたのが落馬
布陣も同様→陣を布く、これを熟語にして名詞にすれば布陣
したがって間違いとは言わなくても、熟語を使用する意味がありません。
日本語の表現を知らない人と言われても仕方ありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>したがって間違いとは言わなくても、熟語を使用する意味がありません。
 逆に言えば、熟語を使用する意味はなくても「間違い」とは言わない、ということでよろしいでしょうか。
〈熟語を使用する意味〉は「布陣を敷く」ではなく「陣を敷く」で十分。「馬から落馬する」なら「馬から落ちる」で十分という意味でしょうか。そのとおりだと思います。
 ところが世の中にはいろいろな考え方があるようです。
「馬から落馬する」は重言だけど、「暴れる馬から落馬する」ならOKという説も聞いたことがあります(さっぱり理解できませんが)。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
===========引用開始
「1)昔の武士の“強い”侍
2)“暴れる”馬から落馬した
3)桜の花が開花する
4)ノーベル賞を受賞する
5)高額の金を借金する
これって自然なの? 4)は言いかえがむずかしいからしかたがなく使うかもしれないが、ほかの4つはビキビキの重言だよ。簡単に避けられるんだから使う理由はない。」

↑本末転倒。避けられるから避けるのではなく、問題は「避ける理由があるかどうか(間違いかどうか)」のはずですが?

で、「賞を受賞する」は重複表現です。でも「ノーベル賞を受賞する」は重複表現(重言)ではありません。なぜなら、「受賞する」は「賞を受ける」という意味合いだから「賞を『賞を受ける』」では無駄に重なるから不自然なんです。でも「受賞する」に「ノーベル賞を受ける」という意味は内包していません。つまり構文上「『ノーベル賞』を受賞する」という構造で、ヲ格の対象が「賞の中のひとつ」に当たるから「受ける」より「受賞する」の方が動作としてより適切な表現になる、という仕組みなんです。

そして「ノーベル賞を受賞する」と「暴れる馬から落馬する」は構文上同じ繋がり方なので、論理的には「『暴れる馬から落馬する』は重複表現ではない」は真です。
===========引用終了

>日本語の表現を知らない人と言われても仕方ありません
 そのことを当方は〈「無神経な表現」「稚拙な表現」ぐらいに考えるのが妥当〉と書きました。
「間違い」でも「誤用」でもないと思います。

お礼日時:2021/10/10 20:04

お忘れかもしれませんが、重要なことなので再度確認させてください。



《「無神経な表現」「稚拙な表現」》は聞き手に不快感を与える表現。
《「間違い」「誤用」》は日本語として間違った表現。
と区分しますが、質問者さんの場合はどうですか?
その基準が不明確だと、

《「無神経な表現」「稚拙な表現」》ではあるが、《「間違い」「誤用」》ではない

とおっしゃる意味がわからなくなるので。
また、これに因んで、
「馬から落馬する」は重言であるが《「間違い」「誤用」》ではない、というご見解ですね?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

No.7〜No.10にかけて、少しずつ書きかえてはても同じようなことが書いてある気がします。しかの相当の長さになります。
 もう少しコメントをまとめていただかないと、返信のしようがありません。

お礼日時:2021/10/12 18:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報