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真田まさゆきは徳川撃退などの功績が大きくすごいなと思うのですが、
関ケ原以降はいかされたもののしょんぼりしてて真田紐程度で終わってしまってます。
ゲームやってると全国一くらいのあらゆる芸にたけたすごい武将ですぐにでも手に入れて
フル活用したい武将なのですが、なぜ引退後は大した活躍をしなくて、
徳川側も利用しなかったのでしょうか?
戦国の世が終わり太平の世になったらまさゆきは不要?戦国時代だからこそ有能だった人物?
引退後は真田紐以外は何かトライしたのでしょうか?
ま、高齢の時に引退し、病気がちだったらしく、病気と闘い続ける必要があり、政務どころではなかった
という話もちょい聞きますが。

A 回答 (4件)

真田昌幸、信繁は、信之と本多忠勝の懇願で死罪を免れ、九度山に


配流になりました。
真田昌幸が何らかの問題を起こせば真田信之が責任を問われ、真田家は
取り潰しになります、だから何にも出来ないのです。

徳川幕府は真田昌幸の智謀を恐れていたので、九度山の監視の目は厳重
そのものでした。
真田昌幸が亡くなったので監視の目を緩めました、真田信繁はたいした
事がないと思っていたのです、監視が緩んだ隙に大阪城に入城しました。
結果は御存知の通りです、「蛙の子は蛙」だったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。戦国ゲームで昌行がめちゃ能力高いのは運営がひいきしてるからでしょうか?当時の武将の中ではトップクラスの能力があったのでしょうか

お礼日時:2023/11/24 20:40

逸材でも、運が悪かったり時代に合わなかったりすれば花は咲かない。



乱世の頃なら、たとえ敗れても他の大名から仕官の話はあったと思う。
しかし、関ヶ原は天下分け目でありこの一戦で戦国は終わった。
以後は戦のない世界で武士は無用の長物。
大坂の陣などはあったが、大名対大名でなく残党狩りという方が実態を表している。

そういう時代にあえて「天下様に逆らった武将を雇おう」という大名はいない。
天下様だって、そういう人間を許していては天下のタガを緩めてしまう。

もし20年前に生まれていたら、起死回生もさらなる活躍の場も
あったかもしれない。
伊達政宗が「遅れてきた武将」と言われるように。

これは憶測だが、昌幸は小牧長久手のあと家康から離反している。
秀吉のとりなしで徳川家に帰参はしたが、家康の方でこれを忘れていなかったのかもしれない。
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戦いには


戦術レベル、作戦レベル、戦略レベルという階層・段階があり
それぞれ必要な能力が異なります

後世だいぶ脚色されている部分があると思いますが
戦術や作戦レベルでは相応の能力があったとは思えますが

でもそこまでであって戦略家ではないってことですね
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関ヶ原の時、徳川本隊を足止めした功で有名ですね。


真田の知略が勝ったのか、秀忠がアホだったのか、解釈はまちまち。
この時、一族が二つに分かれ、東軍西軍の両方についたのが、一番の処世術。
関ヶ原以後、九度山では一種の軟禁状態だったようです。真田幸村にいろいろな戦術を教えるのが、晩年のお仕事。
 軍師タイプの武将ということで、逸材だったでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/23 16:20

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