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なぜ現代語において二重敬語は疎まれがち、マナー違反とされるのでしょうか?
古く平安時代においては「御覧ぜらる」なんて風に敬語を重ねる最高敬語が使われていたわけですし、その後の時代でも「候ひ給ふ」とか使われていましたし、なんなら近代の候文でもずっと使われていた表現です。
なのになぜ、現代になっていきなり二重敬語なんて言って排除しようとするのでしょうか。

A 回答 (8件)

あまり意味のないくどい表現を避け、合理的な意識が主流となっているためです。



体系的な敬語の発達は膠着語という日本語の特性によるものですが、そうした言語の論理と封建制という身分意識が結び付き複雑化したものが、現在の合理主義的な発想により簡素化されています。■
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補足ですが、二重敬語と二方面の敬語の別がありますので、この点も意識なさるとよいと思います。

現代でも二方面の敬語は案外よく使われているのではないでしょうか。
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>なぜ、現代になっていきなり二重敬語なんて言って排除しようとするのでしょうか。


その認識は少し違います。二重敬語や最高敬語は武家政権になって敬遠と言うか排除されてきましたが、明治になって復古風潮の中で復活し戦前戦中は完全復活を遂げました。また現代は意図的に排除しようとしているのではなく、単に無意味な過剰さをうるさく感じる現代人の合理性の齎す結果に過ぎません。必要をお感じになるのであれば、お気に召すまま二重敬語をお使いになってはいかがでしょうか。
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言語にはある表現が長く使われているとしだいにその表現に慣れて物足りなくなり、さらに言葉を加えるなどして表現の強さを上げようとする現象があり、「言葉のインフレーション」と呼ばれます。



相手に失礼であることを極度に恐れ、礼儀正しく慎み深くあろうとする傾向の強い日本人は敬語にもこの現象が現れやすいようで、少しでも多く敬意を表現しようと敬語の付け足しが行われがちです。「します」でよいところでも「させていただいております」などと言うのもその例でしょう。

二重敬語の忌避がなければ多くの敬語を重ねるのが今よりもっと頻発すると想像できます。二重敬語をよくないとすることが、敬語の余計な付け足しに対する抑止という役割もあるのではないかと思います。
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身分制社会ではないので「最高敬語」のような過剰な敬語は必要ないでしょう。

現代社会に合ったシンプルな敬語が求められています。

マスコミの皇室記事でさえ過剰な敬語は使わないようになっています。

●『記者ハンドブック 新聞用字用語集 第14版』(共同通信社)
----- ここから -----
 皇室用語について
【皇室用語の扱い方】
1 皇室に対しては原則として敬語を使う。ただし過剰にならないよう注意し、特に二重敬語は使わない。敬語が多いと読みにくいので、第1文の最後の述語1カ所だけに使用する。長文の場合はケース・バイ・ケースで判断する。主語が未成年皇族の場合、敬語は不要。経過やズームに敬語は使わない。
 「お着きになる」「ご覧になる」など、お○○になる、ご○○になる―という敬語表現は使わない。
 〔例〕天皇陛下は美術館にお着きになり、所蔵の名画をご覧になった。引き続き工場をご視察され、社長から製造工程の説明をお受けになった。
  → 天皇陛下は美術館に到着し、所蔵の名画を鑑賞された。引き続き工場を視察し、社長から製造工程の説明を受けた。
2<以下略>
----- ここまで -----

------------

>なのになぜ、現代になっていきなり二重敬語なんて言って排除しようとするのでしょうか。

最新の「敬語の指針」でも一律に排除はしていませんね。あくまでシンプルにということです。

----- ここから -----
6 二つ以上の種類の敬語にわたる問題

(2) 「二重敬語」とその適否
  一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったものを「二重敬語」という。例えば,「お読みになられる」は,「読む」を「お読みになる」と尊敬語にした上で,更に尊敬語の「……れる」を加えたもので,二重敬語である。
  「二重敬語」は,一般に適切ではないとされている。ただし,語によっては,習慣として定着しているものもある。
 【習慣として定着している二重敬語の例】
  ・(尊敬語) お召し上がりになる,お見えになる
  ・(謙譲語Ⅰ)お伺いする,お伺いいたす,お伺い申し上げる

(3) 「敬語連結」とその適否
  二つ(以上)の語をそれぞれ敬語にして,接続助詞「て」でつなげたものは,上で言う「二重敬語」ではない。このようなものを,ここでは「敬語連結」と呼ぶことにする。例えば,「お読みになっていらっしゃる」は,「読んでいる」の「読む」を「お読みになる」に,「いる」を「いらっしゃる」にしてつなげたものである。つまり,「読む」「いる」という二つの語をそれぞれ別々に敬語(この場合は尊敬語)にしてつなげたものなので,「二重敬語」には当たらず,「敬語連結」に当たる。
  「敬語連結」は,多少の冗長感が生じる場合もあるが,個々の敬語の使い方が適切であり,かつ敬語同士の結び付きに意味的な不合理がない限りは,基本的に許容されるものである。

 【許容される敬語連結の例】
  ・お読みになっていらっしゃる
   (上述。「読んでいる」の「読む」「いる」をそれぞれ別々に尊敬語にしたもの。)
  ・お読みになってくださる
   (「読んでくれる」の「読む」「くれる」をそれぞれ別々に尊敬語にしたもの。)
  ・お読みになっていただく
   (「読んでもらう」の「読む」を尊敬語に,「もらう」を謙譲語Ⅰにしたもの。尊敬語と謙譲語Ⅰの連結であるが,立てる対象が一致しているので,意味的に不合理はなく,許容される。)
  ・御案内してさしあげる
   (「案内してあげる」の「案内する」「あげる」をそれぞれ別々に謙譲語Ⅰにしたもの。)

 【不適切な敬語連結の例】
  ・伺ってくださる・伺っていただく
   <略>
  ・御案内してくださる・御案内していただく
   <略>
----- ここまで -----
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「現代になったから」でしょう。



平安時代まで遡らずとも、WWⅡの敗戦以前は、二重敬語や三重敬語もアリで、特に天皇陛下への最高敬語は、終戦あたりまでがピークだったかも知れません。

それが昭和27年に、現在の文化審議会国語分科会の前身である国語審議会の答申(「これからの敬語」)において、「二重敬語は過剰」とされ、現在まで踏襲されています。

その背景は、WWⅡの敗戦により、日本は本格的な民主化に舵を切ったからです。
すなわち、天皇陛下は神ではなくなり、貴族(華族)などの特権階級も廃止されて、国民は基本、平等になったわけで。
その結果、「過剰な敬語はやめよう(使うべきではない)」となりました。

従い、言語学的に二重敬語がダメな理由とか、言語的に間違いとする根拠はありませんし。
どちらかと言えば、戦後の政治的な理由から、国語的にも「やめよう」と言う流れになって、その考え方が受け入れられ、定着したと言えます。
ただ、受入れられ定着した時点からは、「現代国語のルール」ではあります。

その反面、現在でも、天皇陛下や皇室に対しては、最高敬語も許容されると言う考え方が主流と思います。

やや余談ながら、天皇陛下のみの一人称である「朕」とか、貴人などが使う一人称の「余」なども、戦後は使われなくなりましたね。
一人称がメチャクチャ多いのは、日本語の面白い特徴と思いますので、ちょっと残念です。
もっとも昭和天皇は、普段は「私」などと仰っていたそうですが。
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マスコミが都合の良い情報ばかり流して洗脳しようとするように、


そういう価値観で洗脳しようとする人々がいるからでは
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謙譲語のことを動作の受け手への敬意ではなくて


動作主≒話者がへりくだる言葉として学校で教えていたからだと思います。

最近になってようやく謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱとして区別するようになったようですが、
今の大人世代でそれを意識して区別している人はほとんどいないでしょう。

平安時代の文学も近代の候文も一部の知識人の文章なわけで、
読み書きが一般庶民のものになった現代においては
謙譲+尊敬は難解過ぎるのだと思います。
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