とっておきの手土産を教えて

古事記・日本書紀を読んで思います。
百歳を超えるとかいう古代天皇が沢山出てきます。
おかしいなあ。生まれた時と死んだときの差は計算で分かるよね。
どうして、それより大きな数値で載せるの。
出来るわけないよね。
2倍暦?
それ逃げですよね。
2で割って本当に解決できるの。苦し紛れの方便じゃないの?

だって同じ人でしょう。
書物によってどうして数値ばらばらなの。
同じ数値にしなかったの?

暗号とか?

火のない所に煙は立たない。

誰にも親はいる。

ならば載っている上、謎解き挑戦は学者の挑戦的使命でしょう。

いや、そんな人いないんですよ。
いないと辻褄合わないよ。


さあ、この先の意見をお聞かせください。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (9件)

たとえば、



初代:神武天皇
誕生:庚午年1月1日庚辰
   (紀元前711年2月13日)
崩御:神武天皇76年3月11日
   (紀元前585年4月9日)
   (127歳没)

確認できるさまざま史料を総合すると、前記のようになると推定される。というだけです。古い時代の話を一般的に「神話」と言います。正確な事実だとは誰も言っていないはず。

個々の史料も、正しいか間違っているか証明できないことも多い。文字のない時代のことは、様々な人びとが記憶に基づいて語り継いできたものです。後世の人が聞き取って文字に残した。記憶の誤り、書き写しの誤りなどがたくさんあるはず。
あれこれ寄せ集めて突き合わせると辻褄が合わないことも多い。
確認したくても情報が残っていなければ確認のしようがない。

現時点の「歴史」は、先人の研究成果を積み上げたものです。

今後、未発見の信頼できる史料が見つかれば、歴史が塗り替えられる可能性は十分あります。

ぜひ歴史学者になって挑戦してください。後世に名を残せるでしょう。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2024/09/15 17:41

乙巳の変の時に曽我蝦夷が収集していた、古文書を倉庫ごと燃やしたので


口述で伝承されている事柄で古事記を編纂するしかなかった。
古事記は物語なので空白が有ってもの宜しいのですが、日本書紀も同様な
状況での編纂なのですが正規の国史であるので空白は許されないので、
各天皇の寿命を長くしたのでしょう。
当時、編纂に携わっていた官吏達も空白を埋めるべく奔走した事でしょうが
どうしようもなかったのでしょう。

江戸時代に成って賀茂真淵や本居宣長らが挑みましたが壁が厚く越えられ
られませんでした。
古事記の写本で最古の物とされている鎌倉時代の写し真福寺本『古事記』
は本居宣長の弟子が発見した物です。

天皇陵墓とされる古墳の調査をすれば、新しい展開になるかも知れませんが
宮内庁が許可しませんし、更に国民の中にも墓を暴く行為に違和感を
持つ人も少なからずいますから難しいかと。

>謎解き挑戦は学者の挑戦的使命でしょう。
これは無理と言う物です、オリンピックや万博にお金を使っても、
遺跡や歴史の調査の予算は極少です、個人の熱意だけでは、これ以上の
事は望め無いでしょう。
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東京タワーが建てられた頃、南極観測が予算不足で頓挫する処でしたが、
東京の小学校(名称は失念)が空き瓶を集めて、お金を文部省に寄付
した事が新聞に掲載されて、全国に飛び火しました、北海道の山奥の
小学校の校庭が空き瓶で埋まりました、これがきっかけで文部省を
動かし南極観測隊の派遣が決定しました。

金の亡者の国会議員には望めないので、我らの祖先を知りたいと
国民が動かないと、宮内庁は動かないでしょう。
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この回答へのお礼

助かりました

お礼日時:2024/09/16 16:44

辛酉革命の考えが入ってきていたため、という説があります。

辛酉革命というのは、中国で辛酉の年に革命が起こりやすいというもので、これに誰かが言った21周期つまり 60x21=1260年で大革命が起きる、という考えが当時の日本に受け入れられていたようです。
それで西暦601年の辛酉の年を基準に、その1260年前の辛酉の年が神武天皇の即位、つまり日本の国が出来た年だ、というシナリオをつくって、これに合うように日本書紀の記述を引き延ばした結果、天皇の寿命が化け物のように長いものとなったw、というのが現在に一番受け入れられている説だと思います。
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この回答へのお礼

助かりました

お礼日時:2024/09/16 16:43

中国の歴史に対抗して水増しする必要があったからです。


崇神天皇こと御肇国天皇の業績を二つに分けて、その間に8人の架空の天皇を挟み込んだのです。それだけでは足りないので、年齢を荒唐無稽に伸ばしたのです。
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この回答へのお礼

Thank you

そういう説ありますね。
でも信じない方がいいですよ。
まあ、いずれも実在説が挙がっています。
裏があるらしい。
架空ではなく、卑弥呼の父の可能性のある人もいるらしい。

お礼日時:2024/09/15 20:14

神武天皇は3人いたという説があります。


初代、二代目、三代目とね。まるで歌舞伎役者みたいですけどね。だから初代〜三代目で127年かもしれないという説の様です。
まだ、色々な統治システムが整備される前ですし、また当時の人も神武天皇とは呼んでなかったですしね。それにそもそも神武天皇の呼称は8世紀半ばにつけられましたから。
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この回答へのお礼

Thank you

神武の称号はどうせ、オウミミフネが作ったもの。
後世の諡号。

3代に分ける。

面白い説ね。

残念ながら、誇大数値で小さくできる秘法あると思っています。
まあ、知らぬが佛の陰謀だろうなあ。

お礼日時:2024/09/15 16:51

昔の人は(今の人も同じだけど)、自分の手の指の数「10」より大きくなると、「いっぱい」となって数えられないんですよ。



「11」も「100」も「500」も、「いっぱい」で同じようなものなのです。「いっぱい」なので、細かいことにはこだわらない。
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この回答へのお礼

Thank you

お礼日時:2024/09/15 17:41

昔は、人間の寿命が長かったのでしょう。


聖書に登場する人物の寿命も長いですからね。
その後、遺伝子操作されることによって、人間の老化を操作することで、寿命が短くなったのでしょう。
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この回答へのお礼

うーん・・・

お礼日時:2024/09/15 15:26

記紀は歴史書ではなく、神話です。


ギリシア・ローマ神話に出てくる神々の年齢を気にする人が居ないのと、同じ事なんですよ。
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この回答へのお礼

うーん・・・

お礼日時:2024/09/15 15:24

そういった天皇は伝説上の人物で、実在したことを証明できるものはありません。

 『古事記』の撰者である天武天皇の皇子の舎人親王や、『日本書紀』をまとめ上げた「稗田阿礼」と「太安万侶」らの創作であると考えられています。 実在したことが確認できるのは第21代天皇である雄略天皇以降です。
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この回答へのお礼

うーん・・・

>「『古事記』の撰者である天武天皇の皇子の舎人親王や、『日本書紀』をまとめ上げた「稗田阿礼」と「太安万侶」らの創作であると考えられています」

これ逆じゃないかな。古事記が稗田と太安万侶

>「そういった天皇は伝説上の人物で、実在したことを証明できるものはありません。」
でもいたから載っているのですよね。
>「実在したことが確認できるのは第21代天皇である雄略天皇以降です。」

親は居ますよね。
どうして否定。

まだ未発見なのでは?

お礼日時:2024/09/15 15:24

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