初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

なんでこういう数列の極限の問題では毎回収束することを示しって書いてあるのでしょうか。極限値を求めよだけ書いてあっても収束は示すとおもうので問題文に書く必要はないのではとおもいます

「なんでこういう数列の極限の問題では毎回収」の質問画像

A 回答 (11件中1~10件)

f(x)=√(2x+1)



x=√(2x+1)≧0
x^2=2x+1
x^2-2x=1
(x-1)^2=2
x-1≧-1だから
x-1=√2
x=1+√2

f(x)=xの解は

α=1+√2

1-√2 はf(x)=xの解ではありません 

2>√2
だから
a(1)=3>1+√2=α
ある自然数nに対して
a(n)>α
と仮定すると
2a(n)+1>2α+1=α^2
a(n+1)=√{2a(n)+1}>α
だから
すべての自然数nに対して
a(n)>α

2<1+√2=α=√(2α+1)<√{2a(n)+1}
4<α+√{2a(n)+1}

a(n+1)-α
=√{2a(n)+1}-α
=2{a(n)-α}/(√{2a(n)+1}+α)<{a(n)-α}/2

α=1+√2
のとき
a(n+1)-α<(1/2){a(n)-α}

成り立つけれども

α=1-√2
のとき
a(2)-α=a(2)-1+√2=√7-1+√2>3>2>(2+√2)/2={a(1)-1+√2}/2={a(1)-α}/2
だから
a(n+1)-α<(1/2){a(n)-α}

成り立たないから
1-√2 には収束しない

極限値は α=1+√2
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数学ではその値が存在すると仮定すると値が求まるけど、実は値が存在しないというのはわりとよくあります。


なので、値の計算と値の存在証明はセットにしなさいと、大学では口酸っぱく指導されます。

高校では教え無いけど、
これは数学の初学者が知るべきとても大事な常識のひとつだから
常に頭に置いておこう。
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> 0<an<pでn→∞のときp→0


> よって挟み撃ちの原理よりlim(n→∞)an=0
> としてよいのでしょうか。
> この場合、~は収束しと記述していません。

おいおい。

> 定理の文言の中に、lim a(n), lim c(n) の収束を仮定することと
> lim b(n) が収束すると結論できること が既に含まれています。
> この定理を使ったなら、その時点で
> 「収束し... 」に言及したことになりますね。

と書いた回答へ、その追加質問を付けてるのは、
いくら何でもひどすぎる。
説明を聞く気が無いの?

雰囲気で式を変形するだけじゃなくて、
きちんと形式的に考えなきゃ。数学なんだから。
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>的なことをかかなくてもこの解き方で


>挟み撃ちの原理より極限はこれ、とやってしまうのはだめなんですか、

挟み撃ちは収束判定を含まないと思ってる?
立派な収束判定ですよ。答えも一緒に出るだけ。

ひょっとしてそういうことを考えたことが無い?

考え方が妙に形式的で結構やばいと思う。よく考えよう。
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この回答へのお礼

その収束判定というものをする理由がよくわかりません。
求められているってことは収束しているってことじゃないんですか

お礼日時:2024/09/27 01:39

> 収束し... 的なことをかかなくても この解き方で


> 挟み撃ちの原理より極限はこれ、とやってしまうのはだめなんですか

ハサミウチの定理とは、 ∀n, a(n) ≦ b(n) ≦ c(n) かつ
lim a(n) = lim c(n) = L が成り立つとき
lim b(n) = L である ということです。

定理の文言の中に、lim a(n), lim c(n) の収束を仮定することと
lim b(n) が収束すると結論できること が既に含まれています。
この定理を使ったなら、その時点で
「収束し... 」に言及したことになりますね。

今まで、そういう事を気にせずに、式変形ごっこに熱中してたんですか?
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この回答へのお礼

一旦ぼくの質問を整理します。今回の問題のように収束することを示し~ということがかかれなかったとき、たとえば最後の式が下のような形なら
0<an<pでn→∞のときp→0
よって挟み撃ちの原理よりlim(n→∞)an=0
としてよいのでしょうか。
この場合、~は収束しと記述していません。ぼくがきになったのはこういう記述がいるのかと言うことです

お礼日時:2024/09/27 01:46

まあ、極限値を求める問題で、収束の判定を答えに書かないということは普通無いと思うけど、指示しないと過程をかかずに答だけ書く人がいてもめるかもしれない。


答えに何を書くべきか明確に問題に書いておくのは悪くない親切な書き方だし、採点基準も明確になると思う。何でもミニマルに書く必要ないし。

それとも数学ではなんでもミニマルでないと許されないと考えてる???
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この回答へのお礼

収束性はなぜのべないといけないのでしょうか。
たとえば数列の一般項ではなにものべずにすぐ極限を出しています。ではこの問題では、~はたしかに収束し...
的なことをかかなくてもこの解き方で挟み撃ちの原理より極限はこれ、とやってしまうのはだめなんですか、

お礼日時:2024/09/26 16:44

親切なんでしょ?


「極限値を求めよ」だけ書いてあっても、収束性を述べなければならない
ことは、あまりにも当然ですが、高校の授業内容からいって、そういうことを
ちゃんと習っていない計算屋の高校生もいる。教科書の内容が悲惨だからね。
そんな子達に、収束性を示さにゃ満点じゃないよ...というヒントを与えている
んだと思いますよ。

あるいは、これはあまり考えたくないことだけれど、ひょっとしたら、
問題文に「収束性を示せ」と書いてないと、極限値の値は合ってるのに
減点をくらうのは不当とクレームいれる馬鹿がいたり、その手の言い分を認めて
しまう大馬鹿が世の中にいたりする時代が、既にきてしまっているのかもしれない。
学生生徒の質、親の質と並んで、近年は教育関係者の質の劣化も著しいから。
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この回答へのお礼

収束性はなぜのべないといけないのでしょうか。
たとえば数列の一般項ではなにものべずにすぐ極限を出しています。ではこの問題では、~はたしかに収束し...
的なことをかかなくてもこの解き方で挟み撃ちの原理より極限はこれ、とやってしまうのはだめなんですか、

お礼日時:2024/09/26 16:44

0<a n - α < (1/2)^n-1 (a 1 -α) →0 (n→∞)  


a 1-α=3-(1±√2)>0 であり 挟み撃ちの定理から
∴ 極限値=α =1±√2

に訂正します
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この問題では極限値を求めることと収束を示すことは同時に


できます。

設問として、「極限値を求めよ」でも構わない。この場合、今回と
違って極限値の候補が設定ではないときは、先に収束を示さないと
極限値が求められない場合がある。収束しないときは、解答として
は「発散する」とか「極限値は無い」とかになる。

なお、f(x)=xの解は2つあるので、設問が杜撰です。
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極限値を求める際は 収束することを示して求めるのだし蛇足のようですが


 収束することを明示することで 安心して極限値を求められるという意味と思います
0<a n - α < (1/2)^n-1 (a 1 -α) →0 (n→∞)  ∴ 極限値=0
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