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「脳死は人の死か」という問題で学校でディベートをすることになりました。肯定側の方が勝利するには有利だと思うのですが、否定側になってしまいました。
否定側で勝つためのポイント等教えていただければ嬉しいのですが・・・。

A 回答 (3件)

そのディベートは明らかに否定側が有利だと思うな。


脳死(心臓死でも同じですが)というのは、かなり便宜的なものですよ。
生物の死というのは、ある一定の時間の中で完結するプロセスなんです。
一瞬で完結するものではなく、死にゆく経過の中の一つの現象として、心臓が止まったり、脳波が平坦になったりするだけです。
細胞レベルでみれば、脳死の段階で個々の細胞が死んでいないのは明らかだし、心臓が停止し血流が止まったとしても、すぐに全ての細胞が死ぬ訳ではない。
個々の多くの細胞が協調して合目的的に一つの統合としての生命体を形成しているので、その協調が破綻し死への過程を辿りはじめたとしても、どこがその不可逆的なポイントかを見極めることはじつは難しいことです。
だから、社会的、制度的にはあるポイントを定めてそれを死の判定としているだけなのです。
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「脳死」と「臓器移植」を絡めると論理の中に感情が入ってしまい不利になりますので、


冒頭で臓器移植を念頭に置かないで純粋に「脳死=人の死」の論理性だけで
ディベートを行いたい、と伝えると良いかもしれません。

話をそこに限定できるなら勝てると思います。

面白そうなので、経過など後で教えてください。
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現在の技術で可能な脳波測定や反射テストだけで、完全に脳の機能が停止していると証明できることを前提の脳死判定は、前提に間違いがあるのではないか。

と言うことを出してみてはどうですか?

現在の測定技術と観察による脳死というのは、実は「外界とのコミュニケーションが取れないだけの『社会的死』、あるいは脳の活動を外部から観測できない『技術的未熟』を、生物学的な死と置き換えている欺瞞である」可能性を否定できないと言う論点から進めてみるのも面白いかと。思います。
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