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自称人工知能プログラム「ELIZA」の論文を読んでいるんですが、あまりに難解で完全に意味不明な文章があり、頭を抱えています。

Like the Eliza of Pygmalion fame, it can be made to appear even more civilized, the relation of appearance to reality, however, remaining in the domain of the playwright

 このプログラムがどういうものかを説明する文で、イライザという名前の由来を語っているようなのですが、最初の「ピグマリオン神話のイライザになぞらえて(のように)~」という文以降がさっぱり分かりません。
 なんとか、意味の通る和訳、もしくはその解説だけでも構いません。ご助力をお願いします。


なお、イライザはピグマリオンではなくマイフェアレディだよ、という突っ込みはナシでお願いします(汗)。

A 回答 (13件中1~10件)

Yutaさん、色々混乱させてしまいましてすみません。

(また、URLの件については、そのような規定を知らず、失礼な物言いをしてしまい、ごめんなさい。)自分の力では歯が立たないので、遂に大学教授のNative Speakerに聞きました。そのご報告です。うまく説明できるかわかりませんが、やってみますね。

まず、ご質問の部分の大意としては

「ピグマリオンで知られるElizaのように、人工知能ELIZAも、外見をもっと洗練(教化)されたものにすることができる。しかし、外見と現実の関係は、(G.B.S.の劇とは異なり)、the playwright の領分に留まっている」

あはは、これでは何のことかよくわかりませんね。つまり、G.B.S.の劇では、audience に外見と現実との関係(ギャップがあること)が示されているのとは異なり、人工知能ELIZAの場合、このギャップはthe playwright すなわち人工知能の開発者にしかわからない(この開発者は、このギャップをわざと明示しない)ということだそうです。

それから、Akatoraさんの質問 "fame"についてですが、

xxx of zzz fame は、famous because of zzz (この場合は、Eliza famous from (of) the play Pygmalion) からきているとの事でした。
例えば、
Q-chan of Olympic fame
(somebody) of Holywood fame

おまけとして、この論文の作者は、ちょっとpatronizing. 自分がwittyだとちょっと鼻にかけている。Pygmalionの引用もちょっと強引。Elizaの反対だ、と感想を述べていました。

何だかわかったようでよくわかっていない私ですが、とりあえずここまで。Yutaさん、また一緒に勉強させてください。
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この回答へのお礼

 まずは最後までおつきあいいただいたことに感謝したいと思います。

 さて、さすがはNative Speakerさんのお話やあらん、といったところで、実にスマートで意味の通る訳文ですね!
 実際の訳としては、僕が最後にまとめた意味合いがなんとか似通っていたようで安心しました。結局、realityはSingolloさんの通り「ギャップ」だったわけですね。
 そしてこれもまたSingolloさんの仰る通り、「the relation」の前に省略されていた(敢えて省略していた?何よりこれが元凶でした)言葉はつまり、

 showing

ですね。ああ、長かったですね(涙)。
 で、原文に略されていた言葉を付け足すと、

Like the Eliza of Pygmalion fame, it can be made to appear even more civilized,
(whether to show) the relation of appearance to reality,
however, (is) remaining in the domain of the playwright.

ピグマリオンで知られるElizaのように、ELIZAも、外見をもっと洗練されたものにすることができる。しかし、外見と現実のギャップを明示するか否かは、the playwright の領分に留まっている


ということでほぼ間違いないと思います。細かい点に気になったら、それこそ著者自身に聞かないとわかりませんけどね(汗)。

 最後に、Native Speakerさんの仰るようにELIZAに関する論文は悪名高いことで有名です。概略の部分から言い訳がましいことを述べ、導入の部分でも「他の人工知能プログラムは大したことはないが、このELIZAは違う」などということを堂々と書いています。いろいろな意味で有名な論文なんだそうです(笑)。

 というわけで、これで結論が出たということでこの質問を締め切らせていただきたいと思います。
 結局のところやはり非常に難解な文章ではありましたが、皆さんの鋭いご意見のおかげでようやくこの文章の意味がおおよそ掴めましたことに、心よりの感謝の意を述べたいと思います。最後までおつきあいいただき本当にありがとうございました。またいつかご助力を願いたい時には、なにとぞよろしくお願いします。


PS. Yutaではなく、実はYuyaだったんです(笑)。

お礼日時:2002/10/10 15:27

Like the Eliza of Pygmalion fameは~civilizedまでではなく、~the playwrightまでの文全体にかかっていると思います


PygmalionのElizaが外面的にはヒギンズに教育されたように、プログラムのElizaもユーザーによって見かけ上は教育されます
しかしながら、PygmalionのElizaの内面が結局ヒギンズの嵌め込もうとした外面の型には納まらなかったように、プログラムのElizaの実体も決して外面通りの知性を持つわけではなく、この外見と実体の乖離という関係は、どちらのElizaにおいても、教師たるヒギンズ/ユーザーの思い通りにはならず、GBS/プログラマの領分に留まる、すなわち、GBS/プログラマの意図した通り、乖離したままである、ということではないでしょうか
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この回答へのお礼

 仰る内容は、どうやら僕しかり皆さんの理解しているところとほぼ共通しているみたいですね。
 ですがちょっと道がそれていまして、最後の結論の「乖離したままである」というところで、その続きとして、「乖離性」をユーザに対し明らかにするか否かはプログラマの領分に留まる、という意味合いになる、そうです。僕もその意味には納得できますが、真意はわかりません(笑)。
 ですが、Singolloさんのご意見は鋭いものばかりで、結論への到達への重要な足がかりとなりました。ここで一方的に論議を終了させていただくことが非常に心苦しいところではありますが、あしからずご了承下さい。
 次の機会には、ぜひまたのご助力をお願いいたします。非常に貴重なご意見を下さり、まことにありがとうございました。

お礼日時:2002/10/10 15:39

 (^^; (みんな難しく考え過ぎじゃない?akatora さんから苦情が入ったようで、akatora さんを相手にできるとは光栄です。

よろしいです。受けて立ちましょう。弱いものいじめはしないけど、相手は強いほど面白いです。また、納得できる説明があれば、何時でも意見を引っ込める用意があります。)

 先ず、the playwright を the programmer 、つまり特定のプログラマーとしてみましょう。これはELIZA の作者ということになります。すると、そのプログラマーの意のままに見せかけも中身も変えられるという事になって、今の解析システムの欠陥を言っているこの文書の趣旨と矛盾します。

 次に、任意のプログラマー(= a programmer )としてみましょう。これは、この部分だけでは中身を意のままに変えられるとはしても良いですが、先のほうでELIZAそのものを問題にしていますから、ELIZAの作者以外のものが変えられる事になってこれもおかしいです。

 それに何よりもこの考え方は、however の存在を軽く見過ぎています。これこれは可能だけれども、これはできない。となるべきで、これこれは可能だけれども、これもできる。となるのはおかしいです。

 ここは、是非とも、否定的な意味合いが来なければいけません。

 それと、boris さんの解釈についてですが、これは、要するに

 users = one of users = a teacher = the playwright と解して良いでしょうか?

 すると、ELIZAを使用するものが雰囲気を作り上げ、何でも思いのままにできるのだとなって、この文章の意味がありません。

 akatora さんが fame の何を問題にしてらっしゃるのかよく分からないのですが、fame = the state of being famous ですので、要するに ELIZA famous for Pygmarion で良いのではないでしょうか。イライザと言うのはそう珍しいものでないので、ここで、他ならぬ「戯曲ピグマリオンで有名なイライザ」と同じく、とやって伏線を張っているわけです。このイライザと同じようにプログラム・イライザも教育されるわけです。

 ここで、少し老婆心で、((^~; 腰が曲がった感じ。もともと、わたしゃそう親切じゃないんだけど?)

 relation には言及という意味はありません。

 make relation to A これでやっと、Aに関係を作るで、言及する。のようになるだけです。

 remain 自体に、~にかかる、~に依る。の意味はありません。

 あくまでも、残る、留まるの意味で

 remain in the charge of his mother でやっと、管理されているの意味になるのです。つまりある対象に残った結果意のままにされるのです。

 ここのとこ、お分かりか?できれば、良い英英辞典で基本的な意味を押さえるように。((^~; 老婆心!)

 さて、もう一つ

 domain これは、所有権、所有地ですね。とりあえず余計な事は考えずにここに、relation が残ると意識しましょう。

 真実に対する見せかけの関係が、劇作家の所有地(所有権)に残ったままになる。んですね。

 ここで、先ほどの

 他ならぬ「戯曲ピグマリオンで有名なイライザ」と同じようにプログラム・イライザも教育されるのですが、この教育された結果が見せかけですね。真実とは少なくともこれと裏腹のものですね。(おそらく見かけ上人間らしく見えるけども内実は単純な思考プロセスだってことでしょうね?)

 ここまでは良いですね。ところが( however )、見せかけの真実に対する関係は、

 劇作家の所有地に残る

 ここに、ピグマリオンとあって、劇作家と来たら、先ず G.B.S.を思い浮かべないでしょうか?あくまで劇作家が先にあって、その後にプログラマーを含むのなら分かります。however によって、 can be の逆の事を言おうとするのです。ここで、プログラム・イライザは切り離されてしまいます。

 見かけが、つまり、教育が真実に関係し得たのは戯曲のなかのイライザだけです。プログラム・イライザはいくら教育しても本質に影響を与えません。いくら学習させても内実であるところのプログラムはそのままです。要するに、however で切り離す事によって、プログラム・イライザは見せかけと内実は全く関係が無いことを言うのです。

 したがって、the relation of appearance to reality (見せかけが内実に関係があることは・・・(^^;( おお、はっきりして来た。))は、戯曲のイライザに付いて言うのです。

 ここまで来れば、劇作家の所有地とは何なのか、もう分かりますよね。劇作家はジョージ・バーナード・ショウで所有地はピグマリオンですね。イライザはショウの所有地に居るんですね。そこに留まったままなんですね。

 一方、however で切り離されたプログラム・イライザはここには居ないんですね。途中まで戯曲のイライザと同じように教育されたプログラムのイライザは、ここで同じようにできなくなったんですね。当然ですね、もともと、見せかけ(学習機能)と内実(解析プログラム)の関係、つまり相互発達はありえないんですね。人間は学習する事によって内面までいつのまにか成長するんですね。解析プログラム自体もいつのまにか書きかえられるんですね。

 全ては、ショウの戯曲の中だけのお話でした。

 (^^;; (ああ、疲れた。素直に読めば良いものを。)

 (^^; (何という深み!)

P.S.

 (^^; (おや、boris さん応援を頼んだようですね。負けても良いんだけど、それでは、説明不足。確かに、 the playwright = the programmer で仕組みを隠している。でも意味はとおりますね。思ったより難解だったのかな?読みすぎは私の方かな?でも、・・・)
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補足を読ませていただきました。

’the relation’ 云々の部分を「~への言及」とするのは誤訳だと思います。

質問者のYTさんは単純に理解すべきところを難しく頭の中でこねくり回しているような印象をうけました。

>英語に戻ると、ここは「relation of A to B」を「AのBとの関係」とそのまま訳すのではなく、むしろこれは単に「relation between A and B」と意味としては同じなのではないか、と感じたわけです。

これは理解できませんでした。結局、ふたつとも同じですから「AとBの関係」でしかありません。「ぼくと叔父の関係」を、「ぼくが叔父に言及すること」とか「ぼくが叔父さんのことを話題にすること」には、いくらなんでもなりえません。

「外見と中身」といえば、日本語ワープロが出始めたころ「『にわにはにわにわとりがいる』をちゃんと変換できる!」とのうたい文句で売り出したプログラム?でも、「実態」は「にはにはさんわにはとりがいる」を変換できないものもあったとか…。

また、作者は「AとBの関係をこれこれのように操作したい」とは一切言っていません。単純に「外見と中身は違う」といっているだけです。しいて著者の真意をさぐれば、「外見に重点を置くプログラマーもいるだろうが、見た目だけ飾り立ても意味はないから、わたしはプログラムの中身で勝負したいところだ」でしょう。

さらに、’the playwright’ の ‘the’ によって バナード・ショーを指しているとのご意見がありますが、これも間違いだと思います。単に「(プログラム)作成者」のことです。

ところで、だれかー、’fame’ がなんなのか教えてくださーい! (なんだかチャットルームみたいになってきたなあ。そろそろ引き揚げます。)

この回答への補足

少々意味の伝達に相違があるようでしたので補正のみさせていただくことにします。

>「relation of A to B」
 これは「AとBの関係」を指すものであって、A、Bどちらかに重心を置くと多少ニュアンスに語弊が出る・・・という意味での説明でした。ですからもちろん「ぼくが叔父さんのことを話題にすること」にはなりません。その場合、ここでは「『僕と叔父との関係』を言及すること」という訳の取り方になります。

>操作
 この点に関しては、あくまでdomainという言葉から副次的な意味合いで出たものであって、handleするといったニュアンスでborisさんが使われたものではありません。ここではfeelのような意味合いで読みとるべきでしょう。

 ご回答いただけることは何よりなのですが、意見に付随したその論理的な理由がないと、こちらとしても返答のしようがありません。ぜひ、なぜそう言えるのかという根拠の記述を一緒にお願いします。

補足日時:2002/10/10 14:36
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 boris さん、ありがとう。

本当に危険ですよね?今までも間違った判断や、中途半端な思いこみのままで、締め切られた物が山のようにあるでしょうね。

 確かに少し上まで出してくれてれば、何の迷いも無いところですね。イライザの名前は学習機能の優秀さを強調するためにつけられたのですね。つまり、ユーザーが教師になって、イライザを教化( civilized ) する訳ですね。これに appear がかかってますから、学習機能によってイライザの見せかけが良くなるってことは明らかです。

 そこで、先にこの現実のプログラム(文章解析システム)がいかに貧弱なものかを述べていますから。これが、reality ですね。うまくしゃべっているようでも人間の考え方じゃないんですね。

 結論としては、下に述べた事とそう変わらないんですが、ただ、boris さんには悪いけど、「作家の胸算用ではあるが」、と言うのは不可です。akatora さんはまだ見てないのだからやむを得ないです。

 でも、boris さんは自分で言ってるじゃないですか。the plawright って特定の作家でしょう。そうです、G.B.S. です。したがって、ここの部分の訳は、見てくれと現実との関係はこの作家(G.B.S.)の領域に留まったままなのである。

 つまり、この作家の領域においてのみ現実と見せかけが一致したのです。

 ここが、playwrights or a playwright とか書いてあれば、それでも良いかもしれませんが、ここでは明らかにG.B.S. が示されています。それに、胸算用次第という訳ではプログラマーによって人工知能がいくらでも人間に近づけるという印象を与えてしまいます。実際はいかにこのシステムが貧弱なのか、先に書いてありますから、工夫次第でプログラマーがどうにでもできると言う言い方は不適切です。

 現実のELIZAは人形のままなのですから。(ごめんね!boris さん。(^^; 別に恩をあだで返してるわけじゃ?わたしゃどうも言い方が悪いらしくて?)

この回答への補足

問題の段落をこちらで引用させていただきましたことをご了承下さい。
最後の文が問題となっている部分です。

ELIZA is a program which makes natural language conversation with a computer possible. Its present implementation is on the MAC time-sharing system at MIT. It is written in MAD-SLIP [4] for the IBM 7094. Its name was chosen to emphasize that it may be incrementally improved by its users, since its language abilities may be continually improved by a "teacher". Like the Eliza of Pygmalion fame, it can be made to appear even more civilized, the relation of appearance to reality, however, remaining in the domain of the playwright.

補足日時:2002/10/09 18:44
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こんにちは。

先ほどは失礼しました。MITの論文を拾い読みしました。

まず、イライザ云々のくだりは、話の結末の事を指しているのではなくて、イライザが実際には無教養な花売り娘なのに、貴婦人として通している(すなわち外見が与える印象と実態との乖離)部分を指しているものと思われます。世間の人が「ピグマリオン」と聞いてピンとくるのは、外見と中身の喰い違いのおかしさ、ということだと思うので、この文の作者が読み手に喚起しようとしているのは、実際にレディーになった、というような人間性云々のことではなくて、単に外見と実態との喰い違いのことに過ぎないと思います。

それから、remaining in the domain of the playwright の部分ですが、ここでは the playwright と限定されていて、(the) playwrights にはなっていないので、一般の劇作家たち、という意味あいにはならないと思います。

このプログラムは、人間と機械が普通の言葉で会話するプログラムですね。で論文を斜め読みすると、人間の話し手とコンピュータとの間のやりとりの例があり、人間にはまるでELZAが話の内容を理解して受け答えているかのように思えるけれど、実はELIZAは人間がタイプ入力した文章のキーワードや文脈を解析して、受け答えを構築し、あたかも精神分析医の口調で話を進めていっていることがわかります。

最後のdiscussionのところを読むと、一番わかりやすいと思います。
"I went for a long boat ride" と話し手(人間)が入力すると、ELIZAは "Tell me about boats"と答えます。ここで、話し手は、相手がボートのことを全く知らないものとは受け取らず、話を導くためにそう答えたのだとみなします。このような想定は完全に話し手の側の行為です。

そこで、Akatoraさんの訳でバッチリだと思います:

「マイ・フェア・レディ」のイライザよろしく、外見をもっと洗練されたものにすることもできる。しかし、外見と現実の関係は、作家の胸算用次第ではあるが。

解釈ですが、人間とコンピュータ(ELIZA)の会話の内容をより洗練されたものにすることもできるけれど、その外見(どれだけ人間にとって正しくELIZAが反応するか)と実態(ELIZAは内容を理解しているのではなく、解析、構築を行っているだけ)との関係の操作は、会話を導きかつ理解する人間(会話シーンのplaywright)にかかっているのだ。

ということでどうでしょうか?

この回答への補足

 貴重なお時間を割いて下さりまことにありがとうございます。少々話が込み入っているので、こちらborisへの補足説明でみなさんへの返答とさせて下さい。

 全文が書かれているURLを掲載したかったんですが、質問者には参考URLを提示する権利が与えられていないようで、一部に留めさせていただいた次第です。しかし、明らかに全文からの代名であるitの説明となる文章が欠けていたので混乱を招いてしまったようです。申し訳ありませんでした。

 さて、まず僕が皆さんのご意見をもとにまとめた訳としては、
「イライザの外見を洗練させることはできるが、それはなかなか難しくて構想の段階でしかない」
ということでしたが、妙な言葉上の矛盾があってなんとなくひっかかりがありました。

 といったところで結局焦点は「外見の現実との関係」と「作家の領域に留まる」の2点なんですが、

1,the relation of appearance to reality

 これはrelationという単語がどういう意味かが重要であるわけですが、どうやらMell-Lilyさんの「言及(語ること)」という言葉がしっくりきているようですね。
 即ち、「現実(中身)」と「見せかけ」との「関係を語ること」は・・・という意味合いになる、のではないでしょうか?borisさんの「外見と実態との関係の操作」における操作が、言及と同等であるという解釈なら、意味としてしっくりするような気がします。
 英語に戻ると、ここは「relation of A to B」を「AのBとの関係」とそのまま訳すのではなく、むしろこれは単に「relation between A and B」と意味としては同じなのではないか、と感じたわけです。

2,remaining in the domain of the playwright

 とすると問題はこの文なんですが、これを「会話を導きかつ理解する人間(の胸の内)」にremaining(かかっている)とすると、果たして作者はthe relation of appearance to realityをどのように操作すると言うのでしょうか?そこに疑問が残ります。

 これは原文を読んでいただければわかるんですが、ELIZAはセラピストとして動き、セラピストとしてなら人間のセラピストと同様の動きができた、故にこれは知能がある、というものでした。
 それを受けてここから私的な意見ですが、それはつまり、

「ELIZAが単に解析構築をしているだけ」なのに対し、
「どれだけ人間にELIZAが人間らしく動いているか」
を、まさに「見せかけられる(appear)」か、ということなのではないか、と思うのです。
その「見せかけられる程度、度合い(領域:domain)」は、作家が設定するシーン次第、つまりELIZAが令嬢なのか、機械なのか、はたまたセラピストなのか、そこにかかっている、と著者は言いたいのではないか、と改めて思ったのです。そうすればborisのおっしゃる通りで、文章を理解することができますよね。remainを「留まる」ではなく「次第である」と訳せれば通じるところがあるのではないでしょうか。


といった感じで改めて考察してみたんですが、僭越ながらHorusさんの内容とは多少異なるようです。また力不足で、「作家の領域」というものが何を意味するのか特定できません。これは「作家の力次第」でしょうか、それとも「作家の構想次第」なのでしょうか?そうとして、「現実と見せかけが一致した」という言葉も同様、「現実」というものが何なのかちょっと理解にたどり着けません。丁寧な説明をいただいたところ申し訳ありませんが、補足をいただければ何よりです。
長期に渡ってしまって申し訳ありませんが、このような感じでいかがでしょうか。補足要求、意見等いただければ幸いです。

補足日時:2002/10/09 17:47
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Yutaさん、もっと詳しく原文を書いてくれればよかったのに。

そしたら皆さん、もっと正確な回答が寄せられたのに。Googleで検索したら、全文が出ていました。(URLを書いちゃっていいのかな?)もしHorusさんも起きていたら、是非見てみて!締め切りはもうちょっと待っていてもらえますか?あとで戻ってきますね。

参考URL:http://i5.nyu.edu/~mm64/x52.9265/january1966.html
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 これ以上は、語学上の問題ではないと思います。

実際に人工知能を開発している人の意見を聞くのが早道でしょうが、ヒギンズ教授はイライザを教育するために、先ず貴婦人の格好をさせます。これはグラフィックに当たるでしょう。次に教授は、イライザの発音を矯正し、また上流生活に必要な彼女にとって新しい語彙を憶えこませます。これは、IMEの辞書の登録と変換機能の効率化に当たります。つまり、いくらでも登録は可能だし、変換効率は格段に良くなっていくでしょう。つまり見かけ上IMEは進歩しています。

 でも、教授は彼女の心の中までいじることはできません。実際そこまでの事は考えていなかったし、考え方まで変えられるとは思っていなかったでしょう。それでも、イライザは上流の生活をしているうちにいつのまにか本当のレディになっていたのでした。つまり、ここが劇作家の領域であり、実際の思考プロセスあるいは人間的な考え方を作り出す事は困難であるという事でしょう。

 実のところ、教授は人形に言葉を憶えさせて、自分の思い通りに動いてくれさえすれば良かったのです。しかし、そのうちに人形は意思を持ってかってに動くようになります。ここに実際の神話のピグマリオンが生きてきます。像が生命を持って人間の女になるのです。

 このただの人形が実際に生きて自分で考え始めるというところに意味があるのです。ただ、出現が可能という事だけならば、わざわざピグマリオンを持ち出す意味はありません。劇作家の領域に留まるというだけで十分です。

 今の、人工知能は豊富な語彙登録と乱数を用いた擬似的な意志決定によって、やっと考えているように見えるだけですが、これは言葉のデータをどんどん登録する事によって、いつか本当に考えるようになってくれないかという虚しい願いが込められているかもしれません。((^^; これは読み過ぎかも?)
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> 「the relation of appearance to


> reality」が何なのか分か分から
> ないと、何が「remaining in the
> domain」なのかが

戯曲の筋、あんまり良く覚えていないんですが、たしか映画とは違って、イライザはヒギンズと決別するんだったような気がしてきました
もしそうだとすると、the relation of appearance to reality(『外見と実体の関係』)は『外面と内実のギャップ』ということで、remaining in the domain of the playwrightのthe playwrightはヒギンズではなく、あくまでGBSあるいはプログラマ、ということになるのかもしれません
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 (^^;? (難解とまでは思わないんだけど?)



 ピュグマリオンで話題になっ、たイライザのように、これもさらに一層上品で洗練されたもののように見せかけることはできる。でも、見せかけと現実との関係は劇作家の領域に留まってしまうんですけどね。

 Singollo さんのおっしゃるように G.B.S.の戯曲「Pygmarion」のことでしょう。見てくれはどのようにでもよくできるが、つまり戯曲のイライザ以上にさえ見せることはできる。でも実際はそう簡単には行かない。イライザほど中身までも進歩させることができるのは、やはり戯曲の中だけでの話だ。(マイフェアレディ観てればイライザの中身がどうなってたか分かるでしょ。見てない人にはやっぱり、難解かも?(^^:? )

 独立構文は、付け足しの理由みたいなものだけど((^^:? 普段はそんな構文なんて気にもしてないけど。)、この場合、however が付いてるから、完全な但し書きになってますね。但しあくまでも、って訳したが良いかも?
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