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言語中枢の発達・衰退の関係上、幼児のうちから英会話を習わせ始めた方が修得が簡単である、という理屈はわかります。が、これからの時代、子どもたちが英会話を話せたらどういうメリットがあるのか、自分の中で明確にできません。
小・中・高・大学校で、英会話が重視され始めたのも、これから英会話が必要な時代になってきているからだと思います。なぜ、必要なのか、話せたらどうすばらしいのか、を教えてください。
私が思っていることは、
1子どもたちの将来の夢が広がる(これも抽象的でしかないですが)
2海外旅行で便利
3受験、就職に役立つ
ということです。具体的にわかりやすく教えていただけるとうれしいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

#6の者です。


お礼どうもありがとうございました。^^

前回の回答で説明不足により大変失礼な表現があったので、少々補足を…。

>小沢氏の英語は発音については日本語英語ですし、途切れ途切れに話されていました。話は十分通じていますが、流暢とは言い難いかもしれません。

この一文ですが、誤解を招く表現をしてしまい、申し訳ありません。これは表現が適切ではありませんでした。
あくまでネイティブと発音を比較したら、という事でして、小沢氏の英語はネイティブにも十分通用する英語です。(私の怪しい英語など到底足元にも及びません)。

ただ英語の上手下手などよりその人の中身の方が重視される、という事を強調しようと思ってこういう表現になってしまいました。自分の表現力の乏しさが悔やまれます。

私個人的には小沢氏は尊敬する人物のトップに上がるお一人でして、先出のインタビューで話されていた事(ある有名な世界的指揮者の方との交流のエピソードでした)にいたく感激して胸が一杯になってしまいました。なので英語の事などまるで気にしてなかったのですが、ご質問にお答えする段になって、そう言えば少しそうだったかな、と思い出す程度の印象だったのです。

何故あの時自分がこのような僭越な表現をしたのか我ながら良く分かりません。
(書き込んだのが真夜中でして、やや疲れていたからかもしれませんが…)。
全く恥じ入る思いで一杯です。
大変失礼しました。
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この回答へのお礼

ご丁寧に、ありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2003/01/05 01:06

私は、幼児が英語を習うのは、ピアノやバレエといったいわゆる「習い事」と同じ意味のものだろう、と思っています。

子供にとって、何か一つでも他人には無い「得意な事」があるのは、良い事だと思います。しかし、子供の頃に、ピアノやバレエを習っても、実際にそれで食べていけるようになる事が滅多に無いのは勿論、数年やっただけでは、あっと言う間に忘れてしまう事も、英語でも同じ事だと思います。受験はまだしも、就職に役立つ迄になるのは、かなり頑張って続けないとだめじゃないでしょうか?
つまり、「就職に役立つ程になる」可能性を高める効果は多少あったとしても、「ピアノを習わせてプロにしよう」というのが確率論的には難しいのと、同じように考えておくべきじゃないか、という事です。(確率の低さはピアノほどじゃないでしょうけど)

私は、英国に約4年だけですが住んだ事があります。向こうについた時、1番上の子は日本でいえば幼稚園の年少組でした。現地の学校に通わせたので、学校のある日は少なくとも半日間は完璧に英語だけを話す環境に投げ込んだ事になります。その結果、子供は1年ぐらいのうちに、
・ 発音に関しては、日本人が聞く分にはほぼ完璧。
・ 家での日常会話は、当然日本語だが、名詞についてはチャンポン。(稀には動詞も)
・ 「うん」、「うぅん」が、日本語とは反対の「Yes」と「No」のように使い分ける
ようになりました。

それでも、日本に帰ってきたら、週一回だけですがネイティブの人から個人レッスンを受けているのにも関わらず、約1年後に残っているのは「発音のよさ」ぐらいです。それでも通わせ続けているのは、「肌の色の違い」や「言葉の違い」をおそれない人間になって欲しいからです。向こうにいた時は、大都市近郊に住んでいたので、学校の同級生も近所の人も「多民族」で、子供は、肌の色が白だろうが黄色だろうが黒だろうが、全然気にしてませんでした。私が維持して欲しいのは、そういうところであって、英語力の保持にはさほど期待していません。
・・・という事で、既に他の方が回答されたのとかなりダブる意見ですが…。
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この回答へのお礼

体験談をたくさん、ありがとうございました(^―^)

お礼日時:2002/12/15 03:10

こんにちは。


私にはあまり実践的でお役に立てるような回答はできないと思いますが、こういう考え方もあるという事で一つの意見として読んでいただけると幸いです。
私は独身ですが、英語圏の国で生活し始めて数年経ちますのでその経験から感じた事を。

私は以前指揮者の小沢征爾さんの英語でのインタビューをテレビで見た事があります。小沢氏の英語は発音については日本語英語ですし、途切れ途切れに話されていました。話は十分通じていますが、流暢とは言い難いかもしれません。ですが結局インタビュー側には小沢氏の英語が流暢かどうかは関係ないのです。"世界のオザワ"が耳を傾けるに相応しい人物だから、また小沢氏の含蓄のある言葉が欲しいからインタビューするのです。

それで何が言いたいかといいますと、結局英語ばかり上手に話せてもその他の面で無能、無知だったり、人間的に魅力が無ければその英語力を生かして活躍する機会はほとんど無いものと思います。特に海外ではその傾向が高いはずです。
(小沢氏は逆の意味での良い例ですね。)

独身の私が僭越ながら思うのは、子どもさんはまずきちんと日本語を身につける、そしてその日本語を使って少しでも多くの知識を吸収していく、そちらの方が英語をマスターするより優先されるべき事だと思います。

英語はやる気さえあれば大人になってからでも身につける事は可能です。
逆にいくら幼少の頃から初めてもやる気がなければいくら学習しても無駄になってしまいます。何歳で英語学習を始めるにしてもあくまでやる気があるかないかが重要なのです。

先の方も書かれていましたが、私にとっても英語はあくまでも手段であって目的にはなりません。英語ができて当たり前とするなら、私にとっては英語という道具を使う事を前提として、その道具をを使って何を表現するか、何を成し遂げるかが、大切なのです。

また英語学習をして思いましたが、正しい日本語の文法を知らずして英語は身につかないと思います。両方を無理に一度に始めようすると、下手をすればきちんと身についた言語を一つも持たないどっちつかずの中途半端なバイリンガルになってしまう可能性もあります。

正直なところ私は英語よりも日本語の方が奥深く、素晴らしい言語だと思います。
これはあくまで私の憶測ですが、これからの日本は適当に英語ができる人より完璧な日本語を使える人の方が少なくなっていくかもしれません。そういう意味では中途半端に英語を身につけるより正しい日本語を習得する方が何かと有利な事があるのではないかと思ったりします。

あくまでやや見方の狭い私見ですが、少しでも参考になりましたら幸いです。
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この回答へのお礼

なるほどと思いました。
ありがとうございました(^―^)

お礼日時:2002/12/15 03:08

はじめに言うと、幼児期のバイリンガルは、母国語を持たない人間にしてしまうのでよくない。

といわれています。(翻訳家米原女史ほか専門家多数の意見…)

したがって、日本語の習得をないがしろにしての、英語のお勉強はあまりやるべきではないと思います。



しかし、わたしが小学2年の娘と折に触れ英語に接しているのは、質問者が言ったような1.2.3のような功利的、夢想的な理由からではありません。

人間が人間として生きるには、コミュニケーションが一番大事だと考えるからです。
人間として最低限のつとめは、自分からコミュニケーションを避けないこと。
これができなくて、「ひきこもり」なってしまう人が多いのは悲しいことですね。

なのに、悲しいかな日本人は、相手が英語を話すだけで、おののいてしまう。
相手が青い目なだけで、まいあがってしまう。
相手が黒い肌なだけで、おそれてしまう。


わたしは自分の中のそういう潜在意識を感じるので、せめて娘にはそんな意識を持つ娘になって欲しくない。
もっと具体的には、相手が英語を喋るだけで、どうしょうもない男に惚れるような女性になってほしくない。
いろいろな国の人とわけ隔てなく接する感覚になって欲しいのです。

そのために、世界の共通語になっている英語というのは、ひとつの入り口になっているわけです。



幸い、我が家の近くの公園にアメリカンスクールのこどもたちが遊んでいたので、わたしが先頭に立って、友達になりました。
まわりの主婦たちは、仲間どうしでとぐろを巻くだけで、決して青い目の子供達、金髪の奥さん連中とまじわろうとしません。

あえていいますが、私は英語を勉強していますが、実力といえば、長島茂雄とほとんど変わりません。
それでも、私が英語で相手に話しかける意志(勇気?ずうずうしさ?)を持っているだけで、外国人の方は好意を持ってくれます。

英会話はあくまでも手段。
目的は、世界の人々とのコミュニケーションだと思います。

人と人とのコミュニケーションは、言葉だけではない。
その意味では、言語が人を分けることがない幼児期(2.3才)に眼、肌、髪の毛の色の違う人種と交わること。コミュニケーションをとることが重要だと思われます。



わたしは、最近でも、娘とイギリス人のこどもたちと公園で遊んだりしますが、いまだに、THIS IS A PENと言い放って走り去る中学生がいます。
彼らの心にある英語への憧れ、コンプレックスを思うと、怒るだけでなく、悲しくもなります。



私が思うに、早期英語教育は疑問だが、早期グローバル感覚教育は必要だろう。
ということです。
コミュニケーションの核には、言葉がある。だから、英語。
それくらいの意味だと思うのですが…。

わたしは今、43歳。
30代になってから、仕事や娘の友達関係で外国人と英語で話す必要が起きるようになり、世界が広がった感じがしました。
イギリスの人とシェイクスピアの話をしたり、ドイツの人とベートーベンの話をしたり、アメリカの人と黒沢明の映画の話をしたり…。
(日本語と英語のチャンポンでしたが…)
こういうのって地理や世界史などの教科書で知っていたことが、生き生きと感じられる素敵な感覚でした。

そして、もっと早い時期から外国人と接していたら、人生がおもしろかっただろうな。と残念に思ったのです。
娘には、もっと早い時期から世の中はいろいろな感覚があるんだということを知ってもらいたい。
大金をはたいて海外を観光で回るよりも、そのことのほうがよっぽどおもしろい、とっても人間的な出来事だと思うのです。

その入り口が英語。
もし、そういう体験をするのを社会人になってからでかまわないというのなら、大学で英語を勉強すればよいでしょう。
しかし、娘には、せめて感受性の強い高校生ぐらいで世界の人々と話し合いができるようになれば理想だとおもっています。

とはいえ、スバルタに勉強をするつもりはないので、現実はなかなか難しいのですが…。
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この回答へのお礼

早期グローバル感覚教育、は私の中に響くものがありました。
ありがとうございました(^―^)

お礼日時:2002/12/15 02:55

はじめまして 幼稚園生と小学校2年生の母です


今は幼稚園でも 小学校でも週1回は外国人の先生による授業があります

ただそこで「マイネーム イズ~~~~」と言えた所で将来どうにかなるとは思っていないのですが【外人さんに慣れる】という事は大きいかもしれません
私はディズニーリゾートの総合案内をしていますが
英語が出来ない私にとって外人さんは本当に苦手です
自分の方に歩いてくると・・・・ごめんなさい・・・・逃げます・・・

正直な所 ちょっと怖いです
子供達には少なくても【怖い】なんて失礼な事にはならないでほしいです

今の子供達がうらやましいですね
パソコン一つにしても英語がわかるのとわからないのでは大きな違いを感じます
rinngokai様の言う1~3すべてに有利だと思います

独身の頃良く英語も出来ないくせにグアムだハワイだと旅行に行きましたが
英語の出来る友達について行った様なものです

別にバイリンガルに育てようとは思っていませんが・・・
大人になっての苦労は大変ですもの・・
子供達には少しでも有利になる事をさせたいのは親心でしょうか
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この回答へのお礼

お母様の立場から回答していただけるなんて、とっても貴重な気がしました。
ありがとうございました(^―^)

お礼日時:2002/12/15 02:51

アメリカに35年ほど住んでいる者です。



回答と言うより、私自身の自己主張として読んでください。

私も、無理にさせるほど、あまり意味の無いことと思います。 

殆んど英語だけのカテゴリーで回答している私がこう言うのもなんですが、私にとって英語はここの皆さんの殆んどが日本に住んでいますので日本語を知っていると同じと言うだけなんですね。

ただ、生活上いろいろフィーリング(言い伝えたい事)を詳しく感じ取らないといけない、という立場にあるので、ニュアンスの説明とか、違う言い回しとか、フィーリングに基づいた説明をさせてもらっています。

ですから、根本的に文法からの説明は(理解は)恥ずかしながら、出来ません。

それを踏まえると、私には子供たちには「習う」のではなく早くから「なじんで」もらいたいと思います。 ですから、子供たちは英語のビデオで楽しめればそれでいいと思っています。

ただ、私としては、このままで行くと、「出来る」学生と「出来ない」学生、教育に恵まれた人と恵まれない人との差が非常に出てきてしまうと思います。

つまり、試験英語がある限り、英語力を「較べられてしまう」社会の中で、必要もない(会話力も含めて)ことで、社会が判断すると言う事ですね。

私は今小学校3年で、ある英語塾に通っているせいで、英語の文章を読み、書ける子供を知っています。 つまり、親御さんが「必要」と感じる為塾に通わせ、その子が「英語」ができるというレッテルが張られているんですね。 彼が、中学に入って、他の子はABCからはじめるわけですから、いい得点は取れると思います。 そこの差はとてつもなく大きい物と信じます。

それで、英語の先生を見くだりしたり、頭でっかちにならないなしつけがなかったら、いくら「頭がいい」と言われても、人間性が乏しくなるのではないかと懸念しています。(はっきり言って、ここでは2才の子供が英語をしゃべれます、別に頭いいということではないですね)

日本の社会にいない私にとっては、英語を子供に習わせる事の必要性(習わなかったら出来る子供から遅れてしまうと言う懸念も含めて)は実感として湧き上がってこませんが、子供を持つ親御さんとしてみれば、切実な問題と言えると思います。 また、自分の子供だけは英語をしゃべるようになってもらいたいと思う人もいると思います。

自分を生かせる才能はどの子供にもあると信じます。 英語でなくてもいいとも思います。 同じ「言語中枢の発達・衰退の関係上、幼児のうちからxxxを習わせ始めた方が修得が簡単である」、という理屈であれば、何でもいいと思います。

と言いながら、キーボードも使えない、インターネットを活用できないビジネスマンはもったいないと言う観念から見ると、国際言語とまで言われる英語ですから、何から何まで、「英語の出来る」人に任せなくてはならないと言う状況は、個人的の情報習得、発想の違いの知識、また、一つの教養としても、使える基本知識は必要と思います。 

それが出来ない上司・幹部ははっきり言って、「やっておけばよかった」と感じていると思います。そして、せめて子供には、という感情を持つのは当然と思います。

出来れば、子供は子供として少なくとも小学生時代を過ごさせてやりたいとも私は思います。

いつから、どのくらい、何をやるかと言うバランスをとることは大変難しい事だと思います。

取り留めのないことを書いてしまい、全く、回答になっていませんが、こんな考えを持っている人もいるんだと読み流して下さい。
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この回答へのお礼

熱い回答をありがとうございました(^―^)

お礼日時:2002/12/15 03:14

回答ではなく一般的な意見ですが、英語修得はあまりメリットはないと思います。


あと、英語は大人になってからのほうが学ぶのに時間がかからないような気がします。

私は大学で英語を専攻し、英会話スクールに勤めたり留学したりして英語をモノにしました。
外資系企業でIT部門に勤めていたときは英語ができるということで採用され、実際、英語とITスキルを駆使しそこそこの給料をもらい英語ができるメリットを感じていました(といっても、たかが英語という感情は持ち続けていました)。

ただし、外資系企業では多くの実務にたずさわれない外国人のアシスタントをするバイリンガルが腐るほどいます。英語が話せるというだけではそうなります。

逆に実務に優れている人は英語が話せなくても全然問題ありません。会社が英語を話せるアシスタントをつけてくれます。

英語は手段であり目的ではないということを言いたいのです。

もちろん英語を話せることは1,2、3のようなメリットはありますが、学ばなくてはいけないことにはもっと大事なことがたくさんあります。

たとえば、理数系離れと言われていますが、私は英語よりもこちらのほうが大事だと思います。英語はなくても生きていけますが、理数の力がなければ旅行することも生活することもできません。

いまは外資系企業を離れていますが英語を使う機会は悲しいかな(大学とかで学んできたのに(>_<))ほとんどありません。

日本は島国かつ島国気質(他を排斥してしまう)なのでいくらグローバル化といっても数十年後も外国人はアジア系以外は来てくれないと思います。よって、英語が話せる人がたくさんいても日本国内では使わないと思います。

ただ、現状の英語教育は最悪ですね。もっとコミュニケーションを意識したものにしないとだめですよね。どうせやるなら。
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この回答へのお礼

体験談をたくさん☆ありがとうございました(^―^)

お礼日時:2002/12/15 03:13

「言語中枢の発達・衰退の関係上、幼児のうちから英会話を習わせ始めた方が修得が簡単である、という理屈はわかります。

が、これからの時代、子どもたちが英会話を話せたらどういうメリットがあるのか」
 子供たちが大人になった時の話ですよね。21世紀も半分が過ぎてコンピューターの進化もかなり進み、自動翻訳器も普及してくるでしょう。コンピューターの内部まで知らなくても私たちがインターネットやチャットを楽しむように、機械の助けを借りて世界の人たちと日本語で会話のできる環境が整っています。
 逆に日本や韓国など西欧と違った独自の価値観を大切にする国々では自国の文化を再確認する時が来ます。小学校では総合学習の時間が地域文化の学習に重点がおかれるでしょう。
 もちろん国際社会意においてはコミュニケーション能力が求められます。それは語学能力とは全く別の、人を動かす力です。英語を話せてもそれを仕事や日常生活に活かせなかったら、宝の持ち腐れです。幼児期に友達と遊んだり、大人との関係の中で学ぶことはたくさんあります。ビデオをみたりCDを聞いて英語を話せるようになるのかな?もっと楽しい思い出を作るべきではないでしょうか?学校教育で英語をはじめても手遅れということはありません。
 1は別に英語は夢につながらない。(特殊な能力ではなくあたりまえの能力だから)2は英語以外の言葉を話す人間のほうが地球上には多数派です。(私はスペイン語圏で苦労しました)3は学校で教えてくれます。幼児期は無関係です。
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この回答へのお礼

早々のお答え、ありがとうございました(^―^)

お礼日時:2002/12/15 02:45

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