電子書籍の厳選無料作品が豊富!

年配の上司(50~60才ぐらい)とちょっとオシャレで高級な洋食屋さんに行きました。

せっかく、こういう所に来たのだからと私は迷わず鯨肉のメニューをオーダーしました。するとその上司が驚きの発言をしました。

『鯨肉が高級洋食屋で出されるのか。俺が子供の頃は学校でも家でも鯨肉ばかりで、親に文句を言ったら「うちは貧乏だから鯨肉しか買えないの!我慢しなさい!」なんて怒られたもんだ。時代は変わったな…』

本当でしょうか!?
僕的にはあり得ない!って感じです!
例えるなら椎茸の感覚で松茸を食べるみたいで。

その時代に生きた方、ぜひ教えて下さい!

A 回答 (12件中1~10件)

40代前半です、


たぶん学校給食で鯨を食べた最後の世代のほうだと思います。

小学校4年くらいまでは、鯨が出ていた記憶があります(31年位前)。

定番は竜田揚げ、オーロラソースがけ(揚げてあった記憶がある)、南蛮漬けでした。
大和煮はほとんど出なかったです。

小学校に上がる前は、
カツといえば鯨のカツで、ハムカツは高かったのを覚えています。
家では当然、鯨ですがナガスクジラの尾の身などは高くて買えなかったようです。
ちなみに、ソーセージといえば魚肉ソーセージのことを指していました。

昭和48年で、鶏肉が80円、豚肉が110円前後、牛肉が200円前後(全て100gの店頭小売価格)だった記憶があります。
確か大卒の初任給が3万円くらい、ラーメンが150円くらいで食べられた時代です。

すき焼きはオヤジのボーナスの時にしか食えませんでした、なので年2回のみ。
普段は鰯等の魚を食べていました。
豚肉もバラのスライス位で、とんかつやカツ丼は外食時の贅沢メニューでした。
交通博物館に行った帰りに、万世で駄々をこねまくって、カツサンドを買ってもらった記憶もあります。

おやつも、モミジ(鶏の足)の煮たものやサメの煮凝り等を買っていました(この辺りは同い年の人にも驚かれる、小学校上がる前でしたけど)。

学校給食で出た「酢豚」はとても贅沢品でした、
肉が塊で入っているのには、
カルチャーショックを覚えました。

大人になって、鯨屋に行った時は、
美味いのですが、何かが違うと感じました、
あの、安い鯨肉のほうがいいなと思いました。
大好きでした、鯨。
竜田揚げがもう一度食べたいです。
    • good
    • 5

はい、ベーコンと言えばクジラ(しかもまっかっかの)、カツと言えばクジラ、しぐれ煮と言えばクジラ、かんずめの肉は鯨でした。

食べたことないですが、すき焼きもそうだったらしいし、関西のおでんのネタもクジラの皮が多かったそうです。クジラ軟骨の粕漬けなんておつなものもあります。もつなべやホルモンは昔からありましたが、むしろ牛豚のそれより、くじらのそのたぐいの部位(うね、百広、豆、さえずりなど)のほうがメジャーでしたね。

今時はミンクなどの小さな(中型?)クジラしかとってはいけない、しかも頭数制限つきですからね。昔はナガスやシロナガス、マッコウなどの大型のものもボンボンとってましたし、沿岸は沿岸で小型(今で言うイルカも含めて)~中型とってたから、供給量も半端でなかったですね。そもそも4本脚動物食べるのに躊躇がある民族(クジラは魚!で納得していた)ですから、牛や豚の畜産業もそこまで盛んでなかったし、そもそも育てなくてもその辺でとれるから・・・って感覚だったのでしょう。もっとも、食用のみならす油とったり、それから石鹸作ったりと、資源が少ない日本では多様な利用がされていた生物だったのです。燃料油やコルセットの原料だけ取って廃棄していた西洋人には、考えつかないようなものでしょう。(まあ、そのおかげで、さらに安い輸入もあったようですが)

また、固いというのは、冷凍技術が今ほど良くなかったので、保存のために塩漬け(塩クジラやベーコン、干物、湯引き)にするしかなかったから、そのために固くなってたってこと。刺身、特に尾の身(特にナガスクジラのとか)は、当時でも希少なものでしたよ。塩ものに比べれば、はるかに高かった。まあ、くじらの種類にもよるのですけどね。松坂牛とオーストラリア牛のようなもの。もしくは牛と豚のようなもの。マクドとモスのようなもの? くじらといっても実際は多種多様なんです。(ヒゲ鯨と歯鯨は食性も違うので、当然身の味も食感も異なる)
    • good
    • 0

昔はそうでした。



ただ、ピンきりなんですよね~
高級店で食べる鯨肉と昔庶民がよく食べてた鯨肉。同じ部位では、まずないんですよ?肉でもロースとかいろいろあるでしょう?
鯨は体がでかいから、上質の所も取れるけどそれ以上にクズに近い硬い部分も多いのです。
子供の頃は噛み切れなくて飲み込めず嫌な思いをしたこともありますしね・・・
    • good
    • 0

給食で人気のない食材の代表でしたからね。

とにかく、固くてかみ切れない。まあ、当時、動物性タンパクを一番安く補給する手段でした。
うちはそこまで貧乏ではなかったようで豚肉は食べられました、とはいっても、カレーがせいぜいでしたね、カレーは肉が入っているから肉料理のうちでした。すき焼きも豚でした(ちびまる子ちゃんの頃まではそうだったようですが)、牛肉は正月に食べる佃煮くらいでした。
当時、肉にはヒエラルキーがあり、鯨<鳥<豚<牛の順でした。

ところで、松茸も、もう一昔前は似た状況でったようです(母談)。数の子もそうです、1950年代までは、捨てるほどニシンが取れましたが、その後、北海道沿岸に接近しなくなったために高級品になったのです。昔は丼で食べていたのだとか
    • good
    • 1

団塊の世代です。


高校時代、寮生活をしました。
くじらがよく出ました。くじらはステーキのときとカツのときがあってカツのほうが旨かった。
たまにトンカツが出ることもあり、そのときはトンカツを受け取るところに名簿が置いてあり、一度とった生徒はチェックされ二回取れないようにしていた。鯨カツはそのようなチェックはなかった。鯨カツと比べて豚カツははるかに高いのでそうしていたのだと思う。
    • good
    • 0

40代大阪育ちです。


子供の頃は鯨は貧乏人の貴重なタンパク源でした。
冷凍技術が発達していなかった頃なので
あの頃のくじらは不味かったなぁ。

臭みを消すための龍田揚げなどでさえ、
中身は腐りかけたにょろっと感がたまらなく嫌でした。
給食の定番メニューでしたね。

>「うちは貧乏だから鯨肉しか買えないの!我慢しなさい!」なんて怒られたもんだ。

うちもそうでした。(笑)
    • good
    • 0

51歳のオバちゃんです。


そうです、昔は安かったのです。
だから最近スーパーなどで見かけても値段の高さに驚かされます。
ベーコンも「鯨」が普通でした。

で松茸も祖母などが山へ捕り、に行ってたりしたので普通に食べてましたよ。
    • good
    • 2

鯨でも尾の身は貴重で高価ですよ。


というか鯨の刺身は尾の身しか知りません。
私は1キロ6万円くらいまで
ゲットして刺身で食してましたが
いまは無理ですね。
また、食べられるようになるといいのですが……

とまぁこれでは回答になりませんね。
カツオの刺身が
東京オリンピック以降まで食べられなかった
というところがあって唖然としたことがありますが
一般家庭には冷蔵庫がなかったムカ~シ、
流通事情もあるでしょうし、
食材事情は住んでいた場所にもよるでしょうね。

天然氷(軽井沢や長瀞ではいまでもつくっていますが)を利用した
保冷庫は高級料理屋さんにしかなかったでしょうし、
氷温輸送の技術は更に時代が下りますね。

肉と言えば鶏肉が多かったのではないでしょうか
飼っている鶏を殺して肉にして食べるスタイル……上記の
東京オリンピック以降までカツオの刺身が食せなかった地域でも
鶏肉はかなり以前から食べていたと聞きました。
調べるのであれば
(各家庭に冷蔵庫がなかった時代のことですし)
流通・保存技術&食中毒・経済事情etc.を含めて
トータルで知るほうがいいでしょう。
本が何冊か書けるでしょう。

獣肉には寄生虫がいるといった認識で、
レアやミディアム・レアなどのステーキが食べられなかった
時代が長かったのですし、豚肉ではいまだにレアや
ミディアム・レアはキケンと言われていますね。
レバーも刺身で食べられるのと食べられないのがありますし……
    • good
    • 0

豚や鶏も変えないような貧乏人が食べたのです


我が家は貧乏だったのですき焼きは鯨オンリーでした
    • good
    • 1

その時代にはまだ生まれていませんが。



アメリカは、燃料調達の為に捕鯨をしたといいます。
アメリカには鯨を食べる習慣はなかったので、油を絞ったら、残りの肉などは捨ててしまう。
つまり大量の鯨が捨てられてていたわけです。
その捨てる肉を鯨を食べる習慣のある日本に安く売った。
アメリカにしてみたら、捨てるのもので金儲けができ、戦後の貧しい日本に於いては、安価な蛋白源となったということで、鯨肉が一般的な食べ物だったと言うわけです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!