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 『週刊新潮』(4月2日号)で藤原正彦さんが「『小学校英語必修化』という名の愚民化教育」という記事を載せていました。社会に出てからの経験では英語なんぞ本当に無駄だと思いますが。別の知識、例えば法律を勉強しておけばよかったとか思ったことはありませんか。皆さんはいかがですか。

 

A 回答 (7件)

不要に一票です。


現状ですら、まともな日本語が書けない社員がいてどれだけ苦労させられていることか・・。小学校ではまず日本語をしっかりと教えて頂きたいです。

そもそもろくに英語も話せない小学校教師のヘタクソな発音を聞かされる子供は可哀想である。彼ら小学校教師の発音で子供たちの英語脳が築かれていくのだから。外国人助手がいても日本人教師の発音を聞いてはすべてが台無しになるだろう。そんな日本語英語の発音やイントネーションが脳にインプットされてしまえば、本当に必要となったときに英語を覚えようとすると何倍もの努力が必要になる。どうせやるのであれば、英語での授業はすべてネイティブにさせて、日本人教師は日本語で補助(ヘタくそな英語の発音は子供たちには聴かせない)、というやり方がせめてもの妥協案になるかも知れません。

それが小学校から難しいのであれば、その予算を中学校からの英語教育にまわして、そのネイティブ主導の英語教育に転換していくべきでしょう。実用的な英語能力を求めるならばね。

そもそも本当に生活・ビジネスにおいて英語が必須な日本人はどれだけいるのでしょうか?それら少数の方が本当に英語を覚えようとするときにそれを妨げるようなヘンな英語脳を作り上げないことを一番重点とするべきです。まったくの白紙状態であれば、大人になってもやる気があれば外国語を聞ける脳になり、きれいな発音をすることも可能なのです。一応、自分の経験からの結論です(英検1級・TOEIC920)。
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藤原正彦さんという人、相当次元が低いですね。



見当違いの回答かもしれませんが、先ず、yumejiro-さんは 小学校の英語教育以前に、現行の小学6年、中学3年という教育制度に疑問を感じたことはありませんか? 私は小学6年は少し長すぎるし、逆に中学3年は短すぎると思うんです。その結果、小学校はのんびりして特に高学年になるとダラけやすく、一方 中学校はせわしなくなります。ですから、フランスやイタリアのように バランス的にも、小学5年、中学4年が丁度よいのではないかと思います。その上で中学から英語を教えれば現行よりも1年早まります。

それから、現在の英語は中学と高校のバランスもうまく取れていません。公立の中学では英語の授業が週3コマなので 英語の最低限の基本さえ一部高校に回されているのに、大学入試の英語のレベルが高い為に 高校にしわ寄せが来ています。ですから、中学4年で週4コマの英語の授業をすれば もっと会話に重点を置き、最低限の基礎も中学卒業まで終えることができるようになります。

そうすれば、高校の英語もっと余裕が出来ます。その一方で、
出来る学校から順次、選択で積極的に中国語などの第2外国語を導入すればいいかと思います。

それから、土曜日の半日授業復活をしてもいいのではないかと思います。「ゆとりの授業」と言ったって結局、ある生徒は塾に通い、また別の生徒は部活動に励み、また別の生徒は家でゲームなどをしているのが現状でしょう。それなら、学校で授業をしていた方がマシだと思います。

中学校の授業で見直すと言ったら、音楽、美術などの教科があります。
音楽だって、「音が苦」になったら本末転倒ですし、美術にしても、
学校の授業のシステムにはあまり馴染まないような気がします。

それから、国語の見直すべきです。英語だけが槍玉にあがりがちですが、文学偏重でコミュニケーションとして要素が弱いし、英語との連携もうまく取れていません。
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小学校英語必修化には基本的に反対です。

若いうちにもっと別の知識を蓄えたかったとも思います。私の場合、具体的には、野球のルール、およびエレキギターと関連機材の構造について勉強すべきでした。今、その知識が欠けているので公私ともに非常に苦労しています。

それはさておき、私は元帰国子女で、高校を卒業するまでは、並みの同年齢の日本人よりも英語ができたので、英語の授業自体は無駄といえば無駄。先生からも別室で独り自習をするよう言い渡され、一時は英語の授業中にずっと図書室に行かされていました。

で、その時期は図書室で何を勉強しようと自由だったわけで、勉強しないでいることも可能は可能でした。しかし、当時、中学生だった私は何をしていいかわからず、読書だってとりたてて好きではなかったので、仕方なく、その辺の棚にある本を引っ張り出して適当にページをめくっていました。あまりにやる気がなかったので、見た本も少なく、どんなものだったか覚えているほどです。ひとつは大好きな映画『真夜中のカーボーイ』の原作本の日本語翻訳版。もうひとつは、残忍な殺され方をした人の死体ばかりを集めた写真集でした(そういう本が置いてある女子校だったのです)。

実を言うと、その2冊の本は私の人生にとって全くの無駄ではありませんでした。それでも、多くの級友たちが英語の授業中に培っていたものに比べたら、さほど有益ではなかっただろう、というのが実感です。一方で、既に当時、私は野球とギターに関してコンプレックスを抱いていましたが、その“自習時間”に野球やギターについて勉強しようという発想自体がありませんでしたし、また、そういうアドバイスをくれる人もいませんでした。

さて、個人的な思いとしては、小学校英語必修化をやるくらいなら学芸会を復活させるべきだと思っています。逆に、英語必修化の代わりにまったく新しいことをやればいいのかというと、それもまた英語と同じくらい無意味な冒険になるような気がしてなりません。

余談です。先頃の新聞によると、英国の大学はケンブリッジを最後にすべて、入試から外国語という科目を外したそうです。つまり英国人は、外国語ができなくても、他の科目の試験にさえ通れば母国の大学に入れるようになったのです。ところが、それでは視野が狭いが学生が増える一方なのと、企業は外国語ができる人材を求めているため、支障をきたすようになったと記事にはありました。
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社会に出てから誰にとっても必ず「役立つ」ことが明白な勉強といえば、極端なことを言えば例えば日本語の読み書きと加減乗除の方法くらいではないでしょうか。

それ以外は(英語や法律等を含め)人によってどれだけ「役に立つ」か差があると思います。しかし、だからと言って他の教育を行わなくてもよいという理由にはなりませんよね。

問題は、各科目をどのようなバランスで学ぶかということです。小学生がゲームで遊んでいる時間を英語に回すなら賛成ですが、別にそれが英語である必然性は無いようにも感じられます。個人的には自然とのふれあいなどに時間を割いて欲しいとは感じますが。
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10年前だったら「社会で不必要」で済んだでしょうが、今は時代が違いますよ。



日本に住んでいて最も日常的に英語が役立つケースというのは、『外国人とのコミュニケーション』・・等ではありません。
今はネット社会であり、ネット上で知りたい事、あるいは知ると便利な事、あるいは専門的な情報等・・・が、たくさんあります。それらは『日本の法律』等という極めてピンポイントな情報に限らず、国やジャンルを越えた幅広い情報です。その上で、英語という語学力は充分な助けになります。


ただ、別の観点から言うと、英語を小学校で始めるくらいなら、英才教育等とは訳が違いますので、中学校から始めるのと同じな気がしますね。そういう意味で、確かに無駄です。
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小学校では母国語をきちんと学ぶべきです。



小学校での英語は簡単なことしかやらないと思います。

How are you?
I'm fine. Thank you. こんな事を知っても英語に慣れないと思います。
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「小学校」or「英語」どちらに対する質問でしょうか?



タイトルから開くと中身が違っていて、がっかりしました。

私は、英語が無駄だとは思いません。いろんな言語を本当は習得したいですが、今の日本社会に於いては、「第1外国語」的な使用であり、知っていて損する事はありません。

小学校で習得すべき教育の範疇から言えば、英語は不要ですが、法律はもっと無理でしょう。入り口としての「道徳」「心のノート」などは現存します。
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