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日本語には迷惑受け身と言って、英語では受動態にできない表現法がありますよね。
例えば 次の文です。

「雨に降られた」
「弟にりんごを食べられた」
「隣の家に塀を建てられて、日当たりが悪くなってしまった」

どのように英訳したらいいでしょうか?

A 回答 (2件)

    質問者さんお久しぶりです。



1. 「雨に降られた」
It rained on me.

2. 「弟にりんごを食べられた」
The kid brother ate MY apple.

3. 「隣の家に塀を建てられて、日当たりが悪くなってしまった」
I am in perpetual shadow, no thanks to my neighbor's new fence.

4。 She died on me. 彼女に死なれた。

   4あたりがよく例に出されますが on にも限りはありますので、まあ1対1の訳し方は無く、臨機応変と、いうところでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/04/16 16:12

>日本語には迷惑受け身と言って、英語では受動態にできない表現法がありますよね。



 逐語訳的にやると不自然、または自動詞しか選択できないなどの理由でできないというだけのことです。

>「雨に降られた」

I got/was cought in the rain.

といった訳例を示すに止め、さらになぜこういう訳であるかの説明は省きます。個々の例についてあれこれ言いだせばキリがない。それを試みる意義も意味も無く、単に徒労になる。それはすぐに理解できなくてもいいです(普通、経験を積むまで無理)。

>どのように英訳したらいいでしょうか?

 文脈を意識して訳すことが一助にはなります。しかし、それだけでは無理であることもお伝えしておきます。

「古池や、蛙飛び込む、水の音」→「古い池である。蛙たちが飛び込む。おお、水の音よ!」

 上記はプロが行い出版された書籍に実在する再翻訳の例です。俳句を扱った英語圏の書籍の翻訳に当たって、元の俳句は分かったものの、それは採用しませんでした。

 著者が日本語の俳句をどう理解したかを伝えるために、元の俳句そのままを用いるのではなく、できる限り(←ここ重要)英語に訳された俳句のニュアンスを保つように再翻訳したものです。

 蛙の数が複数になっていたり、水の音に感嘆を込めるといった、著者がその俳句をどう理解し、感じたかを訳者は伝えようとしています。それらは、日本語の原文にはないわけです。

 同様のよく知られた例として、黒柳徹子の著作「窓際のトットちゃん」が英訳されるとき、訳者は黒柳氏に「この『窓』は一つか、二つ以上か?」といったことを、まさに一文ごとに問い合わせてきて、黒柳氏は当惑したと自ら語ったことがあります。

 日本語と英語は全く無関係な言語です。英語は印欧語圏内では、大なり小なり共通性、関連性はありますが、日本語は印欧語とは無縁な言語です。根本的に概念からして全く異なるわけです。

 そのため日英双方向について、翻訳を行っても、ほぼ必ずといっていいほど、同じ意味で同じニュアンスにすることはできません。同じ意味範囲を持つ単語が無い(日英双方にとって一つの意味しかない外来語、専門用語を除く)、文が示すイメージに大事な単語の出現順序が文法の差異で違ってくるといったことが、異なってしまう重要な要素の例として挙げられます。

 例外として、自然科学系論文などの事実のみを語るジャンルであれば、かなり近いものにすることはできます。新聞の記事も、内容次第ではかなり近い翻訳ができることがあります。

 そうした全体から見れば少数である例外を除けば、日英相互に恒等式的に成り立つ翻訳方法はありません。等式的にすらできない。逐語訳、直訳は一見は正確な翻訳のように見えても、全般的に見ると、実は原文を最も伝えない翻訳方法です。

 ことわざ、名言、警句は本当は日英相互に翻訳不能です。ごく短い言葉で広大で鋭い含意を持たせること自体が難しいのですが、それゆえにそんな芸術級の言葉は翻訳できないんですね。

 長いものなら大丈夫かと言うと、仮に古文的な知識・経験が充分あるとしても、シェークスピアを和訳で読んでも、シェークスピアがどう凄いのかは分かりません。清少納言の素晴らしさを英語で伝えることは不可能です。仮に、翻訳で読んで感動したとしたら、9割以上は翻訳者が与えてくれた感動にしかなりません。

 また、たとえば著作なら著者個人について知ろうとするだけでなく、著者の置かれた言語を含む歴史的、文化的文脈の理解は欠かせません(ただ、果てしないことではある)。

 翻訳するときに困難を感じたら、そういう基本的なことを押さえておくべきかと思います。その上で、必然的生じる過不足を含めて、できないものはできないと割り切る。そうでないと、いつまでも次々と難しいと感じて戸惑い、正確を期してかえって奇妙で原文とかけ離れた翻訳をしてしまうことから抜け出せません。

 以上、ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご苦労様でした。

Vous n'avez pas besoin de fanfaronner.
Après tout, vous ne puvez traduire que la première phrase.

お礼日時:2013/04/16 16:18

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