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英文を分析する際の「意味論」と「認知意味論」で考えている例を、平易な言葉で紹介して頂けると幸甚です。「意味論」と「認知意味論」の違いがいまいちクリアでありません。

例えば、英語の定冠詞は「唯一的に同定」できる名詞句につけられる場合と「親近」的なモノを表す名詞句につけられる場合などがありますが、この話は「意味論」的な考え方ですか?それとも「認知意味論」的考え方ですか?

お忙しいところ大変申し訳ございません。お教えいただけると嬉しいです。

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A 回答 (5件)

>「意味論」と「認知意味論」の違いがいまいちクリアでありません。


⇒これについて、以下のとおりお答えします。

「意味論」:言語の「意味構造」をいわば自然科学的な手法で研究しようとする分野で、「構造主義的意味論」と呼ぶことができると思います。(例として取り上げている、英語定冠詞の問題はこちらに属するでしょう。)
「認知意味論」:言語の「意味の認知に関する問題」をいわば人文科学的な手法で研究しようとする分野で、「哲学・心理学的意味論」と呼ぶことができると思います。

このように、言語研究を自然科学的な手法と人文科学的な手法に分かれるのは、研究がいち早く進んだ音声学と音韻論とも共通する現象で、言語そのものの持つ特性のなせる業と言えるかも知れません。すなわち言葉は、「伝達の道具」として客観的な考察対象として見ることができる一方、人間の(地域や個人ごとの)文化・言語習慣・言語心理などと密接に関わることにより、そこには「人間くささ」の側面があるからでしょうね。

なお、現代の「構造主義的意味論」はもっぱらsynchronic(共時的)な言語現象を扱いますが、「哲学・心理学的意味論」はdiachronic(通時的)な言語現象も扱います。意味論研究史として見ると、後者「哲学・心理学的意味論」の方が早くから研究されてきましたが、そこではむしろ通時的な考察が中心的課題だったようです。
ともあれ、以上の2つの意味論は、言語研究にとってともに重要な言語学の下位分野で、音声学と音韻論との場合同様、「車の両輪」のような関係にあるもの、と言えるでしょう。

以上、ご回答まで。

この回答への補足

お世話さまです。共時的、通時的という言葉の意味があまり分からなかったのですが、色々調べて分かりました。通時的な言語現象の簡単な例など挙げてもらえると嬉しいです。ちょっと興味があります。

補足日時:2015/01/21 16:46
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再度の「補足コメント」を拝見しました。



>意味論の研究は「自然科学的」手法を用い、認知意味論は「社会科学的」手法を用いるとあるのですが、ここがいまいち理解できてません。
⇒一般的な「意味論」、前便で「構造主義的意味論」と呼んだものは、いわゆる言語学(linguistics)の下位分野です。言語を、一旦人間から切り離して、それ自体をいわば、「モノとして」独立に扱います。その意味で、研究方法ないしアプローチの仕方が「自然科学的」なのです。
他方、「認知意味論」は哲学の下位分野で、人が言葉の意味を理解したり解釈したりするメカニズムを解明しようとする論理学(logic)などと近い関係にあります。言語の意味に関する問題であり、解釈学でもありますから当然当の人間と深くかかわります。その意味で、研究方法ないしアプローチの仕方が「人文科学的」なのです(「社会科学的」ではありません)。

このように、「構造主義的意味論」が言語学の下位分野なら、「認知意味論」は哲学の下位分野と言えるでしょう。なお、これとは違う観点から、ソシュールはlangueとlangageを分け、チョムスキーはcompetenceとperformanceを分けました。これらは、異なる基準によって分けていますので、ぴったり同じではありませんが、ごくごく大雑把に言えばある種の近似関係を見ることができると思います。すなわち、「構造主義的意味論」の研究対象は、どちらかと言えばlangueやcompetenceに重点があり、「認知意味論」のそれはlangageやperformanceに重点がある、と言えるでしょう。

>現段階の私の(つたない)理解では、認知意味論などの研究には、論理式が出てきたり数学的解析を加えるようなイメージがあり、これは「社会科学的」分 析より「自然科学的」分析をしているように感じてしまうのですが
⇒認知意味論が「自然科学的」と見えるのは無理もないと思います。それは、認知意味論が多く記号論理学の手法を利用するからでしょう。これが、「手っ取り早い方法」もしくは「とっつきやすい方法」だからに違いありません。

しかし考えるに、認知意味論は言語の意味を了解するメカニズムを解明しようとする分野ですので、言語心理・記号と象徴・意義素・形態素・構文・メタ言語…などと関わる分野、つまり一言で言えば、人間学なのです。なぜならそれは、「人間と言語の関係を扱う」というのが原義のはずなのですから。これに対して(構造主義的)意味論は、言語を人間から切り離して、「それ自体が内包する体系性」を究明しようとするわけですから、したがって自然科学的な分析手法が多用されることになるのだと思います。

以上、再々伸まで。
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「補足コメント」を拝見しました。



>通時的な言語現象の簡単な例など挙げてもらえると嬉しいです。
⇒通時的な言語現象とは、言い換えれば「歴史的な言語現象」ということで、言語の発音、形態、意味などの個別的変化と、その総合としての体系的変化現象などを言います。

例えば、古代英語では「エプロン」のことをnapronと言っていたそうです。これに不定冠詞をつけるとa napronとなりますね。一方、母音で始まる語の前では不定冠詞はanとなるので、当時の多くの人がこのa napronをan apronのように、apronにanがついた形と見るようになって(これをmeta-analysis「異分析」と言います)、結局英語の「エプロン」は、言語史上napron→apronという変化を経験しました。

あるいはまた、シェークスピアの作品などでは普通に使われている2人称の人称代名詞thou「汝は、君は」は、現代ではまず使われることがなくなりましたね。もともと、この人称代名詞は親しみを抱いている相手を呼ぶときに用いる「親称」でした。それで、この語が用いられなくなったことにより、「親称と敬称の区別」がなくなり(つまり、you一語で両方の意味を表すことになって)、英語の人称代名詞の「体系的変化」が引き起こされたことになるわけです。

以上、通時的な言語(の変化)現象についてほんの少しかいま見て、再質問へのご回答といたします。

この回答への補足

大変詳しくお教えくださいまして有難うございます。勉強になります。
ところで意味論の研究は「自然科学的」手法を用い、認知意味論は「社会科学的」手法を用いるとあるのですが、ここがいまいち理解できてません。というのは、現段階の私の(つたない)理解では、認知意味論などの研究には、論理式が出てきたり数学的解析を加えるようなイメージがあり、これは「社会科学的」分析より「自然科学的」分析をしているように感じてしまうのですが・・・この辺の手助けを頂けると幸甚です。(私が「自然科学的」と「社会科学的」の意味を取り違えているのでしょうか・・・)

お世話さまです。有難うございます。

補足日時:2015/01/25 09:13
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#1です。



>「認知的意味論」は、おおざっぱに感情や気持ちの観点から見ていく意味論と考えても良いですか?

違います。
認知意味論は認知言語学の一分野です。
認知言語学は認知心理学・認知科学の一分野です。

認知心理学・認知科学は脳科学、神経科学、情報科学などと協同しつつ、人間の知覚・理解・記憶・思考・学習・推論・問題解決などを研究対象とする学問です。

そういう意味では認知意味論は心理学的ですが、バリバリの自然科学的手法を用います。
人間の心理を物理的に探ることはまだできませんが、ある意味、化学的に迫ろうとしてるとは言えるでしょう。
たとえば、アウグスト・ケクレは実際に目で見なくても、炭素が互いに結合して鎖状化合物を作ること、ベンゼンが亀の甲羅のような環状構造を持つという仮説を立てました。

実際に目で見ることはできなくても、構造の仮説を立てることはできる。
そういうレベルですが、たしかに自然科学的な手法には違いありません。

もちろん、論理学用語も少なくありません。
メタファー・メトニミーとか、古典哲学の用語も使います。
たしかに、喜びは「上」(舞い上がる)、悲しみは「下」(沈んだ顔)のような比喩を扱うと言われれば、「感情や気持ちの観点から見ていく意味論」と思ってしまっても、仕方ありません。
でもそれはあくまで人間の認知を探るための手段でしかないのです。



とりあえず、こういう本を読んでみて下さい。
大体易しい順に並べました。

言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学
野矢 茂樹・西村 義樹(中公新書)

認知意味論のしくみ (シリーズ・日本語のしくみを探る)
籾山 洋介(研究社)

はじめての認知言語学
吉村 公宏(研究社)

実例で学ぶ認知言語学
デイヴィッド リー(大修館)

認知意味論の新展開―メタファーとメトニミー(英語学モノグラフシリーズ)
谷口 一美(研究社)

この回答への補足

本をあげてもらって嬉しいです。実は最初の2冊は偶然数日前に買っていました。

間違っているかもしれませんが、ご説明を読むと「認知意味論」等を理解するには記号論理学なども勉強したほうが良さそうですね。

補足日時:2015/01/21 16:49
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認知意味論は意味論の一つです。


意味論にもいろいろなアプローチがありますが、その一つが認知意味論です。
だからどう違うかと言われても困ります。
トンボと昆虫はどう違うのですか、というようなものです。

冠詞の用法で言えば、「前方照応」「後方照応」「総称」などたくさんあるわけですが、それをどのように記述するかというのが言語学者の腕の見せ所です。

ひとつの言語のある用法に絞って精緻な分析をする人もいます。
他言語への応用を念頭に置いて、できるだけ一般言語学的に記述しようとする人もいます。
どのような記述を目指すにせよ、認知的アプローチが可能ですし、非認知的アプローチも可能です。

認知意味論と言っても、様々な考え方があり、これぞ認知意味論という分析法はありません。
たとえば、冠詞のある用法を基本(原型)とし、他の用法はここから蜘蛛の巣のようにネットを張りながら広がっていく、という記述も可能でしょう。
また、用法の拡大といっても、メタフォリカルな拡張かもしれないし、視点の相違かもしれない。


ご質問に沿った回答をするならば、
英語の定冠詞には「唯一的に同定」できる名詞句につけられる場合と「親近」的なモノを表す名詞句につけられる場合などがあるが、この話は「意味論」的な考え方である。
ただし、これを具体的に精密に理論的に分析しようとするとき、認知的考え方と非認知的な考え方の違いが生じる。

この回答への補足

ありがとうございます。「認知的」という部分の説明は難しいと思いますが、「認知的意味論」は、おおざっぱに感情や気持ちの観点から見ていく意味論と考えても良いですか?

補足日時:2015/01/20 21:26
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この回答へのお礼

Biolinguist様

色々と教えて頂き有難うございました。大変大変ためになりました!

お礼日時:2015/02/05 18:05

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Qメタファーとは

メタファーとはなんでしょうか?まったく意味がわかりません。
何かわかりやすく説明しているいいサイトなどありましたら合わせてよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
メタフォア(メタファーとも言います。metaphor)は、比喩の一種で、シミル(simile)と並んで、代表的な比喩の修辞技法です。

メタフォアは、「暗喩・隠喩」と呼ばれ、シミルは「直喩・明喩」と呼ばれます。形の上からは、「……のような」「……に似た」というような言葉が入っているのがシミルで、入っていないのがメタフォアだという区別がありますが、内容的にはかなり難しいです。

易しい例を挙げると、一般的に、次のように対比させます:

「彼は、キツネのようにずるい」……「ように」がありシミル。
「彼は執念深いこと、蛇のようだ」……「ようだ」がありシミル。

メタフォアはこれに対し、

「彼はまさに希代のキツネだ」
「彼は蛇だ」

前者のシミル(直喩)では、「ように」などがあるのとは別に、「何を喩えているのか」が、明示されています。彼がキツネなのは、「ずるさ」が比喩されています。彼が蛇なのは、「執念深さ」で比喩されています。

しかし、後のメタフォア(暗喩)では、どこがキツネで、どこが蛇なのか、明示されていません。「ように」とか「似て」は、「キツネのように狡猾だ」「蛇に似て執念深い」などで使うので、何を比喩しているのか明示する言葉が来るのです。

彼はキツネだ。彼はイヌだ。彼は蛇だ。……などは、よく使う比喩なので、メタフォアの形をしていても、前後の関係から、何がキツネで、何がイヌか分かります。「キツネだ」というと、狡賢いになりますし、「イヌだ」というと、誰かの忠実な手先だという意味です。

シミルの形をしていても、どこが比喩なのか分からないシミルもあります。例えば、「青い湖水を静かに泳いで行く白鳥のように彼は穏やかに微笑した」というのは、「穏やかさ」を比喩するシミルですが、「青い湖水を静かに泳いで行く白鳥」が、どういう関係で、「微笑の穏やかさ」になるのか、よく分かりません。

こういうのは、形の上では、シミルですが、実質はメタフォアになっています。

メタフォアというのは、「詩」で多く使われますし、効果的に使うと、非常に印象的になります。

「兵士は、獲物を探す鷹の目で、遙か眼下の平野を見下ろした」というのは、おそらく、「鋭い視線・注意深い視線・鷹のように獰猛な意志」などの比喩なのでしょうが、読む人によって色々なものが、想像され、了解されます。

「西欧中世の古風な宮廷舞踊会の毎日のように、時が傍らを過ぎ去って行った」というのは、「ように」がありますが、これはシミルではありません。時間が経過したというのは、分かるのですが、どういう風に経過したのか、その部分がメタフォアになっています。

華麗に過ぎ去ったのか、繰り返しのように過ぎ去ったのか、静かに過ぎ去ったのか、典雅に過ぎ去ったのか、退屈に過ぎ去ったのか……読む人により、前後の文章により、色々なイメージや意味になります。

つまり、何か「比喩」なのですが、意味が明白でない代わり、イメージや雰囲気があり、「暗示的な比喩」であるのです。

メタフォアが多い文章というのは、イメージや雰囲気は豊かなのですが、それで何なのかが分かりにくいような文章です。メタフォアのイメージや雰囲気を味わうことが意味あることになります。

「新月の夜の緑の沼の眸で、スレートの笑いを彼は頬に浮かべた」では、何のことかよく分かりません。「暗い緑の眸で、スレートのように硬い笑いを彼は頬に浮かべた」なら分かります。「スレートの笑い」は、シミルで言えば、「スレートのように硬い」になるのです。

しかし、そう言ってしまうと、イメージや雰囲気の余韻が出てこなくなるので、メタフォアという、何をどう比喩しているのか、イメージなどは分かるが、それが何を意味するのか、自分で味わって了解しなければならない修辞の形式を使うのです。

メタフォアというのは、文章修辞の典型で、詩の本質は、このメタフォアのできぐあいに係っているという見解もあります。

また、以上は、文章修辞のメタフォアですが、メタフォアは、人間の概念思考に常に付随するもので、あらゆる芸術や日常生活にも、メタフォアが関係するというのが、一般的な考えです。三番目のURLは、かなり難しい文章ですが、メタフォア論になっています。

>日本語の修辞法―レトリック
>http://www.sanseido.net/Main/hyakka2/Rheto/rheto_rhe.html#two

>特別企画 第六回 比喩
>http://plaza5.mbn.or.jp/~gendaibun/kikaku/kikaku0601.html

>メタファーと認知
>http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html
 

参考URL:http://www.sanseido.net/Main/hyakka2/Rheto/rheto_rhe.html#two,http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html

 
メタフォア(メタファーとも言います。metaphor)は、比喩の一種で、シミル(simile)と並んで、代表的な比喩の修辞技法です。

メタフォアは、「暗喩・隠喩」と呼ばれ、シミルは「直喩・明喩」と呼ばれます。形の上からは、「……のような」「……に似た」というような言葉が入っているのがシミルで、入っていないのがメタフォアだという区別がありますが、内容的にはかなり難しいです。

易しい例を挙げると、一般的に、次のように対比させます:

「彼は、キツネのようにずるい」……「ように」がありシミ...続きを読む


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