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現在生物系の大学院の修士1年生をしております。
中退を考えている理由は、他にやりたいことができてしまったからです。
経緯は改行の後に書きました。
今悩んでいることは、入学前のラボの教授との面談や口述面接の時に博士課程まで志望していると言ってしまった手前、どうやって中退を希望していることを切り出せばよいかということです。
現在、指導は教授ではなく研究員の方にしていただいています。なので教授と研究員の方とどちらへ先に打ち明ける方が良いのかも合わせて教えていただけると助かります。
明後日には話に行きたいと考えており、急なことで申し訳ないですがどなたかアドバイスよろしくお願いします。



大学院受験当時の私は生涯を通して分子生物学を学びたいと考えていたため、ラボの教授に博士課程まで進むと断言していました。
このように当時は生物学に傾倒していましたが、今年に入ってから元々持っていた起立性低血圧が酷くなったり、からだに腫瘍(一応良性らしいのですが)が見つかったりと自分を見つめることが多くなりました。
その中で「食」というキーワードにたどり着き、一次産業、特に農業に携わりたいと考えるようになりました。
一方学術面では、倫理に関する授業やジャーナル紹介で論文が膨大なエラーによって取り下げが相次いでいることや、一流雑誌でもずさんなデータを載せた論文が審査を通過し掲載されている現実や、ラボでも正確と言えないのではないかと思えるデータを元に話し合うという現実を目の当たりにし、自分のこともままならないのにこのまま砂上の城のような場所に居続けて良いのだろうかと悩むようになりました。
そして学問よりも人間が生き物として生きるうえで必要なものを学びたいという結論に至りました。
小中高大、部活や塾など、どんなにつらく嫌になっても辞めたことはありませんでした。そのため「辞める」ということへのものすごい葛藤を今も感じています。
けれど、分子生物学に未練は最早全くなく、早く作物の栽培に関する知識が欲しいという思いが日増しに強くなり中退も一つの手かもしれないと考えに落ち着きました。
加えて自分自身の中で、いつまで生きているかわからないという意識が強く、今すぐにでも就農する準備(免許を取ったり農場訪問など)をしたいと考えている状況です。
中退に関する両親の了解は一応取れており、理解をしてくれつつも難色を示した父は「教授と話してみろ」と言われました。
以上が経緯となります。
悩みは上記の通りですが、辞めない方が良いのではないかという方の意見もぜひ参考に致したいと思っております。
なにとぞよろしくお願いします。

A 回答 (3件)

>なので教授と研究員の方とどちらへ先に打ち明ける方が良いのかも合わせて教えていただけると助かります。



 迷っているなら、教授が先。決心したのなら研究員が先、かな。2人同時に捕まえて3人で話し合う、というだって不可能ではないと思うけど。そういう選択肢はないの?


 >なにとぞよろしくお願いします。

 厳しいこと書きます。覚悟して読んでください。
 農業に従事しても、起立性低血圧と腫瘍のせいにして、多分辞めちゃう。あるいは「 やっぱり分子生物学・サイエンスに未練がある」 とか言い出す。あるいは「 気の迷いだった」 とか「 やっぱり●●がいい」 とか別の業界へすぐ移る。
 あなたの文章からは「 どうしても農業するんだ」 という決心とか、「 農業でやっていくんだ」 という気概とかが伝わってきません。
 ただし、未練がない、とそこだけははっきり書いてあるので、こんなところ(失礼)で質問なんてしていないで、さっさと「 辞めます」 と宣言しに行けばいい。
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この回答へのお礼

助かりました

ご回答ありがとうございます。

2人まとめて、というのは盲点でした。
どういう体系で話を進めるのがよいか再度考えてみます。

分子生物学へは未練がないどころか不信感でいっぱいな状態なのでもう戻られないと思ってます。
しかし今までなんでも意地でも続けてきたのでやはり中退という行為にまだ迷いがあるため質問板に来てしまったように思います。
あと「どうしても」という感じがないのは農業の先や周辺にも目的があるのでdsdnaさんがそう感じるのはごもっともです、すみません。

もっと辞めることや辞めた後のことについて熟考します。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/09/10 22:29

夢と目標をもって学ぶ。


私はとても大切な事であり、今教育に決定的に欠けているものだと考えています。
しかし同じくらい大切なものに一度始めたことはある程度までやり遂げることがあります。

あなたは一度目指した自分の夢に区切りはつけられたでしょうか。
できてないのならそれは「投げ出し」になります。
どんなにサボろうが、しょぼい内容だろうが一区切りまでやり通したならそれは「成果」と「経験」になります。
成果と経験で人は成長していきます。
数多が今自分でいろいろ考え気づいたのはこれまで区切りをつけるまで投げ出さなかった経験によって成長してきたからなのです。

あらゆる経験と知識は必ず役に立ちます。
役に立たないと思うのは役立てようと言う意思がないか役立てる力がないからです。
あなたが見つけた新しい目標も現在半ばの道を区切りがつくまでやり遂げることで必ず活かすことができるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

区切りをどこに定めるかは難しいことだと常に思っています。
もちろんやり通した時の方がその区切りはより明確になるのでしょう。けれど失礼ながら私の経験からは、意欲もなくぐだぐだサボりながら続けたものには負の成果しか実りませんし、まかり間違えても「やり終えた」などとは言えないです。
区切りを待つためだけに時間を浪費することといつか役に立つだろう経験をやり遂げることが果たして自身のためになるのかどうかよく考えてみます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/09/11 18:25

当事者でないのである意味いい加減な意見ですが、大学院をやめるというあなたの考えは賢明だと思います。



「大学院受験当時の私は生涯を通して分子生物学を学びたいと考えていたため、ラボの教授に博士課程まで進むと断言していました。」
この時点で、あなたは非常に先見性があり相当な力があるか、先見性が全くなく一時の感情に流される人かのいずれかだと思います。この質問文全体を通じて、恐らく後者でしょう。失礼ながら、なんか小難しい単語をちりばめていますが、文章全体の構成はかなり幼稚に見えます。きっと学者や教育者には向いていないと思います。

「学問よりも人間が生き物として生きるうえで必要なものを学びたいという結論に至りました。」
この一文から、あなたは私と同様に即物的なのだと思います。即物的な人が学問を究めてゆくには耐え難い苦難の道を歩むことになると思います。同様の理由で今のあなたなら職人的な仕事に就いたとしても早い段階で途中で投げ出すのではないかと思います。楽な道を選ぶならば少しの努力で自分に良いフィードバックを得られるような仕事が向いているかもしれません。

とはいえ、M1ということはまだ若いですから、いろいろ挑戦してみるのがいいかもしれません。数々の経験をすることで将来的に今のあなたから変わることも十分あり得ると思います。時間がたてばたつほどチャンスも遠のきますから、違う境遇へと漕ぎ出すなら早い方がいいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。

文面は顔が見えないので誤解のないように書こうと気を張ってしまうためややこしい文章になってしまっていることは自覚があります、すみません。
自分自身がどういう人間なのかを再度噛み砕いて就農と照らし合わせて考えてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/09/11 06:16

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