![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
下記質問で、「住む」は継続動詞という趣旨のご回答が案外多かったですね。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11092199.html
しかし、動詞自体を取り上げて継続動詞と断定してしまうのは間違いではないでしょうか。
なぜかというと、文脈によって、その意味は多様になるからです。
特に「ている形」では、その点が顕著に表れる。
a.彼は一度も引っ越しておらず、今もあの家に住んでいる。(継続)
b.近所に住んでいる子供の名前は全員知ってる。(状態)
c.こういう海岸沿いのマンションには昔からよく住んでいる。(反復)
d. 5LDK には一度も住んだことはない、と彼女は言ってたが、あれは嘘で実は過去に一度住んでいる。(過去完了・経験)
などです。
継続用法は a. の場合だけであることがお分かりになるかと。
継続用法かどうか判断が難しい場合は、進行形にして不自然にならないか、検証してみると良いでしょう。
b'.近所に住み続けている子供の名前は全員知ってる。
という解釈は不自然であることがわかりやすくなるはず。
あるいは、結果の存続用法かどうかは、
b".近所に住んで、その結果が存続し続けている子供の名前は全員知ってる。
と解釈にしてみれば、不自然であることがわかりやすくなる。
これらに対して、
b.近所に住んでいるという状態にある子供の名前は全員知ってる。
は不自然にはならないかと。
状態を表す用法は、文末の叙述に「ている」を伴うのが普通な動詞で使われる、といったご回答もありました。
しかし、大辞泉のように、
㋒現在の状態を表す。「彼の気持ちはもう変わっている」
という例文もあります。
他の辞書の例文に対応させても、
・行く手を阻むかのように、前方に高い山が聳える。
・彼は知力に富む人間だ。
・テルテル坊主をたくさん作れば天候に恵まれる。
・基本的に男子は母親に似る。
・周囲を林に囲まれる閑静な住宅地。
などなど、「ている」を伴わなくても普通な動詞がほとんどとさえ言えるでしょう。
以上のことからも、継続動詞というものは、あくまで「継続用法をする場合の動詞」という意味に捉えるべきだと思うのです。
我々はシチュエーションというものについて、もう少し神経を使う必要があるのではないですかね。
「住む」は継続動詞
のような分類はまったく意味がないと思うのですが、みなさんはどう思われますか?
No.6
- 回答日時:
NO5さんの回答者に同感。
一時は現在形、と言われることにも疑問すら・・・・・。
たぶん過去形でないのは確か、他の形にも該当しない、ならば、動詞の基本形と言ったほうが・・・と思ったこともあります。
動詞⇒動く、は時間の経過がなければあり得ません、したがって基本形?の「住む」だけでは、動詞は本来の表現に至っていないのでは。
ご回答ありがとうございます。
>動詞⇒動く、は時間の経過がなければあり得ません、
:
なるほど。
さすが着眼点が斬新ですね。
#5さんが例に挙げられた「立つ」「座る」などは『時間の経過』がわかりやすいと言えそうです。
「住む」という基本形は『時間の経過』が想定しづらいのでしょうね。
No.5
- 回答日時:
私は日本語教師ですが、「住む」は継続動詞ではなく、瞬間動詞だと思います。
「住む」というのは、ほかの場所から来て、そこに居住するという、瞬間をあらわします。だから、瞬間動詞だと思います。
居住するという変化があり、その変化の結果の残存をあらわすのが「住んでいる」です。
確かに「住み続ける」と言うため、継続動詞ではないかと思われがちですが、「~続ける」の形があるからと言って、継続動詞だとは限りません。
例えば、「立つ」にも「立ち続ける」、「座る」にも「座り続ける」の形がありますが、これらは瞬間動詞です。
これは、「ている形」がどこに位置するかによってわかります。
(1)「(これから)食べる」→「(今)食べている」→「(もう)食べた」【継続動詞】
(2)「(これから)飲む」→「(今)飲んでいる」→「(もう)飲んだ」【継続動詞】
(3)「(これから)立つ」→「(もう)立った」→「(今)立っている」【瞬間動詞】
(4)「(これから)座る」→「(もう)座った」→「(今)座っている」【瞬間動詞】
(5)「(これから)住む」→「(もう)住んだ」→「(今)住んでいる」【瞬間動詞】
さらに言えば、「住み続ける」「立ち続ける」「座り続ける」の形はあっても、「住み終わる」「立ち終わる」「座り終わる」の形は、ありません。
以上により、「住む」は継続動詞ではなく、瞬間動詞だと思います。
ご回答ありがとうございます。
>「住む」というのは、ほかの場所から来て、そこに居住するという、瞬間をあらわします。だから、瞬間動詞だと思います。
:
わたしはシチュエーション次第ではないかと思うのですけどね。
たとえば下記のような例文は、どう思われますか。
「路上生活から抜け出して明日からは家に住む」などは、たしかに瞬間動作でしょう。
しかし、
「近所に住む子供は年々少なくなっている」などは状態を表わすのではないかと。
>例えば、「立つ」にも「立ち続ける」、「座る」にも「座り続ける」の形がありますが、これらは瞬間動詞です。
:
良い例を挙げていただいたと思います。
「住む」も瞬間動詞となり得るのだが、それが成り立つシチュエーションを想定しづらいために気づかないのではないか、という気もしてきますね。
No.4
- 回答日時:
> 「住む」は継続動詞のような分類はまったく意味がないと思うのですが、
http://amigo.hum.fukuoka-u.ac.jp/koga/index.php? …
動詞を分類することに意味があるのかどうか、 動植物や鉱物の分類、幾何と代数という範疇や概念を使うことにも、実用上の役に立つこともあるのではないでしょうか。 テンス、アスペクトでも似たようなものでしょう。
日本語文化を生育途中で身につけてしまっているヒトにとっては、文法も動詞の分類もどうでもいいことになるのでしょうが、第2外国語として日本語を学習し、文の意味の解釈などに役立てようとするヒトにとっては、動詞の分類法が役に立つように思えることがあるのではないでしょうか。 日本語を母語として育ったわたしにとっては、動詞とか、述語とかでも、主語でも、ピンとこないものがあります。
国語動詞に於ける(アスペクト観点による)四類型の存在
(状態動詞) 状態を表し、時間を超越したもの:「~ている」は付加できない。
(継続動詞) 動作作用を表し、動作作用に継続があるもの:「~ている」を付加すると継続中を示す。
(瞬間動詞) 動作作用を表し、動作作用がすぐ終わるもの:「~ている」を付加すると結果の残存を示す。
第四種の動詞 時間観念を含まず、「ある状態を帯びること」を表わす:常に「~ている」を付ける。
1つの動詞が複数の項目にまたがる例があるとも言っている。
産む、産んでいる。 死ぬ、死んでいる。 殺す、殺している。 引っ越す、引っ越している。
会う、会っている。 合う、合っている。 歌う、歌っている。 書く、書いている。
飛ぶ、飛んでいる。 跳ぶ、跳んでいる。 ぬきんでる、ぬきんでている。
払う、払っている。 済む、済んでいる。 棲む、棲んでいる。 住む、住んでいる。
有る(在る) 昔男の子ありける 光ある 世にある 誇りある
住む人のない家 住んでない家屋 住んでいる人 10年前に住んでいた家
ご回答ありがとうございます。
1.
>(状態動詞) 状態を表し、時間を超越したもの:「~ている」は付加できない。
:
<状態動詞>
ある、いる、できる(可能)、要する、値する、など。
・できている
・要している
・値している
といった表現はできない、と思われますか?
2.
>第四種の動詞 時間観念を含まず、「ある状態を帯びること」を表わす:常に「~ている」を付ける。
:
<第四種の動詞>
そびえる、すぐれる、ずば抜ける、ありふれる、似る、
(水が)澄む、(角が)とがる、高い鼻をする(している)など。
「すぐれる、ずば抜ける、ありふれる」などは確かにそうですね。
・行く手を阻むかのように、前方に高い山が聳える。
・彼は知力に富む人間だ。
・テルテル坊主をたくさん作れば天候に恵まれる。
・基本的に男子は母親に似る。
・周囲を林に囲まれる閑静な住宅地。
・この川は冬になると毎年必ず水が澄む。
・この道具を使えば切っ先は鋭く尖る。
といった表現はいかがですか。
また、「高い鼻をする」が不自然になるのは、「する」という動詞の数ある用法の中の「状態を表わす」という用法に限られるのでは。
それをもって、「する」という動詞を《常に「~ている」を付ける第四種の動詞》のように分類することがおかしいのではないだろうか、ということです。
3.
>1つの動詞が複数の項目にまたがる例があるとも言っている。
:
『例がある』のではなく、「ほとんどだ」と思うのですがいかがですか。
つまり、
>実用上の役に立つこともある
:
というよりは、
実用上の害になることが多い、と言うべきではなかろうか、という問いです。
No.3
- 回答日時:
なお、釘貫亨『「国語学」の形成と水脈』(2013年12月 ひつじ書房)が山田孝雄の統覚作用について、カント『純粋理性批判』の「超越論的統覚」の影響を論じていますが、釘貫自身この書で不可知論的発想のレベルに終始し、ソシュールのカント主義の影響を指摘することが出来ていません。
その証拠に、「第8章 時枝誠記とソシュール『一般言語学講義』」の時枝の引用で、「観察的立場と主体的立場」を「観察的立場と主【観】的立場」(141p)と誤って引用し、他の個所でも同様の誤りを繰り返しています。
これが、現在の日本語学、文法論、そして言語論の実態です。■
ご回答ありがとうございます。
なかなか奥が深いものなのですね。
例文を掲げて解説してくださると多少は理解の一助になりそうな気もしますが、このままではお手上げ。
とはいえ、簡単に説明できるようなものではなさそうですね。
No.2
- 回答日時:
コメントありがとうございます。
以下のように考えています。
>>物自体を言語化するのはたしかに無理ですが、そもそも、物自体を持ち出す意味がありますかね?
カントは物自体の認識を不可能としています。このため対象の概念認識を反映として捉えることができません。それは、良く知られたソシュールの話者と聞き手の会話の図に示されているように、二人の脳と耳を結ぶ線がクローズしており、外部との繋がりがありません。橋本進吉の図も又、これと同じで、時枝の指摘する言語道具観となるしかありません。
>>パロールもソシュールの用語でしょうから、そのパロールを言語として考えればよいだけであり、無いものねだりをする必要性はないかと。
パロールを言語として捉えるためには、規範であるラングによる話者の個別概の媒介という立体的な構造を捉えなければなりません。不可知論というパラダイムからはラングとパロールを平面的に並べその移行を説くしかなく、実際、松澤和宏は「ソシュール の翻訳と解釈-時枝誠記による『一般言語学講義』批判をめぐる予備的考察」でこのような解釈を展開しています。
https://www.gcoe.lit.nagoya-u.ac.jp/result/pdf/0 …
しかし、これでは言語道具観を克服することはできず唯物論の弁証法的な反映論によらなければ立体的な過程的構造を捉えることはできません。このためには、カント的な不可知論を越えソシュールパラダイムのコペルニクス的な転換を図る必要があります。
(詳細は、三浦つとむ「弁証法は言語の謎を解く―言語学批判序説」<『思想の科学』1948年第3巻5号>以降の論考を参照下さい。)
>>金田一氏はパロールではなくラングに基づいて論を展開したために誤った、ということですか?
その通りです。良く知られている金田一の論稿「不変化助動詞の本質」に対する批判に対して答えた「不変化助動詞の本質 再論―時枝博士・水谷氏・両家に応えて―」の四でこの点に触れており、その理解の程が窺われます。
>>2.わたしなども、時々の場面において「〇〇動詞」のような分類はよくやりますが、場面に関係なく
「住む」は継続動詞のような決めつけは、どうなんでしょうね。
開始/継続・進行/完了というのは運動の抽象的な側面で、いわゆるアスペクトに当たります。英語では、これを「be ~ing」や完了形などで表現しますが、膠着語である日本語では、「~ている」「~していまった」など自立した形式動詞「いる」や「ある」や「しまう」を加えるだけで表現できます。このように、アスペクトは対象の個別の運動の抽象的な側面の立体化の表現で、動詞自体の属性ではありません。
「住む」は単に対象の時間的変化という属性の表現であり、そこに継続・進行の意義は含まれていません。動詞「住む」を継続動詞のような規範としての語の意義として決めつけるのは誤りということになります。
>>個別の文で「継続用法をする場合の動詞」として機能しているなら、その場面において(その場面に限って)、それを継続動詞と呼ぶことに関してはやぶさかではない、といった意味です。
前項にも述べた通り、個別の文の意味としては「~ている」の場合は継続の意味を表し、「~てある」は完了の意味になります。「窓が開いている」は継続・進行で、「窓が開けてある」は完了・進行の意味になります。■
ご回答ありがとうございます。
>カントは物自体の認識を不可能としています。
:
ですね。
認識できるのは対象だけだとしている。
しかし、そもそも、言語というものは(物自体ではなく)認識した対象を分別するためのツールのはずでしょう。
なのに、なぜ言語本質に関して「物自体の認識を不可とする不可知論」に基づいたのか、単純に疑問に思いましたが、現在の知見では、あれこれコメントできる立場にはないようです。
>「窓が開いている」は継続・進行で、「窓が開けてある」は完了・進行の意味になります。
:
シチュエーション次第でしょうね。
個人的には、
1.「スイッチを入れたら、少しづつ窓が開いている」⇒継続・進行。
2.「昨日から窓が開いている」⇒結果の存続。
3.「昨日から窓が開けてある」⇒結果の存続。
4.「小鳥のために窓が開けてある」⇒準備。
と分類しています。
3と4をどちらも「完了」と考えることはできるでしょうが、「進行」は無いかと。
No.1
- 回答日時:
ご指摘の通りです。
意志動詞/無意志動詞などという区分と同じ誤った区分です。
他でも回答しましたが、動詞とは、<属性を運動し発展し変化するものとしてとらえ表現する>もので、これが動詞の規範としての意義です。ここには、(継続動詞)(瞬間動詞)(「ている」がついた形が使われるのが普通である動詞)などという規範としての意義はありません。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11103573.html
このような動詞の区分は、金田一春彦が「日本語の動詞」(昭和35年5月『文法各論(続日本文法講座 第一刷)』明治書院刊:『金田一春彦著作集 第三巻』所収)で発表したものですが、この誤りが正されることなく現在に引き継がれています。
これは、現在の言語観がF.D.ソシュールによるラングを言語本質とする言語実体観、構成主義的言語観を抜け出すことができず、橋本文法以降何らの進歩がないまま本質的な批判ができないためです。
ソシュールによるラングを言語本質とする誤りは、その哲学的な根拠がカントによる物自体の認識を不可とする不可知論に基づいているところにあります。このため、話者による対象の認識の反映ではなく、悟性による統覚に認識の根拠を求めざるを得ず、語の意義と文の意味の相違と関連を捉えることができずに表現と対象を直結して解釈するしかなくなります。
ご指摘の、「継続用法をする場合の動詞」とは個別の文での意味であり、個別の対象の認識の反映で、規範としての動詞の語の意義ではありません。
正しくは、言語とはパロールであり、言語規範であるラングを媒介とした話者の個別認識の表現です。この誤りを指摘したのが時枝誠記の言語過程説ですが、時枝は過程の結果としての表現ではなく、過程そのものを言語本質とする機能主義的な踏み外しをしており、このため表現過程を提起した意義が理解されずにいるのが現状です。
この踏み外しを唯物弁証法の論理により克服、展開したのが三浦つとむによる認識と言語の理論で、これを正しく理解し発展させることが、令和の言語論、文法論の課題と責務ではないかと考えております。■
ご回答ありがとうございます。
1.
>ソシュールによるラングを言語本質とする誤りは、その哲学的な根拠がカントによる物自体の認識を不可とする不可知論に基づいているところにあります。
:
興味深いお話ですが、まさか純粋理性批判が関係してくるとは思ってもいませんでした。
物自体を言語化するのはたしかに無理ですが、そもそも、物自体を持ち出す意味がありますかね?
パロールもソシュールの用語でしょうから、そのパロールを言語として考えればよいだけであり、無いものねだりをする必要性はないかと。
金田一氏はパロールではなくラングに基づいて論を展開したために誤った、ということですか?
2.
わたしなども、時々の場面において「〇〇動詞」のような分類はよくやりますが、場面に関係なく
「住む」は継続動詞
のような決めつけは、どうなんでしょうね。
「家に住む」と言えば、家に住み続けていることを表わすと考えるほうが簡単ですが、しかし、
「路上生活から抜け出して明日からは家に住む」などは瞬間動作でしょうし、
「近所に住む子供は年々少なくなっている」などは状態を表わすでしょう。
決して継続ではないはずなのですが、シチュエーションによる、こうした違いに鈍感な傾向が存在し、それに迎合しているだけだという印象すら受けてしまう。
自戒を込めて、このように思う次第。
3.
>ご指摘の、「継続用法をする場合の動詞」とは個別の文での意味であり、個別の対象の認識の反映で、規範としての動詞の語の意義ではありません。
正しくは、言語とはパロールであり、言語規範であるラングを媒介とした話者の個別認識の表現です。
:
このご発言に関する論理プロセスがよくわかりませんが、わたしが申し上げたのは、「継続動詞」のように「規範としての動詞の語の意義」にこだわるのではなく、個別の文で「継続用法をする場合の動詞」として機能しているなら、その場面において(その場面に限って)、それを継続動詞と呼ぶことに関してはやぶさかではない、といった意味です。
4.
>この踏み外しを唯物弁証法の論理により克服、展開したのが三浦つとむによる認識と言語の理論で、これを正しく理解し発展させることが、令和の言語論、文法論の課題と責務ではないかと考えております。
:
マルクスも登場しますか。
機会がありましたら、また具体的に教えてください。
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#25お礼欄からの続き
8.
>最初に、日本語の動詞をアスペクトの観点から全体的に分類し、体系づけた、という業績は否定しようがありません。
:
ただ、それは niwa 先生もおっしゃるように『基準となる用法』としての分類ですよね。
そのように分類することで、「基準以外の用法」に思いをいたせない方が多くなってしまっているのではないか、ということを申し上げているところです。
9.
> 次の文の「歩く」(スル形)は動きを表すが、「歩いている」(シテイル形)は状態を表す。
鈴木は歩く。(単に「歩く」という動きがあることを表す)
鈴木は歩いている。(「歩く」という動きを現在の状態としてとらえる)
:
・あ、鈴木さんが歩いている。(「歩く」という動作が進行中である)
という捉え方はできない、ということですか?
下段へ続く
上段からの続き
10.
>で、動きの「進行中」は、「状態」を表す、のです。
:
それを言うなら、継続している状態・存続している状態・反復している状態・完了している状態、すべて「状態」では?
>私は、どうもこの言い方には抵抗があるのですが、上に書いたように、「現在のことを表せる」のが「状態動詞」の定義ですので、
:
ご自身の感覚のほうを信用なさっていただきたい、という印象を受けますね。
「〇〇動詞」という分類に拘ってしまうのは勿体ないですし、これこそが弊害と言えるように思われます。
先にも申し上げましたが、進行と継続は分けて考えるべきでしょう。(わたしも流されて一緒の意味で使うこともありますが)
下段へ続く
上段からの続き
11.
工藤氏のサイトもありがとうございます。
わたしの手には余りますが、つまみぐいしたところでは下記のような記述があります。
※b)運動動詞[動作動詞とも] :テンスは、基本的に<未来-過去>の対立
イ)動作動詞[継続動詞とも]:シテイル形の基本的な意味が<動作作用の継続>
①主体の動き・動作を あらわす 自動詞
歩く 走る 泣く 働く ~~~※
【シテイル形の基本的な意味が<動作作用の継続>】という箇所だけで、首を傾げざるを得ない、というのが個人的なスタンスです。
上段への補足
【シテイル形の基本的な意味が<動作作用の継続>】ということ自体を否定しているわけではありません。
「基本的な意味(だけ)」を分類項目として取り上げるのは(分類から外れる意味を結果的に無視していることになるわけだから)疑問に思う、という意味。
「ている形」が介在せずとも、「住む」という動詞自体に複数の意味(作用)がありますよね。
#26お礼欄からの続き。
5.
>「(住む という)動作が進行中」という捉え方は不自然でしょう、ということです。
「進行と継続は分けて考えるべきだ」と思うのはかまいませんが、わけのわからない用語を使ってはいけません。
:
「(住む という)動作が進行中」という捉え方は不自然
という私見について、
ちょっと何言ってるかわからない。
ということでしょうか?
6.
>日本語のアスペクトというのは、かなり議論が進んでいる分野なんですよ。
:
特に深く掘り下げるつもりも力もありません。
浅学の身には荷が重すぎるようですが、色々ご紹介いただきありがとうございます。