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「脱亜論」について。
福沢は日本と「隣国」がともに近代化を図り、欧米列強の侵略に対抗しようと考え留学生らに援助を惜しまなかったのに2カ国を悪友と言うようになったのですか?

A 回答 (5件)

この時代の欧米からも、日本は別格と思われたいくらいですから。


福沢が見た他国の水準は期待よりも、はるかに低かったのでしょう。
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日本は戊辰戦争を行い、


禍根は残りましたが、外国勢力が入り込まずに旧勢力を掃討できました。昭和初期まで長らく行われてたのは悪名高い藩閥政治です。
ほとんど独裁政権ですよ。
しかも先にアヘン戦争があったのでかなりの決意で日本が一致団結して明治維新を推し進めることができました。富国強兵ってやつですね。人権も、公害や農民の苦痛も度外視して、都市化と工業の強化に集中しました。


反面、朝鮮や清国は、様々な国内事情があり長く揉めてました。福沢はそれ見てコイツラダメダワー、てなったのです。

とはいえ、当時と今は事情も違い、むしろ日本のほうが国内事情は複雑であり、韓国や中国のほうが強権で一国主義です。
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欧米が列強たり得たのは、近代化に成功し


国民国家化したからです。

だから、日本も近代化し、国民国家に
しよう。

しかし、日本一国では、欧米に対抗出来ない
ので、中韓等と協力しよう。

そう考えたのですが、中韓とも、近代化に
消極的だし、国民国家化には見向きも
しない。

こりゃダメだ。

ということです。
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開化派を支援したのであって、守旧派が実権を握っていた清と朝鮮にはダメだしをしたのでしょうね。



それぞれの国そのものを否定したというよりも、開化派を弾圧する守旧派を否定しているように読み取れます。
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よく「脱亜論」を例に挙げて「福沢は変説したという人がいますが、


最近の研究では、そうではないという見方が強くなってきています。

福沢はその国の「政治制度」と「若者への教育」とを、別な視点でとらえていました。
従って「清」や「朝鮮」の政治には失望していたようですが、
だからこそ「若者への教育を受けた若者」に東アジアの将来を託し、期待していたと考えられます。
つまり、冷静な現状分析と、「教育の重要性」という視点は、幕末のころから変わっていないとも言えます。
そういえば、彰義隊が上野で戦っていた時に、福沢は慶応義塾で講義をしていたというエピソードが伝わっています
従って最近では、福沢の「政治より経済」といった実学志向と、個人の自立を教育に求める「教育重視の姿勢」は、
このころから一貫しているという風に、評価は変わりつつあります。
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