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フランツ•カフカ ってユダヤ人だと思うんですけど、迫害されていたんでしょうか?
もしされていたとしたら、変身は迫害された経験から描いたものなのでしょうか?

A 回答 (3件)

迫害されていたんでしょうか?


 ↑
迫害されていた、という記録は
無いようです。

ナチスの迫害は彼の死後のモノです。

しかし、カフカは父との葛藤や、社会からの
疎外感を感じていたようです。

変身は、人間価値に対する問題提起でしょう。

人間の価値は何で決るのか。

社会的役割や、外観で決るのかよ。

それはおかしいだろう。

こういう問題提起だと思います。



もしされていたとしたら、変身は迫害された経験から描いたものなのでしょうか?
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この回答へのお礼

助かりました

変身の解釈までありがとう

お礼日時:2024/09/05 17:14

あまり関係ないと思います。


変身が書かれたのは第一次大戦が始まる前で、ナチスが第一党になるのは彼の死後です。

彼の生まれる前にオーストリアハンガリー帝国では法律的にはユダヤ人差別は無くなっています。
民衆レベルでの差別(今のアメリカの黒人差別みたいに)はあったのでしょうが、迫害とまではいかないはず。

カフカは同化ユダヤ人の裕福な商人の長男として、ドイツ語で教育をうけ、大学に進学しました。
大学時代から演劇や文学に興味があり、友人の中には熱心なシオニストもいましたが、カフカはシオニズムにはあまり関心はなく、その部分では距離をおいています。

ユダヤ人は役人に採用されにくい時代に、コネを使ったとはいえ政府系の機関に就職できて、金銭的に不自由していない。
14時までの勤務後はゆっくりランチをし、テニスやボートなどの運動もこなす健康オタク。
夕方からは執筆するか、気の合う友人と大都会プラハのナイトライフを楽しむかみたいな生活をして、女性との交際も盛んで、という割と勝ち組な状況の中で変身は書かれています。
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この回答へのお礼

ありがとう

こんなに詳しくありがとう

お礼日時:2024/09/05 17:14

ナチスがミュンヘン一揆を起こすのカフカ死去の前年(1923)です。


 裁判で禁固刑に処せられたヒトラーが執筆したのが反ユダヤ主義を鮮明にした「わが闘争」で発行されたのはカフカの死後です。
 ヨーロッパには大昔からユダヤ人差別が存在しましたが、ナチスが本格的にユダヤ人を迫害するのは1938年の「水晶の夜」以降です。
 カフカの生前は富裕なユダヤ商人の息子として迫害とは無縁の人生を送ったはずです。
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この回答へのお礼

助かりました

なるほど。ありがとうございました

お礼日時:2024/09/05 07:19

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