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私は大学三年生のものですが今後の人生に全く希望が持てないんです。
本当です。

就職活動中で、それが上手く行かないと言うのもあるんですがそれだけじゃないんです。
正直ある程度の大学・外見ではあるので選り好みしなければまあ就職は出来ると思います。
でも就職しても絶対に周囲から浮いてしまうのは分かりきっています。

就活するにあたり自分がいかに空っぽな人間かということに気づいたのがきっかけです。

大学時代何もしてきませんでした。
友達も増えなければ、勉強もしていません。
出来る限り授業をサボり、アルバイトをしてお金を稼ぐことだけに精を出していました。アルバイト先でも浮いてしまいます。

相手から定期的に連絡をくれるような友達は一人もいません。

いい感じになる男の人は格好良くて人間できている感じの人が多いのですが、いつも最初は相手が積極的でも、結局何にもなく終わってしまいます。
私に中身のなさに呆れ(実際に言われたことあります)、そのような人たちには私なんかよりずっときれいで人間力のある人がいるのに気づいたからだと思います。

大抵の人(いい感じになる男性や、短気な関係でしかないであろう人、自分以上に可笑しい人以外)に対し、すごく壁を作ってしまう傾向がありつれない印象を与えてしまうようなんですがと思いますが、大抵のひとが本当は怖くてしょうがないから壁を作ってしまうのでどうしようもありません。

結婚は出来ないだろうし、職場でも辛い立場になりそうだし、今後全く幸せになれる気がしません。

現在は若いからまだ良くても、今後年をとったら全く誰も相手にして切れなくなりそうで怖いです。

本当に好きなのはペットの犬だけです。
それしか私にはいません
もうどうすればいいか分かりません。
本当なんです。
お願いします、励ましなど入らないので具体的な
アドバイスを下さい。

A 回答 (230件中171~180件)

 恐らく、私はあなたよりも強力に相手に意に沿うように振舞う事が出来ると思います。



 だからこそ、今のそれを資質と言ってしまうあなたに危険性を感じます。

 他者性を養う方法を載せておきます。私の言うものの内、これは要らない、これは要ると分けて聞いているようだと、あまり効果もありませんし、学びも期待できないと思って下さい。人生も、あなたの有り方が変わらないままになると思って頂きたい。


 私は肉体的にも色々がありましたので、あなたよりも不自由と苦しさを囲う面があったと思います。

 そんな中、私が行ったのが、相手の目でものを見るということでした。

 相手の語っている内容を、相手が頭に描いているものを自分に写し取る。

 相手の語っている内容を、相手が抱いているフィーリングを自分に写し取る。

 相手が語っている身振り手振りで語っている身体のフィーリングを、自分に写し取る。


 などです。


 ただ、私も私の危険性を感じていますので、常に私に対して批評性を担保しています。そうやって自分に正道を打ちたてようと必死になっています。

 その批評性を担保したものに対しても、批評性を担保し続けています。という事を延々と行います。

 これがネガティブをポジティブに昇華させたのかもしれません。


 私は私の愛するものたちを助けたい、幸せにしたいと願い色々を負って生きて来ました。


 あなたも人々の想いを負って生きていく必要性があると思います。

 自分の幸せだけを追った時、人は堕落します。人性を失います。


 心の歪みに真剣に向き合いたいと思われるのならば、自分を見るに甘い目を向けることはなされないことが肝心かと思います。

 そこで甘さを持たれますと、それは簡単に傲慢を許してしまいますので、見えるものには見えてしまいます。

 ただ、根拠のない目線を持つ事はあまり意味を持たないと思います。理由無き視線を向けるのは、あまり意味を持たないと思います。

 世界を感じつつ、自分を知ることが大事だと思います。


 批評性を担保しつつも、私を信じて取り組んで欲しいと思います。


 学ぶとは全人格的に受け入れる事によって成されるのですよね。もちろん、批評性は必須ですが。
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No.49へのお礼、痛ましく読ませてもらいました。




 今すぐそれを成せと言っているのではないのです。そこに心を向ける事が大切なのです。

 なぜ、可能だと思えないのか、その理由を語ってはもらえないでしょうか。

 興味のなかったことに関心を持つのが難しいとは、何に対して興味を持つ事を指しているのでしょうか。


 話したいことなどない、というのは、わかる気がするのです。それは、今のあなたの状況ではわかるように思えます。ですが、あなたはひとつ思い違いをしているように思えます。相手の意に沿って反する事で上手く振舞えていると思っておられるでしょうが、それは”それなりのもの”となるのです。資質とそれをおっしゃいますが、その形が未成熟を示すものであるがゆえに、あなたは苦しんでおられるのですよね。それはまだポジティブに昇華されていない未熟なものであるのです。

 ただ、就職せねばというあせる気持ちは、とてもよくわかるつもりです。しかし、もうひとつ言うと、あなたの就職観は、いや、よくわかるんですよ、そのお金を生む仕組みを身に付けておけばという考え方も、でも、申し訳ないのですが、未熟だと感じます。あなたの必死な気持ちは通じるものがあります。ですが、その、形にはまり込むような方向性は、それと、その如何にもあなたの世代の人らしい発想ゆえに、自分らしさとは結びつき難い面が有ると感じます。ただ、今はその道に行くも心の経験として必要なのかもしれません。

 ただ、なかなか厳しい道であるとは思います。


 いや、取るに足らないという基準が大きく異なるのは、それほど感じてはいません。今の私の見ているもの(世界)、今のあなたの見ているもの(世界)が異なるというのは、それは大きく有ると思います。それと、あなたの言う、自分自身では自分を受け入れられないという部分、そこは過去の私ととても重なるものでしょう。



 No.51へのお礼に対する返事として。

 母親は、子に愛情と保護を与えると同時に、支配、侵入、干渉、コントロール、等を同時に投げかけます。愛情による縛りとも言えるでしょうか。

 それと、ヒステリー親の叱りは、怒りとの区別が付かず、子供はメッセージを受け止められきれず、また、親の反応に怯えることになります。甘えなども混ぜて投げかけられると、さらに混乱します。そういう親を持つと、子は、精神的な安住空間を得られず、逆に家が牢獄のようになります。こういう環境で育った子は情緒不安定になりますし、価値観
においても混乱を持つ事になりますし、人間としての感情の一部に希薄さを持ったり、全体的にアンバランスな形を持つようになります。

 人格障害と言われるものの成り立ちは、だいたいこのようなものとなります。

 まだまだ、ありますが、ここで止めておきます。テーマが絞れないのが、この対話形式の難点ですね。


 私の事がよくわからなくなってきましたか?それはどのような点ででしょうか。そこも語ってもらえると、詳細に触れることが出来ます。

 少し書いておくと、私が取るに足らないと人を断じているのに影響を受けて、自分の取るに足らないと感じているフィーリングにまで響き、落ち込んだりされないかを少し案じたのです。それは無かったということでしょうか。そうだとすると、あなたの状態を見分ける目安となりますね。



 No,52のお礼への返事として。

 そうですか・・・・・。そう来ると、大変ですね・・・・。

 何となく似ているのだろうとは思っていたのです。あなたの方が論理展開はきちんとしていますし、客観性も彼女よりは有ると感じます。しかし、私との話の噛み合い方が彼女と似ている気がしていたのです。

 つまり、あなたにも内に他者がいない、或いは、その他者の存在が希薄である、ということになるのですね。

 それは相手を思うにしても、自分の主観でのみ構成される傾向が強いという事であり、相手を思いやる心の弱さを表します。

 しかし、あなたは罪悪感を感じておられるわけですよね。それが希望だと思います。

 ですが、どうやったら一番傷つくかを想像して楽しんでいる部分へ、強烈に罪悪感を持つ事はありませんか。それがなく、ただ楽しんでいるに終わっているようだと、ちょっと厳しいですね。心底、相手を徹底的に打ちのめしてやろうと思っている部分へも、罪悪感が同時に、二律背反的に起こらないでしょうか。それも無いとなると、厳しいと思う面があります。

 そうですね、たとえば、感謝を姿勢で示すという意味がおわかりになりますでしょうか。感謝の言葉を付ければ、それで感謝は済むとか、形式的に感謝の形となっていれば、それで済む、など思われているでしょうか。

 他者性を養う必要がありますね。

 これは死活問題だと思って欲しいと思います。これを養えねば、生きてはなかなか行けぬものであると思って欲しいと思います。


 そうそう、理想の男性像ですが、その男性の形と同一化を果たす事が、自分の弱さ(コンプレックスを含む、もっと大きなもの)を埋めるものであるとなっているために、執着するのですよね。付き合うことのよって、その男性に見ていたものを自分に取り込んだように錯覚するのが、女性に有る同一化の姿ですね。いや、それで、一部は同一化を果たせる部分もあったりするのですが、基本的にそれは錯覚なのです。


 たとえば、例となった彼女は著名人と異様に繋がろうとして接近して行く傾向が強過ぎるほど強かったのです。それはパワー(権力)との同一化を欲する形でした。そして、社会学方面に強い関心を持ち(でも、拙いですが)、そして独裁とか共産主義に向かう傾向がありました。彼女は自分の個人情報を必要以上に隠したがる人でしたので、家庭において、その流れを持つものがあったのだと思います。
 彼女はまた、倫理観も、道徳観もありませんでした。

 彼女にとって罪悪感も耽溺の対象であったと感じます。


 あなたにも自分の考えとか関心にこだわり過ぎる形があると感じます。関心が無いもには向かえないと言い切るのは、学ぶ姿勢とは言えません。しかし、そう言い切ってしまいます。
 他にも、そのような言い方がありましたよね。

 やはり、他者性の薄い自己批判とか、責任感、反省、感謝の形を持つのだと想像します。

 他者性が薄いとは、自分の主観にのみによって構成される、と言えます。相手を思う、思いやる、その心の使い方を学ばねばならないでしょう。


 利他の精神を得ることが、あなたの抱えるものへの近道となるのですよね。


 あなたは罪悪感を感じていますが、自分の形を許しているところが有ると思います。放任とも言えるような許し方が内在するのではないでしょうか。それが、あなたの言う独我となるのではないでしょうか。

 辛くとも、そういう自分と正対する事が自分で自分を認められる力となるのです。


 一度人生を一からやり直す気がないと、あなたの嫌うあなたと正対するのは難しいとは思います。

 自分の考えへの執着も一度捨て去り、自分のあり方への執着をも一度捨て去り、空っぽにして臨む必要が有ると思います。

 私も自分が自分を認められることが大事と思いますが、しかし、自分のみ認められないと意味が無いとは思いません。双方を溶け合わせる事が、肝要だと思います。


 あなたはまだあなたの世界の狭さを、あなたの足りないを、あなたの知らないを知り得ていないようですね。そう感じました。


 やはり、この形式の伝える力の弱さを感じました。
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私は今まで話してきた人たち皆に言って来た事があります。

それはカウンセリングと言うものは対面でのみ行われるものである、という事です。なぜなら、それが一番リスクを回避出来て、一番効果が有るからです。
 私はあなたの前に話していた女性に、結局、私の心を弄ばれ、私の優しさを利用されて終わりました。つまり、私の方から言っても、リスクを回避できるのは対面の方なのです。つまり、双方にとってなのですね。

 また、大事な事を話すのに、また、話したいことを話すのに、やはり、会って話すでしょう。それはそうでなくてはならないからなのですよね。

 あなたと話していて、この人はカウンセリングと言うものを活かせる人だと感じました。ですから、私のような力を持っているカウンセラーを実際に求めたほうが良いと思います。あなたはそういう機会を生かして抜け出せる側の人間なのですよね。私の方に時間を割いているのも惜しいと感じますよ。
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 予想通りというか、まぁ、いつものことですが、眠れなかったので、先ほどの続きを書こうと思います。

いやいや、暇人と思われそうですね。まぁ、これでもしっかりと仕事はこなせてますからね。

 ですから、No.48へのお礼への返事として、を書きますね。

 他者(あなた)を受容してもらうのは、ある意味簡単です。でも、ある意味難しいのです。受容と言っても、部分受容です。大人の受容、距離を置いた受容とでも言いましょうか。それを成すのは、誠心で、誠意で向かいあう事です。

 誠心で人と向かい合おうと、自分の心を傾けようとしている人は、周りから求められて行きます。より良い仕事の場合もそうですが、利他の精神です。利他の精神を持たんと強く臨んでいる人は、姿勢からして違ってきます。周りへの感得力も違ってきます。

 そして、”和を以って、尊しと成す”の精神で以って、全体を考えて行動する事を己に課せば、その姿勢は周りから信を置かれて行くものとなります。

 もちろん、自分への執着はいつでも顔を出します。そういうものと常に向かい合う心を忘れず、戒めを持つ必要もあります。

 理としては、とても簡単なものです。それの参考になるのは、儒教の手本である、”論語”でしょうか。孔子の言葉ですよね。

 私事で申し訳ないですが、私は3年前の抜けたことにより、やっと、生命に関わらない書籍も読めるようになって来たのですが、それで以前から所持はしていた論語を読んだ時の驚きましたよ。そこには私の考えが本となっているようなものが載っていたからです。私は厳しい人生の中で、いつの間にか儒教的な考えを身にまとっていたのですね。

 あぁ、そうそう、それと、私は文章から人を見れると書きましたが、面接官のような事もできますよ。15分から30分話しただけで、相手がどれぐらいの人が判る事が出来ます。言葉遣い、話している時の表情の移り変わり、仕草、単語の使い方、あぁ、そこら辺は文章と同じですかね。あと、ファッションとか、そのファッションのまとめ方とか、髪型とか、スタイル、体の使い方とか、色々ですね。これもネガティブをポジティブに昇華させたものですよ。


 核が揺らいでいるというのは、あなたの自分観や人間観、世界観、異性観などを聞いてても、そう思います。
 そう、自分の核って何かと言われると逆に困ると言うように、自分の核を感じられないのも、それであります。
 
 現在の状況と言うよりは、ずっとある状態の事を言ってますね。あなたの幼い頃からある状態でしょうか。でも、幼少期には幾らか核を感じられていたと思うのですよ。そういうものを自分史を振り返って確認する必要があるのではないでしょうか。

 たとえば、この間、発した私の問いである、金融を幼い頃から志向していたのでしょうか?という問いもそうですね。

 あなたの幼い頃のフィーリングを追う必要があると思います。

 たとえば、私は幼少の頃より、春と秋の到来を、いち早く、空気の匂いで感じている部分がありました。でも、周りにそれを言う人もなく、また、自分への感覚への信頼が希薄であったために、いや、自分自身への信頼が希薄であったために、それを有ると認知する事が出来なかったのです。でも、今は確信を持って有ると言えます。それは私の感覚世界の確かさが、過去には信じられなかったけども、今においても有り、過去においても有った、という、私の核の探求のひとつであったと思います。


 異性に関するコメントは、自然に周りと溶け込める人という事でしょうか?

 外見は”もちろん”大切なのですね(笑)。いや、馬鹿にして”(笑)”を付けたわけではないですよ。正直だなぁと思ったのです。まぁ、でも、語る上で”外見は・・・・”というのは当たり前だと思うんです。皆、そうだと思いますし、女性なら、さらに自身の外見にも綺麗に見せたいと思うでしょうし、それと同じで、男性の外見にこだわるのも有るものだと思います。前後の文脈的にも、そういう表現を用いたのでしょうしね。もちろん、あなたの以前からの内容と繋げても、そう言っているのでしょうけども、正直だなぁと思ったのです。こういう書かれ方は嫌だなとか、傷つくとか感じますでしょうか?

 人間的な意味での素材ですか・・・・。なかなか微妙な表現ですね。しかし、なるほどと思いました。


 ペットへの気持ちの重さ、真実性は伝わるものがありました。その愛情確認行動とも言えるようなものに関しては、次のナンバー辺りに書いたと思いますので、今回はそちらへの返事を待ちます。

 ただ、言えば、そういうものは、割と誰でも持っているものであるのだ、という事を知る事は必要じゃないでしょうか。ただ、形が気に病む形として出ているだけで、周りの人も気に病まない形としてそれが出ている事は多くあります。

 あなたは相手の存在性を重んじるゆえに、そこを責めるのでしょう。ただ、相手の存在性を重んじるのは、自分の存在性を重んじても欲しいと欲しているからであり、それゆえに、自分も相手を思うときはその存在性を重んじねばと強く思うからなのであります。

 なので、少しそこに”せねばならない”が加味されていると思います。重んじねばならない、ですね。

 ゆえに、自分の存在性を重んじられる機会が増えれば、その試す行動も収まりを見ると思うのです。


 もやもやが少しづつ晴れて来て、そして、新たなもやもやが生まれる、その繰り返しがとても大きな成長のきっかけとなるのですね。新たなもやもやを得る事も頭の中にステップボードを埋め込んでいるような作業となるのです。

 
 最後に。

 あなたはNo.46にこう書きましたね。
> ただ、私は回答をしてくださった以上はそれに出来る限りお礼をしていきたいと考えていますし、そうあるべきだと考えています。

 その心掛けは、今、日本から失われている、知識と技術と経験を教わるというところに有る意味を捉えていると思います。あなたと私の場合は、”持たないものは、持たないものの真の意味を知る”、という事から発生していると思いますが。この意味に、私は、このサイト、ならびに、ネット全体にある問題を見るのです。

 本来、知識や技術や経験を教わるのには、頭を下げて教えにもらいに行く姿が必要とされますし、頭を下げても教えてもらえなくても当たり前であるところもあるでしょう。それだけ、知識や技術や経験というものは、それを培った人の試行錯誤や苦慮や、苦闘の上にあるものだからですし、それが有るということは社会で生きる上でのその人の武器とも成るものだからです。それを簡単に譲る、授けるということは、おいそれとは出来ない事でしょう。
 確かに、このように自ら望んで回答をつけているわけですから、その形とは、望んで行っている分、違うとは言えるでしょう。しかし、そういう譲受の中にある意味の大きさは、そう変わらないものだと思います。しかし、ネットのこの形に慣れた人々や、市場原理をあらゆる環境に持ち込んだ現代人には、譲受されたことへの感謝の気持ちと、その譲受した人への敬意は忘れ去られて行っています。

 それを拡大していると見えるこのサイト、ならびに、ネットにある諸々には、私は簡単によしとは言えないのです。更なる人々の意識の堕落を招いていると感じるからです。大衆とは流されていく人々です。流されていく人たちが特段意識を高く持とうとか、意識を己に立てようとすることは、そうありません。立てようとしているかのように見えるとか、高く持とうとしているかのように見えるぐらいに止まる事が大半です。

 便利が堕落を生んでしまうのは、やはり有ることなのです。

 時代の流れとしてしょうがないと言い切れるほど、現状は甘くないと見ているのです。大衆の意識の低下は、大きく有ると感じています。


 と、また、長くなってしまいました。こんな感じでいいのでしょうか?
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急ぎ、No.48のお礼へのコメントを残します。



 引用しますが、
>他者を受容してくれる人なんてこちらに余程の魅力がない限りはいませよね。

 これはあなたの認識の間違いです。あなたの世界の狭さを表しています。感性を開いて、世界を広く感じることが必要と思いました。

 ペットへのあなたの気持ちは、そう思う心は大事だと思います。ただ、今のあなたにはその形を取る必然性があることを以って、ご自身への責めを和らげる事も肝要かと思いました。そうなっている理由はあなたのせいだけではないからです。

 急ぎなので、後は、また、今度の機会に。では。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

他者からの受容については次の回答を読みましたが、微妙です。

どうすれば良いのかわかりません。

さっきのお礼にも書きましたが自分を肯定的に受け入れるために何をすれば良いのか全くわかりません。
むしろそれが可能かすら疑わしく思ってきました。

ペットについては言っても水掛け論になるとは思ってが、ペットを試すという行為は私だけのせいではないとしてもそれ以上にペットのせいではないから苦しいんです。

どうもありがとうございました。
私のへの回答書いていただいたことにより眠れそうだったのに頭がさえてしまったのならごめんなさい。

お礼日時:2008/05/04 23:49

 No.44のお礼へ、再度向けたものとして。



 犬でも散歩相手により、ウンチの回数が増えたり、ウンチの量自体が増えたりします。相手が自分(犬)のペースや気持ちも考えて歩き、でも、指揮は執るという形の散歩をする相手には、犬の気も楽になります。

 そういう相手であれば、あなたも思ったよりは楽に過ごせるのかもしれないと思いました。



 名前を変えたのは、先にも書いたように、一度辞めたからですね。ここを退会したのです。あなたがしばらく離れた時に、あなたが回答できないぐらい苦しい事を書いてしまったのかもしれないと思い、また、ここで回答するのはあなたを最後にしようと決めてましたので、退会したのです。一度退会すると同じ名前では登録できないようです。なので、名前が変わりました。誕生日は以前に終えております。



 あなたが自分に独我が有るという言い分は、何となくわかり始めました。あなたは私に言う他者性という部分にやはり、少し未熟があるようです。仕事の哲学を聞いても、それと繋がるかなと思いました。それと、相手にパーソナルな事に関心を抱きづらいのかもと思いました。ただ、これは自身の問題が大きい場合にはそうなる事も多いので、一概に悪いと言えるものでもありません。ただ、本当に関心のない人もいます。

 ですが、ネガティブをポジティブに昇華できることを思い出して欲しいと思います。あなたが本当の意味での人への思いやりを成せるよう、心を傾ける事を強く己に働きかけ続けて行ければ、それはポジティブに昇華されます。ただ、そこへ心を向ける事をしなければ、やはり、それはネガティブなままとなります。そこを仕事の現場では多く求められるでしょうから、心を砕いて、必死で、思いやりを成せるよう心を傾けて行って下さればと思います。より良い仕事とは、良く印象付けるの心構えでなく、相手に気持ち良くサービスを受けてもらう、気持ち良く帰ってもらう、また、仕事の同僚たちとも、和を重んじる、思いやりを向ける、などを行う事が第一段階でしょうか。私の大学生の頃からの仕事哲学のひとつは、”和を以って尊しとなす”でした。心の鍛錬に臨まれたい。

 それと、こういう言い方をされるのは辛いと思いますが、あえて書くと、あなたの心はとても硬いままにあると感じます。柔らかさをなかなか持てないという印象があります。こういう言い方をされるのは辛いと思いますが、”真面目だが、融通が利かない”という言い方をされる事が多いタイプの方ではないかと思いました。いえ、私もそうでしたので、悪くばかり思わないで欲しいのですが、姪の話を書いた時も、掴みどころのない人と私を評してましたし、宗教に関しても、また、お礼の形に関しても、また、私の向ける私的な内容へのコメントを見ても、そういう緩やかな感情表現が求められるものを苦手としているのではないかなと感じられました。私の誕生日への記述も硬いですよね。私の書き方に引きずられている部分があるのかもしれませんが、やはり、硬さを感じる部分はあります。

 心の切り替えが出来るようになると良いのかもと思いました。これは大変難しいのですが、局面に応じて、厳しい己を出したり、笑い転げる己を出したり、そういう事が出来るようになると良いのかなと思えます。自分の未だ見ぬ引き出しを開けられるかでしょうか。もう少し、たまにでも、定期的にでしょうか、都会生活から離れる機会を持たれた方が良いかもしれないと思いました。



 情緒不安定というのは、親との関係が不安定な人には、多く見られるものだと思います。愛情の需給が安定して成されなかった人に多く見られるものでしょう。それは自己への確信性の低さと先に書いたものとなると思います。ロックシンガーはよく存在証明という事を歌いますが、普通に人に存在証明を歌う必要はないですよね。あなたや私には、触れる人々すべてから存在証明書をもらえない、もらえていないという感じ方が強く有ると思います。

 自殺するだろうと思ってましたか・・・・・。

 私の事となりますが、私は、え~と、3歳ぐらいからかな?いや、4・5歳ぐらいからか、”私は咎人”という認識がありました。罪を負い、責めを課される人間なのだと感じてました。十字架を背負っているという表現にもなりますね。なので、小さい頃から、死なねばならぬのか、生きて行っても良いのか、生きて行けるのか、という思いが頭から離れる事がありませんでした。6歳ぐらいで、母親の前で自分に包丁を向けたりしていましたね。飛び降りるシュミレーションを行ったりをしてました。マンションの屋上とかから、飛び降りたら・・・・・と、下を見ることを繰り返し繰り返し行って来ていたのです。もちろん、そんな頃にそれを行えはしなかったのですけどもね。臆病の意気地なしですしね。

 まぁ、でも、長じてからは、自殺は、だいたいの事は行いました。でも、それでも死なぬところに、己の生命力の強さを、忌々しくも、感じざるを得ませんでした。でも、そのネガティブな行為から感じた忌々しい生命力に、しょうがないから生きることをしてみようと、日々を淡々と、流れる時間に任せるように、やるべき事を行って過ごすという事を始めたのです。それは転機でした。でも、飛び降りは、してないですけどもね。頭が潰れるのとか、痛そうで嫌だったし。自分の手で自分を殺したかったからでしょう。できればね。でも、潰れるような痛いのは嫌とかもあったかもね。変な話ですが。


 あなたはハマルタイプだと感じますね。そこに対しての批評性を保ち、視線を保つことは意味が有ると思います。距離を保てるかでしょうか。


 それと、理想の男性でも、思いましたが、女性の形、男性とは違って、生き残って子孫を残さねばならないという形からもたらされる、その場の自分を生かす可能性が最も高い男性を本能的に感じ取る能力というものに、思いを至らせてみてはどうでしょうか。

 それは凄いものですよ。私は近年、これからは女性の時代と感じていますが、それは、その能力によって開かれ続けている女性の感性に、可能性を見るのですよね。本当に凄くて、初対面で、その場の女性陣のほとんどが反応を示しますからね。そういう人に有る形を思いながらも、自分の理想の異性像とも向き合っていければ、新たな展開を持てるのかもしれない、と思いました。

 いつも、長くて、大量で、ごめんなさいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

退会までされたのですか。
とても悩ませてしまったねですね。
申し訳ありません。

私はどのような形態であれ自分の関心のある他者もしくは、興味はないけど部分的に面白いと感じるものを持ってる他者のその部分にしか関心は持てません。
しかし私も他者からそこまで深く関心を持たれたくないと思うし、大抵の人から興味を持たれたりすると迷惑です。
いつも振る舞っている感じです。
そして大抵の場合それで上手く行きます。
接客をしていても明らかに他のスタッフより上手いし、誉められるし、多くのお客様から喜んで貰えます。
バイト先も含めどこでも大抵の長期的関係が予想される人とは上手くいかないし、つまらないから興味を持てないから、興味がなければ必要性がない限り関わりません。
私に害を与えない限りは相手にも迷惑をかけたりしないようにしてます。

kumosuke33さんが仰ることは本質的にはよく分かります。
私は他人と普通に交流するのが苦手なんだと思います。
でも正直そんなことしたくないと思っていても、人間として問題なく振る舞うためには我慢してどうでも良い話とかをしなければいけないし、相手にも悪いと思うからそれだけでしている感じです。

自分の存在に対する不安が幼児期に生じたものというのはよく聞きます。
そのようなことに焦点を合わせた加藤諦三氏の本も読みましたが、あまり問題解決にはならなそうでした。
それらに対する解決法はいつも考えていますが未だに見つかりません。

私は死ぬのは怖くありません。
ただそのあと他の人から同情されるのが嫌です。
あとは死にきれなくて、自殺未遂の痕が残ったり、障害を負って死ぬことすら不可能になったら嫌だから自殺は未遂もしていません。
ただ腰抜けで出来ないだけなのかもしれませんが。
だけど、最近良さそうな本を見つけました。
オランダの人が医者が安楽死をさせてくれなかったらどうすれば良いかを書いた本です。
それを探して読んで考えようと思います。
読んでないから分かりませんが他よりも良い方法が載ってるような気がします。

なんで私がはまるタイプだってわかるんですか?
たまに他人(ほとんど関わりのない)から指摘されて悩んでいます。

回答どうもありがとうございました。
なんか対話というよりは私が一方的に書いた感じですみません。

お礼日時:2008/05/04 23:46

申し訳ないけれども、追記させて下さい。



 No.44のお礼に書かれた客観視は、とても見事であったと思うんですよね。

 私が参考にURLを載せた、内田樹氏のブログの、”クリシェと割れた言葉”、”原則的であることについて”にあるのは、”批評性を常に己に担保する事により、クリエイティビティを持ち、ブレイクスルーを起こす引き金と成れる”という事なのですよね。

 これは人間がスケールアップを起こすためのメソッドを、内田樹氏なりの言葉でまとめたものなのです。

 つまり、普通の成長が止まる人々、あなたのテーマの場合は病に止まる人々となりましょうか、は、自分の導き出した方法や、結論、理由を固定化させて、それを用い続けてしまうのです。つまり、ある段階における成果への固着と言えるでしょうか。停滞となるわけです。

 No.44や45のお礼に見られたものは、あなたが私の言を受けて自分の視点を発展させた言葉であると思えます。そういう姿勢を持てていることは、とても評価できる事だと思うのです。

 私は以前の回答において、あなたは論理展開が丁寧で、しっかり流れを追えており、きちんとしている、と評価しました。それが出来るのは、己へ向ける視点に厳しさを備えており、感情的に回避したい部分とか、自己弁護のために回避したい部分などからも、目を逸らしていない事を意味すると言えると思いますし、自己肯定を無理やりに成立させるために有るものを無いとするという事もされていないことを示すものだと言えると思うのです。

 内田樹氏が書かれていることは、私が病から抜け出す事や、心的な欠陥を抱えた自分からの脱皮を行えた事を成さしめた方法と形を同じにするのです。そして、内田樹氏もそうなのでしょうが、内田樹氏も尊敬を隠さない、武術研究家の甲野善紀氏(私が勝手に師と仰いでいる人物です。甲野先生と私の間に何らの関係も無いのですが。)の武術の技に次々と新たな展開をもたらす方法とも同じ形のものであるのです。


 私はあなたと話し始めた頃から、あなたには見込みがあると言って来ましたが、やはり、それは、そこら辺を感じてのことであったと思うのです。

 ですから、こう評価されると、今の現実との乖離が激しく受け入れられぬものだと思いますが、かえってその乖離が辛さを増すものとなると思いますが、その妥協の無い視線を持つ事をこれからも忘れることなく行って欲しいと思います。

 そういうものを持てて初めて、我々は自分に有る困難と正対できる可能性を持つのです。

 その事を忘れず、胸に刻み付けて、これからと、そして、社会と、そして、世界とに、臨んでもらいたいと思います。

 そうすれば、今後の何時かにおいて、あなたの世界が開かれる事となるでしょう。

 先人の言葉を少しは信じてもらいたいと思います。私から授けられるのは、これぐらいのものでしかありませんが。


 と、また、長くなってすいません。心の負担とならないよう、気をつけたいと思います。
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この回答へのお礼

追記わざわざありがとうございます。

私はまさに自分の導き出した方法や、結論、理由を固定化させて、それを用い続けてしまうというのに当てはまります。
それには様々なパターンがあるからあまりわからなかったのですが、最近その限界を感じてそのことに気付いた感じです。
私の行動や発言はほとんどが意識化そしてパターン化されていると思います。
どうしたら自由に生きられるのでしょうか。

私は他人から評価されて現実との乖離が激しく受け入れられないということはありません。
信じられないことも沢山ありますが、大抵はやっぱりって思います。
多分kumosuke33さんは私を誤解していて、私の精神性を過大評価していると思います。

なんかすみません。
わざわざありがとうございました。

お礼日時:2008/05/03 21:59

 なるべく短めにしたいと思います。



 No.44のお礼に対する返事として。

 あなたの自分と関わる人たちへの分析は、なかなかしっかりしていると思います。それだけできれば、御自分で色々な協力を得ながらとなると思いますが、道を開く事は出来ると思います。

 1日ぐらい間隔が空いても大丈夫です。そこまでは気にされなくても大丈夫ですよ。

 共感のところにも書かれていましたが、ぎこちなくなるというのはよくわかります。それはやはり、あなたが自分という人間と、周りの他の人間というものを捉えなおそうとする流れにあり、未だその混乱から抜け出せていないためと思われます。掴めれば、そのぎこちなさも抜けると思います。


 No.45のお礼への返事として。

 理想の異性というものへの分析は、まったくあなたの言うとおりだと思います。凄く主観的な感情であると思います。ただ、あなたのように理想を引きずり続ける人には、そこに執着の形があると見れるのです。一般的な人々のの理想の異性は、割と変化に富むのです。

 ですから、その理想への執着に、あなたに有る問題の影響があるのだと、私は想像するのです。確かに、触れられるに嫌なところだと思います。ですが、そこへの視点を持てることで、今後の自分の成長を促せる要素を持つのだと理解して欲しいと思います。

 ペットを試すなどの行為には、今その行為を行う必要性があり、行っている面があるのです。ですから、その行動の意味を考えながらも、必要以上にご自分を責めるような事をせず、ただ、ペットに申し訳ないという気持ちを持ち続けていけることが肝心だと思います。
 簡単に言うと、愛情の確認行動とも言えるのでしょうか。恋愛においても、夫婦においても、連れ添いの愛情を確かめたくなり、そう行動することがあるでしょう。これの原初の形、原点的な形がそこに有ると思います。母の愛を試すような子供の初期的衝動が完了していないのではないかと思われます。”絶対的愛情関係への確信”の未了と表現できるのかもしれません。それは、自分存在への確信性とリンクしていると思われます。

 あなただけの形ではないので、安心して試し続け、探って行けば良いと思います。



 そして、他者性の説明に引用した女性の話はきついかもしれませんが、その方とあなたを一緒にしてご自分に責めを向けるような事はなされませんようにと告げておきます。私は文脈と、文章、単語の使い方、一人称などの使い方から、その人の有り方を感じられますので、その方と、あなたはまったく違うという事になります。そこは私の眼力を信じてもらいたく思います。私は彼女の悪性への確信を得た事で、さらに自分の眼力を深めました。なので、他者性の説明として有り、あなたのパーソナリティに写しこむものではないと思い、読んでもらいたく思います。

 そして、私は彼女の非道を許さないと宣言する事によって、さらに自分という主体への信頼を深めました。取るに足らない、或いは、相手にするに値わないと断じられる事は、それだけ己への確信性を強く持てているという事になるのです。私の弱さと言うべき優しさや、気の弱さなどからは、そう断じる事は辛いものがあるのですが、生きる厳しさを肌で感じてきた私ですので、あえて己に厳しさをまとう必要を感じるのです。

 あなたも主体への信頼と確信性を深められたら、断固として拒否できる人間性を持つ人たちと積極的に線を引けるようになるでしょう。その頃には、人への愛情の傾けや、人からもらえる愛情の粒を感じられるようになると思います。

 と、長くなってしまいました。大量に書くことの有る私ですので(これ以外にも色々日々書き続けていますし)、読むに負担を感じられると思いますが、その時には一言残して置いて下さい。そこら辺において遠慮は要りません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

周りの人への分析についてですが私は大抵の人がどういう人か少なくともするか否かは別としてどう反応すれば喜ぶかがわかります。
そして近づくか否か決めています。

自分という人間と、周りの他の人間というものを捉えなおそうとするとはどういう意味でしょうか?


異性の理想への執着に私に有る問題の影響があるとは実際にご指摘を受ける前から考えていましたし、思い当たる節もたくさんあります。
それに触れられるが嫌というのも本当にありません。
ただ、私が私以上の何者でもないというところからくる考えだとは、前に頂いたアドバイスらを踏まえても頭で考えて論理的には分かりますが、本当に理想の形が崩れることを全く想像出来ません。

愛情の確認ですか。
それを私は自分の執着しているものに対し異常に行う、もしくは相手から嫌われるのが怖くて行えない場合は異常に些細な変化や言動に一憂、どちらかと言えば絶望してしまいます。

他者性の説明に引用した女性の話で私は全く傷ついたりしませんでした。
彼女に共感する部分が多くありました。
私は自分について反省してるみたいで反省してないみたいです。

なんかkumosuke33さんと話してると自分について深まっていくけれどもそれと同時に自分の核がますます揺らいできます。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2008/05/03 21:53

 ある他者性のない人、それも自分という他者すら内に持てていない人の話です。

読んでて苦しくなるようでしたら、飛ばして下さったほうが良いです。


 あるところで出会った女性は精神的な危機にあり、私が話を聞く事になりました。しかし、彼女は非常に自分しか世界にいない人でした。

 彼女はひとつの言葉に有る悪いニュアンスに自分の感情を引きずられて簡単に逆上し、相談を受けている相手の非常に気に病んでいることのスイートスポットを拾い上げ、自分の怒りをぶつけるために自分の怒りの表現として都合の良いように内容を捻じ曲げて相手にぶつけるという、本当に相手の心を傷つけようとする意図を持った子供の一部がよく行う報復表現をします。

 それで相手に利用価値がなくなれば、形ばかりの感謝を述べて、相手から去るという事を繰り返しています。

 彼女は記憶力が良いので過去の話を詳細に語ってくれますが、その話を聞いてても、過去にも同じように何人かを利用して、同じように切りつけ、同じような事を言われて彼女のその有り方を非難されています。そして、その相手が嫌になれば、違う相手に乗り換えるという事を繰り返しています。

 そして、自分の犯した過ちを反省する事も、心からの侘びを示す事もありません。形どおりに言葉を並べますが、そこに心はないのです。

 そして、また、自分の身が危うくなれば、平身低頭して相手に擦り寄り、謝りの言葉を並べて助けを求めますが、その危うさがある程度クリアされると、また、すぐにちょっとした読み間違いによる言葉の持つ悪いニュアンスに引きずられて相手を切りつけます。そして、やはり自分のその行動を心から反省する事も、心から悪いと思うこともないので、また、過去において、謝りを示したように見え、詫びたように見える事例と”同じ形”で相手に切りかかります。でも、彼女はそれを悪いとは後にも思っていませんし、その後に反省の情も聞かれる事がありません。

 良いように言われていれば喜び、感謝の言葉などを並べ、少しでも自分に悪い内容となると、すぐに苛立ちの言葉を並べ、相手に切りつけようとします。まさに、背中にナイフを携えるような言い方となります。


 私は彼女の今ある危機的な問題から彼女の心の負担を和らげて行くのと同時に(この行為は意図通りの結果をもたらしました)、彼女の自分への客観性の無さと、人を自分の都合の良い道具のように扱う有り方への自己認識を持てるように語りかけ続けましたが、その話に関してはわからないとか、意味が掴めないとなるばかりで、内省して今後の参考にしますとは言いますが、彼女の言葉からそこに気を向けてる姿は浮かび上がりませんでした。彼女はひたすら今の彼女の関心事項にのみ心を向け、行動し、それを正当化するためにあらゆる言葉を並べるに止まるのです。

 つまり、彼女が今必要な事以外には私に触れるなと言うし、そう言わんばかりのことを言うのです。

 そのような彼女なので、過去に傷ついた例とか、人を非難する内容をいくつも挙げてくれますが、そこにはいつも彼女自身が積極的に自身もそこに加わっているという部分は除かれるのです。自分というものへの客観性、批評性を持つことはないのです。

 彼女はどんな形の付き合いであれ、相手に利用価値が無くなれば捨て去ります。逆に、自分に必要の理由があれば、延々と食い付きます。私はそれではストーキングの形を取る事になる恐れがあるよと告げましたが、逆上され散々に切り付けられました。

 彼女は言います、人との付き合いはメリットかデメリットかであると。人に何かしてあげるのもメリットが有るか無いかであると。その考えは幾ら色々事例を挙げて話しても、変わる事がありませんでした。

 彼女は自分の都合によって、言葉の意味も、文章の意味も、過去のことも、捻じ曲げて自分の想いに沿う形に仕上げて表に出します。しかし、その自分の都合によって捻じ曲げているということを自分で自認できることもないのです。それらによって人を傷つけたことも自認することはないのです・・・・。

 彼女の内には、他者が無いだけではなく、自分という他者も存在しないのです。

 これが内に他者があるかという、他者性というものの理解の例となります。

 彼女は私からたくさんの支援を得、たくさんの助けとなるものも実際に多く得ながらも、恩を感じることは無く、私が感情的に気に入らなくなれば乗り捨て、違う人間に乗り換えるのということを、いとも平気に行うのです・・・・・。自分自身への客観性や批評性を一切持てていないからなのです・・・・・・。
 これはクラスメイトをいじめによって自殺に追いやり、その葬儀においても、その棺に横たわるかつてにクラスメイトに死に顔をみても笑い転げていたと言う少年らと同じ心性であるのです。
 悲しい話ですが、こういう形の心的未成熟は存在するのです。


 他者性を持てるよう、皆、心がけて欲しいものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

文章読んでいて非常に私と似ていると感じました。

私も人に対し怒り等を感じるとその人が弱い部分というのをついてしまいすごく傷つけてしまう、もしくは傷つけようとまで感情が行かなかったときにはその人がどういうことを言ったら一番傷つくかを想像して楽しんでいます。
心底、相手を徹底的に打ちのめしてやろうと思っています。

その他の点でも、驚くほど似ていました。

私は利用しようと思って人には近づくことはありませんが、面白そうと思って近づきそれがつまらないと思うとさっさと離れていき他人を傷つけています。

また私も大抵の人との付き合いにおいてメリットデメリットを考えています。
そして、メリットがありそうな人に近づくのが上手です。

余りいいことではないのでしょうが余りに自分と似た性質で驚きました。
お話どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/05/02 00:52

 母親と子供にある構造は学ばれておりますか?



 それと、訂正しておきますが、前の会社において私の誇りを二重三重に汚した数名は、年齢にもかかわらず非常に拙い、取るに足らない、相手にするに値わない人たちだと思います。

 社会にはそういう類の愚かな人たちはいます。

 しかし、その取るに足らない人たちの理由を、自分の理由に引き付けてしまわないようお気をつけ下さい。そういうところを分けて知れるのも、”自分を知る”ということになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

母親と子供の関係って何ですか?
私は多分知らないと思うんですが・・・。

少しその後のお話は良くわかりませんが、私にはkumosuke33さんのことが良くわからなくなってきました。

なんかごめんなさい。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/05/02 00:36
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