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発達障害疑いです。親の育て方が悪くないのに、職場で、自信喪失になるのはなぜ?

発達障害のテストをメンタルクリニックで受けているところです(ネットで発達障害を診断できるところを調べました)

職場でメンタルが弱く、どうしてこんなに自信がないのだろうとずっと思っていました。実際にできないことも多いのですが、懲りずに頑張ることもできたのかな、鋼のメンタルを持っていればと思います。
自信を持ってる人は、怒られても凹まない。自分ばかりが悪いとは思い続けないと言われています。
しかし私は社会人になり、あまりの仕事のできなさに、どんどん自信をなくしていきました。もう少し普通の人と同じようにできるだろうと思っていただけにショックです。
ようやく自信を持てるようになったのは、最近、バイト先で認められたときでした。

でも、親の愛や育て方に原因があるとは、どうしても思えませんでした。少し変わった子だと言われていましたが、親の愛情は本当だと思います。

親には十分な愛情を注がれてきたように思います。ちゃんと一人の人間として、親に認められてきたと思います。
なのにどうして社会に認められるまで、自信が持てなかったんだろうと思います。

なお、発達障害に理解のある親です。しかし親が発達障害のことを知る前は、
私の特性が理解できず、発達障害特有の部分が現れると、変だ、どうしてできないのと言われたことを、うっすらと覚えています。
それでも、現在は私がうすうす発達障害であることを認めていますし、それが原因とは思えないのです。

自己肯定感が低いのは、親から認められなかったからだとよく聞きますが、私はどうしてもそうは思えません。
親がしっかり認めているのにも関わらず、社会に出たとき、あまりの出来なさに落ち込んで、自己肯定感が下がってしまったのか、
現在は認めてもらっても、特有の部分が認められなかった過去が心の傷になって(あまり思い出すこともないんですが)、社会に出たときに小さいミスでできない!と落ち込むようになったのか。
そのどちらだと思いますか。

質問者からの補足コメント

  • すみません、診断中のためなんの発達障害なのかは分かりませんが、マルチタスクと、あいまいな指示が苦手(こちらは若干改善されましたが)なのは確かです。
    あと食品工場のように、手を使うような作業が苦手です。

      補足日時:2017/10/05 01:58

A 回答 (11件中1~10件)

親から認められないというのはいくつかある要因の1つでしかありません。


親以外にも周りの友達や先生の影響もあるだろうし、なにより周りの単なる接し方だけでなくあなた本人が実際に自分で肯定する機会も与えられていなくてはなりません。本人が何かに挑戦し、それをクリアするという成功体験をコツコツと積み重ねるというのが最も大きなものだと思います。

例えば

幼いのに皿洗いや留守番などの手伝いやって、自分が大人の役に立っている実感を経験する、自転車の補助輪を外して乗れなかったのが練習して乗れるようになる、人見知りなのにひとりで買い物に行けるようになる、他のコがやっていない習い事やスポーツを自分だけやっていて、秀でている実感を持つ、苦手な科目で良い点数を取る、自分より低学年の子供の面倒を見てあげたりする、と言った些細な成長の実感を繰り返し経験するのも自己肯定感を持つためには重要なことです。

挑戦すれば当然失敗することも経験していますし、そしていずれは成功するという感覚も沁みついていて、折れなくなっていきます。

単に愛情を注がれただけでは自分に自信が付いたりしませんし、自分は親の管理能力や経済力のおかげで育ってしまったと言って、ずっとコンプレックスを抱えている人もいるでしょう。高いポテンシャルや学力にも拘わらず高学歴ニートになる例などいくらでもあります。


確かに発達障害の可能性もあると思います。
僕もADHDですから、トラブルも多く生きにくいなと感じています。
ただ、生きにくさは感じているものの、自己肯定感が必ずしも低いとも言えず、よくわからないところがあります。

例えば、発達障害にも関わらず成績も一番下というわけでは無かったし、仕事で活躍することもあるわけです。そうなると、自分は発達障害という足枷を背負っているにも関わらず、そうではない人達と同じように生活し、時に上回る成果も出していることに、また違った意味での自信を持っている自分もどこかにいるのです。自分のミスを陰湿に指摘してくる上司に対して、お前が僕と同じようにワーキングメモリが足りないアタマで同じことをやったら、もっとひどいことになるだろう、健常者のくせにそんなコミュニケーション能力の低い指摘の仕方しかできないのか?情けないな、などと考えたりもします。

また、なぜか自分が人よりも上回っているような感覚をずっと持っていたせいで、社会人として普通の生活をするというのがいかに難しいことか現実を知って自信を失っている部分もあるでしょう。

世の中には、健常者であるのに私やあなたよりも、もっと仕事ができない人や成績が悪い人がいくらでもいて、そして自分の身の丈に合わせて、そういうものだと受け入れて生活していますよね。彼らはどういう存在なのでしょう。もっと自己肯定感が低いでしょうか。おそらく、最初から上を見ていないから、それほど苦にしていない人も多いでしょう。
自己肯定感を持てないというのは、根底には自分はもっとデキる人間だとか、とかもっと優秀だとか、もっとクオリティの高い生活を送りたいという自尊心の高さの裏返しかもしれません。

そう考えると、果たして自己肯定感が低いとは簡単には言えず、理想や自尊心が自分の能力に比べて高すぎるという事にもなりますね。
実際、発達障害の苦しいのはこのズレが大きいことだと思います。


長くなりましたが、発達障害だと仮定すると自分ができないと思い込む気持ちは周りからではなく自分で感じることですよ。
本来自分ができて当然だとか、こうありたいと思っていることに対して、それができないということ。最初から投げ出している人や楽観的に構えていれば感じない苦悩です。

例えば世の中には、たいして仕事はできなくても、待遇や権利は一人前に主張できる人がたくさんいます。怒られたり失敗しても、周りや上司が悪いのだと思うことができる人はたくさんいます。その人は他人から見ていくら足りなくても、自分がここまでがんばればOKという基準を十分満たしているつもりだから、そのような横柄な態度を取ることができます。

あなたや私がそのようにできず、後ろめたさや能力の低さに苛まれるのは、周りの影響よりも自分がもっとできるはずだと厳しい基準を設けていて、そしてそこにたどり着けないからだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>自分は親の管理能力や経済力のおかげで育ってしまった
本当にそう感じます。
ずっと一人暮らししたいと感じていますが、そのコンプレックスがすごく強いのかもしれない。
例え実家から通いたかったと文句を言っていても、一人で金を稼いで自活できている人にはすごく憧れますね。

>発達障害の可能性〜
おお、そうでない人たちと同じように生活できているということは、すごく自信がつきますね!しかもメンタルがタフな方ですね。
そのような上司がいた場合は実際の自身のミスなので落ち込んでしまうほうですが、そう考えてもいいのですね。頼もしいです。

そうなんですよ、学校の成績で苦しんだことがなかったので、社会人を始めたときは、ものすごく落ち込んだものです。
辞めたあとは未だに普通の生活すらできず、実家で親のスネをかじっています...。全く自信を持てません。

>世の中には〜
自己肯定感を持てなかったのは、もっとできる人間だと思っていたとしたら、
すごく危険なことだったのかもしれません。叱られたりするなどしてできない自分を直視することがストレスを高めていき、直視できなくなり、挑戦しなくなった...ということに気が付きました。かなり危ないことですよね、これって。
個人差があるにしろ、最初はできないのは当たり前だと、最近感じるようになりましたが(苦笑)

親からも理想高すぎだとよく言われてました。
いや私が求めているのは普通で最低限だよ!と思っていたのですが、最近そうか...と思うようになりました。しかも他人のことをよく見えてしまうそうです。

私の場合、学校ではいくら良くても、お金をもらう場ではダメだったら、本当に何もならないと思っていました。
ようやく最近バイトで認められた経験をもらえたのですが、それまではあまり職場で認められたことがなかったので、成功ってどうすれば成功?とずっと考えていました。
もしかしたら私に必要だったのは、職場で認められる経験だったのかもしれません。

>発達障害だと仮定すると〜
仮定した場合、コンプレックスは、自分で感じるものだったのですね。
なぜこんな簡単なことができないとずっと考えていましたが、
厳しい基準を設けていたのかもしれませんね。もう少し基準を下げてもいいと思いました。

お礼日時:2017/10/09 05:57

>社会に出るまでは落ち込むことも少なく、うまくやっていました。


これが本当だとすると、私としては「発達障害」がやや疑問です。
私の知る発達障害者は、人間関係の構築が苦手です。
そしてその苦手な人間関係が生むストレスが、鬱や不眠など副次的な症状を生み出します。
発達障害者のもっとも身近な例は、私自身の娘(大人)です。

>他の人はミスした際、ちゃんと反省はしても、あまり落ち込まないものだ
それは、その人がその仕事をどう捉えているか次第でしょう。
「上から言われたからやっているだけ」のような場合は、ミスを犯して叱られたときに、それなりには反省するかも知れませんが、落ち込んだりはしません。
「それで落ち込んでいるような人を、私は見たことがありません!」とまでは言いませんが、まあ、見ません。
自分にとっての重要度が高い仕事であった場合は、「落ち込む」可能性はあると思いますが、それがそんなに多いとも思いません。

>叩いて耐えて成長するものだと思いましたが、
これは当たっていると思います。
太宰治さん曰く「笑われて笑われて強くなる(だったと思いますが)」と同様に、「叩かれて叩かれて強くなる」です。

>もしかしたら私よりもそもそもミスすることがずっと少ないのかもしれない
これについては、私は同意しません。
あなたがお礼文に書いた「社会に出るまでは落ち込むことも少なく、うまくやっていました」が事実である場合は、と言うよりも「どうやらそれが事実であるらしい」と私は感じ始めているのですが、これが事実なら、それはつまり「あなたは躓いた経験が少ない人」と言うことです。
いろいろなことについてうまく処理出来ていたわけです。
であるとすれば、あなたが「ミスで落ち込む」は納得です。
社会に出るまではいろいろなことをうまく処理出来ていたあなたは、落ち込むような失敗の経験など無かったのでしょう。
何事に置いても、初めての体験は緊張するものです。
過度な反応も仕方の無い所でしょう。

周りの人達が「ミスをしても落ち込まない」のは、私自身の経験に照らし合わせれば、「もしかしたら私よりもそもそもミスすることがずっと少ないのかもしれない」どころか、「これまでにたくさんミスをしてきたから、この程度なら平気、何とかなる、というような感覚が身についている」からだと思います。
「叩かれて強くなった」のです。
あなたが発達障害で無かった場合は、これからどしどしミスをやらかして、上司に「またお前かよ」と呆れられるぐらいにミスをして、ミスをしたときにどうすれば何とかなるのかを覚えましょう。

>私はもしかしたら落ち込みすぎなわけではなく、
私の感覚は「仕事のことくらいで落ち込む必要なし」です。

>本当に他の人に比べてできないだけかもしれません。
あなたが、所謂「ダメな人」である場合は、自ら認めるほどの「ダメな人」を雇用した側は、あなたをはるかに上回る「ダメ集団」です。
何しろ、自ら「ダメ」を名乗る(名乗ってはいませんが)あなたを選んだのです。

そして、あなたが「出来ない人」であったとしても、それは「今は出来ない」に過ぎません。
「出来ない」は、「出来る」までになる、伸びしろがあるのです。

>でも、社会に出て改善されることは非常に多いです。できないことに逃げてもいけないような気もするのです。
私が書いた「出来ない」は、あなたが発達障害であった場合に、「その障害故に出来ない事」を指すものです。
全ての「出来ない」を放置せよということではありません。

>できないまま受け入れるべきこともありますが、そのままだとまずい部分もある。
重要なのは、ここです。
「あなたが発達障害であった場合には」という前提は呉々もお忘れなきようお願いしますが、その障害を持っていた場合は、例えどんなに「そのままだとまずい部分」であったとしても、うまく出来ないことはうまく出来ないのです。
あなたがどうあがこうと、どんなに優秀な精神科医を見つけようと、治療法はないのです。
それを「なんとかできるように」とあがけばあがくほど、あなたのストレスは増し、「落ち込んだぁ」や「凹んだぁ」では済まない、病的症状が現れる可能性があると思います。

>できるだけ仕事に支障が出ないようにお願いできることはお願いしたりはしますが、直せる部分は直そうと思います。
あなたが本当に発達障害であった場合は、「だって、出来ないんだからしょうがないじゃん。文句があるなら発達障害を治せる医者を見つけてみなさいよ」程度に考えた方が良いと思います。
そうした考えを基本に置いて、「直せる所は直す」と、楽に考えると良いだろうと思います。
あなたが発達障害では無かった場合は、ご自分で「ここは直したい」と思う部分は直されれば良いと思いますが、私が感じる「直した方が良さそうな所」は、あなたの考え方です。
真面目すぎです。
もっと、「いい加減」を覚えることをお勧めします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

たしかに周りの人に恵まれていたのもありますが、他人に興味はなかったものの(友達にしか興味がなかった)、輪から外れるのは嫌だ、なんとかクラスの一員としてうまくやっていこうと意識していたところはあります。
そういえば今と同じくらいに刺激があったはずなのに、学生時代は不眠に苦しんだ記憶が全くありません。

>もしかしたら私がミス...
それは大いにありますね。
学生時代、うまく行き過ぎたから、挫折に対する免疫がなかったのかと今の話を聞いて思いました。
最初の職業は事務職でしたが、臨機応変な対応が苦手な私はガミガミ説教されて...。そのときにすっかり自信喪失しました。
苦手すぎる職業につかないことも大切ですが、もし発達障害でなかった場合はミスを過度に恐れないようにしようと思います。

>できないまま受け入れるべき〜
工夫次第でなんとかなりそうなことは多いと私は思っていましたが、うまくできない部分にぶち当たってしまった場合、無理せず伝えようと思います。

>できるだけ仕事に支障が出ない〜
割と最近まで、仕事はみんな真面目にやってるものだと見えていたみたいです...。むしろ、自分に真面目さが足りないのかなと思っていました。
賃金貰って仕事をしている以上、なんとか改善をしようとしないのは、あまりにもアレなのかもしれないと思っておりました。できることが増えていかないと、仕事にあぶれる事も恐れていました(販売職以外だと、バイトでさえ落とされるのが当たり前の北海道なので、危機感が強かったです)
でも私はもう少し、(仕事ではなく心だけですが)緩めるべきところは緩めるべきなのかなと思いました。

お礼日時:2017/10/08 20:23

親の愛や育て方は発達障害とは無関係です。


発達障害は、先天的または出生直後に発症する障害と考えられているようですから、つまりそれは「子育て云々以前の問題」です。

「実際にできないことも多い」あなたが、仕事について自信を持ったらおかしな事になります。
「出来ないことも多い」のなら、凹むのが正常で、「出来ないことも多い」にもかかわらず「怒られても凹まない」「自分ばかりが悪いとは思い続けない」ような人は、それこそ「脳に何か重大な問題を抱えた人」です。

「親がしっかり認めているのにも関わらず、社会に出たとき、あまりの出来なさに落ち込んで、自己肯定感が下がってしまったのか、現在は認めてもらっても、特有の部分が認められなかった過去が心の傷になって(あまり思い出すこともないんですが)、社会に出たときに小さいミスでできない!と落ち込むようになったのか。そのどちらだと思いますか」という質問ですが、問題をもっと冷静に受け止めるべきでしょう。

社会に出たときに、自分自身のあまりの出来なさに直面して、落ち込んだそうですが、ではそれまでのあなたは「社会に出てすぐいっちょ前に仕事が出来る」というような自信を持っていたと言うことでしょうか?
だとすれば、それは根拠のない自信、根拠のない過信に過ぎません。
妄想と言っても良いでしょう。
「社会に出たとき、あまりの出来なさに落ち込んで」があなたの正直な気持ちだとすれば、あなたはむしろ自信過剰です。
自己評価が高すぎるのです。
そのあなたが、社会の中で自分の現実を目にして、うちひしがれたと言うだけのことです。
そしてそもそも、あなたが「仕事が出来る人」であるかどうかと、親があなたにどう接しているかは無関係です。

「現在は認めてもらっても、特有の部分が認められなかった過去が心の傷になって」など、自分の能力不足を他人に転嫁されるのはやめましょう。
あなたは、「社会に出たときに小さいミスでできない!と落ち込むようになったのか」と書いています。
あなたがミスをするかどうかと、親についての「現在は認めてもらっても、特有の部分が認められなかった過去が心の傷」は、何がどう関係するというのでしょうか?
あなたが落ち込むのは、自分がミスを犯すからです。
落ち込む原因は、あなたのミスです。
そのミスが発達障害に起因していたとしても、発達障害は先天的または出生直後の発症ですから、あなたのミスと親の育て方などに関係性は無いでしょう。

発達障害の診断を正確に出来る医者は案外少ないですから、そこには十分な注意が必要ですし、もしもあなたが発達障害の診断を受けた場合は、まずはあなた自身がその事実を全て受け入れることが重要です。
普通の人が普通に出来ることがあなたには出来ない、という可能性が十分あるのです。
そして、この場合の「出来ない」は、そのままの意味です。
この薬を飲めば改善するとか治るとか、こういう所に気をつければ良いとか、そういう事ではありません。
「出来ない」と言うことを、素直にそのまま受け入れて、「出来ない」を前提に生活されると良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
すみません、自己肯定感について調べていたところ、よく親の育て方に関する話がよく出てくるので、気になっていたのです。
大変恥ずかしい限りです。

ただ、社会に出るまでは落ち込むことも少なく、うまくやっていました。社会に出ても困らないように、学校ではなるべく多くのことを経験しました。

他の人はミスした際、ちゃんと反省はしても、あまり落ち込まないものだと思いました。叩いて耐えて成長するものだと思いましたが、もしかしたら私よりもそもそもミスすることがずっと少ないのかもしれないと思いました。
職場以外の他の人の仕事ぶりを見たことがありませんので何とも言えないですが、私はもしかしたら落ち込みすぎなわけではなく、本当に他の人に比べてできないだけかもしれません。

でも、社会に出て改善されることは非常に多いです。できないことに逃げてもいけないような気もするのです。
できないまま受け入れるべきこともありますが、そのままだとまずい部分もあると思います。
できるだけ仕事に支障が出ないようにお願いできることはお願いしたりはしますが、直せる部分は直そうと思います。

お礼日時:2017/10/08 16:28

向いていない仕事をしているから


自身喪失になるんじゃないですか。

また、言語性IQと動作性IQの差が15以上
あるとなんらかの発達障害の可能性が
あるとされますが・・

質問からは発達障害の特性がまったく
見えません。

仕事が出来ない=発達障害では
ありません・・。


↓発達障害(現在は神経発達症)の種類


・知的能力障害(かつての精神遅滞)
・コミュニケーション症群 (言語症、小児期発症流暢障害、かつての吃音)
・自閉スペクトラム症(かつての広汎性発達障害・アスペルガー症候群など)
・注意欠陥・多動性障害(AD/HD)
・限局性学習症(SLD)
・運動症(常同性運動障害、協調運動障害、チック症(トゥレット障害)


神経発達症とは、社会生活に支障をきたす
「障害」なのです。

向いている仕事に切り替えて、自信をつけては
いかがですか?

職業評価検査を受けて、自分の適職を
確認しましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
たしかに以前は、向いてない仕事だらけでした。
一時期は職場で働くこと自体が向いてない、早く老後迎えたい、ニート向きなのではないかと思いました。
幸い、バイト先でようやく認められ、全くそんなことはなかったと気づきました。ただしあくまでバイトなので、転職は考えています。

あと社会生活部分がやたら不得手だったのも社会や会話のルール、暗黙の了解、世渡りの仕方などが全く身に付いていなかっただけというのも最近気が付きました(今も不得手ですが...)

職業評価検査いいですね。転職する前に受けてみようと思います。

お礼日時:2017/10/08 09:15

流して頂いて結構ですが、いくつか 口を出ささせて頂きます。



言葉がけ
あまり気にしない方が良いと思います。たぶん、発達障害などなどではなくて、個性の範囲です。社会にでて何でも器用にこなせるひとなどむしろ珍しいです。ある職場で結構仕事ができていても職種や職場が変わったら、不明点も多く、説明をされても理解できなかったり聞き落としやミスが多くなってしまうのは、ほぼ全員に共通なことです。曖昧な指示や説明を受けてそれを理解できるのは、周辺事情に明るくなって、推測が自動的にできるからです。知らない外国語を聞いて単語を聞き取ることができるのは、聞き慣れてきたからというのと同じです。{年単位でできることは増えていった自覚はあります。無意識にできることがあったら、タスクがけもしやすいみたいで。昔諦めた仕事でも、今ならできるかもしれないという仕事もありますね。}やっているうちに、周辺知識やその職場での話し方にも慣れてわかってきて、やがて一人前になり、数年すればベテランみたいな気持ちになるという人も多いです。 学生って、4月に新人ばかりが集団になるのだから、自分だけがわからないという状態にはならないけれど、多くの場合、職場に入るのは、周囲は既に経験者で、自分だけ新人で、田舎から都会に、一人で日本から外国に行った母袋なものです。そのうち、なんとかなります。
学校の勉強でも、運動競技でも、音楽演奏でも、同じように始めても、上達にスピード差はでてくるものです。通常、良い人は全体の10%以下、悪い人が全体の30%近く、残り60%くらいが似たり寄ったりでありながら、良い~悪いの中間になります。その60%に入るならば、上下はあっても、それを悩んだりしないことです。もちろん、少しでもわかるように、上達するように、腕を上げるように、自分なりの努力は必要です。悪い30%には何かの障碍あるいはスペクトラムというようなことがあります。自分の状況を見て、進路や適不適を考えた選択をすべきです。 しかし、nanako1010さんの質問文や補足コメント、お礼文の記載から、そうした兆候を読み取れるかというと、それはなさそうと私には思えます。 むしろ、自己評価を気にしすぎる傾向があって、それがいくつかの失敗ミスを気にし、その気にしたことがさらに悲観的、ネガティブな気を強めているだけのようにみえます。 「やっていけばできるようになる」と前に目を向けると、悪い方向に向かうスパイラルから逃れられる可能性が高いと思います。
心理学とかの本屋のコーナーにありそうな本やネット情報を探すのは、良くないと思っています。ポジティブになるとうたっている本やネットもありますが、そのようなことよりも、職場に慣れる、職場の中での会話の言葉遣いに慣れる、仕事を覚える、同じ職場の仲間やその職場に顔を出す人の特徴を覚えることに時間とエネルギーを使った方が良いです。

ここから下は、前記までよりも、一層スルーして結構です。

> マルチタスクもどうせやることは一つしかできないのですから
> どうシングルタスクに落としこんでいくかとか
それはそうとも言えるけれど、職場によっては、(一人自分の世界に入って、周囲の状況を無視する)(シングルタスクに落とし込む)と、迷惑になってしまうことも多いです。新人のうちは、慣れないうちは、(自分の思いに気を集中して、周りの様子をうかがうのを自分で遮断する)のは良くないです。 ある瞬間には一つしかできないとしても、時間を細かく区切って、このタスクを続けていていいのか、他のことをすべきかを、ちらっとチェックしないといけないことも多いです。 自分としては精一杯周囲を気にしようとしても、実際には目前のこと、やっている最中のことにとらわれて、「気が利かない」という状態になっているものです。それが新人ってものの共通の傾向です。

> 学校では迷惑を被るのが自分だけだったのが、
> 社会人になったら、私がしくじるとみんなが迷惑を被ってしまうので、
部活やサークル活動で団体で何かをする場合、一人の失敗は、全体に及びます。
学校でも、職場でも、似たようなものです。
> 私がしくじるとみんなが迷惑を被ってしまうので、仕事が怖くなったりします。
それって、「しっかりやらなくちゃ」と気を引き締め、真剣に取り組み、自分をレベルアップする駆動力になるものでもあるのです。仕事を怖がり、引き下がってしまうのではなくて、「私が頑張んなくちゃ」と自分自身を激励するものにしてください。 恋人がいたり、結婚したり、子どもができて育てたりということを考えても、「しくじることを考えて怖がる」のではなく、「しくじらないように気を入れ、失敗にへこたれず、失敗してもカバーし、(自分の行為とは無関係に環境や事故などでマズイ事態が起きても)なんとか良い状態を作るために支える」ように自分の気持ちを持っていくことが大事だと思います。

> 学生でも自分が空気読めない以前に人の話を聞けなかったり、机の上が散らかったり、
それは改善が必要です。 (汚い、だらしない、散らかっている、話を聞かない、怒っている、イライラしている、感情的になる、うじうじしている、傲慢だ、高慢、自信過剰、自己卑下、性的な話ばかりする、お金の話ばかりする、他人と比較ばかりしている)などのことが目立つ人を好きな人はほとんどいません。 自分でも「人の話を聞けなかったり」と感じているのならば、(自分の思い、やりたいこと、話したいこと、興味のあること、大事だと思っていること)にばかりに《連続し過ぎ》なのです。 時々、目を机の全体、周囲に向け、「まだ、先ほどの続きをしていていいのかcheck」してください。 仕事中だという意味も結構やっかいです。 データ入力中、何かを点検検査中であっても、周りから声を懸けられたのに気づかない、気づいても無視するようなことは、マズイです。 他人が説明しあるいは主張を述べている最中に、自分の興味や関心事、主張展開を始めるのは、マズイです。 自室で一人の場合でも、それなりに、時々いろいろなことをcheckするので、約束を守れるし、睡眠不足にならないし、部屋もそこそこきれいにできます。 周囲に人がいれば、なおさら時々いろいろなことをcheckする必要があります。 職場の仲間といれば、仕事であれば、もっと頻繁にいろいろなことをcheckする必要があります。
視力障害、聴力障害などはなくても、「うまく時々checkするのが難しい」人はいます。
その多くは、「これで、このままで、いまそれで、いいのかcheckしよう」とはしてないで、「思いついた、ひらめいた、関心のままに」で発言したり行動する習慣を直そうとは思っていないからです。学校のペーパー試験で思い込みで回答を書いてしまう失敗をしているようなものです。 自分で「自覚、自戒」して、「思いとどまって」、周りの様子を見て、「いま・この瞬間は何をするのが適当か」を考えるように努力すれば、そうとうに改善できます。

> だいたいの人は「自分の中の能力」は、だいたいそろっているのです。
そのようなことは言い切れません。
確かに、何でも優秀、どれもダメというようになる人もいます。どれも並みでしかないという人も多いと思います。 
しかし、調べて見れば、そう言っている人でも、他の人々の平均値からどうズレているのかの程度をそれぞれの面で調べると、結構大きな違いがあることがわかります。 いわゆる著名人は何かに関して他の人々の平均値から相当に高いレベルにありますが、他の面でのレベルは平均値より高いとしてもそれほど高さではなく、各面での能力レベルにはばらつきが大きいのです。 「軒並み並みなんだ」という人でも、多様な側面でレベルを測れば、平均からのずれの状態は結構ばらばらです。 ただ、ある種の障碍を抱えている場合には、ほとんどすべてのと言ってかまわないほど多くの能力が平均レベルから大きな偏差を持っていることがあります。 ただそのような人は、それほど多くはいません。

> 国語が苦手な人は、他の勉強も苦手だったり。「能力のバラツキ」が少ないのです。
勉強に関して言えば、言語は重要なベースですし、概念化、論理構成をする上でも重要なので、日本人で日本文化の中で暮らしているのであれば、国語が苦手な人は、他の勉強も苦手だったりするものです。 それは、能力のバラツキは少ないというのとは、少し違います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

曖昧な指示が理解できるのは、周辺に明るくなって、推測ができるからだったのてすね。
>周囲はすでに経験者
そうなんですよ、すごく落ち込む一因でした。しかも上達は遅い方なんです。
>自己評価を気にしすぎる
そうかもしれませんね...。仕事ができないとき、先が見えない、イメージできないなどで非常に落ち込んでいました。
今でこそ、職場の人の話や特徴にエネルギーを注げるようにできましたが。

>シングルタスクに落とし込まないほうがいい。
もちろん周囲の状況は真っ先に確認する項目です。その上で+1つのタスクの仕事をしております。
問題は、販売職のように頻繁に割り込みで他の業務を強いられたり(例:他の業務中のレジ応対)
臨機応変に求められる仕事です。マルチタスクが大幅に増えてしまうので、周囲を気を配るどころか、今している業務にすら集中することがままならないことが多いです。
だからこそなるべく、周囲の状況を把握するのが容易な、シングルタスクの仕事が好ましく思えます。

>学校でも、職場でも似たようなものです
団体が関わる部活だとまた違いますよね...。その手の部活に入って揉まれてる人は、社会に入ってからも上手くやっていける確率が高いと、予想しています。
私の部活はひとりでやっていくスタイルの部活なので考慮しませんでした。
学校自体は成績が落ちても、自己責任ですまされます。
しかし社会人の場合しくじると、まるごと業績に、会社のお金に響くので、やはりそれは大きいと思います。

>なお、机が散らかっている、空気が読めない以前に人の話が聞けないの言うのは学生時代の話です。社会人になった今はさすがに改善されていると思っています。周囲には気を配り、何をするか判断もしますし、人の話もちゃんと聞いております(汗)
ただ、そのような学生時代を送った過去が残っているというお話でした。

>能力は結構ばらつきがある
そうですよね...。
ばらつくのは今でこそわかりますが、つい最近までは人の短所がどうしても見えにかったんです。
人の長所しか見つけられず、割と完璧に見えてしまってたみたいでした。
しかし最近、自分の長所が少しだけわかり、人の短所が少しだけわかったおかげで(笑)、
少しだけ自信が持てるようになりました。

お礼日時:2017/10/05 23:06

わかりますよ。


学生時代はミスをしたりしても点数が1~2点減るだけで大した問題じゃないけど
仕事するたびにミスを一つすれば、大変なことになる、なんですよね

動作が遅くて身の周りがゴタゴタしても、忘れ物をしても
困るのは自分だけど仕事だと多大な迷惑をかける

勉強はできたのに、中卒の子もできる仕事ができない…
自信もなくしますし

そういうタイプは就労してから発達障害が判明することになります。

でも人より時間はかかるけど
知識や知恵、じっくり頑張って行くことである程度できるようになることもあります

マルチタスクもどうせやることは一つしかできないのですから
どうシングルタスクに落としこんでいくかとか

長く一つの仕事をやって、無意識にできることが増えれば、そこにタスクを重ねられますし

誠意をもって、じっくり、日々努力したら年単位でも
少しずつできることが増えたり、良いところを評価してくれる人がみつかることもあります。

空気読めなくて自らピエロになる。そういう時の自分を偽る
わずかなモヤモヤ、寂しさ。そういうものとかも積み重なっているのかも?

たぶん障害という寄り少数派の特性、と考えるといいかもしれません。

当事者の本とか漫画とかも今はたくさんあるので読んでみては。

あとは、自分でもやりやすい仕事が見つかるといいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
そうです。学校では迷惑を被るのが自分だけだったのが、社会人になったら会社になってしまう。
私がしくじるとみんなが迷惑を被ってしまうので、仕事が怖くなったりします。
今のアルバイトにつくまで本当に苦労しました。
データ入力以外がだめだった記憶が。特に手作業はだめだった記憶...。
でも人気ありすぎて、地方ではデータ入力の仕事もありつけないんですよね。

そうですね、年単位でできることは増えていった自覚はあります。無意識にできることがあったら、タスクがけもしやすいみたいで。昔諦めた仕事でも、今ならできるかもしれないという仕事もありますね。

クラスの中で、空気読めなくてピエロになるというのはありましたね。寂しさというか...。でもクラスの一員になれなかったのはもっと嫌だったのでそうせざるを得ないというか。
幸い私の本質を見てくれる友に恵まれましたので、雰囲気に飲み込まれずにはすみましたが。

当事者の本、探してみようと思います。
あと、自分でもやりやすい仕事、探してみます。

お礼日時:2017/10/05 09:45

親だけじゃなくて、生きてきた中で


失敗の経験が多かったり、周りより自分ができないこおがあって焦ったり困ったり
周囲の人とのトラブルとか、上手にできなさとか
そういうのが積もれば、自己肯定感を失うこともありますよ。
あと先生に怒られ続けたりとか。

そしてその失敗はたとえば能力の凸凹のために「これぐらいできるはず」
と自分で思っていることができなくて悩むとか
周囲からも「これぐらいできるだろう」と思っていることができないので
責められたりとかそういうことで自信喪失します。

たとえば言語で考えたり、知識を得るのが得意な人で
実際の行動や実践が苦手な人だと
過剰評価されて「なんだ、できない」「本気でやれ」「あたまでっかち」
ととらわれがちです。

逆にタイプは過小評価されやすく、実際よりも下に見られたりとかする人もいます。

だから
誰もができる単純作業ができないと「なんでこんな人並みの誰でもできることが」
って落ち込んだりとか…

自分自身も自分をそうやって感じてしまったり
幼少期から周囲からの扱い、差
親は重要なキーパーソンですが、親がすべてではないです。

手さきが不器用なことで、みだしなみとか
持ち物のプリントなどが自分だけ人より汚いとか
そういったことの積み重ねはあったかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
学生は、失敗の経験が少なかったように思います。
でもそれが通用するのは学生時代だけで、社会に出てからは自分の持ってる何も通用しない人間なんだって、えらく落ち込んだ記憶があります。

ただ、学生でも自分が空気読めない以前に人の話を聞けなかったり、机の上が散らかったり、
その兆候はあったように思います。
学生時代はあまりうるさく言われていませんでしたが、社会に出てからは急激にだめな部分だけが出てきてしまいました。
勉強などいいところだと思っていたところが、社会に出てからは全く使われなくなった感じです。

また、いじめはあまりなかったもののクラスメートからは変人扱いはされていて、内心落ち込んていた記憶はあります。でもそう振る舞わざるを得ない自分がいるんです。

そう、知識を得ることが得意で学校で通用しても、実践が全て仕事では全く通用しなかったことが多かったです。

お礼日時:2017/10/05 08:04

お礼ありがとうございます。



「自己内差」では、確かに出て来ませんでしたね。すみません。正しくは「個人内差」です。

自己肯定感で検索されると、アダルトチルドレンなどが引っかかるのは、その原因が多いと考える人が多数派だと言うだけです。ネットは少数派は埋もれます。(検索の性質上)

発達障害者が自己肯定感が低いのは、例えば「微分積分が完璧に理解できているのに、中学校で習う漢字を書き間違う」とかで、他人からも「どうして?わざと?」と言われたり、自分でも訳が分からないから、自信の喪失になります。

ただあなたの状態がそれに当てはまるかは、分かりません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自己肯定感=毒親育ち?とばかりヒットしてしまい、思い悩んでいましたが、少数派のケースってヒットしづらいんですね。頭に入れておきます。

自己肯定感がやたら低かったのは、社会に出てからです。
学校は何ができているのかが数値で表される為明確ですが、何を持って"できてる"状態なのか、わからないんです。ダメ出しばかりされて、おちこむというのはよくありました。

お礼日時:2017/10/05 07:53

支援学校教員です。



なんだか、発達障害の基本的な情報を持っていないような。

発達障害者が「自己肯定感」が低くなるのは、「親の性」ではありませんよ。自己内差って分かりますか?

だいたいの人は「自分の中の能力」は、だいたいそろっているのです。国語が苦手な人は、他の勉強も苦手だったり。「能力のバラツキ」が少ないのです。こういう人が、自己肯定感が低くなる原因の多くが「親の育て方」だったりします。

反対に、発達障害者は「出来ること出来ないことの差」が激しく、「何でこんなことが出来ないのか」と自分で苦しみます。親が育て方が良くても、この能力差は埋まらないので、自己肯定感が低くなるのです。もちろん、親が「その子に合った育て方」をしなかった場合は、さらに自己肯定感は低くなるでしょう。

あなた自身が「自己肯定感が低い」理由は、あなたの質問内容だけではわかりませんので、心療内科を受診されては如何でしょう?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ええ、メンタルクリニックを現在受診していて、発達障害かどうか、判明しないとなんともわかりませんねと言われています。

個人内差ということで合っていますか?(自己内差で検索しても出てこなかったので)
たしかに、能力不足で社会に出たときに落ち込むというのは聞いていました。
しかしできることとできないことの能力差が大きいから自己肯定感が低くなるのは初めて聞いた話です。
でも、自己肯定感の低さについて調べると、出てきてもアダルトチルドレンなどの項目が出てきます。そこには発達障害についての事柄が書かれていませんでした。
もしかして、親の育て方の一因もどこかにあるんじゃないかと、ずっと疑っていたんです。

実際、学校生活では問題がなかったように思います。体育を除いて勉強は得意で、全く困った記憶がありませんでした(唯一困惑してたのはコミュ力が試される家庭科の実習で、そこで嫌な記憶が残っているくらいです)
クラスメートにも恵まれ、家庭科の件を除き、いじめらしきものもあまりなかったように思います。
社会に出るまでは問題なかったように思います。

しかし、社会に出てからはできないことが多かったです。常に気を張ってヘトヘトになりました。
学校と社会のギャップについていけなかったのかもしれません...。

お礼日時:2017/10/05 06:55

診断が出たら考えましょう。


あまり不確かな事で悩むのはよくないよ。
もっと楽に生きれたらいいね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。(下の回答と関連付けてお礼します)そうですよね。ただ、気になって仕方がないことでもあります。

ただ、自己肯定感は親のせいではないときいて安心しました。自信のない原因を探しても、親に認められなかったとかそういうのばっかり出てきて、そんなに親が悪いのか?と考えていたのです。

みなさん怒られても普通に週5以上は会社に行ってるため、どんなメンタルだろうと思っていました。
やはり単純に学生時代、特別に叱られもしなかった故に、社会人になって思った以上にできなくて叱られまくったのが原因なんでしょうかね。
他の人がミスしないようなところだったのでますます落ち込み(最初の会社で、一度のミスで1時間説教されたのはトラウマ)立ち直るのも下手だった気がします。

お礼日時:2017/10/05 02:13

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