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満州事変の首謀者、石原莞爾は何故戦犯にならなかったのですか?また何故、他の陸軍軍人は満州国をしっかり育てて他の地域に戦線を拡大しないという石原の方針に耳を貸さなかったのですか?教えて下さい。

A 回答 (2件)

関東軍参謀だった時代に、政府と参謀本部作戦部の戦線不拡大の方針を破って却って賞賛されるという満州事変の先例を造ったのは石原莞爾ですからね。



その後石原は、参謀本部作戦部長に大出世するわけですが、日中戦争拡大に走り出した関東軍を止めようと中国に飛んだ石原は、当時の関東軍司令部で、後にA級戦犯として処刑された武藤章に、「私は満州事変でのあなたの活躍に大いに感心しました。今は我々も当時のあなたの行動に見習い、その通りに実行しているわけです」と皆で哄笑されています。
その後、石原は東条英機とも対立を深めて左遷され、対英米開戦時は閑職に追いやられていました。

A級戦犯に問われる可能性はあったと思いますが、米軍側に錯誤があったことに加え、終戦時の石原はすでに重病で病床にあったことから何度か尋問は受けていますが、逮捕には至っていません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2025/02/24 10:54

選定の時に他人と間違われたとか重病だったからだとかの説があります。

東条英機と対立関係にあって軍をやめたというのも心情的に有利に働いたんじゃないですかね。石原の方針に他の軍人が耳を貸さなかったのは、そんなことどだい無理だったから。戦いには相手があるわけで、なんでもかんでも自分の思うとおりにことが進むという石原の考え方自体に無理があったと思うんです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2025/02/24 10:55

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