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また、成果主義のどこが良いのですか?

A 回答 (9件)

「成果主義」について書かせてください。

ただし、「今やっている/やろうとしている成果主義のどこが良いか」ではなく、「成果主義に何を期待するか」あるいは「なぜ成果主義でなくてはならないか」です。

まず、話のフィールドを明確に限定しておきます。
それなりの大きさの企業の研究・開発職において、とお考えください。

私が、日本の技術系の先端分野の企業における技術者の活性度に関して、アメリカと比べて「これじゃ負けて当然」と思う最大のポイントは、「本人の能力を生かせる仕事に100%集中させていない」ということです。アメリカの技術者に比べて、雑用や専門分野以外での拘束時間が非常に多く、また「少数精鋭」という訳の分からないスローガンの元、幅的に広い分野での活動を要求される(逆に言えば当然、浅く広く)ことが多いです。そして、技術的に高いものを持った人に期待される成果のレベルと、そこそこの人に期待される成果のレベルの差が小さく、高いレベルの人にとっては物足りなく、そこそこの人にとっては厳しい、という感じがあります。更に、求められるのは「器用であること」「オールラウンドプレーヤー」です。まことに日本的な「平均点主義」ですね。先端分野で技術屋集団がどれだけすごい=「新規で有益」なことができるかは、集団の平均点の高さよりはむしろ「分散の大きさ」にかかっています。それぞれ違う方を向いた狭い領域で抜きんでた技術者をどれだけ持っているかの方が重要です。もう「平均点で戦える時代」「チームワークだけで戦える時代」ではないのです。「積み上げてきた技術」とか「コア技術」とか「OJT」とかって大事だとおっしゃる方も多いですけど、今の先端技術の世界、そんな実は「縮小再生産」でしかない「伝承」形態では勝てませんよ。「勝てる人材」をまじめに採用しないから、そんなものに頼ることになるのです。こんな例えが分かりやすいでしょうか。プロ野球から見ればまだ未熟な高校野球界では、「ピッチャーでキャプテンで4番で長打もそこそこ打てておまけに勉強もそこそこできてルックスもそこそこイケメン」って選手いますよね。ところが、最先端のプロ野球でそんな選手いますか? いたとして評価されてますか? 「器用貧乏な選手」でくくられるのがオチですよね。「ピッチャーで一番の人」と「バッターで一番の人」と、...で成り立っている訳です。同じ話だと思いませんか?

じゃ、プロ野球の構成を見てみましょう。でもチーム全体としては「とびっきりすごい選手9人」でできているチームなんて現実にはない訳です。控えの選手まで入れると、「超高給取り」から「低年俸」の選手までずらっと並んでいて成り立っていますよね。当然「高年俸の選手」には求められるものも責任もプレッシャーも大きく、「低年俸の選手」に求められるものはそれなり(クビになるかどうかのプレッシャーは別)な訳です。つまり、給与に見合った要求レベルと責任がそこにある、というのが基本じゃないでしょうか。

ところが、日本の企業の多くでは、(管理職のようなポストにまつわる給与体系は別にして)技術屋の給与なんてメチャクチャ分布の幅が狭いのが一般的でしょう。そして、みんながレベルに関係なく「雑用」をこなす。これでは、「そこそこの技術者」にとっては「求められるレベルが厳しく」、「有能な技術者」にとっては逆に「やりたいレベルに専念させてもらえず」、そんな感じではないでしょうか? 

この状況を解決してアメリカに勝てるようになるためには、まず雇用人数を増やして「専門職」の人に「雑用」なんてさせないことです。そして、各人に「個人の能力レベルを最大限に発揮できる仕事」に専従させることです。もちろん、みんなが「雑用」としてやっていた仕事だって、専従者が体系立ってやればよりきちんとした効率と成果が出るはずです。しかし、現行の、みんなにそれなりに同程度に厚い(薄い?)給与体系のままでは、雇用人数を増やすことは不可能です。きちんと要求される成果と果たすべき責任の大きさ・重さ応じて、リーズナブルにフェアに、「上に厚く下に薄い」給与体系を敷き、同じ金額合計の中で雇用人数を増やすことではないでしょうか。アメリカの給与体系の基本はこんなところじゃないでしょうか?

でも、それじゃ「低給与」の人はどうやって暮らして行けと言うんだ、という話になると思います。そこなんです、日本がおかしい、もとい難しいのは。生活費(含む税金・年金・社会保険・住宅・教育費)が高すぎるんですね。社会インフラの整備(土建業という視野ではなく)が遅れていて個人払いのツケが大きすぎるんですね。実はこれって先の回答者さんが「年功序列の給与体系は必要」とされている根拠であったりもする訳で、段々問題の根っこの部分が見えてきましたね。

ということで長々書いてしまいましたが、実は「年功序列」「成果主義」って給与体系の話として閉じた世界で切りのいい議論にはならない、というのが大きなポイントだと思うのです。
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技術職は年功序列のほうがいいですね。


理由として技術の伝承が成果主義だと無くなる可能性があるのですよ。
もし成果主義だとすると自分の仕事を守るために必要以上に保守的になるのもありますし、
よりよい評価をする企業つまり大きな資本力を持ったところにとられてしまう可能性もありますし。
そうすると企業側も技術の流出を起こさないために優遇して結果、賃金体系は年功序列となんら変わらないのにその立場を保守するために技術の伝承が行なわれなくなる、
そんな風になりかねないです。

成果主義は結局評価するのも人間ですから仕事が出来ない人でも、評価する人をヨイショすればいいのかなと考えてしまったり。。
評価する部署が他の専門部署の知識を持っておらずその上で評価されると部署間の軋轢も生まれかねないですし。

それに年功序列だとまるで仕事の評価が全くされないように聞こえますが、
実際は賃上げだってあるし賞与があればそれの評価にもなりますし、
頑張れば自分も将来その評価された役職になれるのだと考えますし。
成果主義でも不当な評価をもらえば意味無いですし。

結局、周りをイエスマンで固めたり、俺の会社だ~と社長が威張ってたり、
どんな主義をしくにしろ企業体質が悪ければ何もなら無いですね。

ですから私は働くなら収入の安定が見込める方がいいですね。
ちょくちょく変動された日には社会保険料の標準報酬月額がころころ変わって事務処理も納める側も大変ですし(病気になったとき傷病手当て金の額などにも大きく影響を受けますし、そう考えると成果主義は保障が薄い?)、
何より下手をすると銀行から融資を受けられ無かったりすると思いますし。(銀行側も収入が安定して無いと回収見込みや返済率立てづらいだろうし)
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 参考までに私が以前勤めていた会社は年功序列でした。

経験者として言わせて頂きます。

 仕事上の経験の多さは認めますが仕事を若手に押し付けてあまりにも仕事をしない人間が多い。それで高給を取られては若手がやる気をなくす。
 喫茶店、図書館でよく仕事をサボっている人を見ますが大抵50歳代あたりの人間で若手はいないですね。
若手に仕事させて自分がサボるのはどういうことかと直接聞きたくなりますよ。この方々が皆高給取りだとはいいませんが、自分の会社はこんな上司があまりにも多くてやる気なくなりましたよ。
 
 働いた分だけ給料に反映する仕組みがもっともシンプルだと思うだけです。
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労働経済の体制としては、年功序列は安定しています。

高度成長の担い手であった団塊の世代において個人の能力がほとんど問われなかったことを思えば、能力を問う成果主義世代がより高度に成長するものかどうかという疑問も湧きます。したがって、「なぜいけない?」という疑問はそろそろ出てきて当然です。

原因は歴史的な流れです。
1.現行の年功序列賃金制度が維持できなくなった(年金制度のように設計を修正していく必要があったが、社内で意思統一できなかった。なお、バブル期の初任給高騰が要因。)
2.年功序列賃金は、若年期には安いが高齢期には高い給与設定のもの。売上げ、利益減退の不況期において、能力の観点で見れば、その逆ザヤが目立つようになった。文化的にも、できない人間が偉そうにしていることは許せない状況になってきた。(第〇次プロレタリア思潮?)
3.年功序列賃金制度は事務が楽だが、能力体系となると知的な作業と役職者会議、評価者教育など時間を要する。年功型給与制度に慣れた感覚では事務負担で嫌気がさす。実質上それをやりきるだけの体制は、日本の会社の体質からみて準備できるものではない。
4.年功序列給与の設計を再度しなおし、昇格降格基準、役職者教育(ここに能力・成果を持ち込む)に集中させれば、現在上手くいっていない成果主義は解消されるだろう。
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質問の趣旨に反するかもしれませんが・・・


年功序列と言っても、過去においても、じゃあ全員が社長になれたかというとそういうわけでもなく、一応肩書きは部長だけど、閑職に追いやられ、第一線で活躍する部長とは年収数百万違う、というのは当たり前のように存在したわけですよ。

今の日本の社会では結婚し、子供を産み育てていけば、年齢を加えるに従って必要となる生活費も多くなります。
生活の基本を支える給与が上がることがある程度保証されている方が安心して働けませんかね?
どこぞの会社で勤続20年位の人が成果主義で手取り月額6万円、と言う記事がありました。
今、自分は会社の中では一応平均的な評価を得られているとは思いますが、そうなるリスクと、働きもしない上司が高級もらっている不満に耐えるのとどちらがよいかと言えば、個人的には後者です。

成果主義の導入だけが原因とは言いませんが、自殺者やメンタルヘルス不全の人が増えています。一部の人の給与アップの影で、社会的損失も多くあります。エース級だった人が突如メンタルヘルス不全になることも多いです。そうなると会社にとっての損失も大きくなります。

足下が不安定な状態で長期的にがんばれる人はあまりいません。
個人的には、一般的な生活を支えるだけの給与は年功序列的に保証し、がんばった人には短期的な高い処遇(ボーナス倍額とか)で答える体制の方が、社員もがんばれると思っているんですが・・・
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頑張ったのに認めてもらえなければ、人はやる気が無くなります。



成果主義の良い所は、若い人にも誰にでもチャンスがある、という事。また、上司だからといって呑気にやっていれば、部下に先を越されてしまう。上にいこうと思う人は、頑張ります。

例えば会社において、完全に年功序列になってしまい、何もしなくても上にいけるなら、何もしなくなってしまうでしょう。

以上、自分の考えです。参考までに。
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能力がない人が組織の上方向に行ってしまう。


適材適所となる。

最適なのは成果主義ですが、
これは公平公正に評価できればの話しです。
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以下のホームページを参考にしていただくと良いと思います。





教えて!goo 質問:『年功型』と『成果主義』どちらがいいと思いますか

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=706083

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=706083
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この回答へのお礼

質問前には、私の検索のやり方が悪く、
ひっかかりませんでした。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/11 00:11

例えば、あなたより仕事が明らかに出来ない人が会社に先に入ったというだけで給料が高かったらやる気をなくしませんか?あなたがいくら頑張っても頑張らなくても毎年昇給額が同じなら手抜きをしませんか?


そういうことでは?

成果主義も評価する人によって基準が違うため、問題点は多いです。

この回答への補足

一行目。

頑張っても、頑張らなくても成果が同じと判断されれば、

の間違いでした。

補足日時:2005/08/10 23:53
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この回答へのお礼

頑張っても、頑張らなくても成果と判断されれば、
成果主義とて、変わりませんよね。

社会保障の在り方について、
先の不安がないからこそ、経済は上向くとも、
考えられると思いますが、
これは、労働者が成果を上げることとは、
結びつかない事柄でしょうか?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 23:53

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