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私は某国立大学大学院工学研究科の修士課程の1回生です。
昨年の秋くらいから自分が何をしたいのかわからなくなってきてしまい、困っています。

話の発端はまだ受験生だった頃のように感じます。
航空機に興味があり、航空系の学科を志望していたのですが、様々な理由があってそれをやめ、機械系の学科を持つ今の大学に進学しました。

はっきり言って今の大学に進学した理由は周囲に褒めてもらいたい、地元で有名な大学に入って同級生にいい顔をしたい、高2の時に自分を振った女の子を見返したい、というものだけでした。

元々そんな体たらくだったのと、入学後のガイダンスでこの大学では航空機にはかすりもしないような研究しかしていないことを知り、やる気を失ってしまいました。それ以降は何となく惰性で大学に通いました。

高校までずっと周りから頭がいいと持ち上げられていたのですが、大学に入ると自分より能力の高い人間がたくさんいて、自信を喪失してしまいました。次第に良い成績を取ることよりいかに努力せずに単位を取るかを主眼に置いて授業を受けるようになる有様でした。

結局学部生時代は時間の大半をサークル活動とアルバイトに費やす生活を送りました。本当に後悔するばかりです。

4年生になり研究室を決める段になって、やはりこの大学で自分が心から興味を持てるテーマを研究している研究室はない、と気づきました。
大学院試験で他大の航空系の専攻を受験することを前提に、できる限り汎用的なテーマをやっておこうと思ったのと、勉強の暇が取れそうだったことから、楽というもっぱらの噂だった今の研究室を選びました。

研究室に入ってみると私より成績不振で無気力な学生ばかりで、私は教授に気に入られました。
望むなら留学させてあげる、とも言われ、すっかり乗せられてしまいました。
今思えば留学には全く興味はなく、「教授に留学を打診される自分」に酔っていただけでした。
そして出ていくと心に決めていたはずなのに今の大学にすんなり残ってしまいました。
教授から与えられた研究テーマには正直全く興味がわきませんでしたし、調べれば調べるほど、ハッキリ言って研究のためにしているような研究で、社会的に役立つ可能性は低い研究のように思えたのですが、必死で興味があるふりをして自分を騙そうとしました。
ただ、実験手法を考えるのは楽しく、何となく博士を取って研究者もいいかも、などと考えるようになりました。

秋くらいから、理学部卒ゆえにまず慎重に考えてから物事を進めようとする理論派の教授と、何事もトライ&エラーを繰り返して徐々に答えに近づく方法を好む私との間に致命的な考え方のズレが生じ始めました。私が何か提案しても頭ごなしに否定されることが増え、腹が立つことが多くなりました。思えばもともと興味のわかなかったテーマですし、冬頃は研究に嫌気がさしてきて大学に行くのすら嫌な時期もありました。
教授は私がすっかりやる気をなくしているのを見て失望したのか私につらく当たるようになり、それでますます私がやる気をなくす、という悪循環に陥り、教授との関係は最悪になりました。卒論提出の時期いっぱいまでそれが続きました。

卒論は本来の予定の半分も進んでいないところで書くことになり、非常に貧弱な内容になりました。卒論発表会で他の研究室の連中はかなり難易度の高いことまでやっているのに気付き、この1年でついた差を感じて愕然としました。このままでは研究者はおろか技術者としての就職もおぼつかない、と危機感を覚えたものの、自分の専門分野についての本や研究に必要になりそうな本を買ったり借りたりして、いざ勉強しよう、と机に座っても、なぜか勉強が全く手につかないのです。何時間もかけて本を探すだけのやる気はあるにもかかわらず、です。また、論文集などの中から自分の研究に役立ちそうな論文を漁ってくるところまではできるのですが、いざ論文を読むとなると何となく嫌になってしまうのです。大学院の授業も面白そう、と思って受けに入っているはずなのにいざ受けてみるとそうでもない、というものばかりです。

こんな調子なので、自分が本当に機械に興味があるのか、エンジニアや研究者を目指す心づもりがあるのか、自分でもわからなくなってきてしまいました。最初はそもそも今の研究の興味がないせいなのかな、それとも大学受験の時に自分が一番行きたかった航空を諦めたのが効いているのかな、などと考えていたのですが、今となってはそもそも自分は本当に機械や航空に興味があったのかすらよくわからなくなってしまい、本当に自分が何をしたいのかもすっかりわからない状態になってしまいました。もしかしたらやっぱりただ単にできる限り自慢できる学歴が欲しかっただけ、いい企業に入って自慢したかっただけなのかもしれない、そもそも航空のある大学院に行こうとしていたのもそれがきっかけだったのかも、と考えてしまうことすらあります。そんなわけでこれから自分が何をすればやる気を取り戻せて研究や学習に対し前向きな気持ちになれるのかに対し、全く見当が付きません。しかし、ただ無為に時間を過ごすことに対してひどい恐怖感があります。

以上、まとまらない文章ではありましたが、どなたか私に今後についてのアドバイスをして頂けませんでしょうか。
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

回答の追加です。


URL先ですが、
 私は、そのアンケートに対し、否定的です。

すると、
>母親の髪をつかんで、罵倒の限りを尽くしてやりました!
>土下座させて、500円恵んだらコンビニで弁当を食べています。

 
 これに、いちいち「腹を立てる」ようでは、ダメですね。(^^)


 「腹を立てずに」、なぜ、教授が否定的なのか、分析してみてください。
(必ず、理由があります)
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丁度いい例が、出てきました。

(微笑)

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8965286
 ↑
この質問者様の、私の回答に対する補足を見て、どう思われますか?

 「腹を立てる」というのは、まさに、こういうことなのです。
(簡単なので、分かりやすくないですか。^^)


  あくまで、冷静に。(というか、動揺することなく、「筋を通す」)
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>>理学部卒ゆえにまず慎重に考えてから物事を進めようとする理論派の教授と、何事もトライ&エラーを繰り返して徐々に答えに近づく方法を好む私との間に致命的な考え方のズレが生じ始めました。

私が何か提案しても頭ごなしに否定されることが増え、腹が立つことが多くなりました。

問題の核心は、ここではないでしょうか。


頭ごなしに否定されて、いちいち、腹を立てるのですか?

 「なぜ、否定されるのか」を、徹底的に(納得がいくまで)、聞くべきではないでしょうか。
腹を立てる、なんて、感情的なことはせずに、あくまで、冷静に。


 結果、「何だ。自分の方が、筋が通っているではないか」と思えれば、それでいいのです。

すると、教授も、首を立てに振る、というか、肯定的になります。


 教授が、失望しているのは、質問者様が、「筋を通さない」からです。

「筋を通さずに、腹を立ててしまい、挙句の果てに、自分を殺してしまう(嫌気が差す)」


  頭ごなしに否定するのには、必ず「理由」があります。

その「理由を聞き出さない」で、自分を貫き通すのを“諦めてしまう態度”は、どうなのでしょうか?


  
  まずは、頭ごなしに「否定」される「理由」を、聞いてみてください。


頭ごなしに否定された程度で、腹を立てていては、いけません。


「頭ごなしに否定されること」は、エラーではないですか?


  こんなことで、やる気を喪失してしまうのでは、どこも「トライ&エラー」ではないではないですか!


  自分が納得がいくまで、教授に、喰らい付いていくべきではないでしょうか。


こんな程度で、ぐらついて、諦めてしまうようでは、どこへいっても「同じ」気がします。
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率直な感想を申し上げると、あなたは「私に今後についての」とおっしゃる一方、次の一手をどうするかだけを見ているように思えます。



No.1の方もおっしゃっていますが、自分の今を客観的に見ることが出来ていると思います。ここで、もう一歩視点を引いて、もっと先の自分の姿とか、こうありたいという姿を想像してみてください。妄想でも構わないと思います。そして、将来の自分の姿が見えてきたら、それに近づくために何をしたらよいかというプランを考え、実行すればいいと思います。もちろん、今決めた姿やプランが最終形である必要はありません。この先の人生、いろいろな環境や境遇の変化から心境の変化があるでしょう。気が変わればその都度修正すればいいだけです。いわゆるPDCAサイクルですね。

私の話をします。

私は学生の時分、科学者になりたいと思って博士課程に進学しました。その後民間研究所で一つのプロジェクトを任されました。これが科学者の第一歩ですね。このプロジェクトでは、複数の一般企業の研究員とともに仕事をしましたが、彼らが成果を会社に持ち帰り、世の中に役立つものへと深化させている姿を見て少し気が変わりました。自分のなしたことをすぐに社会に還元したい。

プロジェクトの終盤になり、次のポストを探す段階で、複数の大学から教員にならないかとオファーがありましたが、教授先生方には自分の気持ちを伝えてお断りし、私はベンチャー企業に就職する道を選びました。自分のなしたことがすぐに社会の役に立つと思ったからです。

そのベンチャー企業も、だんだん規模が大きくなり(環境の変化ですね)普通の会社っぽくなってきたので、当時の自分の気持ちや興味が薄れてきています(心境の変化ですね)。今まさにこの先どうしようかと考え中で、将来の自分を妄想して楽しんでいるところです。

ここで大事なことは、今まで経験してきたことはすべて自分の中に残るということです。それは、大学で得た小手先の技術や知識(たとえば航空機設計の技術だったり、難しい数学の知識だったり)にとどまらず、特定分野に限らず一般的な研究の手法、仕事のやり方、人脈、頑張って受験勉強したという経験、子育ての経験、へそを曲げた愚妻の機嫌の取り方(これは小手先の技術か)など、さまざまなものがあります。それらが今の自分の財産であり、しかもこの先新たに財産を手に入れることもできると思います。また、その財産をフル活用しなくてはならないわけでもないと思います(というか、フル活用できる人がいたら見てみたい)。ですので、自分の今まで進んできた道を根拠に将来の道が限定されるというわけではありません。

繰り返しになりますが、まずは向かいたい方向とか場所とか(そこにあるものはとても明るく楽しい未来です)を考えてみてください。そこへ向かうための次の一歩を踏み出せばよいと思います。その結果失敗するかもしれませんが、その時にできる手段でやり直せば済むことです。怖がる必要はないと思います。
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何歳になっても 何がしたいなんかわかりません


今居る状況を 誠実に着実に押し進めるだけです
所さんも言ってました ゆめなんてないんだ
今やってことをつづけるだけで その中から やりたいことが出てくるんだと
今やらないと明日はないし 過去を振り返って後悔すると今の自分を否定することになる
過去があってこその今で その時々の判断は自分でしてきたはずです
暇なら本を読みましょう もっと深く今やっている事の知識を深めましょう
いやなら昔好きだったことを追求しましょう
一つの点は 繋がっている事が いずれわかると思います
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某メーカの航空機部門で働いてますが、航空関係を専攻した人が意外と少なく、機械系や土木系、数学、電気などいろいろいます。

ただ東大など旧帝大は多いです。その中で頑張れるかどうかです。

博士課程に進学するならそれなりの覚悟で民間企業での就職はかえって厳しくなることを覚悟した方が良いです。今は年間17000人も博士が生まれているのです。民間企業で3年間厳しい開発現場に中で鍛えられた人と博士課程卒業の人とでは精神面で大きな差が付きます。

大学院までの専攻や研究内容はあまり関係なく、それに関連する研究部門に就く人はあまりいません。設計であったり品質保証部門であったり、生産技術であったり。

航空機だろうと一般的な機械や製品だろうと、設計技術や生産技術はそう変わらず、最後の部品の形が航空機用の部品であったり航空機になるだけです。

飛行機は制約が多いので一般的な機械や製品の方が、自分で設計したものが直ぐに製品になるので、面白いのではと思います。今気持ちを切り替えて就職活動ができるかどうかでしょう。
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おじさんです。


ご質問をゆっくり読ませていただきました。
まず、あなたの将来が楽しみだと感じました。
といいますのは、自分というものを常に客観的に見ているからです。
しかも正直で謙虚さも十分に持ち合わせています。
もう、ご存知かもしれませんが、学業や学歴が高いことだけではそんなに素晴らしい人間ではないのですね。
でも、社会にはそれを自慢し、天狗になって生きている人もいます。
そういう人は結局尊敬されることはありません。
あなたは学業成績が良かった自分に酔ってはいません。そんなことで天狗になっていないのです。
そこに、あなたの将来の可能性が見えるように思います。
22歳での挫折感はあったほうがいいのですよ。
サイエンスの世界であっても、高い人格、人間性が求められると思います。
将来が楽しみです。
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