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しか
[一][係助]名詞、名詞的な語、動詞の連体形、形容詞・形容動詞の連用形、一部の助詞・助動詞などに付く。打消しの語を伴って、特定の事柄以外のものを全く否定する意を表す。「この道を行く―ない」→きり →だけ◆近世以降用いられ、限定の助詞に付けて「きりしか」「だけしか」「ほかしか」「よりしか」の形で、「しか」を強めていう場合もある。
【大辞泉】
辞書の「しか」の説明は上記のようですが、「100円しかない。」の形容詞「ない」が表す「特定の事柄(以外のものを全く否定する)」とは何でしょうか。
他の辞書の説明も大同小異で、諸賢はどのようにお考えでしょうか?
私見では、現在の形式主義的な言語論、日本語論とそれを反映する辞書の限界、欠陥を露呈しているものと考えています。■
A 回答 (111件中61~70件)
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No.50
- 回答日時:
#48です。
1.
>違うと言っているのが判らんのか!!
それは、文の意味で格助詞「に」の意義ではないということじゃ。
何故なら、
(b)机の上に本がある。
の「に」が「二羽にわとりがいる」場所など表していないことでも明らかじゃ!
:
・格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。
ですね。
ただ、こう言ってもピンと来ない人もいるので
「二羽にわとりがいる」
という例を挙げているだけです。
この場合は、
・格助詞「に」は空間的な位置付けの認識を表わす。
ということになります。
こうした例文で、格助詞「に」が空間的にどのように位置付けられているのか、という解説をすることによって格助詞「に」の意義を理解しやすくなる、ということではないですかね。
2.
>しかし、それを論理的に説明できないために、文法初心者、日本語を母語としない学習者に多くの誤解と混乱を招いているということじゃ!
:
ま、そういう場合もあるでしょうね。
3.
>そして、それ故、助詞「は」「が」「しか」「たら」「ば」「なら」他の意義を全く明確にできないという体たらくだということを指摘しておるのじゃ。
:
これは表現力の問題という点も関係してくるように思いますね。
>それは、先の「しか」の論考の理解で君が露呈している通りじゃ!
:
いえ、これなどもあくまで表現力の問題としてよい典型かと。(笑)
意義については大丈夫なはずです。
4.
>「は」「が」一つまともに理解できないことも先の論考で明らかということじゃ!!
:
その論文はぼちぼち読ませてもらいますので。
1.
>>こうした例文で、格助詞「に」が空間的にどのように位置付けられているのか、という解説をすることによって格助詞「に」の意義を理解しやすくなる、ということではないですかね。
それは論理が逆転しています。認識、規範の論理なしに単に言葉遊びで、(主観)などと付け加えれば何か判った用な誤魔化しを繰り返してもしょうがありません。
2.
>>ま、そういう場合もあるでしょうね。
本質論なしに毎回誤魔化しているだけだということです。
3.
>>これは表現力の問題という点も関係してくるように思いますね。
表現力以前の問題で、表現すべき内容が全く無いということです。
4.
>>その論文はぼちぼち読ませてもらいます
良く読み、理解し、君の「は」「が」理解の根本的な「欠陥」を自覚できるようになって下さい。
共同規範である語の意義と、これを媒介して表現された個別認識の意味の相違と関連を理解し、規範としての語の意義、つまり概念を取り出しなければなりません。
そのためには、認識論、規範論を唯物弁証法の論理に基づき展開する必要があるということです。
『日本語は~』では前半で、その概要を述べていますがまずはこれを理解する必要があります。詳しくは、『認識と言語の理論 第1部』で理論展開しており、これを理解する必要があると以前から指摘していますが、その点の理解の片鱗が3年間経過しても全く伺われず非常に残念です。■
No.49
- 回答日時:
#47です。
1.
>「に」が《「二羽にわとりがいる」場所》など表わしている訳がないでしょう。
「二羽にわとりがいる」場所は「庭」です。違いますか?
:
「二羽にわとりがいる場所」=「庭」
で間違いないですね。
そのとおりです。
ただ、
「に」=「二羽にわとりがいる場所を表わす助詞」
ですよね。
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
は、そのことを述べている文です。
「に」=「二羽にわとりがいる場所」
とは言ってませんよね。
2.
>>>《「庭」である(という話者の主観)》を表わしている文である。
誰が、文の話をしておるのじゃ。格助詞「に」の話ではないのか。
:
「庭に二羽にわとりがいる」という文は、格助詞「に」を用いることで、「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている文である。
という意味。
1.
>>ただ、
「に」=「二羽にわとりがいる場所を表わす助詞」
ですよね。
ではない、と何度言ったら判るのか!!(@_@;)
何故なら、
(b)机の上に本がある。
の「に」が「二羽にわとりがいる」場所など表していないことでも明らかじゃ!
>>「に」=「二羽にわとりがいる場所」
とは言ってませんよね。
言っておるではないか。「」の位置で誤魔化そうなどとは太い心得違いじゃ。
2.
>>「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている文である。
だから、それは話者の個別の対象認識から生まれた主観を表す文の意味だということじゃ!
この文の意味と、それを媒介する語の意義との相違と関連が全く理解できていないことを露呈しているということじゃ!!!
それを理解し、説明する論理も全く持っていないということじゃ。
それは、まあ君個人の能力ということもあるが、根本的には現在の言語論、文法論の限界だということを言っているのじゃ!
判るかな?
■
No.48
- 回答日時:
#46ですが、補足を拝見して。
>主体的表現の語である辞と客体的表現である詞の区別ができん以上、この矛盾を克復することはできんのじゃ!!
:
#47でも解説したよううに、区別はできています。
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
と解釈されるが、これは、あくまで
(A”)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている。
という意味になることを認めるのか認めないのか、という問題でしょうね。
もちろん、
助詞というものが《主体的表現の語である辞》であることをクローズアップさせたアス坊の功績は多とすべきと常々考えています。
しかし、《主体的表現の語である辞》という本質を明示的に理解していなくても、辞書信奉者が「に=庭」などと考えているわけはないでしょう?
と申し上げたいわけです。
どぎゃんですかね?
>>(A”)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている。
という意味になることを認めるのか認めないのか、という問題でしょうね。
違うと言っているのが判らんのか!!
それは、文の意味で格助詞「に」の意義ではないということじゃ。
何故なら、
(b)机の上に本がある。
の「に」が「二羽にわとりがいる」場所など表していないことでも明らかじゃ!
>>辞書信奉者が「に=庭」などと考えているわけはないでしょう?
と申し上げたいわけです。
まあ、そうだろう。
「に」を正しく使用しているのであれば、無意識のうちに規範を身に付けているということじゃ。
しかし、それを論理的に説明できないために、文法初心者、日本語を母語としない学習者に多くの誤解と混乱を招いているということじゃ!
先の当方のmixiの指摘を良く理解しなさい。
そして、それ故、助詞「は」「が」「しか」「たら」「ば」「なら」他の意義を全く明確にできないという体たらくだということを指摘しておるのじゃ。
それは、先の「しか」の論考の理解で君が露呈している通りじゃ!
「は」「が」一つまともに理解できないことも先の論考で明らかということじゃ!!
どぎゃんですかね?
■
No.47
- 回答日時:
#46です。
1.
>>「に」は場所を表わす
一体、どんな場所を表しているのですか?
:
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
という文において、「に」は《「二羽にわとりがいる」場所》を表わしている、ということです。
2.
>>「庭」は「場所自体」であって「場所を表わす」わけではない。
<「場所自体」が「場所を表わす」わけではない>というのは日本語かな?
:
「庭」というのは「庭と名付けられた場所」自体のことであり、
「庭」というのは「庭と名付けられた場所を表わすもの」ではない、ということです。
〇「庭と名付けられた場所」に二羽にわとりがいる。
×「庭と名付けられた場所を表わすもの」に二羽にわとりがいる。
といった感じでしょうか。
3.
>>>《場所を表す語が重複している》と言ったことはよく覚えていません。
当たり前だ。当方が<「場所自体」が「場所を表わす」わけではない>という珍妙な解釈の誤りを指摘しているのじゃ!
:
そうでしたか。
それはどうも失礼しました。
《この文で、場所を表す語が重複していると君は何度も、しつこく主張しているのじゃぞ!!!》
と書いていたので、「私がそのように言っていた」と指摘しているのかと思ったのですが違うのですね。
わたしが《場所を表す語が重複している》と言っていたと思っている。
という意味なのですね。
わかりました。
たぶん、それは勘違いでしょうね。
そういうことは言ってないはずですので。
4.
>「に」が場所を表し、「庭」は「場所自体」であれば重複以外の何なのじゃ!!!!?
:
「庭に二羽にわとりがいる」
「に」は「二羽にわとりがいる」のが「庭という場所」であることを表わしています。
「庭=場所」で、これを《「庭」は「場所自体」》と表現しています。
しかし、「庭」は「=場所(自体)」なのであって「庭=場所を表わしているもの」ではない。
ということです。
なぜ、こういうことを申し上げているかというと、
「二羽にわとりがいる」という文は、
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
と解釈されるが、これは、あくまで
(A”)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている。
という意味である。
つまり、「に」が庭という客体を表わしていると言っているわけではなく、あくまで、《「庭」である(という話者の主観)》を表わしている文である。
ということを理解してもらうためです。
1.
>>「に」は《「二羽にわとりがいる」場所》を表わしている、ということです。
「に」が《「二羽にわとりがいる」場所》など表わしている訳がないでしょう。
「二羽にわとりがいる」場所は「庭」です。違いますか?
こういう同語反復を君は延々と繰り返しているのに気付けないのですか?
2.
>>「庭と名付けられた場所」
どんな場所なのじゃ?
いずれにしても場所であり、「に」も場所という同語反復を君は延々と繰り返しているのに気付けないのですか?
3.
>>たぶん、それは勘違いでしょうね。
そういうことは言ってないはずですので。
上記の通り勘違いでないのは明らかじゃが?
自分が何を言っているのか判断できんのか!!
4.
>>(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
と解釈される
なので、誤りじゃと何度も言っておろう!!
>>《「庭」である(という話者の主観)》を表わしている文である。
誰が、文の話をしておるのじゃ。格助詞「に」の話ではないのか。
ここが、根本的な誤りなので話がループしておるということじゃ!
いい加減に、眼を醒ましなさい!!!!
■
No.46
- 回答日時:
#44です。
1.
>誰が、
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
という構文の解釈など問題にしているのじゃ!
:
#42でのお礼欄は下記内容(※)でしたよね。
※(要点)
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
では、「庭」は場所ではないのかね!???
一体何なのかね?
こんな単純な日本語の理解もできんのか!
「に」と「庭」と場所が重複しているというのかね?
「に」が「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしているのであれば、「庭」は何を表しているのじゃ?
こんな、小学生にも判る馬鹿話を誰がまともに受け取ると思っているのじゃ!※
なので、
《(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
という構文の解釈》について問題にしていると思ったのですが、それは違うということですね。
それはどうも失礼しました。
2.
>庭に二羽にわとりがいる
という文の格助詞「に」の意義を論じているのじゃぞ。問題をすり替えて豚ずらしてどうするのじゃ!
この文で、場所を表す語が重複していると君は何度も、しつこく主張しているのじゃぞ!!!
:
そうでしたか。
重ね重ね失礼しました。
ただ、当方の記憶に依れば、
「に」は場所を表わすが、「庭」は「場所自体」であって「場所を表わす」わけではない。
てなことは言ったような気はしますが、《場所を表す語が重複している》と言ったことはよく覚えていません。
差支えなければ、その箇所を教えていただければ有難いのですが。
>>「に」は場所を表わす
一体、どんな場所を表しているのですか?
>>「庭」は「場所自体」であって「場所を表わす」わけではない。
<「場所自体」が「場所を表わす」わけではない>というのは日本語かな?
>>《場所を表す語が重複している》と言ったことはよく覚えていません。
当たり前だ。当方が<「場所自体」が「場所を表わす」わけではない>という珍妙な解釈の誤りを指摘しているのじゃ!
「に」が場所を表し、「庭」は「場所自体」であれば重複以外の何なのじゃ!!!!?
基本的な日本語の理解が妖しいということじゃよ。
■
No.45
- 回答日時:
#43です。
><とりたて詞「しか」の表現機能>
と言っているように、「係助詞」ではなく、<とりたて詞>などという機能で品詞を分類している点で、この分類、名称は誤りじゃ。
:
なるほど。
<とりたて詞>は、むしろ副助詞としての別称とすべきだということですかね。
>そして、「表現機能」しか問題に出来ない点で根本的に発想を誤っておる。
:
しかし、
※・「しか」の文は否定的陳述が主陳述になる場合と肯定的陳述が主陳述になる場合があって、それぞれの陳述は非存在の強調と唯一要素の強調という表現機能を持つことが分かった。※
という記述があるように、
《「表現機能」しか問題に出来ない》ようには見えないのですが、どうでしょうか?
>それゆえ、「否定的陳述と肯定的陳述の観点から」などと君と同じ現象、機能の解釈に終始している根本的な欠陥を取り上げることができておらんのじゃ。
:
「しか」について、「否定的陳述と肯定的陳述の観点から」アプローチするのは間違いである、ということでしょうか。
では、どのようなアプローチが正しいのか教えてもらえれば有難いのですが。
>恥ずかしくないのか!!
と言っても。「蛙の面に小便」じゃろうな!
:
専門家ではありませんので、そのようなお叱りを受けるとすれば、黙って肯定するしかないかもしれませんな。
どのような点がなぜ恥ずかしいのか、についてぜひご教授いただければ助かります。
>一体、これは何なのじゃ!
本質問のテーマである、「百円しかない」が「今後の課題」となる体たらくの欠陥考察に過ぎんということじゃ!
:
ああ、なるほど。
言ってる意味はわかりますな。
まあ、しかし、我々のほうが一歩先に考察しているということで、よろしいのでは?(笑)
あとは、その中身を充実させていく方向で進めれば、それに越したことはないということでしょうな。
>>どのような点がなぜ恥ずかしいのか、についてぜひご教授いただければ助かります。
何度もこれまで指摘してきたように、表現としての言語の過程的な構造が全く理解できておらず、単に結果としての現象の解釈とコジツケに終始しているということじゃ!!
そうした論理による、助詞「は」と「が」の説明がいかなる論理的な破綻に至るかは下記を参照。
機能主義的文法論の吟味
https://web.archive.org/web/20050312184554/http: …
>>まあ、しかし、我々のほうが一歩先に考察しているということで、よろしいのでは?(笑)
どこがじゃ!!
天道説に過ぎんということじゃ!
■
No.44
- 回答日時:
#42です。
>(要点)
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
では、「庭」は場所ではないのかね!???
一体何なのかね?
こんな単純な日本語の理解もできんのか!
「に」と「庭」と場所が重複しているというのかね?
「に」が「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしているのであれば、「庭」は何を表しているのじゃ?
:
なるほど、そういう捉え方をしてしまうわけか。
ま、しかし、今回は【具体的に箇所を示して反論】しておるな。
実に素晴らしい進歩だ。(笑)
それに免じて要点のみ解説することにしよう。
突っ込みどころ満載だが揶揄表現は抜きで記述する、ということだ。
◎
まずですが、
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
という文の主語は何かと言えば、それは、
・主語=「に(は)」
ですよね。
ではこの文の述語は何かと言えば、それは、
・述語=表わしている。
です。つまり、
・「に」は表わしている。
というのが、この文の骨子になる。
で、(二羽にわとりがいる「場所が庭である」ことを)は、「表わしている。」という述語に係る連用修飾節という構文になっています。
《では、「庭」は場所ではないのかね!???》
とおっしゃってますが、「庭」はまさに「場所」そのものです。
「庭である」という述語の主語は「場所」になっていることがご確認できるはずです。
しかし、上でお示したように「に」は「表している」という述語の主語であって「庭である」という述語の主語ではありません。
なので、《「に」と「庭」と場所が重複している》という懸念には及びません、ということです。
まとめます。
「に」は表わしている。☜これが文の骨子です。
何を表わしているかと言えば、
(二羽にわとりがいる「場所が庭である」ことを)
ということです。
こういった構文になっております。
以上、ご理解の一助となれば幸いでございます。
>>「に」は「表している」という述語の主語であって「庭である」という述語の主語ではありません。
:
なるほど、そういう捉え方をしてしまうわけか。
ま、しかし、今回は【具体的に箇所を示して反論】しておるな。
実に素晴らしい進歩だ。(笑)
それに免じて要点のみ解説することにしよう。
突っ込みどころ満載だが揶揄表現は抜きで記述する、ということだ。
君な!
誰が、
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
という構文の解釈など問題にしているのじゃ!
庭に二羽にわとりがいる
という文の格助詞「に」の意義を論じているのじゃぞ。問題をすり替えて豚ずらしてどうするのじゃ!
この文で、場所を表す語が重複していると君は何度も、しつこく主張しているのじゃぞ!!!
君の根本的な誤読のご理解の一助となれば幸いでございます。■
No.43
- 回答日時:
1.
なかなかきめ細かい考察がなされているが、特に目新しい発見はなかったな。
以下のような記述についても、さもあらん、といった印象に過ぎない。
この辺を押さえておけば、大体の理解は可能だろう。
ま、しかし、わかりやすい記述だし、緻密に検証している姿勢には好感が持てたね。
・しかし、 「だけ」節の説明では、 「XダケP」と「XシカPナイ」の違いについて、 「XダケP」は<X以外のものについてPでない>といういう意味を含むけれども、それはあくまで「影の意味」であって、 「表の意味」は「XについてPである。」であるのに対し、「XシカPナイ」は、逆に「Ⅹ以外についてPでない」というのが文の表の意味であって、 「XについてP」というのが影の意味であると記述している。これらの記述の限りでは、 「しか」の意味は「XについてPである」ことを表の意味とするのかそれとも影の意味とするのか明らかであるとは言えないo
・まず、発話4のかえる君の「アッ、ぼく、パアしか出せなかった」はパアでな
ければ出せない、パアだけ出せたという意味ではなく、パア以外のグウやチョキが出せないことに今気がついたということになる。そのため、他に存在するものがないということを示す目的で「しか」が使われ、否定的陳述が主陳述になり、表現機能は、他に存在するものがないということの強調であることがわかる。
・「しか」の文は否定的陳述が主陳述になる場合と肯定的陳述が主陳述になる場合があって、それぞれの陳述は非存在の強調と唯一要素の強調という表現機能を持つことが分かった。
しかし、どちらの陳述が主陳述になるかは「しか」の文のみで決まるわけでなく、前後の文脈、表現意図、状況との関連で相対的に決まるものと考えられる。
2.
ただ、以下の段落など、意味の読み取れない箇所もいくつかあった。
発話2の「こいつ、チョキしか出せないのに・・・」は肯定的陳述が主陳述の文で「こいつ、出せるのはチョキしかないのに-。」のように「~は~しかない」の構文にすることが可能である。しかし、否定的陳述が主陳述の文の発話4 「ぼく、パアしか出せなかった!」は「?ぼく、出せるのはパアしかなかった!」となり、不自然
である。
3.
以上だ。
君が何を指摘したいのかわからんが、言ってもらえれば私見を開陳させてもらうにやぶさかではないぞ?(笑)
君な!
パラダイムの相違が理解できずに、いつも相手の論理に吸い込まれて相手の手の内でしか議論できておらん欠陥が露出しておるな~!
これだから全く進歩がないのじゃ!
まず、
<とりたて詞「しか」の表現機能>
と言っているように、「係助詞」ではなく、<とりたて詞>などという機能で品詞を分類している点で、この分類、名称は誤りじゃ。そして、「表現機能」しか問題に出来ない点で根本的に発想を誤っておる。
それゆえ、「否定的陳述と肯定的陳述の観点から」などと君と同じ現象、機能の解釈に終始している根本的な欠陥を取り上げることができておらんのじゃ。
恥ずかしくないのか!!
と言っても。「蛙の面に小便」じゃろうな!
6.まとめと今後の課題
今回の考察は「しか」が付く前の要素が名詞に限られている。しかし、 「しか」
の場合は数量詞と一緒に使われることが非常に多い。今後の課題として数量詞と
表現機能との関係について名詞との関連を考慮に入れた考察が残されている。//
一体、これは何なのじゃ!
本質問のテーマである、「百円しかない」が「今後の課題」となる体たらくの欠陥考察に過ぎんということじゃ!
君の能力、思考、発想ではこうした本質的な欠陥に一指も触れられないということを満天下に晒した訳じゃ!!!
判ったかの!!
顔と脳を洗い直して出直しじゃ!!■
No.42
- 回答日時:
#40です。
おやおや、こちらも全面的なオーム返しで逃げを打ってきましたな。(笑)
まあ、論理的な反論が君にできるとは思っておらんから別に構わんがね。
しかし、この程度のことにまともに反論できんのだから、あまりデカい口を叩かんほうが良いぞ?
自分で自分がみじめにならんかね?(笑)
ま、これ以上いじめることはせんから安心したまえ。
悪い頭でも覚えやすいように要点をまとめておくから拳拳服膺して、今後の糧とするが良かろうて。
親切だろ?(笑)
(要点)
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
これは、
(A”)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている。
という意味に他ならない。
君な!
なぜ、こんな単純な誤りをオーム返しのように繰り返すのじゃ?
まあ、論理的な反論が君にできるとは思っておらんから別に構わんがね。
しかし、この程度のことにまともに反論できんのだから、あまりデカい口を叩かんほうが良いぞ?
毎回、全面的なオーム返しで逃げを打つしかないよな。(笑)
見苦しいぞえ!
自分で自分がみじめにならんかね?(笑)
ま、今後とも馬鹿話は徹底的に叩いていくのでグダグダ言うのは芳子さんぞよ!
悪い頭でも覚えやすいように要点をまとめておくから拳拳服膺して、今後の糧とするが良かろうて。
親切だろ?(笑)
(要点)
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
では、「庭」は場所ではないのかね!???
一体何なのかね?
こんな単純な日本語の理解もできんのか!
「に」と「庭」と場所が重複しているというのかね?
「に」が「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしているのであれば、「庭」は何を表しているのじゃ?
こんな、小学生にも判る馬鹿話を誰がまともに受け取ると思っているのじゃ!
■
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なお、【大辞泉】は「しか」を<係助詞>としていますが、他に<副助詞>とするものも散見されます。この辺も検討の余地があります。■
「ない」に<助動詞>と<形容詞>があり、両者が立項されているのは御理解されているのでしょうか?
ただし、補助形容詞という誤った品詞区分もされていますが。■
「よくはわからんけど。」という以上のお答えは無いと判断するしかありませんが?
■
No.22 で、
それらの観念的なものが現実によってくつがえされ、現実によって否定されているところから、それを認める話し手の「ない」が生まれたものです。//
と指摘の通り、「ない」で否定しているのは「それらの観念的なもの」、つまり話者の主観であり、客体などではないのじゃ!
この、主観/客観、主体的/客体的の本質的な相違が全く理解できずにチャランポランな解釈を得々としてぶちまけているということなのじゃ。
本質問は、諸賢がこの点をどの程度理解しているのかを確認する意味で提起したものだが、残念ながら君と同レベルの応答しか得ることができなかったということじゃ。
この結果を踏まえ、別途「しか~ない」論を展開しよう。
人間だから間違い勘違いは必ずある、しかし、それを反省、自覚することこそが重要なのじゃ!
知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり
追伸
>>「先生以外の他者すべて」という客体を主観的に前提するために「しか」という係助詞を使うのだろ?
「客体を主観的に前提する」って日本語?
それが問題です。
「先生以外の他者すべて」という客体を主観的に前提するために「しか」という係助詞を使うのではないことはNo.22 のお礼で記述した通りです。これでは、「ない」が何を否定しているのかを明らかにすることはできません。
論理的な思考ができないことを露出していますね!
で、No.43 のお礼の指摘にはぐうの音もでずに、白旗を挙げて豚ずらということじゃな!■
この誤りを最初から指摘しているが、漸く矛盾に気付いたのかな?
主体的表現の語である辞と客体的表現である詞の区別ができん以上、この矛盾を克復することはできんのじゃ!!
格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
■
>>【個別的動作の主格】とでも表現するほうが
全くピント外れのナンセンスじゃ!
3.
>>本質から整理する作業が果たしてどこまで可能か、
本質の理解なしに、形式/機能を本質と取り違えていては真実、真理には到達できないということじゃ!。
4.
>>副助詞にしろ係助詞にしろ「限定」という本質
「限定」は機能でしかない。過程的構造が理解できていないために、すぐに脱線するのじゃ。
>>呼応の要素を持つものは係助詞とするのがわかりやすいのではないだろうか。
呼応という現象が認識論的に何を意味するかじゃ!
>>言語過程説に準拠していないのではないだろうか。
だから<係助詞>といいたいのかな?
>>「ライオン以外のすべて」という対象を
どこから「ライオン以外のすべて」などという前提が出てくるのじゃ?
話者が認識しているのは「ライオンは肉を食べる」という事実じゃ?
■
表現としての言語という言語過程説の基本が理解できていないため、言語実体観の発想で認識そのもの、物理的実体そのものを言語と捉えようとするために毎回議論がすれ違うということです。■
「百円【しかない】。」と表現するのは、「千円あると思った」というような表現されない認識と関係づけて始めて理解できるということです。
この文の「ない」は表現されている「百円」がないのではなく、表現されない認識の「千円」まではないことを表しています。
このような表現されない認識を前提とした関係認識の表現は副助詞ですが、「しか」という特殊性の認識の場合は否定判断「ない」と結び付き呼応するために係助詞とするのが適切ということです。■