
しか
[一][係助]名詞、名詞的な語、動詞の連体形、形容詞・形容動詞の連用形、一部の助詞・助動詞などに付く。打消しの語を伴って、特定の事柄以外のものを全く否定する意を表す。「この道を行く―ない」→きり →だけ◆近世以降用いられ、限定の助詞に付けて「きりしか」「だけしか」「ほかしか」「よりしか」の形で、「しか」を強めていう場合もある。
【大辞泉】
辞書の「しか」の説明は上記のようですが、「100円しかない。」の形容詞「ない」が表す「特定の事柄(以外のものを全く否定する)」とは何でしょうか。
他の辞書の説明も大同小異で、諸賢はどのようにお考えでしょうか?
私見では、現在の形式主義的な言語論、日本語論とそれを反映する辞書の限界、欠陥を露呈しているものと考えています。■
A 回答 (111件中51~60件)
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No.61
- 回答日時:
#56です。
>まあ、力量の差かな!
:
ほお~、こりゃまたお珍しい。
ずいぶんと謙虚なことで。(笑)
>しかしな、君の場合はその判り易さが裏目に出ているのじゃ。
君は自分の思い込みに合わせて勝手に誤解し自己満足しているだけなのじゃぞよ!!
:
それは、おそらく違うと思いますね。
少なくとも川島氏の日本語が論理的であるなら、それに対する私の感想や批判も論理的になっているという自信はあります。
むろん、その批判が正しいという意味ではありませんがね。
一応、噛み合っている形で論じているはずだ、ということです。
なので、違っていると思う箇所を具体的に指摘してもらえれば、発展的な議論につながるのですがね。
>大いなる勘違いじゃ!!
判り易さに騙され、<《主体的表現の語である辞と客体的表現である詞の区別》は十分できている>と寝惚けたことをほざいているに過ぎんのじゃ!
:
いや、それこそ大いなる勘違いだと思いますけどね。
そもそもですが、アス坊のしばしば口にする《寝惚けたこと》という認識こそが《大いなる勘違い》だということに気づいてもらいたいものです。
たびたび具体例を挙げて解説していますが、ぜひ真摯に聞いてください。
ご自身のためです。
>先生【に】本をあげました。
水が氷【に】なりました。
の「に」が<「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている>訳がなかろう!!
:
いまだにこうしたことしか言えない、というのが実に情けないですなあ。(笑)
「に」自体の意義について、
・格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。
とだけ言ってもピンと来ない人もいるので
「二羽にわとりがいる」
という例を挙げているだけだ、ということ。
こうした例文で、格助詞「に」が空間的にどのように位置付けられているのか、という解説をすることによって格助詞「に」の意義を理解しやすくなる、ということ。
「先生」「氷」は、広義の場所であることに変わりはないのです。
《位置付け》という表現が場所を示唆しているのと同程度には同じことなのですよ。
簡単なことじゃないですかね?
>主体的表現の語と客体的表現の語を主観/客観と誤読、誤解したのは君が始めてではなく、金田一春彦の「不変化助動詞の本質」以来の、誤読、誤解なのじゃ。勿論、時枝は即反論したが本質的な指摘はお約束のまま果たされずに終わってしまったということなのじゃ。
このためには認識と規範を正しく理解する必要があり、『日本語は~』の第1部がそれに当てられているが、全くそれを読むことさえできないという体たらくなのが、これまでの応答で白日の下に晒されたということじゃ!!
:
たしかに私自身、主体と主観 客体と客観を混同しているきらいはあるかもしれません。
主観的客体表現や主体的客観表現というものだってあるわけですしね。
ただ、運用上で取り違えることはないように思うのですが。
ですから、《これまでの応答で白日の下に晒された》というのはおそらくアス坊の誤解だと思います。
いずれにせよ、その点に留意しつつ、いずれ目を通してみたいと思います。
>>これに対する私の感想や批判も論理的になっているという自信はあります。
君な!
>すべての言葉は辞と詞に分類できる。
「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもので、助詞や助動詞などのこと。「辞(助詞や助動詞)」による表現を「主体的表現」と呼ぶ。
次に「詞」とは、対象を概念として捉えた言葉のこと。「庭」「にわとり」などの有形物のほか~
これらを客体と捉え、「詞」による表現を「客体的表現」と呼ぶ。
>話者は、まず「庭」「二羽のにわとり」という対象(客体)を捉えている。
次に、《「二羽のにわとり」が「庭」にいる》という認識に移るわけだが、その場合の認識は(上記(A”)で示したように)「に」という助詞によって表現される。~
こんな出鱈目を並べて、どこが「私の感想や批判も論理的になっている」のじゃ。阿呆くさい!!
>>一応、噛み合っている形で論じているはずだ、ということです。
全く噛み合ってなぞおらんわい!!!
>>なので、違っていると思う箇所を具体的に指摘してもらえれば、発展的な議論につながるのですがね。
そもそも今回具体的に指摘したことが全く理解できん御仁に一体どうせいというのじゃ!!
>>例を挙げているだけだ、ということ。
例を挙げるのは当然じゃが、誤った解釈を提示しているということが理解できておらんのじゃ!!
>>「先生」「氷」は、広義の場所であることに変わりはないのです。
どう理解すれば、「先生」「氷」が広義の場所になるのじゃ???
阿呆か!!
ば‐しょ【場所】
①ところ。場。位置。「置き―」「居―」
②いどころ。場席。「自分の―を確保する」
【広辞苑】
>>簡単なことじゃないですかね?
粗雑な思考の誤解、誤読という特徴じゃ!
>>主観的客体表現や主体的客観表現というものだってあるわけですしね。
ある訳がない。こういう寝言が出るのが、「私の感想や批判も論理的になっている」のではない証拠じゃ!
それこそ具体的に挙げてみなさい。
君な、そもそも、
>>「辞」とは人間の主観(観念)を表わす働きをするもの
なら、詞は人間の主観(観念)を表わす働きをしないのか???
何も判ってないよな!!
これは極めて具体的な誤りの指摘だと思うがね!
一度、『日本語は~』のこの説明を引用して見なさい。誤りが良く理解できるので!!!
■
No.60
- 回答日時:
#55です。
>p110~114 を見なさい。そして、時枝、山田文法の批判訂正が「日本語は~」のスタンスだということが全く理解できておらんということじゃ!
:
ありがとうございます。
読んでみます。
>なお、その程度の浅はかな理解で、「機能主義的文法論の吟味」川島正平の誤った解釈を云々するのは止めなさい。君のは同語反復を繰り返しているだけなのじゃから。
:
それとこれとはまた話が別だと思いますけどもね。
三浦を理解していないからといって、川島氏の発言内容を理解できないということはありませんのでね。
ま、一応伺っておきます。
>彼には、『言語過程説の研究』
https://web.archive.org/web/20120204124112/http: …
という著作があるので、まずこれを良く読んで理解してからにしなさい。
:
どうも~。
面白そうですね。
余裕ができたらいずれ拝見するかもしれません。
>>それとこれとはまた話が別だと思いますけどもね。
いいえ。
君の滅茶苦茶な「機能主義的文法論の吟味」川島正平の誤った解説が如実に示しておるは!
言語過程説に基づく批判であることが全く理解できておらんのじゃ!
■
No.59
- 回答日時:
#52補足拝見。
>だから<係助詞>といいたいのかな?
:
そういうことです。
>どこから「ライオン以外のすべて」などという前提が出てくるのじゃ?
:
どこから、というより、そうした対象をまず前提するからこそ「しか」という係助詞を使うということです。
>話者が認識しているのは「ライオンは肉を食べる」という事実じゃ?
:
「は」と「しか」では表わす主観が異なると思いますが。
>>表わす主観が異なると思いますが。
君な!
何がどう違うと言うのじゃ!!!
規範である語の意義を問題にしているのか、個別の対象認識の表現としての文の意味を問題にしているのかどちらなのじゃ!!
主観の在り方としての規範と、対象の概念認識としての主観の相違が理解できているのかね!
認識論も規範論も持たない君にそれが理解できるとはとても思われんが???
■
No.58
- 回答日時:
#52です。
>不毛なのではなく、「は」には特殊性の判断を表す場合と普遍性の判断を表す場合の二類あるということが重要なのじゃ。
:
「海は青い」という部分だけから特殊性か普遍性かと論ずるのは不毛じゃないのですか?
>「兎は草を食べる。ライオンは肉を食べる」も特殊性のはずだ。
この場合も、対比的に、それぞれの普遍性を捉えていると理解できる。
:
この場合は係助詞だという意味ですか?
>>「海は青い」という部分だけから特殊性か普遍性かと論ずるのは不毛じゃないのですか?
では、どこから、どうやって、何を判断するのかね????
それが不可論的な発想というものじゃが!
>>この場合は係助詞だという意味ですか?
はい、そうです。
それ以外に何だというのですか???■
No.57
- 回答日時:
#52です。
訂正。
×
その意味で、
『この「ライオン」は、「トラ」でも「ゾウ」でもない、「ライオンという種類」というある特定の種類の動物だ』という町田氏への批判は当たっていないと思う。
〇
その意味で、
『この「ライオン」は、「トラ」でも「ゾウ」でもない、「ライオンという種類」というある特定の種類の動物だ』という町田氏の 見解 への批判は当たっていないと思う。
No.56
- 回答日時:
#53です。
>これまでの指導の成果で、多少は理解が進んできたようで、正月早々慶賀じゃ!
:
川島氏の言っているのは、アス坊の言ってきたこととほぼ同じ。(だよね?)
同じことを言っているのに表現力の重要性を痛感しますなあ。(笑)
不分明な箇所が一気に氷解したほど、川島氏の表現力は優れている。
専門用語を述べるに際し、例文を挙げるよう努めている点にお気づきだったですかね。
有効な手法だと思います。
いずれにせよ、本質的な理解は当方の考えていた通りで何の矛盾点もなかったから、その点でも非常に気分が良い。
《主体的表現の語である辞と客体的表現である詞の区別》は十分できている。
だから、あとは辞書が言うところの、
(A)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている。
という表現が、
(A”)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている。
という意味になることを認めるのか認めないのか、という問題なのですよ。
区別ができていないと思う局面に遭遇したら、例文を挙げつつ、どのように区別ができていないのか、ということを専門用語だけに頼らず解説できるようになればアス坊としても前進が見込めるんじゃないですかね。
>>同じことを言っているのに表現力の重要性を痛感しますなあ。(笑)
まあ、力量の差かな!
確か、彼は能楽関係の出版に関係していたと思う。
しかしな、君の場合はその判り易さが裏目に出ているのじゃ。
君は自分の思い込みに合わせて勝手に誤解し自己満足しているだけなのじゃぞよ!!
>>いずれにせよ、本質的な理解は当方の考えていた通りで何の矛盾点もなかったから、その点でも非常に気分が良い。
《主体的表現の語である辞と客体的表現である詞の区別》は十分できている。
ははは!
大いなる勘違いじゃ!!
判り易さに騙され、<《主体的表現の語である辞と客体的表現である詞の区別》は十分できている>と寝惚けたことをほざいているに過ぎんのじゃ!
>>(A”)「に」は「二羽にわとりがいる」場所が「庭」である(という話者の主観)を表わしている。
という意味になることを認めるのか認めないのか、という問題なのですよ。
そうではない!
と何度言ったらわかるのかな????
先生【に】本をあげました。
水が氷【に】なりました。
の「に」が<「二羽にわとりがいる」場所が「庭」であることを表わしている>訳がなかろう!!
>>(という話者の主観)
など表してはいない!!
語の意義とは規範としての概念で、個別の対象認識から生まれた主観などではないのは当たりまえであろう。
君な!
君が言っているのは文の意味の解釈に過ぎんのじゃ!
だから、
先生【に】本をあげました。
水が氷【に】なりました。
の格助詞「に」は「二羽にわとりがいる」にも「場所」にも何の関係もないのじゃ!
判るかな???
この相違が根本的に理解できておらんのじゃ!!!
主体的表現の語と客体的表現の語を主観/客観と誤読、誤解したのは君が始めてではなく、金田一春彦の「不変化助動詞の本質」以来の、誤読、誤解なのじゃ。勿論、時枝は即反論したが本質的な指摘はお約束のまま果たされずに終わってしまったということなのじゃ。
このためには認識と規範を正しく理解する必要があり、『日本語は~』の第1部がそれに当てられているが、全くそれを読むことさえできないという体たらくなのが、これまでの応答で白日の下に晒されたということじゃ!!
この点をしっかり反省、自覚しなさい!!
それなしには、前進は全く見込めないのは火を見るより明らかであろう!!!
■
No.55
- 回答日時:
因みに、三浦は時枝の言語過程説を批判しているようですが、「日本語は~」で触れているようなら、その箇所を教えてくれよ。
>>「日本語は~」で触れているようなら、その箇所を教えてくれよ。
君な!
本当に全く読んで(読めて)いないのね!
p110~114 を見なさい。そして、時枝、山田文法の批判訂正が「日本語は~」のスタンスだということが全く理解できておらんということじゃ!
なお、その程度の浅はかな理解で、「機能主義的文法論の吟味」川島正平の誤った解釈を云々するのは止めなさい。君のは同語反復を繰り返しているだけなのじゃから。
彼には、『言語過程説の研究』
https://web.archive.org/web/20120204124112/http: …
という著作があるので、まずこれを良く読んで理解してからにしなさい。
といってもな~~~。
何か判ったような振りで誤読を振り撒くのは見苦しいし、迷惑千万じゃろう!
No.54
- 回答日時:
#50、#51です。
>>こうした例文で、格助詞「に」が空間的にどのように位置付けられているのか、という解説をすることによって格助詞「に」の意義を理解しやすくなる、ということではないですかね。
それは論理が逆転しています。認識、規範の論理なしに単に言葉遊びで、(主観)などと付け加えれば何か判った用な誤魔化しを繰り返してもしょうがありません。
:
そうですか。
では例文を出さずに「認識、規範の論理」だけで理解してもらう、という路線を貫いていかれるとよろしいでしょう。
>そういえば、以前は着点を表すという寝言を口走られていましたが?
:
寝言かどうかは個人的な感覚によるでしょうね。
理解してもらいやすい表現を選んでいる、と捉えていただければ。
No.53
- 回答日時:
#52です。
閲覧者のために補足しておきます。
「非常に面白い論考」というのは、アス坊の紹介による下記論文。
「機能主義的文法論の吟味」川島正平
https://web.archive.org/web/20050312184554/http: …
これは一見の価値がありますね。
タイトルは大仰だが、極めてわかりやすく書かれている。
興味ある方にご一読をお勧めしたい。
アス坊としては、珍しくヒットを飛ばしたと受け止めているところ。(笑)
みなさんへのお年玉と言ってもよいかもです。
No.52
- 回答日時:
非常に面白い論考。
1.
町田氏への批判も含め極めて理路整然、且つ、言語過程説と機能主義の違いについても非常にわかりやすく記述されている。
紹介してくれたアス坊に感謝ですな。(笑)
下記の2個所などもわかりやすい。
(川島氏)
〇
上のような文=事柄観は、認識による表現の媒介を無視した・不可知論的タダモノ論の一種といえるであろう。三浦つとむの言語理論の立場から言うならば、言語はすべて表現であり、表現はすべて<対象>―<認識>―<表現>という構造を背後に持っている。言語表現の特徴は、<認識>において、表現主体が認識した概念を言語規範が媒介する過程的構造にあり、同時にまたそれによって<対象>―<認識>―<表現>の各過程が超感性的な面でつながりあっているという性質にある。言語表現は、<対象>から<認識>への目に見えない複雑な過程的構造が物質的な<表現>においてこれまた目に見えない<像>として統一されている。言語表現における語は、表現主体の認識した一概念が表現されている部分であり、それは、客体の反映としての概念の表現である客体的表現と、それから相対的に独立して生れた表現主体の感情・判断・意志など能動的な認識の概念的表現である主体的表現とに二大別される。文は、客体的表現と主体的表現とが統一されて表現されたもののことをいう。町田氏のように、<対象>だか、<認識>だかわからない・不可知論的な「事柄」なるものが、すなわち「文」である、といわれても、何も明確にはならないのである。認識論抜きの言語論というものは、このように不可知論的な不明瞭な定義を選択せざるをえないのである。
〇
言語はすべて表現であり、その背後には表現主体と対象世界との現実の統一が存在し、<対象>―<認識>―<表現>という過程的構造が存在する。表現主体が対象を認識をどのようにとらえるか、という過程において、個々の語の選択や構文上の選択がなされるのである。あくまでも過程から結果が導き出されるのである
2.
全体的に同意できるが、下記の内容(※※※※※※※※※※)について若干私見を述べておこうと思う。
(川島氏)
※※※※※※※※※※
〇
このように町田氏は、「主題が事柄全体の性質を決める働きをする」という自らが規定した論理から強制されて、「主題になっている名詞が表すモノは、ほかの同じ種類のモノとは区別される、特定のモノなのが普通です」と、述べてしまっている。現実に表現される個々の文は、たとえば「鎌倉の海は青い」などのように対象となっている事物の特殊性に重点をおいたものもあれば、「海は青い」のように対象となっている事物の普遍性に重点をおいたものもある。「主題」を「特定のモノ」であると一律に規定してしまうことは、明らかにこれらの差異を無視した逸脱した規定でしかない。
〇
「ライオンは肉を食べる」という表現は、明らかにライオンという対象の普遍性をとりあげたところの表現である。町田氏は、自らの理論の論理的強制から、この「ライオン」も文の先頭にきて「は」がついており、「主題」であるから、これも「特定のモノ」を表現したものであるという。そしてその根拠は、この「ライオン」は、「トラ」でも「ゾウ」でもない、「ライオンという種類」というある特定の種類の動物だからである、というのである。これは、表現内容の特殊性の問題を、語彙の種類の特殊性の問題にスリかえた、詭弁でしかない。
(A) 月は地球のまわりを回っている。
(B) 水は水素と酸素から成る。
(C) 月が地球のまわりを回っている。
(D) 水が水素と酸素から成る。
町田氏によると、(A)の「月」と(B)の「水」は「主題」であり、(C)の「月」と(D)の「水」は「主語」である。
果して、(A)の「月」と(B)の「水」は、特定のものをあらわしているが、(C)と(D)のそれらは、どれでもいいものをあらわしている、といえるであろうか。どちらかというと、むしろ逆のように感じられるのではないだろうか。なぜなら、(A)と(B)の「は」は、<副助詞>のそれではなく、普遍性の表現で使われる「は」(三浦のいう<係助詞>の「は」)だからで、それらは決して「特定のモノ」をあらわすものではないからである。(C)と(D)の「が」は、個別性の表現で使われる<助詞>で、表現主体が対象を個別性において把握し表現するときに使われるものである。それゆえ、(C)の「月」と(D)の「水」は受け手にとって、「どれでもいい」ものとしてではなく、むしろ個別のものとして意識されるのである。
(E) 父は無職だが、母は働いている。
(F) 彼は、幼少時は不幸だったが、今は幸せだ。
(E)の「父は」の「は」も「母は」の「は」も、どちらも特殊性をあらわす「は」であり、<副助詞>の「は」である。(F)の「彼は」の「は」は普遍性をあらわす「は」で、これは山田孝雄や三浦つとむのいうところの<係助詞>であり、「幼少時は」「今は」の「は」は特殊性をあらわす<副助詞>である。
※※※※※※※※※※
ここでも川島氏の筋立ては、町田氏への批判も含め明快でわかりやすい。
(ア)
ただ、これらの箇所には、「は」の特殊性と普遍性についての論考が含まれているが、個人的には、
「海は青い」
「ライオンは肉を食べる」
がどちらかという議論は不毛だと思う。
手前みそで恐縮だが、これは、当方のキータームでもある【シチュエーション次第】という観点を排除して語ることはできないはず。
単独で用いられる場合は普遍性でよいだろうが、スカンジナビア辺りを航海中に
「なんと美しい光景だ。氷河は真っ白。海は青い」
と言う場合などは特殊性と言うべきからだ。
同様に、
「兎は草を食べる。ライオンは肉を食べる」
も特殊性のはずだ。
その意味で、
『この「ライオン」は、「トラ」でも「ゾウ」でもない、「ライオンという種類」というある特定の種類の動物だ』という町田氏への批判は当たっていないと思う。
(F) 彼は、幼少時は不幸だったが、今は幸せだ。
にしても、
(F”) 彼女は、幼少時は幸だったが、今は不幸だ。
に続く文となっている場合は、「彼は」も「今は」と同様特殊性になる。
こうした補足が無いのは、川島氏に対しても「文の機能主義」とでもいうものに陥っているという批判も許されるのではなかろうか。
(イ)
また、
(C) 月が地球のまわりを回っている。
(D) 水が水素と酸素から成る。
について、
【(C)と(D)の「が」は、個別性の表現で使われる<助詞>で、表現主体が対象を個別性において把握し表現するときに使われるものである。】
と述べている。
おそらく三浦の言ってることでもあるのだろうが、個人的には、どうもこの表現がしっくりこない。
「地球のまわりを回っている」という個別的動作に関する主格を表わしているのであって、他との比較ではない、という意味なのだろうが、「個別性」の意味が通じにくいのではないか、ということ。
なので、「個別性」という表現を使う場合には、こうした解説を付与しつつ述べることが案外重要であると思う。
いっそ【個別的動作の主格】とでも表現するほうが明確ではないか、という気もする。
3.
以下の発言(※)にも興味を惹かれた。
(川島氏)
※もちろん、形式主義的な文法論や機能主義的な文法論も、ある一定の条件のもとでは、それなりに有効である。とくに形式的な説明や機能的な説明は暗記するのに便利だから、学校の試験問題として採用しやすくそれなりに有用である。だが、日本語を学ぶ外国人にとっては、内容重視の文法論の方が有用であろう。※
「暗記するのに便利」というよりは「整理するのに便利」と考える。
「内容重視の文法論」は確かに本質ではあろうが、本質から整理する作業が果たしてどこまで可能か、という問題点が残るのではないか。
まず形式主義的な文法論や機能主義的な文法論から入って、それを「内容重視の文法論」で深めるというアプローチが良いのかもしれない。
あるいは双方同時進行だが、実際的な問題として可能かは不明であり、今後の課題になるかも。
4.
末尾の以下の発言(※)にも着目した。
(川島氏)
※普遍性の「は」をある特定の名称をもった品詞として分類する必要があるかどうかは、まだわからない。しいて分類するとすれば、普遍性の「は」はやはり<係助詞>に入れておくのが妥当だと思われる。その際、<係助詞>は、判断認識それ自体が重要視される思想内容の表現に使われる<助詞>、とでも定義できようか。だが、「も」「しか」「さえ」など従来<係助詞>として分類されてきた一連の語は、すべて<副助詞>として分類しなおすべきだと思う。これらの語の背後にはすべて明瞭な観念的な前提が存在するからである。※
「しか」は係助詞で良いと思う。
そもそもだが、副助詞にしろ係助詞にしろ「限定」という本質に何ら変わりはない。
ただ、呼応の要素を持つものは係助詞とするのがわかりやすいのではないだろうか。
「ライオンだけ肉を食べる」は特殊性という意味での限定用法、つまり副助詞になるのだが、「ライオンしか肉を食べない」も同じと考えるのは、<対象>―<認識>―<表現>という言語過程説に準拠していないのではないだろうか。
これは、「だけ」とは異なり、「ライオン以外のすべて」という対象を話者がまず前提しているわけで、それを認識した話者が「ライオンしか」と表現しているわけなのだから。
まあ、鰻やの店先で蒲焼きの匂いを嗅いだ程度の理解じゃが、若干の進歩じゃろう!
しかし、基本的な点で理解できておらんのじゃ!
2.
>>「なんと美しい光景だ。氷河は真っ白。海は青い」
と言う場合などは特殊性と言うべきからだ。
これは当然で、単に形式からは判断できないという点が重要なのじゃ。不毛なのではなく、「は」には特殊性の判断を表す場合と普遍性の判断を表す場合の二類あるということが重要なのじゃ。ここでは普遍性の判断を表す場合を論じているということで、この二種類の存在を文脈により区分することが必要ということを云わんとしているのじゃ。山田、時枝にはこれができておらず、ましてや町田氏においてはおやということなのじゃ。
>>「兎は草を食べる。ライオンは肉を食べる」も特殊性のはずだ。
この場合も、対比的に、それぞれの普遍性を捉えていると理解できる。
(ア)川島氏に対しても「文の機能主義」とでもいうものに陥っているという批判も許されるのではなかろうか。
これも、区別を論じており、単独で取り上げることで、普遍性の例としており、この点は三浦自身も山田孝雄批判で当然ながら「万葉集は歌集である。」という例を示し、【形式だけでは二種類の「は」を区別することができない。】とゴシックで強調し形式主義的な見方を批判しておる。
「文の機能主義」などというのは意味不明なピント外れじゃ。
(イ)
>>「地球のまわりを回っている」という個別的動作に関する主格を表わしているのであって、
「個別的動作に関する主格」ではなく、「月」を個別的な対象として認識しているということじゃあ。文の意味ではなく、話者による対象の捉え方の問題ということで、この点が理解できておらん。対象の立体的な有り方のどの側面を話者が捉えているかということで、文の意味の解釈とすり替えてはいかん。
残念ながら、この対象の構造と話者の認識の関係を正しく理解できていないことを露呈しおる。
このため、いつも話がすれ違うのじゃ。
個は特殊と普遍という対立物の統一として存在しており、この矛盾の在り方が理解できておらんのじゃ。これは、中世の普遍論争以来の問題で、この辺が感覚的に理解できるようにならんと何ともな!
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「藤井名人には恐怖心がない」の主語は確定しますか?
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のとが
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「で」と「に」の違い
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視点と着眼点の違いについて教えてください
日本語
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今ドラマ ブラックペアンで 小泉孝太郎が「こちらが手術室になります」 と言ってました。 どうしてこう
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漢字の読み方について。
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わたしは話し言葉で「おみおつけ」と言うのですが、気取ってるという印象を持たれるでしょうか? おみおつ
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「とても行きたいです」はあっていますか。
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天と地程の差に関して
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この文章は正しいですか?間違っていますか?
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「自分で調べなさい」的類の回答の、一般的な呼び方を教えて下さい。 教えて!goo 日本語
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なお、【大辞泉】は「しか」を<係助詞>としていますが、他に<副助詞>とするものも散見されます。この辺も検討の余地があります。■
「ない」に<助動詞>と<形容詞>があり、両者が立項されているのは御理解されているのでしょうか?
ただし、補助形容詞という誤った品詞区分もされていますが。■
「よくはわからんけど。」という以上のお答えは無いと判断するしかありませんが?
■
No.22 で、
それらの観念的なものが現実によってくつがえされ、現実によって否定されているところから、それを認める話し手の「ない」が生まれたものです。//
と指摘の通り、「ない」で否定しているのは「それらの観念的なもの」、つまり話者の主観であり、客体などではないのじゃ!
この、主観/客観、主体的/客体的の本質的な相違が全く理解できずにチャランポランな解釈を得々としてぶちまけているということなのじゃ。
本質問は、諸賢がこの点をどの程度理解しているのかを確認する意味で提起したものだが、残念ながら君と同レベルの応答しか得ることができなかったということじゃ。
この結果を踏まえ、別途「しか~ない」論を展開しよう。
人間だから間違い勘違いは必ずある、しかし、それを反省、自覚することこそが重要なのじゃ!
知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり
追伸
>>「先生以外の他者すべて」という客体を主観的に前提するために「しか」という係助詞を使うのだろ?
「客体を主観的に前提する」って日本語?
それが問題です。
「先生以外の他者すべて」という客体を主観的に前提するために「しか」という係助詞を使うのではないことはNo.22 のお礼で記述した通りです。これでは、「ない」が何を否定しているのかを明らかにすることはできません。
論理的な思考ができないことを露出していますね!
で、No.43 のお礼の指摘にはぐうの音もでずに、白旗を挙げて豚ずらということじゃな!■
この誤りを最初から指摘しているが、漸く矛盾に気付いたのかな?
主体的表現の語である辞と客体的表現である詞の区別ができん以上、この矛盾を克復することはできんのじゃ!!
格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
■
>>【個別的動作の主格】とでも表現するほうが
全くピント外れのナンセンスじゃ!
3.
>>本質から整理する作業が果たしてどこまで可能か、
本質の理解なしに、形式/機能を本質と取り違えていては真実、真理には到達できないということじゃ!。
4.
>>副助詞にしろ係助詞にしろ「限定」という本質
「限定」は機能でしかない。過程的構造が理解できていないために、すぐに脱線するのじゃ。
>>呼応の要素を持つものは係助詞とするのがわかりやすいのではないだろうか。
呼応という現象が認識論的に何を意味するかじゃ!
>>言語過程説に準拠していないのではないだろうか。
だから<係助詞>といいたいのかな?
>>「ライオン以外のすべて」という対象を
どこから「ライオン以外のすべて」などという前提が出てくるのじゃ?
話者が認識しているのは「ライオンは肉を食べる」という事実じゃ?
■
表現としての言語という言語過程説の基本が理解できていないため、言語実体観の発想で認識そのもの、物理的実体そのものを言語と捉えようとするために毎回議論がすれ違うということです。■
「百円【しかない】。」と表現するのは、「千円あると思った」というような表現されない認識と関係づけて始めて理解できるということです。
この文の「ない」は表現されている「百円」がないのではなく、表現されない認識の「千円」まではないことを表しています。
このような表現されない認識を前提とした関係認識の表現は副助詞ですが、「しか」という特殊性の認識の場合は否定判断「ない」と結び付き呼応するために係助詞とするのが適切ということです。■