
しか
[一][係助]名詞、名詞的な語、動詞の連体形、形容詞・形容動詞の連用形、一部の助詞・助動詞などに付く。打消しの語を伴って、特定の事柄以外のものを全く否定する意を表す。「この道を行く―ない」→きり →だけ◆近世以降用いられ、限定の助詞に付けて「きりしか」「だけしか」「ほかしか」「よりしか」の形で、「しか」を強めていう場合もある。
【大辞泉】
辞書の「しか」の説明は上記のようですが、「100円しかない。」の形容詞「ない」が表す「特定の事柄(以外のものを全く否定する)」とは何でしょうか。
他の辞書の説明も大同小異で、諸賢はどのようにお考えでしょうか?
私見では、現在の形式主義的な言語論、日本語論とそれを反映する辞書の限界、欠陥を露呈しているものと考えています。■
A 回答 (111件中81~90件)
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No.30
- 回答日時:
#29です。
1.
>「呼応して」「影響を及ぼす」「限定的に働く」これは、単に現象、結果でしかなく、機能でしかない。語は意義を表すもので、いかなる意義を表すのか、この点を明らかにしない限り表現としての言語の意義、本質を明らかにしたことにはならんのじゃ!
:
私や辞書の記述の仕方が悪いのか、はたまた君の読解力の問題なのかはわからんが、
<係助詞>の特徴は《下に続く述語の働きに影響を及ぼす》というもの。
というのは、
<係助詞>の特徴は《下に続く述語の働きに影響を及ぼしたい》という【話者の主観を表わす】もの。
という意味であるということを理解してもらっているのかな?
その上でなお《本質を明らかにしたことにはならんのじゃ!》と言っているのだろうか?
(例)「富士は日本一の山です」
☞「は」は、「富士」に関して、「日本一の山です」が普遍的な認識であることを(話者の主観として)表わすために用いられている。
また、
<副助詞>の特徴は《下に続く述語に限定的に働く》というもの。
というのは、
<副助詞>の特徴は《下に続く述語に限定的に働かせたい》という【話者の主観を表わす】もの。
という意味であるということを理解してもらっているのかな?
その上でなお《本質を明らかにしたことにはならんのじゃ!》と言っているのだろうか?
(例)「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」
☞「は」は、「山へ芝刈りに行きました」「川へ洗濯に行きました」の動作主が、それぞれ「おじいさん」「おばあさん」であることを(話者の主観として)限定するために用いられている。
これらが「係助詞」や「副助詞」の意義でないとするなら、その意義とは何なのか、ぜひ教えてもらいたいものですな。
2.
>現在のカント主義的な不可知論に基づくソシュール言語学的な発想では話者の認識を捉える事が出来ず、現象としての対象世界しか捉えられないために、「肯定し得るもの」という「もの」しか扱えず、それを「それだけと限定し」という機能と組み合わせて「取立て詞」などという機能的な解釈しかできないことになります。辞書も又、同様ということです。
:
《「呼応して」「影響を及ぼす」「限定的に働く」これは、単に現象、結果でしかなく、機能でしかない。》
という点が、
《現在のカント主義的な不可知論に基づくソシュール言語学的な発想》だということのようですな。
なかなか面白そうな領域ではあるが、1で申し上げたように、まずは《「係助詞」や「副助詞」の意義》についてご講義いただいてからでないと、先へ進みようがないかと。
君の説によるなら、
《この点を明らかに》すれば、《表現としての言語の意義、本質を明らかに》することはできるのだよね?
ぜひ教えてつかわさい。
3.
>先の山田は、「は」を<係助詞>に入れただけで、<副助詞>の「は」を区分することができていない。
:
「区分することができていない」の意味がわかりづらいのだが、
「富士は日本一の山」が「普遍性の係助詞」ではなく「普遍性の副助詞」に分類されてしまう、という批判なのかな。
4.
><係助詞>「しか」が何に結びつき、「ない」が何を否定しているのかが全く理解できすに、『「先生以外の他者すべて」を否定すること』などとその対象を客体に求めることになっているのじゃ!
:
十分に理解しているつもりだがねえ。
「先生しかいない」
「しか」は、「先生以外の他者すべて」という話者の主観(的前提)に結びついている。
「ない」は、「しか」によって結びつけられた、その「先生以外の他者すべて」を否定している、という構図だろ?
《『「先生以外の他者すべて」を否定すること』などとその対象を客体に求めることになっているのじゃ!》と言っているが、これはまったく違うね。以下(※部分)のように、前後を含めてきちんと読まなくてはいけない。
※なぜ話者は「しか」という助詞を使ったのか?
ということを考えてみなくてはいけない。
三浦の言葉を借りるなら、話者は何を前提しているのか?
ということだね。
それは何かと言えば『「先生以外の他者すべて」を否定すること』を前提しているのだよ。※
つまり、私は、
「しか」は『「先生以外の他者すべて」を否定すること』を前提する、という話者の主観を表わしている。
と述べていることがわかるはずだ。
私としては《「係助詞」や「副助詞」の意義》について、すでに十分に述べたと思っている。
それが間違いということであれば、どのように間違っているのか、という点について【具体的に】お示しいただく必要が(議論を進めるためには)あるでしょうな。
ま、よろしくお願いいたしておきます。
>>《下に続く述語の働きに影響を及ぼしたい》という【話者の主観を表わす】もの。
>>「は」は、「富士」に関して、「日本一の山です」が普遍的な認識であることを(話者の主観として)表わすために用いられている。
>>《下に続く述語に限定的に働かせたい》という【話者の主観を表わす】もの。
これが日本語だと思っているのかね?
こういう訳のわからない寝言を言っているようでは箸にも棒にもかかりません。
>>これらが「係助詞」や「副助詞」の意義でないとするなら、その意義とは何なのか、ぜひ教えてもらいたいものですな。
『日本語はどういう言語か』のp191を良く読んで理解しなさい。3年間放置し何も理解していないということを露呈しているのが理解できんのか。
これが理解できずに逃げ回っているから、こういう体たらくなのじゃ!
>>先へ進みようがないかと。
まずは、『日本語はどういう言語か』を最初からきちんと読み、表現としての言語という本質を理解しないかぎり先へ進みようがありません。
今回の応答は、それを如実に証明していることを自覚しなさい。!
>>「しか」は、「先生以外の他者すべて」という話者の主観(的前提)に結びついている。
「先生以外の他者すべて」は客体のあり方でしかないじゃろうが!
呆け!
>>【具体的に】お示しいただく必要が
理解すべき内容は、「『日本語はどういう言語か』のp191と極めて具体的に示したので、先ずここからじゃぞ。しつこく言うが、そのためには、
『日本語はどういう言語か』を最初からきちんと読み、表現としての言語という本質を理解しないかぎり解読はできんということなの。それなりの理解力があればじゃが、凡人は、『言語過程説の展開』(『認識と言語の理論 1,2篇』)を読まなければとても理解できないと思うのじゃが?
三浦が『認識と言語の理論 1,2篇』を出した経緯が『言語過程説の展開』の前書きに記されているので参照しなさい。
これが、それなりの覚悟が必要と言った真意じゃ。
懐手で与太を飛ばしている限り、何の進歩もないのは当たり前田のクラッカーなのじゃ!
ま、よろしくお願い致しておきます。
このざまでは、全くお先真っ暗じゃがな!
■
No.29
- 回答日時:
#28です。
>けれども文末に「ない」が使われている点で<係助詞>のほうに入っているわけです。
と書かれているのが目に入らぬのか?
:
入っておるが?
だから、#24で、《係助詞にしても下に続く語に対して限定的に働くという意味で副助詞と共通点がある、ということなのだよ。》と指摘しておるだろ?
見ておらんのかな?
>これを理解した上で、<係助詞>と<副助詞>の決定的差異を言ってみろよ。
できるのか?君に?
:
はい、できますよ。
というか、《【しか】は「ない」と呼応して、》と最初から言っているはずだが?
つまり、これが係助詞の特質だわな。
三浦もそう言ってるだろ?
その上で、
<係助詞>の特徴は《下に続く述語の働きに影響を及ぼす》というもの。
<副助詞>の特徴は《下に続く述語に限定的に働く》というもの。
辞書は、こう言ってるのであり、係助詞にしても下に続く語に対して限定的に働くという意味で副助詞と共通点がある、ということなのだよ。
とも#24ですでに申し上げている。
君はオウム返しするしか能が無いのかな?(笑)
>初心者に怪しげな寝言を並べ捲るのを、
:
おやおや、これはまさにご自分のことをおっしゃっておるわけですな。
初心者にも呆れられ無視されて、さぞ悔しかろうが、それもすべて自らが「怪しげな寝言」を並べ捲っている結果であることに気づき給え。
そして、ちったあ反省して他人の言った内容を素直に吟味するぐらいの努力はせんといかんですなあ。
>まずは三年前に購入した、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』を最初からきちんと読んで理解しなさい!
しかし、生優しくはないぞよ!
それなりの覚悟、決意と根性が必要なのじゃ!
:
だから、それに関して教えを請うことはやぶさかではない、と以前から言っておるだろうが???
そもそも、そこまで言うなら簡単な質問には答える責任があるんじゃないかな?
どうかね?
しかし、何を聞いても君はすべてはぐらかすか、論点をずらすか、無視するかしかしないよな???
というか、うすうす気づいてはいたのだが、君は、そのような対応しかできないのだろ?
つまり、自分のものとして咀嚼して理解しておらんのだと思う。
だから、何の関係もないことや、的外れのことを、三浦のつまみぐいをする形で示すしかできないのだろう。
無理せんでもいいよ。
ま、本気で激を飛ばしているのなら、口で言うより態度で示すことだな。
まずは試金石として#26を読み返して、誠実に対応してみることだ。
できるかな?(笑)
そして人間だから間違い勘違いは必ずあるのだよ。
それを君は糊塗しようとしていつも泥沼にはまるわけだ。
いや、すまんすまん、また勘違いしておった。
この一行で済むことを、嘘の上塗り、牽強付会で誤魔化そうとするから醜悪な足跡しか残せないのだよ。
かの山田ですら京大で教えているときに、学生の指摘に大勢の前で兜を脱いだという逸話があるぐらいだ。
本当に自信のある人間は、間違うことより間違いを認めないことのほうを恥とするものだ。
このサイトの身近な常連連中だって、皆そうしてるだろ?
君だけ何様のつもりなのかね?
路線変更したほうが良いぞ。
ちったあ反省しろ!!!
>>かの山田ですら京大で教えているときに、学生の指摘に大勢の前で兜を脱いだという逸話があるぐらいだ。
ほほう! ふむふむ!
その程度の認識は持っておるか。
正しく、この逸話は<係助詞>「は」に関する問題なのじゃ!
しかし、その意義を理解し一歩を進めえるか否か、つまりパラダイム転換を図れるか否かが分かれ目なのじゃ!
耳の穴をカッポジって良く聞きなさい。
>>《【しか】は「ない」と呼応して、》
<係助詞>の特徴は《下に続く述語の働きに影響を及ぼす》というもの。
<副助詞>の特徴は《下に続く述語に限定的に働く》というもの。
辞書は、こう言ってるのであり、係助詞にしても下に続く語に対して限定的に働くという意味で副助詞と共通点がある、ということなのだよ。
とも#24ですでに申し上げている。
「呼応して」「影響を及ぼす」「限定的に働く」これは、単に現象、結果でしかなく、機能でしかない。語は意義を表すもので、いかなる意義を表すのか、この点を明らかにしない限り表現としての言語の意義、本質を明らかにしたことにはならんのじゃ!
残念ながら、「#24ですでに申し上げ」「辞書は、こう言ってる」のは、この現象でしかなく、全く本質の解明にはなっていないということなのじゃ。これが、当方がNo.22 で指摘した、
現在のカント主義的な不可知論に基づくソシュール言語学的な発想では話者の認識を捉える事が出来ず、現象としての対象世界しか捉えられないために、「肯定し得るもの」という「もの」しか扱えず、それを「それだけと限定し」という機能と組み合わせて「取立て詞」などという機能的な解釈しかできないことになります。辞書も又、同様ということです。//
という真意じゃ!
先の山田は、「は」を<係助詞>に入れただけで、<副助詞>の「は」を区分することができていない。この点を指摘しているのが、
前に、「ハ」に二種類の使い方があることを見ましたが、ここに<副助詞>と<係助詞>の典型があるといってさしつかえありません。//
だが、残念ながら君は最初からこの区別ができずに逃げ回っているよのう。それゆえに、<係助詞>「しか」が何に結びつき、「ない」が何を否定しているのかが全く理解できすに、『「先生以外の他者すべて」を否定すること』などとその対象を客体に求めることになっているのじゃ!
No.28
- 回答日時:
#27です。
>前に、「ハ」に二種類の使い方があることを見ましたが、ここに<副助詞>と<係助詞>の典型があるといってさしつかえありません。
と述べている意味が全く理解できていませんよね。
>この点が理解できていないのでは、<係助詞>「しか」の意義を理解することはできないということです。そして、<副助詞>、<格助詞>の意義も。
:
どこから、そういった決めつけが出てくるのかねえ?
だから批判するなら【具体的箇所を示した上で】と常々言っておるのだが、まだわからんのか?
こちらとしては、十分わかっているつもりだがね。
「私だけが行けない」と言う場合、「他の人は行ける」という話者の主観的前提があるということだろ?
そうした前提がある助詞を副助詞だとも言っているが、係助詞の「私しかいない」「五万円しかない」の場合も、「他の人間がいない」「十万円がない」という主観的前提があると言っているじゃないか。
副助詞に似たところがある、とも言っておるぞ?
どこを読んでるのかね?
これを聞いた上で、<係助詞>と<副助詞>の決定的差異を言ってみろよ。
できるのか?君に?
できんのだろ?
三浦の部分的なところをつまみ食いするしか君には能が無いのだよ。
そもそも矛盾だらけのことをよくこれだけ言えると感心しておるが、当方の指摘に対しては、なにひとつ反論できないのはなぜかね?
おそらく、自分でも自らの矛盾をわかっていて、それを認めたくないだけなんだろ?
今回の質問に関しても、何か反論できるかな?
それとも、やっぱり今まで同様、尻尾を巻くかね?(笑)
>以前、これを露呈した質問を提起し、結局理解できずに逃げ回った実績をお忘れですか?
:
んなアホな。(笑)
理解できないのはいつも君のほうであることは、ここの参加者全員が知っておるわい。
逃げ回ったとおっしゃるが、こちらとしても何の【具体的】反論もできない輩を相手に、いつまでもいじめ倒す趣味は無いんでね。
適当なところで切り上げてやっているし、お目こぼしも日常茶飯事なのだよ。
ま、それにすら気づけんらしいが、それもまた止むを得まい。(笑)
>>副助詞に似たところがある、とも言っておるぞ?
そうですね。その後に、
けれども文末に「ない」が使われている点で<係助詞>のほうに入っているわけです。
と書かれているのが目に入らぬのか?
これを理解した上で、<係助詞>と<副助詞>の決定的差異を言ってみろよ。
できるのか?君に?
できんのだろ?
書かれた部分的なところをつまみ食いするしか君には能が無いのだよ。
そもそも矛盾だらけのことをよくこれだけ言えると感心しておるが、当方の指摘に対しては、なにひとつ反論できないのはなぜかね?
おそらく、自分でも自らの矛盾をわかっていて、それを認めたくないだけなんだろ?
今回の質問に関しても、何か反論できるかな?
それとも、やっぱり今まで同様、逃げまくるのかね?(笑)
初心者に怪しげな寝言を並べ捲るのを、いつまでも、お目こぼしというわけにはいかんのじゃ!
ま、それにすら気づけんらしいが、それもまた止むを得まい。(笑)
まずは三年前に購入した、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』を最初からきちんと読んで理解しなさい!
しかし、生優しくはないぞよ!
それなりの覚悟、決意と根性が必要なのじゃ!
■
No.27
- 回答日時:
#26です。
>あなたの認識が根本的に間違っています。
No.22 のお礼の内容が全く理解できていませんね。
:
なるほど。
で、
どこが、どのように間違っているのか?
どの箇所が理解できていないのか?
という点については、一言も発言することができない、というわけですね。
わかりました。
いや、申し訳ないことをしましたな。
君に論理的説明を求めるのは、可哀そうなことだとわかってはいたのだが、つい、万に一つの可能性に掛けてみたわけで。
能力以上の無理なお願いをしてしまって改めてお詫び申し上げます。
弱い者いじめは厳に自ら戒めておるのだが、すまんことだった。
・・・・と思ったが、ひょっとすると、あまりにも図星を突かれっ放しで、グウの音も出ない、ということなのかもですな。(笑)
>良識ある大人の対応を、No.21に提示しておきましたが、
:
君の言う「良識」というのは、判断能力の無い人間による君への破れかぶれの同意ということのようだね。(笑)
阿呆の世迷言に惑わされたどこかのボンクラの発言を嬉々として開陳して、それをすべてとする哀れさ・・・果敢なさ・・・ここに極まれりですなあ。(笑)
>>どこが、どのように間違っているのか?
それが自覚できないのが根本的な欠陥、限界です。
>>「e <副助詞>と<係助詞>について」(p201~202)を読んでさしあげたが、《眼光紙背に徹し》なくても実に簡単な内容だ。
しかも、三浦は私とまったく同じことを言ってるじゃないか。
この誤解が根本的な誤りで、最初に、
前に、「ハ」に二種類の使い方があることを見ましたが、ここに<副助詞>と<係助詞>の典型があるといってさしつかえありません。
と述べている意味が全く理解できていませんよね。以前、これを露呈した質問を提起し、結局理解できずに逃げ回った実績をお忘れですか?
この点が理解できていないのでは、<係助詞>「しか」の意義を理解することはできないということです。そして、<副助詞>、<格助詞>の意義も。
辞書の助詞の引用で誤魔化しているようでは、<助詞>の意義も<副助詞>、<係助詞>相違も理解できないということです。まずは、この辺が理解できるようになることが第一です。
餓鬼のような減らず口を叩いていては進歩はありません。■
No.26
- 回答日時:
#24です。
>No.22 のお礼を良く読み理解できるようになって下さい。
:
論点を具体的に把握しての議論というものが相変わらずできないようですな。
とりあえず読んでやるか。(笑)
どれどれ・・・。
1.
ん?
そもそもだが、君は#5で、
《そもそも主体的表現の語である<助詞>が限定という機能を果たすとするところに基本的な誤りがあると考えます。》
と言っておるようだな?
ということは、君は、時枝の『日本文法 口語篇』で述べている「限定を表はす助詞」というもの自体を否定している、ということかね?
・甲【は】勉強している。
という文では、「勉強している」という動作について「甲」であると【限定】していることになると思うのだが、それは間違っているということかな?
限定しているからこそ、君がよく言うところの「特殊性」が担保されていると思うのだが、違うのかね?
2.
「先生しか出来ない」
>この「しか」は<係助詞>で、「ない」で否定されているのは、「これくらいだれでもできるだろう」という客観的に存在している思い込み、先入見のたぐいです。
:
この認識自体が誤っておる。
君は何もわかっておらんようだな。
なぜ話者は「しか」という助詞を使ったのか?
ということを考えてみなくてはいけない。
三浦の言葉を借りるなら、話者は何を前提しているのか?
ということだね。
それは何かと言えば『「先生以外の他者すべて」を否定すること』を前提しているのだよ。
「先生だけができる」と言っても(同じ意味だから)良いのだが、その前に『「先生以外の他者すべて」を否定すること』を話者は前提し、そこに焦点を当てたかったわけだ。
だから、
「先生しか出来ない」
と表現したのだね。このように考えると、
「先生だけ(が)出来る」
との違いも理解できることだろう。
このように、『「先生以外の他者すべて」を否定すること』を話者が前提したい時に使う助詞として「しか」が準備されているのだよ。
『「先生以外の他者すべて」を否定したい』という主体的感覚を前提として表わすために「しか」という助詞が「辞」として用意されている、ということだ。
こうした用法の説明として、たとえば大辞泉では、
「しか」
【打消しの語を伴って、特定の事柄以外のものを全く否定する意を表す】
https://sakura-paris.org/dict/%E5%A4%A7%E8%BE%9E …
と語釈しているわけだ。
何が不思議なのかね???
「先生しか出来ない」の「しか」は【打消しの語を伴って、特定の事柄以外のものを全く否定する意を表す。】という用法なのだから、
この文における「しか」は「(出来)ない」という状態を《「先生」以外のものすべて》に限定していることになる。
という構造になるのも理の当然だし、無論、《「しか」という辞は「(出来)ない」という詞を包んでいる。》ということになる。
だろ?
3.
#22さんは、
《「先生しか出来ない」→先生に限定して肯定し、それ以外の職業を全部「出来ない」と否定する。》
と述べているな。
ま、日国の語釈が親切すぎるきらいはあるが、結果的にはそういうことだ。
ただ、主体的感覚を前提する辞としての働きを理解するためには、先に述べたような筋道を把握しておく必要があるだろうね。
日国の語釈は、その裏返しであり、読者に親切に書かれているということになる。
であるのに、
《いいえ。
先生に限定して肯定したり、それ以外の職業を否定しているのではありません。》
などとほざいているようでは、日国の編纂者も泣いておるぞ?(笑)
嘘も大概にしろっつうの!
それともただの馬鹿なのか?
しかも《「肯定し得るものをそれだけと限定し、それ以外のものを否定する」のではありません。》とも繰り返しておるな。
だから、結果的にはそういうことなのだということぐらい気づけよ!まったく。
大事な点だから繰り返すが、「しか」は(「ない」という否定詞を伴なって)「それ(先生)以外のものを否定する」という主体的前提を表わすための助詞なのだよ。
そうした主体的前提の上で「先生【しか】出来ない」と話者が発するからこそ、結果的に「先生【だけ】が出来る」という意味の(強調的な)表現になり得るわけだ。
おわかりかな?
4.
>現実に与えられている対象と、「ない」を使う対象とは別なのだということです。
:
そんなことは当たり前だろうが?
《現実に与えられている対象》を際立たせるために、主体的「辞」である「しか」という助詞を使って、それ(=現実に与えられている対象)以外の対象(=「ない」を使う対象)を否定するのだからね。
「しか」とはそういう用法だということについて述べなきゃならない場面で、君は何を言っとるのかね???
たとえば、
[「ない」を使う対象 ] をすべて否定することで、[ 現実に与えられている対象 ] を際立たせるのが「しか」の用法です。
などと表現しなければ意味ないだろ?
何のために回答してるのかね。
そもそも「ない」についてばかり言及しておるが、今は「しか」の話をしているのじゃなかったのか?
この辺にも君の無理解がよく表れておるな。(笑)
5.
>「しか」が観念的なものとのつながりで現実を捉えていることを表現し、「ない」が観念的なものを扱っているということです。
:
おいおい、本当かね?
「しか」は助詞なのだから観念的視点の表現であり、「ない」は客体的表現だと思っているのだが、これは私の勘違いだったのかね?
この辺りについては君のほうが詳しそうだから素直に拝聴したいと思うが、私の認識が間違っているということなのかな?
ご高見を賜りたい。
さて、今日はスーパーの寿司と餃子を取り寄せた。
自制心が働きじわじわと質が落ちてきておる。(笑)
しかし、食えるだけでもありがたいことではあるな。
>>この辺りについては君のほうが詳しそうだから素直に拝聴したいと思うが、私の認識が間違っているということなのかな?
ご高見を賜りたい。
はい。
あなたの認識が根本的に間違っています。
No.22 のお礼の内容が全く理解できていませんね。
理解する能力が無いようです。
いつもながら、用語の概念も理解できず、
主体的前提やら主体的「辞」などと意味不明な語を並べているようではお話しになりません。良識ある大人の対応を、No.21に提示しておきましたが、「馬に念仏」のようですね。
スーパーの寿司と餃子でもかまいませんが、脳に循環し刺激になるのかな?
■
No.25
- 回答日時:
質問に取り違えがあるようです。
>打消しの語を伴って、特定の事柄以外のものを全く否定する意を表す。
という辞書の意は、
「特定の事柄(以外のものを全く否定する)」ではなくて、
「(特定の事柄以外のもの)を全く否定する」でしょう。ここでは「打消しの語」=「ない」を伴っている。「語の前で特定したもの以外」を後で打ち消す。
つまり「100円しかない」とは「100円だけはある」、「特定した100円」以外の全て(ここでは価値や資産の全て)の存在を否定している、ということになります。
「君には僕しかいない」は、「僕以外の全ての人間は君にとって居ないのと同じだ」ということです。
回答を有難うございます。
質問に取り違えがあるわけではありません。
>>つまり「100円しかない」とは「100円だけはある」、「特定した100円」以外の全て(ここでは価値や資産の全て)の存在を否定している、ということになります。
「100円だけはある」は事実ですが、「特定した100円」以外の全て(ここでは価値や資産の全て)の存在を否定している、ということではありません。
この点で辞書の説明は根本的に誤っています。
No.22 のお礼を参照下さい。
■
No.24
- 回答日時:
#21です。
><副助詞>と<係助詞>の相違を明確にしていますが、No.16 の辞書の孫引きしかできず、「しか」の品詞を明らかにできない体たらくを理解できませんか?
:
《【しか】は「ない」と呼応して、》と最初から言っているはずだが???
長い文章を解釈できないようだから簡潔に言ってさしあげるが、
<係助詞>の特徴は《下に続く述語の働きに影響を及ぼす》というもの。
<副助詞>の特徴は《下に続く述語に限定的に働く》というもの。
辞書は、こう言ってるのであり、係助詞にしても下に続く語に対して限定的に働くという意味で副助詞と共通点がある、ということなのだよ。
まだわからないかもしれんからもう少し説明してあげるが、限定ということをせずに《働きに影響を及ぼす》ことはできないだろ?
ということ。
おわかりかな?
このあたりのことは、むしろ#5さんあたりが早くから見抜いておるな。
《【しか】は「ない」と呼応して、》というのは、この係助詞としての要素について述べたわけだが、そんな簡単なことにすら君は気づけなかった。
すべての辞書が係助詞の項目で「しか」を挙げているのは、そういうことだろうさ。
違うかね?
つまり、《下に続く述語に限定的に働く》という共通点に着目すれば、<副助詞>だろうが<係助詞>だろうが大差はないという判断が可能だ、ということ。
しかし、「しか」のように、ある種の語と呼応する形で限定的に働くことがはっきりしている場合、その動作を重視して<係助詞>と呼ぶほうがよいだろう、という点ですべての辞書が一致している、ということになるのだろう。
三浦もそう言ってるだろ?
だから、君としてはどちらに分類したいのか、君自身の見解を示せばよいだけなのだよ。
先に述べたように大差ないのだから、辞書が間違っているとかいないとか言ったって不毛だということだけ覚えておくとよろしい。
たしかに、「しか」を副助詞としている辞書もあるのは矛盾と言えば矛盾だろうが、(すべての辞書が係助詞の項目では「しか」を挙げているのだから)それほど目くじらを立てるようなことではなかろう、と申し上げている。誤差の範囲だろうよ。
おっけ~?(笑)
いずれにせよ、
「私しかいない」「五万円しか払えない」で、「しか」は「私」「五万円」についての意識ではない、と三浦は書いているだろ?
《「他の人間がいないのであり」「十万円が払えない」のですから》とも続けている。
この箇所を君は本当に理解しているのかね???
理解しているなら
《「100円しかない」の「しか」は【打消しの語を伴って、特定の事柄以外のものを全く否定する意を表す。】という用法なのだから、
この文における「しか」は「ない」という状態を《「100円」以外のものすべて》に限定していることになる。
つまり、「しか」という辞は「ない」という詞を包んでいる。》
という私の説明を理解できないのはおかしいだろうさ?
《「100円」以外のものすべて》>これは何ですか?
と尋ねるようじゃ本当に理解している可能性は低そうだがね。(笑)
「100円しかない」における《「100円」以外のものすべて》とは《「100円」以外の金額すべて》であり、
「五万円しか払えない」における《「五万円」以外のものすべて》とは《「五万円」以外の金額すべて》のこと。
この文における「しか」は「ない」という状態を《「五万円」以外のものすべて》に限定していることになる。
というわけだ。
三浦はわかりやすく「十万円が払えない」という例を挙げているが、「しか」の用法にもとづいて解説しているのは、むしろ私のほうであることぐらい理解してもらわんとどうにもなりませんな。
三浦の説を補強しているのだから、もう少し真面目に聞き給え。
くだらん御託やオウム返しに紙面を費やしている場合じゃなかろうもん。(☜なぜか突然九州弁(笑))
まだ腑に落ちなければ、その点を【具体的に】示した上で質問してみてくれたまえ。
可能な範囲で応じることにやぶさかではないぞ?(笑)
さて、本日は黒毛和牛のすき焼きを予定しておる。
羨ましいだろ?(笑)
後片付けがないと、さらに良いのだがね。(笑)
>>《「100円しかない」の「しか」は【打消しの語を伴って、特定の事柄以外のものを全く否定する意を表す。】という用法なのだから、
この文における「しか」は「ない」という状態を《「100円」以外のものすべて》に限定していることになる。
つまり、「しか」という辞は「ない」という詞を包んでいる。》
まあ!
本年は、こんな寝言しか言えない自分を省みる年にしたいものですね。
No.22 のお礼を良く読み理解できるようになって下さい。
違いが判る男になりましょう!
■
No.23
- 回答日時:
#20です。
>最後は尻尾を捲いての逃げですか!
:
論理的思考が皆無の記述に対してさんざんお目こぼししてやってる相手に対して、それは無かろうじゃないか?
ま、お目こぼししてもらっているという感覚すら無いようだから、こりゃ言ってもせんないことではあるがね。(笑)
こうやって、肝心な点に関しては一切答えない、もとい、答えられないというのが君の痛いところではあるのだが、まだお気づきじゃないようで。
いや、気づいていてシラバックレている可能性が高いかもだな。(笑)
【いつも】【必ず】逃げてきたよな?
に関しては認めるわけだな。
感心感心。
そういう素直さをもう少し身につけんといかんね、君の場合は。(笑)
相変わらずの対応ですね。
No.21 の回答が理解できませんんか?
良識ある大人では無く、単なる餓鬼のに言い掛かり終始し恥ずかしくありませんか?
■
No.22
- 回答日時:
No.5です。
>>「しか」には限定の意味があり
何を限定しているのでしょうか?
そもそも主体的表現の語である<助詞>が限定という機能を果たすとするところに基本的な誤りがあると考えます。
………………………………………………………………………………
しか
解説・用例
〔副助〕
体言・活用語の連体形・形容詞の連用形・格助詞・副助詞等をうけ、下に打消の語を伴う。肯定し得るものをそれだけと限定し、それ以外のものを否定する。「日本国語大辞典」
………………………………………………………………………………
「先生しか出来ない」→先生に限定して肯定し、それ以外の職業を全部「出来ない」と否定する。
この認識が、「しか~出来ない」という表現になりませんか。
>>それ以外の職業を全部「出来ない」と否定する。
いいえ。
先生に限定して肯定したり、それ以外の職業を否定しているのではありません。
この「しか」は<係助詞>で、「ない」で否定されているのは、「これくらいだれでもできるだろう」という客観的に存在している思い込み、先入見のたぐいです。「肯定し得るものをそれだけと限定し、それ以外のものを否定する」のではありません。
(数百円あると思ったが)百円【しか】ない。
(誰も知っているという話だが)私【しか】真相を知らない。
(他に能力があると当人はいうが)食べて寝る【しか】能がない。
と言うように、対象としては現に「百円」存在するのであり、「私は知っている」し、当人に「食べて寝る」能力はあるので、それらの対象に対して「ない」と言っているのではありません。「しか」が「肯定し得るものをそれだけと限定」しているのでも、「ない」が「それ以外のものを否定する」のでもないということです。
現実に与えられている対象と、「ない」を使う対象とは別なのだということです。「ない」を使う対象は、実はこの話し手の頭の中に存在しているところの【先入見】ないし【予想】であり、あるいは客観的に存在している【誤解】のたぐいです。話し手の漠然とした期待であろうと、あるいは「数百円ある」とか、という思い込みや誤解、「誰も知っているという」多くの人の評価であろうと、それらの観念的なものが現実によってくつがえされ、現実によって否定されているところから、それを認める話し手の「ない」が生まれたものです。
現実は先入見や予想や評価とは必ずしも一致するわけではありません。現実を取り上げるときに、この観念的なものとの差異、相違を強調することが必要な場合もあります。これは特殊性についての判断を下すことに他なりません。「しか」が観念的なものとのつながりで現実を捉えていることを表現し、「ない」が観念的なものを扱っているということです。
現在のカント主義的な不可知論に基づくソシュール言語学的な発想では話者の認識を捉える事が出来ず、現象としての対象世界しか捉えられないために、「肯定し得るもの」という「もの」しか扱えず、それを「それだけと限定し」という機能と組み合わせて「取立て詞」などという機能的な解釈しかできないことになります。辞書も又、同様ということです。■
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なお、【大辞泉】は「しか」を<係助詞>としていますが、他に<副助詞>とするものも散見されます。この辺も検討の余地があります。■
「ない」に<助動詞>と<形容詞>があり、両者が立項されているのは御理解されているのでしょうか?
ただし、補助形容詞という誤った品詞区分もされていますが。■
「よくはわからんけど。」という以上のお答えは無いと判断するしかありませんが?
■
No.22 で、
それらの観念的なものが現実によってくつがえされ、現実によって否定されているところから、それを認める話し手の「ない」が生まれたものです。//
と指摘の通り、「ない」で否定しているのは「それらの観念的なもの」、つまり話者の主観であり、客体などではないのじゃ!
この、主観/客観、主体的/客体的の本質的な相違が全く理解できずにチャランポランな解釈を得々としてぶちまけているということなのじゃ。
本質問は、諸賢がこの点をどの程度理解しているのかを確認する意味で提起したものだが、残念ながら君と同レベルの応答しか得ることができなかったということじゃ。
この結果を踏まえ、別途「しか~ない」論を展開しよう。
人間だから間違い勘違いは必ずある、しかし、それを反省、自覚することこそが重要なのじゃ!
知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり
追伸
>>「先生以外の他者すべて」という客体を主観的に前提するために「しか」という係助詞を使うのだろ?
「客体を主観的に前提する」って日本語?
それが問題です。
「先生以外の他者すべて」という客体を主観的に前提するために「しか」という係助詞を使うのではないことはNo.22 のお礼で記述した通りです。これでは、「ない」が何を否定しているのかを明らかにすることはできません。
論理的な思考ができないことを露出していますね!
で、No.43 のお礼の指摘にはぐうの音もでずに、白旗を挙げて豚ずらということじゃな!■
この誤りを最初から指摘しているが、漸く矛盾に気付いたのかな?
主体的表現の語である辞と客体的表現である詞の区別ができん以上、この矛盾を克復することはできんのじゃ!!
格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
■
>>【個別的動作の主格】とでも表現するほうが
全くピント外れのナンセンスじゃ!
3.
>>本質から整理する作業が果たしてどこまで可能か、
本質の理解なしに、形式/機能を本質と取り違えていては真実、真理には到達できないということじゃ!。
4.
>>副助詞にしろ係助詞にしろ「限定」という本質
「限定」は機能でしかない。過程的構造が理解できていないために、すぐに脱線するのじゃ。
>>呼応の要素を持つものは係助詞とするのがわかりやすいのではないだろうか。
呼応という現象が認識論的に何を意味するかじゃ!
>>言語過程説に準拠していないのではないだろうか。
だから<係助詞>といいたいのかな?
>>「ライオン以外のすべて」という対象を
どこから「ライオン以外のすべて」などという前提が出てくるのじゃ?
話者が認識しているのは「ライオンは肉を食べる」という事実じゃ?
■
表現としての言語という言語過程説の基本が理解できていないため、言語実体観の発想で認識そのもの、物理的実体そのものを言語と捉えようとするために毎回議論がすれ違うということです。■
「百円【しかない】。」と表現するのは、「千円あると思った」というような表現されない認識と関係づけて始めて理解できるということです。
この文の「ない」は表現されている「百円」がないのではなく、表現されない認識の「千円」まではないことを表しています。
このような表現されない認識を前提とした関係認識の表現は副助詞ですが、「しか」という特殊性の認識の場合は否定判断「ない」と結び付き呼応するために係助詞とするのが適切ということです。■