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昔のアジアの国々は、中国の皇帝に冊封を求めないといけなかったんですか?

A 回答 (5件)

「アジアの国々」の範囲ですが、今のベトナム、ラオスの一部、後はほとんどの部分が中国で、ほかに朝鮮半島と朝鮮よりも北側のロシアの一部も入っていた感じ、東南アジアの大多数の国は冊封を受けていません。



ある研究によると「冊封」は貿易のための許可が最初だったとされています。

中国は西側に山脈があり、山脈の向こう側のモンゴル高原などは騎馬民族の住処で、騎馬民族に搾取されず、また中国皇帝に逆らわない国のみ「貿易を許す」というのが冊封の最初の考え方だったとされています。

「貿易」という前提で考えると、東南アジアのデルタ地帯と中華平原は割と高い山脈で区切られているので、わざわざ山を越えて東南アジアと中華平原の人たちが貿易しなかったので、冊封が無かった、と言えるわけです。
(ベトナムと中国の間にも山はありますが、海岸伝いに貿易できました)

なので冊封を受けないと中華平原の豊かな富の分配を受けられず、逆に皇帝が冊封した国にのみ大きくお返ししたのは、それが安全保障に通じていたからだ、とされています。
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2025/02/17 10:46

必ずしも「求めなければならなかった」わけではなく、政治的・経済的なメリットを得るために多くの国が自発的に冊封関係を結んでいたというのが実情です。

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求めないといけない、ということは


ありません。

冊封に入った方が、お得だ、という
ことです。


鄭和の大遠征にしても、
コロンブスとは異なり
朝貢を約束すればそれでOK、という
真に平和的なものでした。

朝貢すれば、倍するお土産をもらえました。



ちなみに、日本は突っ張りましたね。

天皇という呼称にして、これでは
中国皇帝より偉そうだ、というので
中国が激怒。

小野妹子なんてのは
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」
なんて、非常に失礼な態度をとりました。

海に隔てられていたので、大きな態度を
とれたのでしょう。
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朝貢すると、皇帝から朝貢の5~10倍の返礼品が貰えます。


他国に武力で攻められた時に、皇帝が軍隊を派遣して守ってくれます。
これが中華王朝との宗主と柵封国との関係です。

欧州の宗主国と植民地の関係は、宗主国が植民地から簒奪するだけです。

室町幕府三代将軍の足利義満は日本の王ですと嘘ついて朝貢しました、
皇帝の返礼品で得た、利益で金閣寺を建てました。
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理念的なもので強制ではないですけど、中国&周辺国は冊封によって「ギブアンドテイク」の関係だったということです。


即ち、定期的に朝貢、中国皇帝の要請で出兵の義務、中国皇帝に対して礼節を守る・・・などですが、一方で周辺国が外敵に侵入されたら、中国は保護する責任を持ちます。
ですが、1895年に日清戦争で中国(清)が日本に負けて、日本は下関条約によって清朝最後の冊封国であった朝鮮を独立国と認めさせたため、これによって冊封体制は終わりました。
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