14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

社会科学系の学生です。
学術論文は、「わたしは、・・・考える」というような一人称は使用しないのがルールと聞きました。「筆者は、・・・」とすべきだというのですが、そういうルールは、いつから、なぜ、決まっているのでしょうか。また、例外は絶対ないのでしょうか。わたしは、一人称でも問題がないと思うのですが・・・少し困っています。

A 回答 (9件)

一般論から行きます.


そもそも学術論文というのは普遍的な内容を記述しているはずなので,著者の主観や感想でものをいうべきではないというのがもともとの考えなのです.なので,基本的には一人称の登場する余地はあり得ないのです.そのために昔の論文は無意味に受動態が使われたりしています.また,どうしても著者に関する何かを記述する必要があるときには,「著者は」のように客観化した書き方が使われたのです.
しかし,これはすでに古い考えです.現在では論文というのは著者が自らの意見・見解を世に問うものになっています.そのような中では当然のように一人称主語は使われます.ただし,このような感覚がどの程度受け入れられているかというと,それは分野によりけりです.理系ではすでにほとんどの分野が「論文=自説を主張するもの」という感覚になっているので,一人称主語はほとんど違和感がありません.
もちろん,感覚には個人差もあり,やはり客観化した書き方の好きな人もいくらでもいます.私の学生時代の師匠は,論文本文中では we を使っても気にしないくせに,謝辞には the authors thank ... 的な表現を使うような人でした.まあ,個人のスタイルという面もあるということです.
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追記しますが、喧嘩売ってるわけではありませんので・・・お気を悪くされたら申し訳ありません>他のご意見の皆様。



結局は、個人の趣味の世界になりますから、指導の先生なり、先行論文なりに従えばよろしいかと思いますよ。
私の友人も、独特の表現を毎回連発しては先生に直されていますが・・・
面倒くさいだけなので、私はさっさとルールに従ってしまいました。

No.7の方のご指摘のように、独創的な学説を、流麗な文体で表現できるのなら、むしろアリですよね。
論文誌に載ったときも注目されやすいと思います。

しかし文章力がついていかない場合は、長いものに巻かれてしまっといた方が余計なことに労力を割かれなくて楽です。

こんなこと言ってるから、英作文がいつまでたってもヘボイのかな・・・
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確かに古い考えなのかもしれませんが、私が去年師事していた英語の先生も、極力、無生物主語か受動態を使った方が良いと言っていました。


その方は、アメリカのネイティブで、本国でプレゼンテーションや論文の作文法などについて研究された専門の方です。
客観性を重視するのが学問である以上、少なくとも実験事実に関して主観を入れるのは誤りなのではないでしょうか。
仮説の展開や、イントロや結論で考えを述べる分には良いと思いますが。
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私も社会学系の学生で、やはり先生方から、たとえテストの解答だろうと、「私は~思う」は、ご法度だと言われてきました。


その起源については、お答えできませんが、

その理由については、まず、大学生の1年生などであれば
高校生までの、作文や小論文とは、わけが違うということを意識させるためとのこと。「私は~考える。」を許してしまうと、「私は~についてよくないと考えます。」など感想だけで、解答が終わってしまうこともあるとか。先生曰く「君の意見を聞いているのではない」そうです。

より本質的な理由としては、社会科学の分野は、独りよがりの議論でも、さぞ立派な論文を書いたかのようになってしまいまうからです。
これは、自然科学系に比べ、やはり客観性が明白でないためでしょう。
そのため、社会科学系の論文であれば、たとえ自分の意見であっても、いかに客観性を持たせるか、証拠や理由を積み上げられるかが鍵ですので、
「私は~思う。」と書いてしまうと、それだけで、どうせ君の勝手な意見でしょと、読者に読まれてはマイナスだからです。


ですが、必ず私や一人称を使ってはいけないわけではありません。
例えば、これから自分が何を議論したいのか、どう立証したいかについて述べるとき、「私は~について、~の見地から、論ずる。」
といった言い回しは、見かけます。

あと、私or筆者の言い方ですが、後者の方がより硬い言い方だからではないでしょうか。より、主観をなくしていることをアピールするためでもあります。「私」は、やや口語的であり、客観性を追求する科学において、似つかわしくないと読まれるかもしれないからでしょう。
より論文らしくなるというぐらいなのでは、ないでしょうか。
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学術論文でWeはよく見ますよ。

執筆者一人の論文は見たことないんでIは、見たことないです。理系と文系で違うのかもしれませんが、私は一人称を使うのは普通だと思います。
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分野が異なれば、慣習も異なると思いますので断定はできませんが。


使用して問題ないと思います。通常理系の研究グループは一人で実験を行っている場合が少ないため、私は、と表現することは非常に少なく、「我々(のグループ)は、すでにxxxxという実験結果を得ており、、、」
はよく使われるフレーズです。どの分野にも天才と言われる人たちはいて、本当にまれに一人で実験をしていい論文を出される方は私はxxxという結果を得た。という表現をみます。さて論旨がそれました。筆者らは、とか筆者はというのは使い方を間違うと、非常に第三者的な書き方になります。もしかしたら一般性や思い込みの感じを拭う為に、あなたの分野では「筆者は、」というのかもしれません。
私はこれまでにxxxxという調査結果を得ている。この結果に基づき、xxxという仮説を立てた
筆者はこれまでにxxxxという調査結果を得て、それに基づいて仮説を立てた。
前者は幼稚な感じがすると言った批判があるかもしれませんが、私の考えであるというのがストレートに伝わります。一方後者はreviewなどでも同じ表現を使うなど、インパクトに欠けます。
まあインパクトは入らないとおっしゃる先生もたくさんいらっしゃいますので、むずかしいですが。
私としては、あなたの分野の論文をこまめに読んでどのようなときに主語をどう使っているか検討するのを御勧めします。
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文系のことはわかりませんが・・・


書こうとしているものは、「論文」なんです。作文ではないんです。
私も後輩に大分うるさく言いましたが、話す言葉と書く言葉はまた違いますし、書く中にもレベルと言うか格と言うか、目的別でいろいろあると思います。
問題の有無ではないと思いますし、主観の問題でもありません。

論文は誰の目にも触れるものですし、教官の指導内容を疑われないような内容にするべきものでもあると思います。
(媚びろという意味ではないです)
ルールは必ずしも明文化されているものばかりではないですし、「いつから」とはっきりした答えを求めるのも、このような場合にはどうかと
思います。
良きにつけ悪しきにつけ、慣習というものもありますし。

きつい言い方になってしまったかもしれませんが、
これから大変だと思いますが、頑張って立派な論文を仕上げてくださいね。
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学位論文以外で個人名の論文を書いたことがないので、”私は”というのは使ったことがありません。

”我々は”を使いますが、私の分野では、むしろ受動態か無生物主語を使う方がより一般的です。
”We"を使うのは、せいぜいイントロの最後に"Here we report..."とかで使うくらい。
申請書、要旨や学位論文でも、”筆者は”とか”申請者は”と書くのが普通では?
NO.1さんもお書きになっていますが、共著者のうちだれか一人について話す場合は、”筆者の一人は”などと書きます。
なんで困っているのか良く分かりません。
前例なり先生の指示なりに従えばそれで良いと思うのですが?
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そんなルールがあるとは知りませんが、現実には「わたしは・・・」という論文は見ませんね。



でも「少し困っています」というのは何故でしょうか。論文の内容でなく、き方の習慣で不要の摩擦を生ずるのは賢くないいと思うのですが。

なお、共著者がいて意見が分かれる場合でしたら「筆者の一人(山田)は・・・」のようにすれば良いと思います。
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