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疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」について教えてください。
 この「の」は準体助詞という解釈が一般的にようです。

 ↑の「の」は省略が可能だと思います。準体助詞は、省略できないのでは。
 ↑の「の」は終助詞と考えることはできませんか。

質問者からの補足コメント

  • 当方の現段階の考えは、下記ぐらいです。
    【「~のか」「~か」「行く?」「行くの?」「~の?」】日本語教師〈2〉
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12613324687.html

     元々は、約10年前のエントリーです。
    【「~のか」「~か」「行く?」「行くの?」「~の?」】日本語教師 mixi日記2010年10月06日から
    http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1567. …

      補足日時:2020/07/25 17:56
  • 0809
     当方の現段階の考えは、下記ぐらいです。
    【「~のか」「~か」「行く?」「行くの?」「~の?」】日本語教師〈4〉
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12616521535.html

      補足日時:2020/08/09 16:11
  • 引用は正確にお願いします。

    ━━━━━━━━━━━━━━
     本質坊主がなにやら引用していたけど、さすがSF文法の経典だけあって、何が書いてあるのかさっぱりわからない。この点はNo.24のお礼に書いた。
    ===========引用開始
     下記を見ると、わざわざ【文末の「の」は<終助詞>ではない】という項目を立てている書籍もあるようです。ただ、あのかたがそう主張すると、「やはり終助詞と考えるのがフツーなのね」という気がしてしまいます。
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11794537.html 
    ===========引用終了

     こういうのを「風評被害」というのか「反面教師」というのか(笑)。

     フツーの辞書は軒並み「終助詞」にしているはず。異端の書の一節(しかも何を書いているのか意味不明)を引用しただけで「具体的な論証を提示」と主張されても頭が痛いだけ。

    No.28の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/10 16:08
  • >間違いだらけの辞書の★取り表

     あのー。
     コメントを入れる場所を間違えてませんか。
     暑い日が続いてますね。
     訂正はお早めに。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/15 10:04
  • やっと自分の間違いに気づいたようですね。
     こんな明らかな間違いに気づくのに何日かかるんでしょ。
     しかもなんの挨拶もないもんですかね。
     ったく。

      補足日時:2020/08/17 21:01

A 回答 (33件中11~20件)

No.22 の補足です。



助詞と名詞をごた混ぜにして議論しても無意味だということです。

助詞と名詞の相違も理解できない、中学生以下のレベルではいくらを議論しても無駄です。

名詞の本質については説明済みですが、助詞とは何かを知りたければ、別に質問を立てて下さい。丁寧に説明します。

しかし、まず自分で良く調べ納得することが重要です。

そうした基礎を放り投げ、自分勝手な非論理的、感覚的、SF文法に耽るのは止めましょう。■
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この回答へのお礼

むずかしい話は別にして。
 下記は小学生でも(高学年なら)わかる言葉だと思うのですが……。

「今後、アスナロウさんはコメントの連投をお控えください」
「スペースのムダなので、(念仏は)今後はお控えください」

 リンク先の念仏質問のお礼で下記のように書いてますよね。

 下記を読んでもう少し頭を冷やしてください。

【本質坊主の念仏コメントに対する世間の評判】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12429517796.html

お礼日時:2020/08/01 09:50

根本的な議論の誤りを、



疑問文の文末などにつく「のか」「のかな」の「の」の品詞はなんなのでしょう(Ⅱ)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11800457.html

で、指摘しましたのでご確認下さい。

「準体助詞(あるいは形式名詞)」というのが、そもそも矛盾しています。

こんな、誤った前提のもとに議論をしても得るものはありません。■
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#19です。



>繰り返しますね。
 当方が引いたのが精選版です。
 OKATさんがひいたのが、たぶんJKで提供しているの精選版ではないほうのヤツです。

繰り返していただかなくても、
『あれが精選版だと思っていたのですが違うのかもしれませんね。』と申し上げたはずですが???

> あとはパチモンでしょう。

なるほど。
色々な見解があって良いと思います。

> 得体の知れないものをもってきて【〈「の」名詞 別項目〉は見当たりません】とか書かれても……。

なるほど。
ま、『得体の知れないもの』かどうかは個人の感覚の問題ですので。
当方としては、「日本国語大辞典」と銘打っているサイトの内容をお示ししたまでですが、【〈「の」名詞 別項目〉】が載っていない辞典などは『パチモン』だとおっしゃるわけですね。
なかなか面白いご見解だと思います。

>スルーされちゃいましたね。(笑)
 そりゃスルーしかありませんから。

『するしかない』とは???
ちょっと意味がわかりませんでしたが。

>といった程度の軽い笑いです。(笑)
 文脈、文体、使い手のキャラによっては非常に感じが悪いので、やめませんか。
 イヤミ・皮肉にしか見えません。そういうのはSF文法相手に限定にするべきでしょう。

いや、これはこれは、大爆笑笑笑笑笑笑笑笑!
スルーはするは、他人の引いた辞典をパチモン呼ばわりするは、そういうお方の口から出た言葉とは俄かには信じがたいですな。(笑)
そうしたご自身の態度は、『非常に感じが良い』とでも思っておられるのですかね?(笑)
いやはや、コロナで日本もどうかなってしまいましたかねえ。
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#19ですが、ちょっと補足を。



「コロナ感染者が1000人を超えるの(か [な ] )?」

「コロナ感染者が1000人を超えるのは必須だろう」

で比較してみた場合、後者は「超えること」と言い換えが利くが、後者は利かない。
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#18です。



> 精選版じゃないほうの日国は、OKATさんがひいているのでは。やはり〈「の」名詞 別項目〉にしているようです。

あれが精選版だと思っていたのですが違うのかもしれませんね。
いずれにせよ、書かれている内容について、一概に否定するだけの知見は持っていませんが。
私がお示しした「ネットの日本国語大辞典」では、〈「の」名詞 別項目〉は見当たりません。

>末尾の(笑)はどういう意味でしょうか。

スルーされちゃいましたね。(笑)
といった程度の軽い笑いです。(笑)
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この回答へのお礼

繰り返しますね。
 当方が引いたのが精選版です。
 OKATさんがひいたのが、たぶんJKで提供しているの精選版ではないほうのヤツです。
 あとはパチモンでしょう。
 得体の知れないものをもってきて【〈「の」名詞 別項目〉は見当たりません】とか書かれても……。

>スルーされちゃいましたね。(笑)
 そりゃスルーしかありませんから。

>といった程度の軽い笑いです。(笑)
 文脈、文体、使い手のキャラによっては非常に感じが悪いので、やめませんか。
 イヤミ・皮肉にしか見えません。そういうのはSF文法相手に限定にするべきでしょう。

お礼日時:2020/07/31 21:31

#13です。



> 違うと思います。

精選版は違うのですね。知りませんでした。
「の」を格助詞としているのは、精選版じゃないほうの日国。

>行く?
行くの?
行くのか?
 この「の」が準体助詞(もしくは形式名詞)とはとうてい思えません。
 判定方は考え中です。

『見分け方』について問われたので、#11で答えておきましたが、お気に召しませんでしたか?(笑)

文脈から「体言相当か否か」を判断する、という判定法です。
準体助詞は(準)体言を作る助詞ですから。
有体に言えば、
~こと
~もの
と言い換えが利くなら準体助詞かと。

上記疑問文のそれを体言相当には該当しない、と捉えるのは、さほど難しくないような気もするのですけどね。

行くのが怖い

などの場合は当然準体助詞。
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この回答へのお礼

>「の」を格助詞としているのは、精選版じゃないほうの日国。
 精選版じゃないほうの日国は、OKATさんがひいているのでは。やはり〈「の」名詞 別項目〉にしているようです。

>『見分け方』について問われたので、#11で答えておきましたが、お気に召しませんでしたか?(笑)
 末尾の(笑)はどういう意味でしょうか。
 当方はそんなに簡単に断定できないので、「考え中」です。

お礼日時:2020/07/29 12:07

>某所で〈<助詞>が続くのであれば、<連用形>である「行き」でなければならない〉という記述を見ました。

どちらが一般的なのでしょう。
具体的にどんな話でどこに書かれていたかで、当否が違ってきます。
日本国語大辞典の記事が、形式名詞の用法がそのまま「終助詞」になったかのような書き方になっており、そのあたりが不分明です。しかし、「の」が直接「疑問」を表すとは言えない、(イントネイションに左右されるから)「こういうわけなの。」という説明(念押し)用法になったり、「一体どういうわけなの?」という疑問の用法になったりするのは確かで、「の」があれば必ず「?」がつくのではありません。(「か」も疑問・反語のほかに感嘆の用法があります)
 外にも疑問を抱えていて、「そうなのだ」の「な」と「だ」と(同じ語)の間に入る「の」。「行くだ」「嬉しいだ」とは言えないのに、「行くのだ」「嬉しいのだ」と言える理由など、多く疑問が残ります。
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この回答へのお礼

>日本国語大辞典の記事が、形式名詞の用法がそのまま「終助詞」になったかのような書き方になっており、そのあたりが不分明です
 同感です。

 当方も「の」に関しては疑問がいくつもあります。だから質問しています。
 それに対して根拠も示さずに断定する雑音があまりにもじゃまなので、遮断しました。
 庭先生のサイトhttps://ameblo.jp/kuroracco/entry-12613957244.htmlを見て、やはり「終助詞」という気がしています。
「某所」は下記です。何も根拠にあれほど口汚く断定するのですかね……。何を考えているのでしょうかね。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11794537.html

お礼日時:2020/07/28 17:10

>行く?


行くの?
行くのか?
 この「の」が準体助詞(もしくは形式名詞)とはとうてい思えません。

終助詞に関する(日本国語大辞典の)記述は次のとおりまとめられます。

【二】〔終助〕
文末にあって活用語の連体形を受け、文全体を体言化し、詠嘆をこめて確認する。下に間投助詞「さ」「よ」「ね」がつくこともある。上昇のイントネーションを伴えば質問文になる。→語誌(13)。
*天草本平家物語〔1592〕四・二八「サテサテ ナガナガシイ コトヲ タイクツモ ナウ vocatariattano (ヲカタリアッタノ)」
*虎明本狂言・薬水〔室町末~近世初〕「おうぢごをおとも申て参りたひの」
*歌舞伎・阿彌陀が池新寺町〔1699〕一「確(しか)とそなたの産んだ若殿でないの」
*咄本・高笑ひ〔1776〕天目「茶碗の事を天目といふが、なぜてんもくと云ふの」
*滑稽本・浮世床〔1813~23〕初・上「きついお見限りだネヱ。さうなさるのがいいのさ」
*当世書生気質〔1885~86〕〈坪内逍遙〉一五「ヲヤ何でお帰んなさるの」
*流れる〔1955〕〈幸田文〉「私のほうはあんたにいてもらうのがいいと思ってるの、あんたどう?」
 語誌(13)【二】の用法は、格助詞〔一〕(1)(ロ)の用法から派生した形式名詞用法〔一〕(1)(ハ)から転じたものである

「の」は形式名詞の用法と考え、イントネ-ションのあり方により差が起きる。
「それでいいの。」「いいこと。」相手に今までに言った内容を納得させようとする意図。
イントネーシュンを上げたり、「か」をつけたりすると、疑問・反語の言い方となる。
「の」はもともと、疑問の意味を持たないと言うことです。
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この回答へのお礼

https://kotobank.jp/word/%E3%81%AE-596099

 日国の記述だとよくわからないのでほかの辞書を見ます。
===========引用開始
の(読み)ノ
デジタル大辞泉の解説

【二】[終助]活用語の連体形に付く。
1 (下降調のイントネーションを伴って)断定の言い方を和らげる意を表す。多く、女性が使用する。「伺いたいことがあるの」「あいにく母は留守ですの」
2 (上昇調のイントネーションを伴って)質問または疑問の意を表す。「君は行かないの」「そんなに悲しいの」「なぜなの」
===========引用終了

『大辞林』は『大辞泉』とほぼ同様の記述のほか〈「のか」の形をとることもある〉とあります。
 これを読む限り、文末の「の」「のか」は終助詞という気がします。

 ひとつ教えて教えてほしいのですが、↑の『大辞泉』には「[終助]活用語の連体形に付く」と明記されています。当方はそのとおりだと思います。
 某所で〈<助詞>が続くのであれば、<連用形>である「行き」でなければならない〉という記述を見ました。どちらが一般的なのでしょう。

 下記もご参照ください。
【「~のか」「~か」「行く?」「行くの?」「~の?」】日本語教師〈3〉 資料編
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12613957244.html

お礼日時:2020/07/28 14:02

日本国語大辞典の「の」に関する記述。

例文を省略しないと書き切れませんのですべて省略。
(ただし、参考のため「語誌」は残しました。)「助詞」(格助詞・終助詞)と「名詞」に別れています。

の【一】〔格助〕
〔一〕連体格を示す格助詞。体言または体言に準ずるものを受けて下の体言にかかる。→語誌(1)(2)。

(1)下の実質名詞を種々の関係(所有・所属・同格・属性その他)において限定・修飾する。
(イ)修飾される実質名詞が表現されているもの。
(ロ)修飾されるべき、下の実質名詞を省略したもの。準体助詞とする説もある。→語誌(3)・名詞「の」。
(ハ)下の名詞(人を表わす体言)を省略して、呼びかけに用いる。近世に現われた用法。

(2)下の形式名詞の実質・内容を示すもの。→語誌(4)。
(イ)形式名詞が表現されているもの。
(ロ)実質を示されるべき、下の形式名詞「ごと(如)」を省略したもの。…のように。→語誌(5)。

〔二〕(〔一〕(1)(イ)の同格を表わす用法から転じて)「…であって」の意を表わす。→語誌(6)。

〔三〕体言を受け、形容詞語幹に体言的接尾語「さ」の付いたものを修飾する。→語誌(7)。

〔四〕主格を示す助詞。
(1)
(イ)従属句や条件句など、言い切りにならない句の主語を示す。→語誌(8)。
(ロ)連体形で終わる詠嘆の文や疑問・反語・推量文中の主語を示す。→語誌(9)。
(ハ)言い切り文の主語を示す。→語誌(10)。

(2)好悪の感情や希望・可能の対象を示す。

〔五〕他の格助詞の用法に通ずるといわれるもの。→語誌(11)・(12)。

【二】〔終助〕
文末にあって活用語の連体形を受け、文全体を体言化し、詠嘆をこめて確認する。下に間投助詞「さ」「よ」「ね」がつくこともある。上昇のイントネーションを伴えば質問文になる。→語誌(13)。

語誌
(1)【一】〔一〕の用法の多くは格助詞「が」の用法と重なる。「が」との違いには、形態上、その受ける語が品詞的に「が」の場合より多種であるにかかわらず、活用語の連体形を受けないこと、意味機能上、関係構成の種類が「が」より多いこと、および待遇表現上、古く「が」が親愛・軽侮・嫌悪などの情を含む表現に用いられるのに対し、「の」は疎遠な対象(崇敬の対象にはある距離を保ち、形の上で疎の扱いをするのが常である)に用いられたなどの点が指摘される。待遇表現の問題については、日本人にとって重要な「うち」と「そと」との区別意識の面から説明しようとする説がある。すなわち「が」は自己を中心とする「うち」なる領域のものに付く助詞、「の」は自己の領域外なる「そと」の部分にあるものにつく助詞であるとする(大野晉「日本語をさかのぼる」)。
(2)中世中頃、漢文訓読の場から、「あざむかざるの記」と書くような用法が成立する。連体形は連体格表示機能を有するから、その下にさらに連体格助詞「の」を用いることは本来あり得ないが、漢文の字面を離れても置字のあることがわかるようにとの配慮から、朱子新注学を奉ずる人々が従来不読の置字であった助字「之」を読んだところから生じたもの(小林芳規「『花を見るの記』の言い方の成立考」〔文学論藻‐一四〕)。
(3)「万葉‐三・二三六」の「いなといへど強ふる志斐能(ノ)が強語(しひがたり)此の頃聞かずて朕恋ひにけり〈持統天皇〉」の例も普通【一】〔一〕(1)(ロ)の用法とされるが、「万葉‐一四・三四〇二」の「日の暮にうすひの山を越ゆる日は背な能(ノ)が袖もさやに振らしつ〈東歌・上野〉」、「万葉‐一四・三五二八」の「水鳥の立たむ装ひに妹能(ノ)らに物言はず来にて思ひかねつも〈東歌〉」などとともに、人を表わす名詞に付いて親しみの意を添える接尾語とする説もある。
(4)「万葉‐一四・三五三五」の「己が命(を)を凡(おほ)にな思ひそ庭に立ち笑ます我(ガ)からに駒に逢ふものを〈東歌〉」の例に見られるように、活用語の連体形を受ける場合は【一】〔一〕(2)(イ)の用法でも助詞「が」が用いられる。
(5)【一】〔一〕(2)(ロ)の用法については、主語を示す用法の特殊な形とみる説(「時代別国語大辞典‐上代編」)もあるが、「ごと」の略された用法とするならば、中古に多用される「例の…動詞」のような用法をも統一的に説明し得る(青木伶子「連体格助詞『の』の一用法」〔成蹊国文‐三〕)。
(6)「時枝文法」では【一】〔二〕の用法を断定の助動詞連用形とする。
(7)形容詞語幹に体言的接尾語「さ」の付いたものは体言の資格を有するから、【一】〔三〕の用法は形態的には〔一〕(1)(イ)の用法と同じであるが、意味的には詠嘆表現ながら主述関係が認められ、〔四〕(1)の用法に近い。「山田文法」では喚体句と称する。
(8)【一】〔四〕(1)(イ)では従属句のうち、連体句の主語を示す場合が最も多く、次いで準体句の場合が多い。これは主格用法が連体格を示す用法から発展したものであるため、第一段階として何らかの形式において体言的なものを要求したものと考えられる。
(9)【一】〔四〕(1)(ロ)の詠嘆・疑問・反語などは、一度体言的にまとめられた事態に対して働いているのであって、原理的には(イ)の用法と同様である。
(10)【一】〔四〕(1)(ハ)の用法は中古仮名文に現われ、近世にはかなりの例が見られるが、助詞「が」のように自由な主格助詞となり切ることはなく、後には再び衰退する。なお中世の抄物では、聞き手を意識して念を押す助詞「ぞ」の下接した「…したぞ」の形で終わる文が圧倒的に多く、「た」までが体言的にまとめられていることが知られ、また近世の例はすべて感動表現であって本質的にはやはり(イ)(ロ)の用法と同様である。
(11)一般にこれらは「を」に通う「の」、「に」「と」に通う「の」と称せられるが、「を」「に」「と」などの助詞によらず、敢えて「の」助詞を用いたところに、真の表現意図があると見るべきものが多い。
(12)格助詞「を」が撥音「ん」の直後に付いたため音変化した「の」がある。能・狂言・平曲などに多くみられる。「虎明本狂言‐宝の槌」の「こなたのいよいよ大名にならせられて、御ふしんのなされう御ずいさうに、ばんじゃうのをとがいたす」など。
(13)【二】の用法は、格助詞〔一〕(1)(ロ)の用法から派生した形式名詞用法〔一〕(1)(ハ)から転じたものである。
   ………………………………………………………………………………………………………
「の」名詞 別項目
活用語の連体形、または連体格を示す格助詞「が」を受けて形式名詞として用いられ、「もの」「こと」の意を表わす。
[補注]
準体助詞と扱う説が多いが、体言と体言の関係を示す連体格助詞的機能は、上の連体形または「が」が担っており、「の」は体言としての機能しか持たないと考えられる。従ってこの場合の「の」は助詞とすべきではない。
 ↑ この見解に「日本国語大辞典」の見識が現れています。
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この回答へのお礼

できれば、辞書の引用を踏まえて。お考えをお聞かせください。
 例によってインネンの後追い質問が出て、書く気を失いつつあります。

行く?
行くの?
行くのか?
 この「の」が準体助詞(もしくは形式名詞)とはとうてい思えません。

お礼日時:2020/07/27 21:51

#13です。


申し訳ありません。
一部、事実と異なる記述がありましたので訂正させていただきます。

×
質問者としても、

準体助詞という解釈が【一般的なよう】です。

と言ってるように、品詞は何かを問うているわけではないはず。


質問者としても、

準体助詞という解釈が【一般的なよう】です。

と言ってるように、準体助詞か形式名詞かを問うているわけではないでしょう。
あくまで

準体助詞(あるいは形式名詞)か終助詞かを問うているはず。
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