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日(陽)がさすの"さす"はどちらを使えばよいのでしょうか。「陽が射す」か、「陽が差す」か、「日が差す」か、「日が射す」か…教えてください。

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A 回答 (5件)

こんばんは。


用法としては、どれも正しいかと思います。
ただ、私の感覚では、「陽」は明るく暖かい感じがしますが、「日」はただの光で「陽」と比較するとやや冷たい感じがします。
また、「射す」は強烈な印象を受けますが、「差す」は弱い感じがします。
文章とは、読む人に書き手の考えやイメージを伝えるものだと思いますので、文脈やシチュエーションによって使い分ければよろしいのではないでしょうか。
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 「日差し」という名詞がありますから、一般的には「日が差す」でしょう。

けれども意図的に何らかの効果を出したいなら、他の用法でも可と思います。
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この回答へのお礼

皆様、お礼が遅れて申し訳ございませんでした。

そのニュアンスを考えて「陽が射す」にすることにしました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/04/22 12:43

これは、すべての語に言えるのですが、まず字義を調べ自分が伝えようとする内容や、組み立てようとする文脈に適した文字を使うのが良いのでは。


「相殺」を「そうさつ」と読む誤用や、「的を射る」を「的を得る」と誤用してしまうことなど、一般的に言われるようになると、使い方が間違っていても、辞書に取り上げられたりすることもありますから。
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「差す」と「射す」は


どちらでも良いようです。

「日」と「陽」もこの場合は同じ意味で、
どちらでも構わないようです。
http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?col=KO&pg …

表現の仕方によって、
好まれる組み合わせがあるようです。

Googleでは、
"日が差す" 7910件
"日が射す" 4250件
"陽が射す" 722件
"陽が差す" 504件

"陽が差し込む" 2580件
"日が差し込む" 965件
"日が射し込む" 578件
"陽が射し込む" 332件
でした。

参考URL:http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?qt=%BA%B9 …
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手元の辞書によれば「差す」の説明として「(『射すとも書く、常用外』)」となっており、その用法として「窓から日が―・す」となっています。



よって普通は「日が差す」と書くようようです。
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Q日差しが差す(陽射しが射す)という表現は間違っているのでしょうか?

日差しが差す(陽射しが射す)という表現は間違っているのでしょうか?

詩を書いているのですが、
「『日差しが差す』は『頭痛が痛い』と同じくらい間違った日本語だ!」
と、読んでもらった方に言われてしまいました。それに対して、間違っていないと言う人もいるのですが、一体、日本語としては正しい表現なのででしょうか?

みなさんのご意見をお聞かせください。
国語のエキスパートな方いらっしゃいましたら、是非、お答え頂けないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

一応、国語を職業としている者です。しかし、私の考えが、正しいか、あるいは、あなたを説得できるかは、また別問題だと思います。

さて、あなたが提起された問題(一言で言えば、重言問題)については、最近当サイトで、二度ほど同様の質問がなされ、それに対し、私も回答をさせていただきました(下記参照)。

その経緯を含めて、私なりに問題をまとめると、
1 何をもって、重言とするのか。
2 重言使用の可否。
という二点にポイントが絞られると思います。

お尋ねの例でいえば、「日差し」という言葉に「日が差す」という意味が含まれているので、「日差しが差す」は、明らかに「重言」です。

では、重言は絶対に使えないかというと、そういうわけでもないと思います。

例えば「日差しが降り注ぐ」といった表現も、厳密に言えば重言になる(差すと降り注ぐとの類義関係から)と思いますが、(失礼ながら)「日差しが差す」よりは抵抗なく受け止められるでしょう。それは、意味的というより、同じ言葉(字)の繰り返し効果に原因が求められます。

また、別の観点から見ると、確かに「日差し」は「日が差す」ということを含意している、あるいはそれが第一義であるとは思います。しかし、そこから派生した「日光」という意味でも、現在我々は「日差し」を普通に用いており、何の違和感も感じて(これも重言ですが、それについては下記参照)いません。

ということは、「日差しが差す」は「日光が差す」の意味になり(実際質問者の方も、また私自をはじめ多くの人も、そう受け止めていると思います)、意味の重複を避けるという重言忌避の原則(勝手な造語で、術語にあるかはわかりません)から見ても、使用を禁止すべきとまではいえないと考えます。

(ただ、詩中の言葉に用いる場合のように、推敲が要求される、あるいは推敲する余裕があるときには、意味的、語の構造的に重言ととられかねない表現は、避けた方がいいと思います。)

また、先ほどの「違和感を感じる」ですが、これは、「新たな意味の付加」という観点から、下記の参考文献でわかりやすく述べているので、そちらに説明を譲りたいと思います。

長くなってすみません。ここに述べたことは、国語教材を二十年ほど作ってきた中で、様々なところから吸収してきたものを私なりにまとめたものです。(怪しげな文体と用語法を除いて、)オリジナルなものではありません。ただし、書いた者の責任は当然あると思っています。


当サイト内の関連項目(パソコン初心者なものでこうした書き方しかできません。謝ります。)
項目 国語 八月六日付「計画を立案する?」
項目 国語 八月九日付「「未熟」は~」タイトル不詳
参考図書  続弾 問題な日本語(P39~)
参考URL 下記参照 上記の本に関連したもの

時間が無くて、その他の資料、出典を明治できず、申し訳ありません。

参考URL:http://www.taishukan.co.jp/meikyo/

一応、国語を職業としている者です。しかし、私の考えが、正しいか、あるいは、あなたを説得できるかは、また別問題だと思います。

さて、あなたが提起された問題(一言で言えば、重言問題)については、最近当サイトで、二度ほど同様の質問がなされ、それに対し、私も回答をさせていただきました(下記参照)。

その経緯を含めて、私なりに問題をまとめると、
1 何をもって、重言とするのか。
2 重言使用の可否。
という二点にポイントが絞られると思います。

お尋ねの例でいえば、「日差し」と...続きを読む

Q穴が開く? 空く? 明く?

どれが正しいのでしょうか?
あき方によって区別するようならそれも教えてください。
こういう使い方の区別がわかる良い本もあったら教えてください。

Aベストアンサー

#3です。追加します。

どのような穴の空き方であっても、「空く」です。空き方による区別はありません。

Q《感動》と《感激》の違い

《感動》と《感激》は、確かに違う言葉ですが、境界線が分かりません。

皆様は、どの様に使い分けていらっしゃいますか?

ちなみに、WEB辞書では、

《感動》ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。

《感激》強く心に感じて、気持ちがたかぶること。

とありましたが、「心に感じて、気持ちがたかぶる」ことと「心を動かされる」ことは、ほとんど同じと思うのです.

しかし、似ているが違う、ようにも思えます。

ぜひ、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

異論は当然あるものと思いますが、《感動》と《感激》、それぞれに対して私が持っているイメージを書き出してみました。

《感動》
・「包まれるもの、じんわりと浸るもの、外側(五感)から内側(心)へ向かうもの」
 「ゆっくりと心の中に入り込むもの、しみじみとしたもの」 
 というイメージがある。 

・自然と心の中から湧き上がる暖かな思い。
  

・出来事を通して、もともと自分の中に備わっていた感性が呼び起されたり、
 自分にはないと思っていた感性が備わっていたということに気付かされたりする
 心の動きで、「発見や再生という感情が好ましい方向に揺れ動くこと」。


《感激》
・直接的に感じ取ること、突然心の中に飛び込んで来る思いのことで、
 熱い感情を伴うもの。

・好ましい出来事に遭遇したり、好ましい感情を注がれたことに反応して、
 舞い上がったようになること。

・対象に対して何らかの力を感じて心が突き動かされること。

***

以上のことを踏まえて、《感動》と《感激》のニュアンスにはどんな違いがあるのか、例文を使って考察したいと思います。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1)雄大な風景に思わず《感動》した。
  雄大な風景に思わず《感激》した。

2)この雄大な風景を私に見せてくれた彼の心配りに《感激》した。
  この雄大な風景を私に見せてくれた彼の心配りに《感動》した。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

《感動》と《感激》それぞれ1回ずつしか使えず、1と2の例文の《  》を埋めるという条件付きの問題があったとしたら、私はそれぞれ上の文章を選択します。
どちらを使っても間違いではないですが、《感激》には、若干ですが《感動》よりも対象に対する “愛着” が感じられますし、“意に応えたい”という気持ちが感じられるからです。

《感動》というのは《感激》よりも、もっと抽象的な大きな対象に使うことが可能な言葉で、《感激》の場合は対象や条件がもっと的が絞れていて、かつ、その思いや出来事に対する、“感謝”という気持ちが若干ですが強いように感じます。

2の例文を喧嘩中の友人同士や恋人同士に当てはめて考えるとイメージしやすいと思いますが、《感動》と《感激》を比べると、《感動》するのには何のお膳立ても必要ないけれど、《感激》するのには、ときとしてシチュエーションを要することがあるのではないかと思います。

異論は当然あるものと思いますが、《感動》と《感激》、それぞれに対して私が持っているイメージを書き出してみました。

《感動》
・「包まれるもの、じんわりと浸るもの、外側(五感)から内側(心)へ向かうもの」
 「ゆっくりと心の中に入り込むもの、しみじみとしたもの」 
 というイメージがある。 

・自然と心の中から湧き上がる暖かな思い。
  

・出来事を通して、もともと自分の中に備わっていた感性が呼び起されたり、
 自分にはないと思っていた感性が備わっていたということに気付かされたりする...続きを読む


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