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共に京都で執筆された枕草紙にも徒然草にも、私には関西弁の味わいが感じられません。
関西弁は室町・江戸時代に成立したのでしょうか?

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A 回答 (6件)

「関西弁」って関西各地の方言を一緒くたにして呼ぶ言葉自体、できたのは昭和に入ってとか最近じゃないのかなぁ



江戸時代は今は隣の市の茨木と高槻は別の国だし。
日本橋と浅草と品川でもそれぞれの方言があったし。
今は同じ東京だけど。
そもそも関西って呼ばなかったでしょ。
せいぜいあって関東人から見ての上方ことばじゃない?

現代でも「そこ右に曲がってまっすぐ行った突き当たり」って文章は読み手のイントネーション次第で標準語にも関西風にもなる。
あなたの定義する「関西弁の味わい」がどんなものかわからないけど、明治時代までは書き言葉と話し言葉は全く別だったから、文章だけでお国風を表現するのは今よりもっと難しいと思います。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2025/03/14 14:15

「関西弁の味わい」云々なんて当たり前の話です。

平安時代の京都ことばを「関西弁」とは言わないでしょう。「関西弁=関西で話されている言葉」と言う意味ではないわけですから。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2025/03/14 14:15

むかし青山繁晴が枕草紙は関西弁で読むとしっくりくる説を唱えてましたよ。

あなたも意識して関西弁で読んで見れば味わいを感じることができるかもしれません
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2025/03/14 14:16

そもそも「関西弁」という概念自体が、比較的新しいものです。


江戸時代には、京都や大阪は「上方」(かみがた)と呼ばれ、江戸は政治の中心、上方は文化の中心という位置づけでした。幕府も将軍も江戸ですが、都は京都ですから、あくまでも京都が「上(かみ)」であり、そこの言葉が文化的な中心の立場にあります。
室町時代はもっと明確で、都(京都)の言葉が規範でした。江戸は田舎扱いで、関東(愛知県東部より東は全部「関東」扱い)の言葉は方言扱いです。
だから京都や大阪の言葉を「関西弁」という方言扱いする概念そのものが、室町・江戸時代にはまだありません。
明治時代になって、東京に実質的に首都が移って、東京の中流階級の言葉をベースに「標準語」を決めたために、それ以外の言葉が「方言」となったのです。このときに、かつては「中央語」だった京都や大阪の言葉が「方言」扱いになったのです。

平安時代の「枕草子」や鎌倉時代の「徒然草」の言葉は、現在の京都方言の「遠いご先祖」です。さすがに1000年近い時代の開きがあり、その間に日本語そのものが大きく変化したので、直接繋がっているようには思えないかもしれません。
ですが、例えば古典文法での打消の「ず」は、連体形が「ぬ」であり、やがて連体形の「ぬ」は終止形に使われるようになり、「ぬ」は「ん」と発音されるように成って、現代の西日本で広く使われる形になります。
例、行かず(現代語は「行かない」)→行かぬ→行かん(→「行かへん」などに変化)。
日本語の「古代語」が、現代語に直結する「近代語」に大きく変化したのは、室町末期~江戸初期の頃と言われています。ただし、書き言葉は古い時代の文法で書かれているので、文字で読むだけではそう思えないかもしれません。狂言台本などの口語資料の日本語は、現代の京都方言に近いものを感じられるでしょう。
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関西弁という言葉は存在していません


その土地土地の集落が話す言葉です
枕草子や徒然草は平安時代
執筆された書簡は 御所の女房や貴族がたしなみとして読むものです
御所言葉として書かれています
京都には他に町方言葉として
なにわから来た商人たちが作った中京言葉
田舎の子供のことばなまりをなくすために使われた花街の言葉
田舎の人の農家言葉とわかれます
さきの戦争 応仁の乱で街中が大きく燃えて再興したときから
区分けがはっきりとしたようです
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この回答へのお礼

いつも衒学的

お礼日時:2025/03/13 15:45

関西弁と言っても範囲が広く、厳密にはそれぞれ違います。



大阪弁と京都弁は違います。
奈良平安時代は奈良京都が都、今でいう首都だったので、京都弁はそのころに成立しています。

大阪に人が集まったのは豊臣の大阪城ができたあたりですが、長くは続きません。
その後の江戸時代に商業都市として大阪に人が集まり、現代につながる大阪弁が成立したと思われます。
京都奈良に比べたら大阪弁の歴史は浅いです。

その中にも摂津弁や河内弁などの違いはあって、昭和中期に大阪へ転居した親戚は、テレビの関西芸人の「関西弁」に驚いたといいます。
親戚が住んでいたあたりの大阪弁とは違っていたからです。
「あれは河内弁やろ」と親戚は言っていました。

枕草紙は平安、徒然草は鎌倉初期ですから、現代の大阪弁を含むいわゆる関西弁と違うのは当然です。
現代でも京都弁は大阪弁とはやや違います。
京都人は大阪と一緒に「関西弁」とくくられるのを嫌がる人が多いです。
兵庫あたりの人も、関西弁だけど大阪弁じゃない、といったりします。

他地域でも方言は、地方名で一括りにできないことが多いです。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
<江戸時代に商業都市として大阪に人が集まり、現代につながる大阪弁が成立した>のですね。

お礼日時:2025/03/13 15:44

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