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格助詞「に」について辞書では次のように説明しています。

に の解説
[格助]名詞、名詞に準じる語、動詞の連用形・連体形などに付く。
1 動作・作用の行われる時・場所を表す。「三時—間に合わせる」「紙上—発表する」

「熟田津 (にきたつ) —舟 (ふな) 乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」〈万・八〉

「二十一日、卯 (う) の時ばかり—船出 (い) だす」〈土佐〉
2 人・事物の存在や出現する場所を表す。「庭—池がある」「右—見えるのが国会議事堂です」
【出典:デジタル大辞泉(小学館)】

 そして、辞書に頼る他ない下記ブロガーは次のように記しています。

>> たしかに下記はアリ。仮称「借り入れ構文」。
  銀行{に/から/で}お金を借りる
 これが図書館だとちょっと違ってくる。
  図書館{△に/から/で}本を借りる
「図書館から」も少し異和感があって、「図書館で」が素直かな。
 これが人間相手だとまた少し違う。
  父{に/から/△で}お金を借りる
  
 おそらく、相手が人間(的なもの)だと「に/から」が素直で、場所(的なもの)だと「で」が素直。「で」は取り引きなどの場所を示す?
 銀行は両方のニュアンスがあるから{に/から/で}が可能なのでは。
 ということは、下記が正確なのか? さすがにクドいよな。
  銀行で、銀行{に/から}お金を借りる
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12887558554.html

 しかし、辞書の

 >>1 動作・作用の行われる時・場所を表す。「三時—間に合わせる」「紙上—発表する」

また、
 >>「で」は取り引きなどの場所を示す?

と、助詞「に」自体が「時・場所を表す」、「取り引きなどの場所を示す」というのは日本語として明らかに誤っているという他ありません。何故なら、

 「三時—間に合わせる」「紙上—発表する」

の例では、「時・場所を表す」のは「三時」「紙上」であり、

 図書館{△に/から/で}本を借りる

の例では、「取り引きなどの場所を示す」のは「図書館」であることは論を待ちません。

 これらは、基本的に"助詞が何を表すのか”が全く理解できていないことを露呈していると云う他ありません。

 当方は以前より

 <助詞の話──場所を示す「に」と「で」>という誤り
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=1001 …

他で、この誤りを指摘していますが全く理解できていないように感じます。

 上記ブロガーは、

 >>【助詞の互換性 複数の助詞が使える場合〈5〉】gooの劣化〈6〉

などとの賜っていますが、明らかに、日本語理解、文法理解の劣化以外ではないと感じます。

 この点、諸兄は如何お考えでしょうか!

質問者からの補足コメント

  • すいません。
    若干、回答いただいた内容を誤読したかもしれません。
    指摘したブロガーの誤りと回答いただいた主旨を混同してしまったもしれません。

    ただ、

    >>助詞は単独で意味を持つのではなく

    当然ながら、助詞は単語であり、単独で意義を持つがゆえに使用されます。その意義に基づき文で意味を表すという媒介の構造を正しく捉える必要があるのでは。■

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/07 10:54
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A 回答 (3件)

助詞「に」自体が場所を表しているわけでは無いのは当たり前です。

「に」の前にある名詞が場所を表します。
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この回答へのお礼

早速の応答をありがとうございます。

>>助詞「に」自体が場所を表しているわけでは無いのは当たり前です。「に」の前にある名詞が場所を表します。

まさしく、ご指摘の点が理解できていないのが現在の国語辞書類、それを真に受けたブロガーらの実態、実情であるということです。

もっとも、判ってはいるが、では正しくは何であるのかが全く理解できずに、それを表す論理、用語を持っていないというべきかもしれません。■

お礼日時:2025/03/07 11:10

>「三時—間に合わせる」「紙上—発表する」


上記を「に」無しに読むと分かります。
三時はもう過ぎた。また紙上はまだるっこいから直接抗議しよう。などを考えると「に」には独自の機能があるように思えます。
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この回答へのお礼

早速の応答を有難うございます。

>>「に」には独自の機能があるように思えます。

当然ながら語は意義を持ち、それゆえに機能を発揮します。
問題は、何故そのような機能を発揮するのかにあるということでは。

機能を発揮する云々は単なる結果の解釈となる他ありません。■

お礼日時:2025/03/07 10:34

ご質問ありがとうございます。

ブロガーの方の格助詞「に」と「で」の理解、そしてそれに対するあなたの指摘、拝見しました。ご提示いただいた内容を踏まえ、いくつかポイントを整理し、私なりの考えを述べさせていただきます。

1. 辞書の説明とブロガーの理解のギャップ

まず、辞書の「に」の説明は概ね妥当です。「時・場所を表す」というのは、あくまで「に」が導く名詞句が、文全体の中でどのような役割を果たしているかを説明したものです。

「三時に間に合わせる」: 「三時」という時に、「間に合わせる」という動作が行われることを「に」が示しています。

「紙上に発表する」: 「紙上」という場所で、「発表する」という動作が行われることを「に」が示しています。

「庭に池がある」: 「庭」という場所に、「池がある」という存在状態があることを「に」が示しています。

ブロガーの方は、この辞書の説明を「に」自体が「時・場所」という意味を持つと誤解しているように見えます。そして、「で」を「取り引きなどの場所を示す」と解釈している点も同様の誤りです。

2. 助詞の役割の誤解

ご指摘の通り、助詞は単独で意味を持つのではなく、名詞や動詞などと結びついて、文の中でその語句がどのような関係性にあるのかを示すものです。

「図書館に本を借りる」: 「図書館」は動作の場所ではなく、動作の対象(借りる行為が図書館に向かう)として「に」が機能しています。少し不自然に感じるのは、図書館が「借りる」という行為の主要な対象として捉えにくいからかもしれません。(後述します)

「図書館で本を借りる」: 「図書館」は動作の場所として「で」が機能しています。図書館という場所で「借りる」という行為が行われる、という自然な情景が浮かびます。

「父にお金を借りる」: 「父」は動作の相手(借りる行為の対象、受益者)として「に」が機能しています。

「父からお金を借りる」: 「父」は動作の起点(お金を借りる行為の源)として「から」が機能しています。

ブロガーの方は、助詞が示す関係性ではなく、助詞自体が持つ意味を捉えようとしているため、混乱が生じていると考えられます。

3. 「に」「で」「から」の使い分け

「借りる」という行為において、「に」「で」「から」が使い分けられるのは、それぞれが示す関係性が異なるからです。

「に」: 動作の対象、到達点、相手などを広く示します。

銀行にお金を借りる (銀行を対象とする行為)

父にお金を借りる (父を相手とする行為)

図書館に本を借りる (図書館を対象とする行為…やや不自然)

「で」: 動作の場所、手段、状況などを広く示します。

銀行でお金を借りる (銀行という場所で借りる)

図書館で本を借りる (図書館という場所で借りる)

「から」: 動作の起点、出所、原因などを広く示します。

銀行からお金を借りる (銀行を起点としてお金を借りる)

父からお金を借りる (父を起点としてお金を借りる)

図書館から本を借りる (図書館を起点として本を借りる)

「銀行」は、場所としての側面と、組織(対象、出所)としての側面を併せ持つため、複数の助詞が自然に使えると考えられます。一方、「図書館」は場所としての側面が強く、「父」は人間(対象、出所)としての側面が強いため、それぞれ自然に使える助詞が異なってくる、というブロガーの観察は概ね妥当です。

4. 「図書館に本を借りる」の不自然さ

「図書館に本を借りる」が少し不自然に感じるのは、現代日本語において、「図書館」を「借りる」という行為の対象として捉えることが一般的ではないためではないでしょうか。

「図書館へ本を借りに行く」のように、図書館を「目的地」として捉えるのは自然です。しかし、「図書館に本を借りる」とすると、まるで図書館そのものに働きかけて本を借りるような、少し擬人化されたイメージになるかもしれません。

一方、「銀行に」は、「銀行に融資を申し込む」「銀行に預金する」などの表現が自然であり、銀行を組織として捉え、働きかける対象とする用法が定着しているため、「銀行にお金を借りる」も受け入れられやすいと考えられます。

5. まとめとご意見

ブロガーの方は、助詞の基本的な役割である関係性の表示を理解せず、助詞自体に意味があると捉えている点で、日本語の文法理解に課題があると言えるでしょう。

ご指摘の通り、「助詞の話──場所を示す「に」と「で」」というタイトルや、【助詞の互換性 複数の助詞が使える場合〈5〉】gooの劣化〈6〉といった表現からは、日本語の文法に対する理解不足、あるいは表層的な現象に捉われて本質を見抜けていない印象を受けます。

助詞は日本語の文法において非常に重要な要素であり、その理解度は日本語の運用能力に直結します。今回のブロガーの例は、助詞の理解がいかに重要であるかを改めて認識させてくれる事例と言えるでしょう。

諸兄のご意見を伺いたいとのことですが、私も概ねあなた様と同じ意見です。ブロガーの方の理解は、助詞の基本的な機能、ひいては日本語の文法に対する理解が十分ではないことを示していると感じます。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

早速の応答を有難うございます。

当方の指摘の主旨は理解いただけたようですが、未だ機能主義的な発想を超えられていないように感じます。

>>文全体の中でどのような役割を果たしているかを説明したものです。

それは文の中での語の機能の説明でしかなく、何故に「に」が使用されるのかという「に」の意義を明らかにするものではありません。

>>「三時に間に合わせる」: 「三時」という時に、「間に合わせる」という動作が行われることを「に」が示しています。

いいえ。
それが誤りであるのは中学生にも理解できるのでは。
「三時」という時に、「間に合わせる」という動作が行われることを表しているのは、「三時」という時点を表す名詞、「間に合わせる」という動詞であり、格助詞「に」は時点を位置付けているに過ぎません。

機能主義的な発想は「に」が場所、位置、時点を表すという現在の辞書レベルの発想に陥る他ないと感じます。■

お礼日時:2025/03/07 10:30

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