つい集めてしまうものはなんですか?

all my students はOKなのに、my all students はどうしてダメなのでしょうか?
限定詞前要素である all は云々という説明ではなく、どうして、そう言えないのかという理由を教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

genkiganさん、いつもながら目のつけどころがユニークで、興味を惹かれます。



この疑問は英語という言語が集合をどう扱うかと密接な関係があると思います。
まず、studentsという集合があって、その全体を示すとすればall studentsです。
次に、studentsを分類するときにどう対応するか、例えば、my studentsとthe other studentsです。すると、my studentsという集合とthe other studentsという集合ができます。それぞれの集合に属する者の全てを表現すると、all my studentsであり、all the other studentsです。studentsの下位集合を作るときには集合全体を示すall studentsを区分するのではない、ということです。つまり、my all studentsという分類は無いということです。
"all my daughters" but not "my all daughters"
"all my boys" but not "my all boys"
"all the girls in the school" but not "the all girls in the school"
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確か中学校の英語で習ったと思ったのですが…



形容詞が名詞の前に二つ以上続く場合は、その絶対性が強いものほど名詞の近くに来るとか…。例えば、「上機嫌な」と「背が高い」が二つ並んだ場合(変な例文ですみません)「上機嫌な、というのはいつ変化が起こってもおかしくないものですが、「背が高い」という事実はまず変わりにくいですよね。そういった場合、

She is a tall, happy girl.ではなくて
She is a happy, tall girl.似なるんだったと思います。

私は悲しんでいる日本人の女の子だ。でも一緒です。
I'm a Japanese, sad girl.とはいわず、
I'm a sad, Japanese girl.となるはずです。でもこの場合「日本の」という形容と「悲しんでいる」という形容はどちらもGirlを修飾する形容詞ですが、絶対性の高いほうが名詞の近くに来ているんだと思います。
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この回答へのお礼

回答していただいたみなさんへ、

たいへん、いろいろな意見をいただきありがとうございました。
文法書には、all, both, half, double, twice, ...., one-third, one-fifth, .... such, what などの限定詞前要素(prearticle)は、限定詞中位要素(article)とともに現れる場合は、それより前の位置を占める。
と書いてあるのですが、それじゃ、どうして、そうなのかということは書いてありません。
#6さんと#11さんの回答が大いにヒントになりました。もう少し考えていきたいと思っています。ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/20 00:20

それはごく簡単に言うと、限定詞が二つ連続する場合、all、double、suchなどが先に置かれ、その後にmy、yourといった所有格、the、aといった冠詞、this、thoseといった指示詞、each、someといった数量詞が置かれるという文法の規則があるためです。



そのため、my all students ではなく、all my students となります。

これは文法書でこの規則を暗記するよりも、とにかく大量の英語に接して感覚として体で体得するというやり方が絶対にいいと思います。

実際私もそうしてこの感覚をつかみました。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
限定詞云々は確かにそうなのですが、それはただ実際に使われていることばを描写したに過ぎません。その裏にある法則を知りたいわけです。

お礼日時:2006/02/17 10:03

強調される部分に問題が有るからじゃないでしょうか?


ALL my students
MY all students

学園ドラマか何かで狂信的な先生が居て、『私の生徒は皆良い子です。他のクラスの子は悪い子ばかりですが!私の教育方針は正しいのです!皆さん私の指導方法を見習うべきです!!!』というような台詞であればMY all studentsで良いような気もしますね。というか、そのほうがすっきりします。
普通、私の生徒全員、といっている段階で、意味の上から言って『全員』が強調されるべきである、ということが大前提なのではないでしょうか。
ですから、文法云々、とか何とか言う問題というよりは、意味が通じない(=訳のわからん)表現なんだと言うことだと思います。
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No7です。


「No1さんのmy all lovingの覚え方もすばらしいと思いました」と書きましたが、
「No1さんのall my lovingの覚え方もすばらしいと思いました」と書くつもりでした。失礼しました。
訂正いたします。
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あの~、文法はあまり得意じゃない者なんですが、一言いわせてください。


all my studentsというけれど、my all studentsとは言わないのは、日本語で鉛筆を数えるとき「ほん」を「いっぽん、にほん、さんぼん・・・」というようなものじゃないでしょうか。日本語を勉強している外国人に「なぜ?」と聞かれた時、「そう言うんだからそのまま覚えよう!」といいます。
No1さんのmy all lovingの覚え方もすばらしいと思いました。
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>この数はどちらでも言えるというレベルではないと思います。



それが一般的とはいっていません。
わたしの文や、その用いられ方を、見てみてください。

基本的に

>all my students
という用法が一般的であれば、その理屈はどうであれ、all my students と身につけてしまうというのも手だ

ということです。

だめだこりゃ。
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Gです。

 こんにちは!

>all my students はOKなのに、my all students はどうしてダメなのでしょうか?

おっしゃるとおり、「限定詞前要素である all は云々という説明ではなく」なんです。 これは誰かが勝手になずけた名前であって、その名前を使えば「正しい」と言うものではないのです。

限定詞前要素である all は~~、だから、my all studentsはダメだ、なんていう説明は説明になっているように見えるだけでなっていないのです。 だから、こんな説明には満足が行かないのですね。 この順序を覚えるのに、まずこの日本語の限定詞前要素って何でしょうか、これを覚えるのは何週間かかり、そして、このことが頭にすらっと出てきて、それに基づいて言語ルール判断をして、そして、やっとall my studentsと言う英語の勉強の仕方をやっている、推薦する、あるいは試験のためにと強制する、教え方では英語使えなくなるのは当然と事としか考えられません。

こういう「専門用語」を使って言葉を説明すると何か「知的」で「英語が出来る」ように思うのは今までの日本の英語社会でしたね。 

英語と言う言葉を言葉として身につけられるように教えれば日本人一億が英語をしゃべれるはずなのです。 

本題です。

なぜダメなのか、と言う疑問を持ったとき、英語は言葉であると言う根本的なことを思い出してください。

英語が言葉であると言うことは日本語も同じだと言うことなのです。

my all studentsと言う表現が間違っているのではないのです。 I is a boyは間違っているのではないのです。 もし誰かがI is a boy.と言ったとき、アメリカ人のうちどれだけの人が理解できないでしょうか。 2億6千万人近くの人口のうち2億5千万は理解できるはずです。 残りの1千万は幼児か130歳に近い老人です。

しかし、日本ではこれを「間違い」だといいますね。 通じているのに間違いと言うことは何を基本としているのでしょうか。 

日本で「やってはいけないよ」と言われていることがたくさんあるわけですけどそのうちで、「てめぇ」と言う表現を上司に向かって言ってはいけないよ、と言うのがありますね。 言うことは誰でも出来ますね。 言いたければ言っても良いのです。 しかし、とばっちりを受けるのはあなたですよ、と言うことですね。

I is a boyといったって良いのです。 外国人だから英語力がないの当然と理解してくれるかもしれません。 しかしそうでなければ、「とばっちりを受ける」のです。 そのとばっちりがどれだけ自分に損になるかどうかなんです。

新しい表現が毎日作られています、日本でも。 しかし、その中でとばっちりが多ければ誰も言いません。 しかし、なぜか「受けがよければ」多くの人が言うようになるのです。 文法が言葉を支配していると言うことではないのですね。 

英語も同じなのです。 my all studentsは「ダメなのではなく」今はこのとばっちりが大きすぎるからなんです。 つまり、誰か影響力の大きい人が「流行らせることが出来たら」その時点からとばっちりが少なくなるのです。 そしてもしかしたら一般的に使われるようになるかもしれないのです。

日本語の「全然」と言う単語の使い方、この百年で2回も使い方が変わったのです。 2回目はほんの数年しか「とばっちり」がなくなりましたね。

I Luv NYの表現はまったく持ってスペルミスです。 R u OK?の表現がどれだけの人に毎日使われるでしょうか。 これらがいけないとする根拠はどこにあるのでしょう。 とばっちりの少ない社会で使われるからOKであって、とばっちりの多い社会では使われないのです。 ダメなのではないのです。

使われないからダメだ、と言う言葉として根本的理解があればそれで良いのです。 万能でかつ非常に有意義なそして覚えやすい知識なのです。 使われる社会では、使われる状況では、TPOにあっていればOKとされる表現もありますね。 そういうときには使っても大きな問題ではない、と言うことです。

ですから、私は、もし英語の試験で「使われない」表現であれば使わないほうが頭の良い事なんだ、でも、使われているところでは使うぞ!としちゃえ!と言うのです。 日本での英語試験の場所はそれなりの社会が存在すると言うことなのです。 そして私は、その社会を崩壊するべきだ、と言うのですね。

過激すぎますか? それとも英語も日本語も同じ人間が毎日使っている言葉に過ぎないんだと言う理解をこれからも英語習得に使ってくれますか? 

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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どちらも言えるんじゃないでしょうか。


その用例(例文でどう用いられたか)がわからないのですが、

たとえば何かのクラスを受け持っていて、その生徒全員をさすようなケースでしょうか。
I love all my students.

別のケースとして、各地にクラスや講義をもっていて、それぞれの場所に自分の生徒がいるような場合
My all students will get together and and discuss it.
(My "all students" will get together and and discuss it. みたいに書くこともあると思います)


わたしも言語は通じればいいじゃないですが、その場のシチュエーションで出てくる表現が理解できるのであれば、よしとするほうです。
日本語でもフォーマルな文章ではあまりみかけないが、会話ででてくるユニークな、あるいはおかしな日本語が、あとあと皆が使うようになるケースがあります。こういったケースは、10年前と比べ明らかに多くなったなぁと感じます。多分やITや携帯の普及のおかげで情報のやりとりが早くなったのもあると思います。
「想定内」も昔では使われないような文章や会話に合体させて、なんでも「想定内」「想定外」とお笑いの人が使うようになってますし(笑)

しかし何でもありと取らえているわけでもなく、一般用例として身につけるようにもしています。
all my students
という用法が一般的であれば、その理屈はどうであれ、all my students と身につけてしまうというのも手だという考え方も持っています。

イディオム(慣用句)というのもありますが、これなどまさに慣用例として身につけます。
しかし世の中には、すべての単語の組み合わせの意味や理屈を解明できないと気がすまない人もいるのでしょうね。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございました。
>どちらも言えるんじゃないでしょうか。
グーグルで検索したところ、
"my all students" の検索結果 約 93 件
でした。この数はどちらでも言えるというレベルではないと思います。

お礼日時:2006/02/15 15:41

英語は学問ではありません。

コミニュケーションの道具です。
あれこれ理屈こねるのではなくそういえばより違和感なく通じるのです。
しかもそれが英語なのです。

要はより正確に通じりゃいいのです。
使う英語が下品か上品かで「お育ち」もわかってしまいますがそれはあとで勉強すればいいとして
どうしていけないかなんて考える必要もなければ
意味もありません。
そんなことに頭使うよりひとつでも多くの単語や言い回しを覚えた方が得です。

まして外国の言葉です。
日本語で
十分と書いて「じゅっぷん」はまちがいで「じっぷん」が正解、では何故じゅっぷんでは間違いなのか気にしてる外国人はいないと思いますが・・。

受験英語ならmy all studentsで間違いといわれますが
アメリカ人と話せばmy all studentsでちゃーんと意味は通じます。
ただそのアメリカ人も自分で使う時はall my students
と使いますからそれが貴方の頭に残ってそのうちall my studentsと使うようになっちゃいます。それが言葉を覚えるということです。

シンガポールでは、~ができますか?と聞かれると
Can can!と犬が泣いてるわけじゃあるめーし、
きゃんきゃんうるさせーなー!と思いますが、意味は通じます。
本来の英語で、Can I smoke here?
と聞かれて、Can can!はないでしょう。
普通は、Yes, you can.ですよね。
でもCan can can!で通じるんですよ、いいたいことはアメリカ人にもイギリス人にももちろん日本人にもわかります。日本人の感覚に似てますからね。
でも本来の英語なら間違いです。
Canだけに言葉としての意味はないからです。
でも誰でもわかります。
それがコミニュケーションの道具だということなのです。
あとは正確なものをネイティブが使っているのを聞いて覚えれば、そーかそういう時はYes,you can.というのか・・と覚えればいいだけです。

こむずかしいこと考えず、外国人とどんどんコミニュケーションとる事を優先させたほうがいいと思いますよ。
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