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大学院を卒業後、研究室の教授が卒業生の修論を雑誌に投稿しようとしたら、その卒業生に連絡しますよね?
何の連絡もせずに勝手に投稿することもあるんでしょうか?
共同研究者であれば投稿する際には必ずその旨を連絡する必要があると思いますが、学生は教授に指導してもらう身なので学生の研究成果=指導教官の成果ということで、特に連絡を入れなくても論文にしてよいのでしょうか?
また、論文化しようと思って卒業生に連絡しても連絡がつかなかった場合はどうなるんでしょうか?
論文の投稿を諦める?そのまま投稿する?まさか共著者からその学生の名前を消して投稿するなんてことあるんでしょうか…

質問者からの補足コメント

  • 論文にすること自体はいいと思うんですが、何の連絡もなく気づいたら投稿されていて、しかもファーストオーサーは別の人…なんて自体は普通なんですかね…

      補足日時:2021/02/03 19:17

A 回答 (13件中1~10件)

学生の研究成果=指導教官の成果 と 横取りするつもりなら 勝手に投稿するでしょう。


特にその学生が卒業後に違う業界に行ったのなら、横取りですね。
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所有者が大学であれば


勝手に名前もだされてる事がありますし
その初期時代から歴代様々な方のまとめて
成し遂げた研究成果を指導教員が、素晴らしい内容にまとめ
単独でだす事もある。
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修論のテーマを誰が考えて実施したかに依ります。


卒業生の発想で、実施してまとめ上げたのなら、教授は著作権の侵害です。
白川博士のポリアセチレンで、セルフスタンディングポリアセチレンを
最初に合成したのは、南朝鮮からの留学生でした。白川博士は、触媒量を
指示した10倍も加えたので出来た、怪我の功名、と言っていましたが、
そんな馬鹿な留学生はいません。留学生は、触媒量を増やしてみたかったのかもしれません。江崎ダイオードを発明した、江崎博士は、半導体の
不純物濃度を上げるとどうなるかを研究している時に、NOT形のダイオード
を発見しました。とさ
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4年生の卒論学生よりあとは研究室の研究スタッフです。

我々教員が提示したテーマの研究をスタッフとして支援していただいています。卒論や修論として,論文の体をなす形に指導するのも,我々教員の義務ですから,どちらも数回は草稿を全部書き直してもらっています。そうやって完成した卒論・修論を卒業・修了のための審査に使うことは構わないでしょう。指導を受けるのは教育機関における当然のプロセスですし,中身にはその学生の創意工夫が含まれているからです。
 さて,それを論文集に投稿するのにご質問者は反対するのでしょうか。受理されればご質問者の業績にもなりますよ。嫌ですか?不思議な方ですね。もちろん著者欄にご自分の名前も無く,謝辞にも言及が無い場合には大問題でしょうね。でもどちらかに氏名があるなら,何の問題も無いと僕は思いますけど,何が問題なのでしょう。僕は自分のボスの名前を著者欄に書くときにもそのボスには了承はとりません。もちろん,准教授の名前を並べるときも了承はとりません。なぜ取らないといけないのでしょう。ボスにも准教授にもいろいろな助言をいただいているし,もしかしたら研究費も支援してもらっている場合もあるわけですからね。
 僕の隣の研究室の教授は,学会の論文賞をいくつも取っています。その賞状には,卒論や修論をやった学生の名前も入っています。何か問題があるのでしょうか。なぜ同意を事前にとらないといけないのでしょう。僕のボスも,僕が学生のときにやった研究を論文にしてくれました。それが僕の業績の一本目です。感謝していますが,事前に了承はもらってません。ただし,投稿直前に投稿原稿が送られてきて修正があれば書けと言われましたが,特に無かったのでそのままにしました。また,僕が途中までやった研究を,他の学生が引き継いでやった研究を,別のボスが論文にしましたが,このときは何の連絡もなく,受理された別刷りがあるとき送られてきてびっくりして,これはどうしたの?とボスにメールしたら,学生のときに途中までやったやつじゃないか,受理されてよかったな!と返事をもらいました。
 一体,何が問題なのかさっぱり理解できません。僕は著者欄か,あるいは学生の成果以上のものを僕自身が加筆した場合には,謝辞には必ず学生の氏名を書いています。
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これまで30年の大学教員歴の中で、大学院生が本当の意味でオリジナルのテーマを発案したことはありません。


大学院生がオリジナルなテーマを発案するとは、
・テーマを提案する
・そのテーマはこれまでに研究されていない
・研究室の設備、予算で行える研究である
と言う事を満たさなければなりません。
 これらを満たした修論で、かつ院生自身が英文で論文誌に投稿し、掲載される見込みがある場合のみ、本当の意味で大学院生が研究したことになります。
・私の研究室では、学生自身が上記を満たしたことはありません。
・教員から提示された実験をやって、修論は書きましたが、論文誌に受理される英文論文を書いた学生はいません。
 すべての論文は修了後に院生には特に連絡をせず投稿しています。
 ただし、大学院生が担当した論文は基本的に大学院生を筆頭著者としています。学部生が行ったものは、私自身を筆頭著者にしています。
 掲載後は書いたと言う事で大学院生には別刷りを送っていますが、感謝こそされ、文句を言われたことはありません。

 ちなみに質問者が文句を言えるとすれば、上記のオリジナルなテーマを発案し、自分で論文原稿を修了前に書き、それを教員との議論して教員の納得を得たのに、論文に名前のないものが発刊された場合だけです。教員から出されたテーマで修論を書いた場合は文句を言う資格はありません
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>論文化しようと思って卒業生に連絡しても連絡がつかなかった場合はどう


>なるんでしょうか?
論文によっては全著者のメールアドレスを要求される場合があります。共同研究で、共同研究先の大学院修了者のメールアドレスが不明と言う事があり、共同研究先の教授と相談した結果、その人の名前は削除すると言う事がありました。自分の研究室の院生や学部卒業生の名前はすべて入れており、削除したことはありません。
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大学教員さんとやら、貴方たちが日本の悪しき風習を守っているんだぜ。


それは、論文博士ってやつ。
企業内で、一定の地位になると、今度は社会的地位が欲しくなる。そこで、
みんながやっている、社内の研究員を大学や公的研究所へ出向させて
フルペーパーを書いてもらう、当然のことながら、ファーストオーサーは
企業の役員。外国では、ファーストオーサー=著者です。ファーストオーサーの仕事と思います。
企業の役員の博士号を持っている殆どは、この論文博士。他国にこのような
制度はありません。博士号も銭で買えると会社のトップは思っているので
博士号を持った従業員の賃金は安い。アメリカでは、学卒の2倍というのに。
日本の科学レベル低下の一因が、この悪しき風習と思っています。
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質問とは異なる大学教員、論文博士批判が出たので少なくとも私が知っている事実を書き誤りは誤りとはっきり書いておきます。



「みんながやっている」、「企業の役員の博士号を持っている殆どは、この論文博士」という実例がどこにどのくらいあるのだろうか?
まともな大学で論文博士を取るには、もちろん大学院、研究科により差があるが5~10方程度の査読論文は必要になる。ちなみに私自身は10報要求された。

日本では企業等がなかなか博士を採用しないこともあり、修士を出て就職することも多い。私の場合も24歳の時は経済的理由もあり企業に就職したが、仕事で実績を上げ、企業から公設研、国立研研究員、そして国立大での下働き(助手でもない技官)という下積みを経て、やっとのことで論文博士で学位を得て、大学教員のポストを得ることができた。その時、30代後半、40歳直前である。

仮に書かれているように他人にフルペーパーをそれだけの数書いてもらったとして、学位審査の路線に乗ったとして、通常、予備審査が行われる。論文審査を依頼した教授ではない近い分野の別の教授を主査として、5名程度の審査員の前で、1時間程度論文の説明をし、30分程度のディスカッションをする。仮に入れ知恵されていて、説明できたとしても、付け焼刃で30分の議論に耐えられるだろうか。まあ、普通は化けの皮が剥がれるだろう。

ほとんど可能性はないが、上記の審査をパスしたとして、公聴会が行われる。公聴会は誰が来てもよいので、どんな質問が飛び出すかわからない。任意の分野の人から任意の質問が来るかもしれないがスムーズに回答できないようでは学位が取れる可能性はない。

以上の2回の審査会を通過できないと学位はおりないのでまともに審査が行われている大学院・研究科の論文博士審査は書かれているような不正は起きない。少なくとも私は見たことがない。

大学院の博士後期課程を経る通常のコースドクターの要求される査読論文数は3報以下である。これは在学期間が3年で、その審査機関も考えるとこのくらいでないとコースドクターを出せなでいという事情もあるが、その大学院生自身、その在学中に論文博士の公聴会などを見る機会があるので、論文博士と課程博士の違いは通常知っている。従ってできるだけ課程博士をとろうとするし、わざわざ困難な論文博士をとろうとはしない。従って、博士後期課程を経たような人は、ここにあるような論文博士批判はしない。その困難さを知っているからである。

論文博士を企業からの依頼で審査する場合のほとんどは若手~中堅の研究者である。公表してもよいような研究結果がまとまった折に申請される場合はある。同時に履歴書も要求されるので、仮に役員の方が応募される場合は、長年研究所等で勤務され、その研究業績がある場合に限られると思う。そのような経歴がないと書類を見て話をする中で断られるであろう。

以上はまともな学位審査の話であり、ディプローマミルなどの不正なものは想定していない。

少なくとも、「みんながやっている」、「企業の役員の博士号を持っている殆どは、この論文博士」という実例は見たことがない。

あるとしたら、実例を挙げてもらいたい。相当数ないと、「みんながやっている」、「企業の役員の博士号を持っている殆どは、この論文博士」ということにはならない。
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>大学院、研究科により差があるが5~10方程度の査読論文は必要になる。



レターの査読論文はカウントされません。関西の国立大学ではフルペーパー
の査読論文1報以上です。

>論文審査を依頼した教授ではない近い分野の別の教授を主査として、5名程度の審査員の前で、1時間程度論文の説明をし、30分程度のディスカッションをする。仮に入れ知恵されていて、説明できたとしても、付け焼刃で30分の議論に耐えられるだろうか。まあ、普通は化けの皮が剥がれるだろう。

そのような論文審査は聞いたことはありません。通常、主査1人と副査2人
で論文の要約をもって、教授会で博士号に値すると主張します。教授会で
公開審査に値するとなって、公開審査日が公表されます。公開審査会場は
入場者無制限で教授、助教や学生が集まりそこで、1時間程度論文の説明をし、30分程度のディスカッションをします。その後、再度教授会で博士号に値するかを判断します。

学校教育法第百四条に
③ 大学院を置く大学は、文部科学大臣の定めるところにより、大学院(専門職大学院を除く。)の課程を修了した者に対し修士又は博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し文部科学大臣の定める学位を授与するものとする。
④ 大学院を置く大学は、文部科学大臣の定めるところにより、前項の規定により博士の学位を授与された者と同等以上の学力があると認める者に対し、博士の学位を授与することができる。
とありますが、同法第九十三条で
② 教授会は、学長が次に掲げる事項について決定を行うに当たり意見を述べるものとする。
一 学生の入学、卒業及び課程の修了
二 学位の授与
同法第九十三条の②が重要です。教授会の意見があれば、博士の学位は得られると言うことです。
そこの、学部と懇意な場合、教授会の意見は得られやすくなります。

何故、日本だけ論文博士があるのか不思議です。博士コースの3年間で
際立った発見や実績を残せなかった、博士コースの卒業生で、博士の学位
を持っていない方は沢山います。良い仕事に巡り合えなかった人は、その
学位を取れないことになります。
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質問とは異なる大学教員、論文博士批判をする人が反論を書いてくれたので再度少なくとも私が知っている事実を書き誤りは誤りとはっきり書いておきます。



念のため書いておきますが、私は30年の間に3つの大学に勤務しています。その間学会などで他大学の教員とも雑談も含めて多くの大学の情報を持っています。

>>大学院、研究科により差があるが5~10方程度の査読論文は必要になる。
論文博士で5報といったら少ないくらいでしょう。自分の時の10報は厳しいと思ったけど。

>レターの査読論文はカウントされません。
例えばTetrahydron Letter なんか権威ある論文誌で、画期的な発見をした場合などフルペーパーにする前に先発権を確保するために書いておくのはまともな研究者ならだれも否定しません。従ってこのような権威あるレター誌に載ったら普通は1報と数えます

>関西の国立大学ではフルペーパーの査読論文1報以上です。
どこ大ですか?課程博士ならあり得るかもしれないけど、論文博士が1報でとれるとは、それこそ聞いたことがありません。その大学の課程博士は論文なしでも取れるんですか?まあ、冗談ですが、課程博士でも少ない1報で論文博士が取れるところがあるとすれば、それは驚きです。

>>論文審査を依頼した教授ではない近い分野の別の教授を主査として、5名程度の審査員の前で、1時間程度論文の説明をし、・・・・
>そのような論文審査は聞いたことはありません。通常、主査1人と副査2人
で論文の要約をもって、教授会で博士号に値すると主張します。
聞いたいたことがないというのは、 konjiiさんが知らないだけでしょう。現に私の時の審査員は5人でした。依頼した教授ではない近い分野の別の教授が主査で、依頼した先の教授が副査に入り、その他、同じ工学研究科の他の専攻から2人、他の研究科である理学研究科から1人の合計5人です。通常3人というのは最低の人数であり5人というところはいくらでもあります。

>同法第九十三条の②が重要です。教授会の意見があれば、博士の学位は得られると言うことです。そこの、学部と懇意な場合、教授会の意見は得られやすくなります。
意見を言うことはできますが、基本的に学位の授与を決めるのは、主査から副査までの選考委員です。仮に教授会で他の意見が出たとしても、それで覆った例を30年間で一度も見たことはありません。

論文審査に大変批判的なようですが、課程博士が3年間授業料を払っているのに対し、論文博士は数万円程度の審査料を払うだけであることや、いわば他流試合ですから論文博士の審査の方が課程博士より審査基準が厳しいのは、常識です(課程博士が5~10報必要なのに課程博士は3報以下)。例外的な(私は聞いたことがありませんが)会社の重役が金を積んで学位を買うような話より、普通に苦労して論文博士を取った人の方がはるかに多いのです。

>博士コースの3年間で際立った発見や実績を残せなかった、博士コースの卒業生で、博士の学位を持っていない方は沢山います。良い仕事に巡り合えなかった人は、その学位を取れないことになります。
そのような方は卒業生とは言いません。仮に他の単位を取っており、論文のみ通っていないのであれば博士後期課程単位満了退学といいます。努力は認めますが、扱いは退学です(もちろん、この言葉をもって、その人を卑下するものではありません)。
 しかもこのような場合は、本気なら1年程度伸ばして課程博士を取ることができます。また、本気なら数年程度研究生をして、論文博士を取ることだってできます。私自身、企業、公設研、国研、そして大学でも技官として苦労しながら論文博士を取ったわけです。良い仕事に巡り合えず、3年で学位を取ることをあきらめるのもその人の判断ですが、逆に論文博士があるおかげで長年頑張って、より厳しい論文博士を取ることをいとも簡単に批判することこそ、私には信じられません。

日本だけに論文博士があって、他国にはないことを批判されていますが、特に戦前は簡単には博士号がとれませんでした。とりあえず博士はなくとも大学教員となり、経験を積んでから博士号が取れるように論文博士の制度は生まれたものです。すでに10数年前から文科省で論文博士廃止の論議話されていますが、いまだに廃止されません。苦労して課程を過ごしても博士をとれなかった人が、努力を続けて論文博士にチャレンジする道を残しているとも私は思っています。
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