これ何て呼びますか Part2

私は、大学1年の時外国語のテストで、何問かカンニングをしました(今春4年生)。幸か不幸かそのときはバレなかったのですが、後々になって大きな罪悪感として残りました。
というのも、大学2年のときに進学振り分けが行われるのですが、それが1年次の成績によって決定されるからです。今所属している研究室の友人を裏切ったという思いや、自分のせいでこの研究室に進むことができなかった人がいるかもしれない、という罪悪感によって一時期うつ状態になりました。
自分としては、1年のころ希望の研究室を目指してかなり頑張っていたので、そのカンニングがなくても余裕で進学できたものと確信していますし、そう思うことによって何とか平静を保ってきました。
今心の中で葛藤していることは、以下のようなことです。

・研究室の友人は自分にとってかけがえのないものとなっているため、(退学などで)それを失うことが耐えられない。
・カンニングをしたことと研究室に対する罪悪感。
・カンニングがなくてもいい成績をとっていたということや、他の人も少なからずカンニングをしているのでは、という思い。
・院志望なのですが、学部時代の成績が院試の合否に使われたら、同じ過ちを繰り返すのではないか、という思い。
・「今の研究室の研究を自分のライフワークにしたい」という夢を捨てることができない。

なぜカンニングをしたか、というのは、進振りで他人を蹴落としてやろうという意図ではなく、その当時心が弱っていたところに魔がさした、という感じだったように記憶しています。それ以外は、まじめに出席し、勉強しています。いい成績もとってきました。

乱文になってしまいましたが、このようなことで悩んでいます。何かしらアドバイスをくださったら幸いに思います。どうかよろしくお願いします。

A 回答 (9件)

質問者様よりちょっと先輩の研究者です。



やってしまったことは、どんなに後悔しても、取り消すことはできません。未来への教訓にすることが大事です。

今カンニングのことを告白したとして、退学にもならない可能性が高いでしょう(基本は現行犯ですから)。ただ、周りの人は許してくれるかもしれませんが、ショックは受けるでしょうね。裏切られた思いもするかもしれません。

確かに、罪を告白することで、自分は気が楽になるかもしれません。ですがそれはすでに何年も経過した後、周りにとって大変迷惑であるということもあります。

もし罪悪感があるなら、自分の心の中にしっかりしまって、人一倍がんばってください。研究室に落ちた人の分まで。研究室で結果を残せば、仮にその事実を知ったとしても他の人も諦めがつくと思います。
罪を告白できないことは苦しいかもしれませんが、それはカンニングをしてしまった事への当然の報いです。

大学院に進み、研究職に進むならなおさら、「今の自分の進路があるのも、あのときのことがあるから」と思い、自分勝手にあきらめないでください。研究職は甘くはありません。カンニングや盗作をして楽をしようと思えば、すぐにバレてしまうところです。そういう人は相手にされませんし、人よりいい研究はできません。

今ならまだ修正がききます。これを教訓に、二度とカンニングはしないこと。真剣に研究に取り組むこと。地道な人が偉いのです。あなたが悩んだことを決して無駄にせずに、がんばってね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。罪を告白しても、それが自己満足の気休めでしかないのかもしれません。やはり、自分の「これから」にかかってくるんですね。

お礼日時:2006/02/24 08:11

確かうちの大学の場合はカンニングしたら全教科0点で半年の出席禁止で掲示板にその者の名前が張り出される(一度だけ張り出されてるのを見たことがある)



まぁやっちゃったものはもう仕方が無い(カンニングというレベルの不正についてはねってことで殺人とかだともうやっちゃたから仕方ないじゃすまないけど)
後悔しようがもう過去には戻れないので
やって後悔してるならもう2度としないと自分自身に誓うこと
他の人も少なからず・・・や魔がさしたとかってのは都合の良い言い訳でありそれらを出して再び不正を行わない強い心を持ってくださいね
(社会人になってそれやっちゃうと人生終わっちゃうかもしれませんよ)
今もっている罪悪感のカケラを持ち続ければ恐らくまた今以上の罪悪感につながる行為は簡単には出来ないだろうと思いますがね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

実は、この質問をした後で、毎回のレポートで単位を出す授業にて友達のを写させてもらったり(もちろんすべての回でではありませんが)、テストで友人の解答を見てしまったり(結局自分の答えで出しました)したことを思い出して、自己嫌悪に陥っていました。

これらもすべて自分の弱いところからきているんでしょう。yksinさんのおっしゃるとおりです。自分に言い訳していたのがわかりました。この罪悪感が、自分の人生の糧になるのだろうと思います。

お礼日時:2006/02/25 01:41

カンニングは悪い事でしょうか。


私はそれほどの事だとは思えません。

勉強は何のためにするのかと言うと、身に付けるためと知的欲求を身に付けるためですね。
試験は何のためにするのかと言うと、生徒に勉強をさせるためと純粋に学力を計るためとですね。

その試験は定期試験ですよね?目的は生徒に勉強をさせるためですよね。
あなたは勉強したのだったらいいじゃないですか。

もし、その試験であなたが誰かを蹴落としたとしても、それは蹴落とされた人が無力だからです。気にする必要はありません。

あなたはカンニングを悪だと思い込んでいすぎる。
カンニングをしなければ得られなかった物ではないのだから、何も気にする必要はありません。
世の中に悪もなければ完璧な正義もない。
誰もが少なからず何かを持っているのです。
頑張って。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今の自分とこれからすべき事を、何とか掴んで行こうとしているのですが、まだ時間はかかりそうです。
世の中にはそういう考えも必要であるかもしれませんが、今回の件は神が与えた機会だと思っています。もう少し慎重に考えてみようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/25 01:21

 うーん、質問者さんはかなり深刻に考えすぎているようにおもいますよ。

私は大学院生で定期試験の試験監督もしていますけど、事前に問題がある程度提示されている場合など、かなりカンニングが摘発されますから、ばれない人はその何倍もいると思います。

 私の友人に聞いても、ほとんどの人が一度くらいカンニングの経験がありますし、たぶん研究室の人に聞いてもほぼ全員があると答えると思いますよ。

 あまりほめられた行為ではありませんが、大学生はよくやってるみたいですね。一応全科目0点になるとアナウンスしているので、つかまった時に、小心者な人や女の子はすごい焦って、言い訳する人がおおいですが、実際はかなり悪質な場合以外は当該科目のみ0点にするが一般的です。常習者は困りますが、あとから悩むほどのことはないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

カンニングをした当時の自分は、これほど後悔するものとは思っていなかったのだと思います。
後悔がないように生きるのは、難しいことだと思いました。とりあえず、これから「後悔」がないように、十分自分を見つめなおしてみようと思います。

お礼日時:2006/02/25 01:09

カンニングはその試験のみならず、その期の試験すべてが0点になるはず(うちの大学ではそうだった)。


退学にはならないでしょうが・・・
やはり罪悪感にさいなまれるものなのですね。

中学生の時、テストの返却の際、先生が言った言葉を思い出します。
「もし採点ミスで、間違いが正解になっていたら正直に言うように。
正直に言わないと、死ぬ間際に、あの時言っておけば・・・、と後悔するぞ」と。
カンニングよりもはるかに軽く、生徒側にはなんの責任もないことでも、後悔はするものです。

もう、この期に及んでは、墓場までその秘密を持っていく覚悟を決めるべきでしょう。
友人に話しても、懺悔しても、誰も得をしません。
その覚悟が出来ないなら、それまでです。

罪人が何故、許されると思います?
犯した罪を一生背負っていくからですよ。一生背負って、二度と過ちを犯さないと決意するからです。
今回は誰にもばれていないので、
自分自身で一生背負い、二度と同じことをしないと覚悟を決めたら院に行けばいい。
それができない、一片でも再び犯してしまいそうだと思えば、その大学にいるべきではありません。
卒業まではそこにいてもいいとは思いますが、これすらもあなたの精神的な潔癖さ次第です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはりこのことは、一生背負って生きていく覚悟が必要ですね。唯一の救いは、自分がしたことに気づくことができたことだと思います。

院は今でも行きたいと思っていますが、質問で書いたように、そのままの成績を使うのはやはり研究室配属と同じことを繰り返すのではないかと思ってしまいます。そのことはまた、カウンセラーと相談してみようと思います。

お礼日時:2006/02/24 08:31

ちょっときつく書きますね。



私はカンニングはしませんから
カンニングする人の気持ちはわかりませんが

>その当時心が弱っていたところに魔がさした、という感じだったように記憶しています

とありますが、この部分は正直なところ
よくわかりません。
むしろぼかされている感じがします。
心が弱っていたということは何か別の要因もあって
悩んだあげくにカンニングしたということなので
しょうか?

というか
>・院志望なのですが、学部時代の成績が院試の合否に使われたら、同じ過ちを繰り返すのではないか、という思い。

と書かれていますが、
もし、あなたの中でここまで悩んだあげく
またカンニングを繰り返すおつもりでしょうか?
意味不明ですね。
たぶんその1年次のときの成績も使われるだろう
という意味でまた研究室配属と同様のことが
おきそうだという意味だと思いますが。

話は変わりますが
私の大学では院に行くときに
成績の上位2割以内に入っていれば
推薦で面接だけでいけるのですが、
カンニングを他の人がやっていても別に
カンニングを悪だと思いませんでした。
カンニングは人の1つのやり方だから。
まぁついでにいうと私は院試受けましたが(
ただ自分は自分、他人は他人なんです。

もうカンニングは絶対にしない。
他の人がやっていてもそんなのには負けない。

という気持ちでやってみてはどうですか?

この回答への補足

>>その当時心が弱っていたところに魔がさした、という感じだったように記憶しています

>とありますが、この部分は正直なところ
よくわかりません。


この当時は、別のことに悩んでいたために、やけになっていたところがあったということです。

>・院志望なのですが、学部時代の成績が院試の合否に使われたら、同じ過ちを繰り返すのではないか、という思い。

ということろは、pesude_zun1さんの言うように、「カンニングした科目の評価が入った成績を院試の合否判定に使われるとしたら、また研究室配属のときと同じことではないか」という意味です。もちろん、これからカンニングのような不正を繰り返すことは、神に誓ってもありえません。

補足日時:2006/02/24 08:11
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

補足にも書いたように、カンニングをして後悔したことを繰り返すつもりなど毛頭ないですし、神に誓って潔白に生きようと決意を新たにしました。

お礼日時:2006/02/24 08:23

#1です。


開き直るべきではありません。後輩のためにも人のためにも。
でも人は許してくれます。
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う~ん、開き直りましょうよ!!


大学ではぶっちゃけ「カンニング」だらけです。
私も大学に入り、様々な「カンニング」経験をしましたし、見ました(笑)
ぶっちゃけ、見て見ぬふりをしている先生もいます。
某大学なんて、めちゃくちゃらしいですよ。

あなたのほかにもカンニングしている人はたくさんいます。後悔する人もいれば、単位取れてラッキーと思う人もいるでしょう。

私の大学は過去はヒドいものでした・・・^^;
今ではかなり厳重になりましたよ。
チェックの目も厳しいし・・・。

いけないことなんです・・・でも仕方なく・・・
結構な人が経験したと思いますよ?
ですから、見つからなかったことにラッキーと思い、開きなおりましょう♪^^
もう二度としなければいいんです。
私はそうでした。ムリだと思い潔く落とした教科もあります(この時、一部集団カンニングしてました・・・^^;)多分、自分が甘ければ私も参加してましたね。

頑張りましょう♪気にせず、「今」を精一杯頑張りましょう♪「過去」の過ちは誰しもあることです^^
いい経験(決していいとはいえないですけど・・・)をしたと思い、これからしっかり改めていけば、おのずと「道」は開けると思います^^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
上のbigskulさんがおっしゃっている様に、確かに開き直るべきではないかもしれません。
しかし、ren96さんのように言ってくださる人がいて、気が楽になりました。「これからしっかり改める」ことは、自分にとって非常に重要なことだと思います。

お礼日時:2006/02/24 03:30

私から直接何かを言うことはありませんが


大学付属のカウンセリングルームってありませんか?
そこに相談すると良いと思いますよ
私もうつ気味になってカウンセリングを受けたことがあります。
カウンセラーは守秘義務もありますし、付属のカウンセリングセンターなら費用も殆どか全くかからないはずです。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
実はもう大学のカウンセラーに相談したことがあります。
しかし、時間ばかりが過ぎていって、あまり自分にとっての収穫はありませんでした(人に打ち明けることによって、ほんの少しラクになったということはありますが)。
カウンセリングが、相談者自身に答えを見つけさせることを目的としているものだから、混沌としている自己の内部から答えは出るはずがなかったのかもしれません。
あきらめずに、また相談したいと思います。

お礼日時:2006/02/24 03:22

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